晴れのちくもり。だったと思うがとりあえず冷える。
クリストファー・ラッシュ「エリートの反逆」読了。
著者はどうやら「『道徳』としての宗教」が機能しなくなったことを憂えている模様。
その一方で「宗教はアヘンだ」と言ったマルクスがいたりするものの。
いわゆる「エリート」と「一般大衆」の「接点」が圧倒的に失われてしまい
それをフォローするはずのアカデミズムも自分の「生き残り」しか考えていないと。
もちろんある種の「論理」を突き詰めるとそこに「正解」が失われるのはもはや「自明」。
その理由は単純で「世界は人が思うより複雑だから」。
むしろあらゆるものを「コントロールできる」と思うのが「不自然」で
もしできるならやってれば、というお話ではある(相当に迷惑なお話だけれど)。
「エリート」あるいは「専門家」たちは
互いに共有する「論理」のみをいたずらに重んじるだけで。
それらをふまえてみると
実は前近代的な「宗教を信じる」という在り方が効果的だったりするのだという視点。
いずれにせよ人が考えられることは「たかがしれている」。
互いにもっと「謙虚」であるべきだというのが当面の「倫理」だろう。
「だからダメなんだ」ということは誰にでも言えるとして
「どうしたらいいいのか」ということについて「知恵」を集め「実行」するしかない。
その際の「最低限のルール」として
「いいものはいいこと」と「ダメなものはダメなこと」を互いに率直に認めること。
自説の「正しさ」をいたずらにあげつらわないこと。
あらためて「目的=到達地点」を思えば
人は案外「同じ方向」を向いているもの。
ところが「歴史」はそうした「ナイーブさ」を「戯言」だと証明している。
さて。
どうしたものか。
とりあえず虚心坦懐に「議論」しよう。
クリストファー・ラッシュ「エリートの反逆」読了。
著者はどうやら「『道徳』としての宗教」が機能しなくなったことを憂えている模様。
その一方で「宗教はアヘンだ」と言ったマルクスがいたりするものの。
いわゆる「エリート」と「一般大衆」の「接点」が圧倒的に失われてしまい
それをフォローするはずのアカデミズムも自分の「生き残り」しか考えていないと。
もちろんある種の「論理」を突き詰めるとそこに「正解」が失われるのはもはや「自明」。
その理由は単純で「世界は人が思うより複雑だから」。
むしろあらゆるものを「コントロールできる」と思うのが「不自然」で
もしできるならやってれば、というお話ではある(相当に迷惑なお話だけれど)。
「エリート」あるいは「専門家」たちは
互いに共有する「論理」のみをいたずらに重んじるだけで。
それらをふまえてみると
実は前近代的な「宗教を信じる」という在り方が効果的だったりするのだという視点。
いずれにせよ人が考えられることは「たかがしれている」。
互いにもっと「謙虚」であるべきだというのが当面の「倫理」だろう。
「だからダメなんだ」ということは誰にでも言えるとして
「どうしたらいいいのか」ということについて「知恵」を集め「実行」するしかない。
その際の「最低限のルール」として
「いいものはいいこと」と「ダメなものはダメなこと」を互いに率直に認めること。
自説の「正しさ」をいたずらにあげつらわないこと。
あらためて「目的=到達地点」を思えば
人は案外「同じ方向」を向いているもの。
ところが「歴史」はそうした「ナイーブさ」を「戯言」だと証明している。
さて。
どうしたものか。
とりあえず虚心坦懐に「議論」しよう。