かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

うまくいくときといかないとき

2006年09月30日 20時53分17秒 | 野球
先週は夜のナイターだったので、土曜の練習は間が空いた。最近は暗くなるのは早いが、明るくなるのも遅くなるのだとあらためて感じた。いつもより早く起きたら外はまだ薄暗かった。
今日はいつもよりも多く走った印象がある。走塁の勉強ができたからいいといえばいいが。守備のほうはあまりうまくいかず。1塁側に転がったバント処理はまだ楽なのだが、3塁側となると左投げの私には一層難しい。それでも捕ってから早く投げるところは何とかなりそうになってきたが、その後があまりよろしくない。あとは投げ方を安定させられれば何とかなりそうな気がするのだが。2塁への送球は最後までうまくできなかった。手だけで投げなければいいものを、手投げで放るものだから送球が捕りにくいものになってしまうわけである。あとは送球を焦って打球を取り損なうこと。これもまずい。
あともう1つ。フライで捕る意思表示を強くしたのに、他に捕りに来ているような気がして足の動きが鈍った。これもいただけない。
打つ方に関しては、相変わらず鋭く打球が曲がることが多い。ライト前にゴロを打とうとしてセカンドゴロというのが多かった。
明日はいよいよリーグ戦の初戦だ。何とか勝ちたいものである。そういえば、試合前のシートノックではいつも外野にはいるが、マダックスも試合前には外野で打球を追って体を慣らしているというのを見てちょっとうれしくなった。ただし、凡ミスでチームを弱く見せてしまうところは申し訳ないが。

ダメなものはダメです

2006年09月29日 20時29分26秒 | 一般
今日のチュートリアルでの1コマである。脳死と臓器移植をテーマにロールプレイをやらされたのだが、いろいろと家族が要求するパターンに対していかに説得するかということで、ダメと決まっていることに対して深みをもたせる返答はまずいということだった。政治家のような答えをしてはいけないらしい。家族は好意的にしかとらないからね、というコメント。藁をもすがる気持ちであれば確かにそうだろう。何とかしてそれこそ一縷の望みにすがろうとするのであれば、だ。そういうときには非情に思えてもきっぱりと伝えなければならない。
説得というのは難しいものである。殊にこういう問題においては。もっとも、主導権は医者の側にないので、あくまでできるのは参考意見を述べるのみであるが。もしかたくなに拒まれたなら、それで終了である。
そう考えると、いかに脳死下の臓器移植が難しいかもうなずけよう。実際これまでに日本でも50件に満たないのだから。この1年ではなく、これまで全てを合わせてこの数字である。
やはり、ダメなものはダメである。

どこで投げるか

2006年09月28日 21時17分38秒 | 野球
今日は久しぶりにそこそこ投げられた。多少全身の力を使って投げられたように思う。最後の最後にコントロールを乱してしまって、それが残念でならない。投げ急いでいたのは明々白々であるが、そこでゆっくり間を取るところが問題である。
変化球もまずまず。何とか試合までに仕上がればいいのだが。とりあえず与えられた役目をきちんと果たせるようになりたいものである。
以前はボールを投げたときに肘が尋常ではなく痛んだものだが、今はそんなことはなくなり、負担がかかっていると実感するのは肩である。うまくいかないときというのは、上半身だけで投げているときで、下半身の動きとずれているときである。すぐに直せればいいのだが、いまだに系統的な直し方が確立できない。そのため、すぐに直さなければならないときは手探りで直そうとするのだが、たいがいうまくいかない。わかっているのに治らないというのがもどかしくてならず、イライラすることも多い。
以前の滅茶苦茶な状態からは脱したような気がするが、あとは無駄に力まないようにすることと、投げ急がないことをうまくやらなければ。

バラエティの豊かさ

2006年09月27日 21時01分19秒 | 一般
これが大事である。顕微鏡をのぞいた後に思ったことである。
今日の診断学実習は血液内科だった。シラバスを見ると実際に患者さんの診察をするようなことが書いてあってちょっと緊張しつつ行ったわけだが、今日はちょうどリンパ節の腫れた患者さんがいなかったらしく講義と顕微鏡だけで終わり、時間も1時間ほど早かった。
血液内科の試験はだいぶ前に終わっており、経過した時間に応じて知識も減っていたため、だいぶ忘れていた。その後で登場した鉄欠乏性貧血や巨赤芽球性貧血は覚えていたが。これらは胃全摘の後に起こる症状として覚えたものだった。白血病の分類ももちろん忘れていて、リンパ性と骨髄性の違いもどこへやら。ペルオキシダーゼ染色陽性で骨髄性という話だった。
測定機器の発達した今でもやはり顕微鏡で標本を見て決定するというのは大事なことのようである。骨髄には様々な血球がいる。というわけで見えるものもバラエティ豊かである。ところが、異常なものが増殖するとそればかりが見えるようになる。こうしておかしいなと気付くわけである。
やっぱりいろいろあるのが大事ということか。

交換法則

2006年09月26日 20時47分57秒 | 雑談
足し算を例にしてみると、1+2も2+1も結果は同じである。掛け算でも同じことが言える。それは加法にも乗法にも交換法則が成り立つからである。ところが、それは複素数までの話である。四元数になるともはや乗法には交換法則が成立しない。あるいは実数の範囲であっても、行列の乗法には一般に交換法則が成立しない。2次元での回転の合成なら交換法則は成り立つが、3次元になるととたんに成り立たなくなる。
日常生活でも交換法則が一般には成り立たないということは簡単にわかる。手順の前後を間違えるというのはまさにそうである。だから順番が大事になる。
逆に言えば、交換法則が成り立つほうが特殊ということになる。このためにある演算により定められる構造が扱いやすくなっていたりするわけである。
気をつけなければならないのは、身近なところで成立するからといって対象を拡げれば必ずしも成り立たないということと、あまりに身近すぎるが故にその存在の特殊性に気付かないということである。

さらば医学英語

2006年09月25日 20時33分48秒 | 一般
ようやく今日、医学英語2の最終回を迎えた。ハイパーテンション(高血圧ではなさそう)な先生に振り回されたこの5ヶ月。この瞬間の到来を願わぬ時はなかった。最終回だからといってとくに何かあるわけでもなく、予定が消化しきったのがたまたま10分前で、少しだけ早く終わっただけである。
今日も診断学実習が終わった後で、かなり迷った末に教室に行ってみたら誰もいなかった。結局時間になったときに教室にいたのは先生を含めて5人。その後バラバラと何人か来たが、ついに全員そろうことはなかった。
ちなみに、今日の診断学実習は腎臓・代謝・内分泌であちこちに行かされたが、とてつもなく眠い時間帯もあれば、興味津々という時間帯もあった。初めて人工透析を見たが、なかなかおもしろい機械だった。透析液の組成を工夫すると体液量のコントロールができるというのはいわれてみればもっともだが、なかなかどうしてどうして気づかなかった。臨床の場に用いられている機器類はかなり精巧なものが多くてびっくりするくらいである。それだけ人間も精巧にできているということか。

夜討ち朝駆けとはいうけれど

2006年09月24日 20時28分13秒 | 野球
両方ともやれとは言っていないはずである。夜に戦ってそのまままともに休まずに朝に戦いではまともに戦えるはずがない。
さて、そうなのかは定かではないが今日はとにかくしんどかった。年に1回のOB戦なのだが、これほどはやく終わってほしいと願った年はなかった。私は去年このOB戦で腰をおかしくしたというのがあって、若干の恐怖もあった。

帰ってきたらもう堪えきれず、すぐに眠ってしまった。しかし、ほぼ1時間ごとに目が覚めるのはいかがなものかと思う。

いせはらナイトゲーム

2006年09月23日 23時59分31秒 | 野球
今日はグラウンドがとれなかったらしく、練習試合になった。ただし、時間が普通ではない。球場に入ったのが午後6時。なんと照明下での試合である。なんだかんだで試合が始まったのが6時50分頃。結局試合は管理人に追い立てられる形で10時少し前に打ちきりとなった。
つまりは、締まった投手戦ではなく、点の取り合いになったというわけである。決して乱打戦ではない。ピッチャーの責任が大きいことは疑う余地がないが。
ピッチャー陣の1人として私もやはり同じようなことをしてしまった。自分自身の感触としては、前の試合よりはだいぶ改善されたように思う。コントロールもまとまってきたし、ストライクを投げようと思ってストライクを投げることもできた。ただし、それは完璧なものではなく最初のバッターに力んでしまうというのが問題であった。このため、あっさりとマウンドを降りることになってしまったわけである。調整などと大層なことを言えた身分ではないが、コントロールのまとまりについてはとりあえずめどがついてきたような気がする。
「弱気は最大の敵」かの津田恒美の座右の銘という。

明日はOB戦で、集合は朝8時・・・起きられるだろうか。帰ってきたら日付が変わっていたというのに。

一時代の証

2006年09月22日 20時12分42秒 | 雑談
昔のことだが、とあるカードゲームにはまりこんでいた時期があった。いまでもそのときのカードは残っており、私に中学生時代から高校生時代の一時期を思い起こさせる品となっている。このゲームはもちろん今でもあるわけだが、新陳代謝が進んだようで、当時とは別物になっているようである。少なくとも見た目は。変化に付いていける財力もなく、私は過去のある時点で止まっている。
学校で遊んでいたのだが、対戦には色々な思い出がある。やることを一切封じられてあっけなく倒されたこともあるし、逆に負け寸前まで追いつめられながらも場のコントロールを握って、逆転したこともある。一発のコンボを決められて撃沈されたこともある。鮮やかに決まって、笑うしかなかったのもいい思い出だし、完全にロックして笑いが止まらなかったこともある。
ルール上問題ないのだが、実に不条理としか思えない瞬間も数多くあり、私もその実現に向けて頭をしぼったものである。その当時のメモ書きを見ると、自分の思考の後がかいま見えて何ともいえないものである。
何となくクローゼットを開けたら、カードの山が出てきてふと思い出してしまった。年を取ったのだろうか。それとも現実から逃れたくなったのだろうか・・・

すこしましになったかな

2006年09月21日 21時48分31秒 | 野球
多少だが、まともに戻ってきたような気がする。心配事は尽きないわけで、まだまだ本調子とはいかないみたいである。投げた瞬間にまずい送球だとわかっても手遅れだし、どうしようもない。指のかかりが違って曲がることがわかっても、どうしようもない。送球全てに自信がなくなってきているのが現状らしい。
野球のことを考える時間はさすがに以前よりも減ったが、やっぱり多少なりとも考えているが、どうもろくなことを考えない。だいたいうまくいかない結末になるのだから困ったものだ。
問題は投球の方である。とにかくこれが何とかならないと、野球選手としての私の存在意義にも関わってくるので、大問題である。要はボールがど真ん中に行かなければいいのだが。なんとなく糸口はつかめたような気がするので、あとはふたを開けてみてどうなるか、だが・・・