退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「あいまいテンション」について

2011-03-17 03:43:40 | Weblog
晴れ。霙も降る。

引き続きアンナ・ハーレント「イェルサレムのアイヒマン」。

善悪あるいは特定の意図とは別に
「物事」は動いてしまうのがどうやら「基本」。

自分の行動が何をもたらすのかについて。
たいていの場合そこまで考えずに行動するのが「自然」で。

誰も「全体」を見渡すことができないのは「事実」。
それゆえ「神」という「装置」も出来たことではある。

「圧倒的な後追い」ではあるにせよ
人はそこから何かを学ぶことが出来るのだと信じたい。

それはほとんど「祈り」に近いようなものだけれど。

同じ過ちならまだしも
さらにどうしようもない「結末」を生むことも少なくなく。

「悪意」が「善意の結果」をもたらすことがあり
「善意」が「悪意の結果」をもたらすこともあることを承知して。

結局人は自分が「重要」だと判断したものしか見ないことが多い。
果たしてその「自分」がどれほど「信頼に足るもの」かもチェックせずに。

それでもある種の「情動」に人は逆らえず
それが「自分」だという確信に満ちてあるようなないような「筋」を生きたりする。

案外それが楽しかったりするあたりに
「こと」は落ち着くのか。

もちろんその「こと」にはさまざまな「層」があって
それぞれに彷徨うことになるのだが。

「全く同じこと」など起こらないのが「世界の常」だとして。

そうか。
「氷」でも「水」でもないのが「霙」だったりするか。
コメント
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