かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

夏の終わり

2007年08月31日 17時36分41秒 | 一般
早いもので、もう8月も終わり。9月になればまた病院で動き回る日々が待っているというわけである。今日はどんな一日だったかというと、特に夏らしいことをしたわけではない。ちょこっと大学に行ってアンケートを書いて(講堂の中には入らずに)帰り、帰ってからバイトの残りを片づけ、それからレポートをちょこちょこやってみたり、本をぱらぱらとめくって読んだりして過ごした。ある意味贅沢な過ごし方かもしれない。
では、どんな夏休みだっただろうか。8月の前半はあちこち出かけたりして、中頃はずっと高校野球に釘付けで、それが終わったら勉強をしてみたり、酒を飲んだりして過ごしていたようである。
今年は夏休み明けの試験がないのでわりとゆとりのある夏休みを過ごせたような気がした。もっともっと遊べたらそれはそれでよかったのかもしれないが、好きなように過ごせたという点ではよかったというべきであろう。

体の中に入った酒

2007年08月30日 18時49分32秒 | 雑談
酒を酒たらしめているのは無論アルコール(エタノール)である。エタノールは体内でアセトアルデヒドに代謝され、さらに酢酸に代謝される。このアセトアルデヒドを酸化して酢酸へと変える経路を触媒する酵素の活性が、いわゆる酒の強さを規定している。しかも、この酵素は4量体で1つでも変異型が入ると機能しなくなるため、2つとも野生型遺伝子の人と変異型遺伝子を1つ持つ人では活性を持つ酵素の比が16対1という圧倒的な比になってしまう。もちろん、この活性はエタノールの薬理作用に何ら影響を与えないため、エタノール自体の影響は別の酵素活性によって規定されるといえる。
面白いことに、変異型遺伝子を持っているのはモンゴロイドだけで、いわゆる白人と黒人は全員が野生型遺伝子の持ち主らしい。つまり、酒を飲むとすぐに顔が赤くなるようなのは日本人を含むモンゴロイドだということである。私も野生型と変異型のヘテロである。そのため、酒を飲むとすぐに顔が赤くなり、しかも早々に2日酔いの症状が現れる。今のところ、翌日の朝に2日酔いになったことはほとんどなく、その日の夜に苦しむ例がほとんどである。このタイプはアセトアルデヒドが長時間体内に留まる関係上、アルコールによる細胞の変異が現れやすいとされている。つまり、飲酒による咽頭癌などのリスクが高まるということらしい。
ゆっくりと酒を楽しめる人がうらやましい。酒は好きだが、酔うのは好きではないからである。たった1箇所のアミノ酸の変異がこうなるのだから面白いものである。

どんな風に年をとるか?

2007年08月29日 18時54分57秒 | 雑談
学生でいられるのももう先が見えてきた。いつか学位を取るためにも大学院に進むことになるだろうが、そのときは仕事をやりながらだろうから楽しく学生をやれるのももう1年半といったところか。
将来についての考えはまったくないわけではないが、漠然としたままである。まずは初期研修先だろうか。そのあとは大学に戻れたらいいとか留学して研究をしてみたいとかあれこれ夢が膨らむ。臨床と基礎の間の領域で仕事ができたら幸せというのが現段階での夢の骨子である。臨床医になるのかというのはまた別の問題。
どこかで開業したらどうなるかな、というのも考えたことがないわけではない。それは上記とはほぼ相反する話であるがゆえに、考えてみると意外に面白かった。
もっとも、夢が全部実現したあかつきにはノーベル賞ということになっているのだが、今のアホ学生の身分ではそれはただの笑い話である。
さて、仕事についてはさておき自分自身についてはどうなっているのだろうか。どういう風に年をとるかというのは、どんな風に人生を積み重ねるかということとほぼパラレルである。年をとってどんな人物になりたいかといえば、私は渋いグレーのスーツが似合う男になりたいと考えるのである。傍らに幸せな家庭があればなおよいのだが。守るものは男を逞しくする。

快適な講堂

2007年08月28日 16時29分11秒 | 一般
今日から基礎臨床社会医学統合講義が始まったのだが、1時過ぎにいってみたら講堂はガラガラ。3学年合同のはずだから300人ほどいるはずなのだが、見たところ50人くらいだっただろうか。話自体はそうつまらないものでもなさそうだったが、夏の終わりに講義をしてもこんなものであろう。外はやっぱり暑かったが、中は冷房が利いていて、椅子も広くて座り心地も快適なのは相変わらず。欠点はこの講堂が14階にあることだけである。
例によってアンケートを書かされた。今後に生かすためと言いつつ、記名アンケートなのはいかがなものか。一応頼まれた分も含めて、話がひと区切り付いたところで出して帰ってきた。
講義なのでのんびりとしているというのはやっぱりいいところである。

急患発生!

2007年08月27日 20時28分37秒 | 一般
たまには医学生らしいところを。では今日の症例。
患者は自転車(4歳)。
主訴は前輪の空気のほぼ完全な喪失。
現病歴は本日午前8時半頃、持ち主(当時23歳)が動かそうとしたところで前輪の空気が抜けていることを発見。すでに症状は完成されており、動かすことは徒に損傷を拡大するのみと考えて駐輪場に放置したが、翌日以降の予定を考えて当科に緊急受診となったものである。
既往歴は後輪のバーストが2年ほど前に1度あり、それ以外のパンク歴はない。虫ゴムの損傷は数度ある。
家族歴は先代がパンクを数回起こしていて、そのときはなじみの自転車屋にことごとく担ぎ込まれている。
数日前に空気の補充をしており、その際には異常が見られなかったため虫ゴムないしチューブの損傷が疑われた。
検査の結果、虫ゴムに異常はなくチューブに小さな穴が少なくとも1つ認められた。
即日外来にて、チューブ交換を施行。劇的な症状の改善が認められたため、入院とせず自宅にて経過観察となった。今後同様の症状が短期に繰り返されるようであれば、リムテープ並びにタイヤの交換も検討する必要があるだろう。

そのなじみの自転車屋が移転しなければ即刻持ち込んでいたところだったのだが、今回はメンテナンス技術の向上も期して、このような処置になったわけである。
結果的に作業はうまくいったのでとりあえず一安心というところである。

バイト中にふと思う

2007年08月26日 18時57分58秒 | 一般
今日も暑い中採点をしていた。担当科目は数学なので、記述問題の採点ともなれば様々な答案が見られるわけだが、色々時になることがある。今回ならず毎度毎度感じていることなのだが、いい機会なのでその一端なりとも書いてみよう。もっとも、世の大学受験生が見ることはまずないだろうから自分の覚え書き程度になってしまうが、本職ではないのでまあそのくらいがちょうどいいだろう。
まず、答案は「読んでもらう」ものである。過程を書けというのは、計算を書けというのではなく自分がどう考えたかを伝えて欲しいという意味である。つまり、なんでこういう数がでてきて、どうしてこういう計算をしたのかを教えて欲しいというのが採点者側からのお願いなわけで、そこで突然式の羅列を持ってこられると何をしたいのか理解に苦しむことがままある。書いている本人にしてみれば当然と思うことも読み手に通じないなんていうのは、数学だけでなくその先に進んでもあることで、論文などはまさにそうである。なので、書いている本人が丁寧すぎると思うくらいでちょうどいいのではないかと思う。模試についてくる解答をそのまま一言一句過たずに書き写せばそれが出題者の望んだ解答である。解答の書き方はある種パターンが決まっているので、いくつかの模試の解答を参考にすればきっとそれなりのものができてくる。それもまた技術である。
残念なことに、誤答ほどくしゃくしゃに書いてある頻度は多い気がする。誤答を救済するためにも必要なのに、計算だけ書いてあってしかも間違っていたのではこちらとしても救いようがない。数学という科目はちょっとした間違いで一気に得点に差がついてしまうので、サルベージのためにもぜひ書いてもらいたいものである。
漢字の間違いは個人的には減点したいが、当局からのお達しもあるし国語の試験ではないので訂正する程度にとどめている。せめて問題文中の漢字くらい正確に書いて欲しい。「確率」を「確立」と書くのはよくあるパターンである。
あと、解答を出した後に少し時間を割いて欲しい。ちょっと考えればおかしいと誰でも気付くような答を出して、それで終わりにされるとこっちも終わりである。確率を答えるのに答が1より大きかったり、sinやcosの値が-2などになっているのはどう考えてもおかしい。
意外に多いのが書き写すところでのミス。行を変えた途端に文字が抜けたりべき乗の数が抜けたりして、勝手に自滅するのは採点するこちらとしても非常に心苦しい。わかっているのに、ほとんど得点にならないというのはとても悲しい。ぜひとも実力を正当に評価させて欲しい。
以上、とあるパートタイム採点者の述懐であった。

納涼盆踊り大会

2007年08月25日 22時15分26秒 | 一般
すぐ裏手に小さな公園があるのだが、この週末はどうも盆踊りをやっているらしく太鼓の音が聞こえてきた。それ以外にもアナウンスの声も聞こえてくるのだが、どうも今年で第二十三回らしい。納涼盆踊り大会を1年に2回はやらないだろうから、毎年コンスタントに開催されてきたとすれば、ちょうど私が生まれた年に始まったことになる。なんとも奇遇なことである。生まれたのは少し離れた場所だが、それからは短い期間を除いてこの界隈で暮らしてきたので、時間的にも空間的にも不思議な縁を感じる。きっとたまたまだろうが。
音は確かにうるさいのだが、ありがたいことに早めに終わってくれてそれからは静かなので近隣住民にもきちんと配慮してくれているようである。無論、よい子のみんなにも。
ところで、最後に行ったのはいつのことだろうか。だいぶ昔にさかのぼることであろう。

季節感

2007年08月24日 20時59分16秒 | 一般
最近だいぶ暗くなるのが早くなってきたような気がする。そして、昼間は以前として蝉の大合唱であるが、暗くなれば今度は虫の音が聞こえてくる。ちょうど昼間は夏で日が落ちれば秋になるようなものであろうか。つまり今は季節の過渡期とでも言うべき時期か。季節の移り変わりを様々な感覚を通じて知ることができる、ある意味貴重な時期である。
昨日と今日は日が陰っていて、わりと過ごしやすかった。窓を開けていれば多少は風も入ってくるし、我慢できない暑さではない。私の住んでいるところは東向きに窓があるため、この時期一番室内が暑くなるのは実は朝である。西日は全く入ってこないので午後になると日射しが直接入ってくることがなくなり、気温は多少下がる。
今は採点の仕事があるが、このくらいの気温ならばわりと能率も確保できる。また晴れて暑くなってくると、それは大変。

ほんの一言

2007年08月23日 22時07分42秒 | 雑談
これは私が小学生低学年の時期の話。
多分学校の授業でプールに行ったとき(小学校にプールがなかった!)のことである。なかなか泳げなくて四苦八苦していたとき、たった一言で全てが変わった。
以下その時の再現。

「どうやったら水の中で息ができるの?」
「○○くん、水の中で息を止めていればいいんだよ。」
「!」

この一言で、急に泳げるようになった。水の中でじたばたすることができるようになったのだから。言われてみればもっともだが、気がつかなかったのである。
わかってしまえば当たり前でも、わからなければ皆目見当がつかないというのはよくある話である。

息を呑むとはまさにこのこと

2007年08月22日 21時56分51秒 | 一般
今日は午後1時からテレビの前に釘付けであった。年に1度しかない決勝戦。今年の決勝戦は最後に大どんでん返しが待っていた。7回までと8回では全く別の試合のようであった。ホームランには息を呑んだ。フィクションを超えた現実がそこにあった。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。
まさしく劇的とはこのことをいうのであろう。テレビ越しにも8回の凄まじい声援が伝わってくるようだった。その中でプレーできるのは高校球児として望みうる最上のものであっただろうと推察する。私はあのような大声援の中で野球をやったことはないが、あれだけの声援に後押しされる、あるいはそれに抗うのはどれほどのことであろうか。見当もつかない。
今年も高校野球はこれで終わってしまった。それとともに、夏休みの終わりも刻一刻と近づいてきているようである。そう思うと、何だかさびしくなった。決勝戦ならずとも、高校野球をゆっくり見られるのももうそう長くはないと思えばこそである。