晴れ。霙も降る。
引き続きアンナ・ハーレント「イェルサレムのアイヒマン」。
善悪あるいは特定の意図とは別に
「物事」は動いてしまうのがどうやら「基本」。
自分の行動が何をもたらすのかについて。
たいていの場合そこまで考えずに行動するのが「自然」で。
誰も「全体」を見渡すことができないのは「事実」。
それゆえ「神」という「装置」も出来たことではある。
「圧倒的な後追い」ではあるにせよ
人はそこから何かを学ぶことが出来るのだと信じたい。
それはほとんど「祈り」に近いようなものだけれど。
同じ過ちならまだしも
さらにどうしようもない「結末」を生むことも少なくなく。
「悪意」が「善意の結果」をもたらすことがあり
「善意」が「悪意の結果」をもたらすこともあることを承知して。
結局人は自分が「重要」だと判断したものしか見ないことが多い。
果たしてその「自分」がどれほど「信頼に足るもの」かもチェックせずに。
それでもある種の「情動」に人は逆らえず
それが「自分」だという確信に満ちてあるようなないような「筋」を生きたりする。
案外それが楽しかったりするあたりに
「こと」は落ち着くのか。
もちろんその「こと」にはさまざまな「層」があって
それぞれに彷徨うことになるのだが。
「全く同じこと」など起こらないのが「世界の常」だとして。
そうか。
「氷」でも「水」でもないのが「霙」だったりするか。
引き続きアンナ・ハーレント「イェルサレムのアイヒマン」。
善悪あるいは特定の意図とは別に
「物事」は動いてしまうのがどうやら「基本」。
自分の行動が何をもたらすのかについて。
たいていの場合そこまで考えずに行動するのが「自然」で。
誰も「全体」を見渡すことができないのは「事実」。
それゆえ「神」という「装置」も出来たことではある。
「圧倒的な後追い」ではあるにせよ
人はそこから何かを学ぶことが出来るのだと信じたい。
それはほとんど「祈り」に近いようなものだけれど。
同じ過ちならまだしも
さらにどうしようもない「結末」を生むことも少なくなく。
「悪意」が「善意の結果」をもたらすことがあり
「善意」が「悪意の結果」をもたらすこともあることを承知して。
結局人は自分が「重要」だと判断したものしか見ないことが多い。
果たしてその「自分」がどれほど「信頼に足るもの」かもチェックせずに。
それでもある種の「情動」に人は逆らえず
それが「自分」だという確信に満ちてあるようなないような「筋」を生きたりする。
案外それが楽しかったりするあたりに
「こと」は落ち着くのか。
もちろんその「こと」にはさまざまな「層」があって
それぞれに彷徨うことになるのだが。
「全く同じこと」など起こらないのが「世界の常」だとして。
そうか。
「氷」でも「水」でもないのが「霙」だったりするか。