かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

春休み後半

2011年03月31日 21時44分05秒 | 一般
月が変わる前の貴重な一日。
今日やるべきことはたくさんあった。
大きなものとしては免許証の住所および本籍の書き換えと新しい銀行口座の開設というところか。メールオーダーでは時間がかかることから銀行に直接行って来た。免許証の変更も無事に終わり、後は次の病棟業務の引き継ぎのみであった。
引き継ぎ先の先生の都合で夜に引き継ぎをやることになったが、簡単に聞いただけでまだまだわからないことだらけで少し困ったのだが、これはこれでしかたがないと腹をくくった。後は翌日を迎えるだけである。

春休み前半

2011年03月30日 22時44分05秒 | 一般
今日と明日は休み。久しぶりの平日昼間の休みである。これはこれでうれしいのだが、やはりやることはいくつもあり、それはそれで大変である。だが、やれるときにやっておかなければならないのでそれも仕方がない。
今日は特に大きかったのは買い出し。これまでの生活で必要になったものをリストアップして東急ハンズで買ってきた。
そして、固定電話がようやく使えるようになった。ひかり接続も来週には工事に来るという。それまではイーモバイルでしばらくしのぐしかなさそうである。

研修最終日

2011年03月29日 22時41分03秒 | 医者仕事
この日を待ちわびた。
とうとう2年間の臨床研修の最後の日を迎えた。仲間のほとんどは休日をもらうという形で先週のうちに終わっていたのだが、精神科を回っている我々3人は最後まで取り残される形となった。
火曜日だがトップが東北に出張していていないために回診もカンファレンスもなく、なにもない一日だった。新患も現れず、予診に呼ばれることもなかった。
病棟の鍵を師長さんに返し、退職に必要な諸々の手続きをこなした後は、病院の寮の部屋の最後の片づけ。シーツを捨てたり、あるいはまだ見ぬ後輩にゆずるべくエレベーターホールに持っていったり。そして、2年間使った部屋の鍵を閉じて事務に名札と共に返却した。PHSももちろん返した。4月からはきっと新しい研修医の手に渡ることだろう。
おそらくこの病院に戻ってくることはあっても第三研修棟に戻ってくることはもうないだろうと思うと、最後に諸々の荷物を持って立ち去るときになんとなくジンとした想いがあった。
一度家に帰って荷物を置き、そのあと病院で待ち合わせて精神科の先生と焼肉へ行った。
そして、やっと終わった。

ラストスパート

2011年03月28日 23時47分16秒 | 医者仕事
週があけて、私の研修医生活も残り2日。ラストスパートといえば聞こえはいいが、抜け殻を辛うじて残った使命感で引きずっているに過ぎない。
病棟医でもバックアップでもないが、今日は予診に呼び出されて話を聞いてきた。精神科の新患といっても、私はこれまでにいわゆる「本物」を診たことはない。不眠であったり、あるいはちょっとした相談程度のものしかなかったが今日も例外ではなかった。
大したこともなく終わり、あとは片づけをしていたら5時を過ぎたので帰った。そんな一日であった。

親戚づきあいのはじめ

2011年03月27日 23時51分32秒 | 一般
今日は嫁の実家にお邪魔した。
嫁さんの祖父母に顔を見せに行くというのが主な目的だったのだが、頼まれて買った納豆を片手に栃木まで行って来た。先日の地震で東京から東北新幹線で行けるのは那須塩原までであり、動いているのは「なすの」しかない。
緊張はしたが、首尾は上々。ついでにテレビの設定を直してあげてすこし手助けができただろうか。地震の影響はあちこちに残っているようであり、計画停電にも巻き込まれているということもあって、やはり東京とは雰囲気が違う。
帰りの新幹線では深い眠りに落ちてしまい、途中で停車したことにも気付かずに東京まで眠っていたようである。

研修医の卒業式

2011年03月26日 23時55分39秒 | 医者仕事
我々の病院では2年目研修医が最後に学会形式で発表をする催しがあり、その後で研修修了証を渡されることになっている。今日がその日である。
私の順番は最後から2番目という相当なじらしを伴うものであり、当然のように出番は午後3時過ぎであった。このため、午前中はそれまで住んでいたマンションの最後の清掃にあたった。というよりも、業者の作業を見守っていたというほうが適切であろう。
予想に反して時間がかかり、途中で抜けてきて着替えて病院に行くハメになった。
私の発表は脳梗塞急性期の症例をあつめた集計の報告である。目新しい内容と言うほどのこともないが、電子カルテを駆使してデータベースを作った末に生み出したもので。時間はかなりかかった。が、やはり準備不足というのは自分でもよくわかっていた。予演をしなかったこともあり、誤字に気がついたがすでに手遅れであった。
演者として壇に立った後は時間はあっという間に過ぎ、程なく発表は終わった。質問で大して突っ込まれることもなく無難に終わった。
その後はセレモニーで、当然のように私は何の受賞もなかった。
一年生主催の二次会では少し話をして、それで終わった。最後に寄せ書きを渡されたが、そこに書いてあったコメントは感激ものであった。それはそれはうれしかった。

もう一息

2011年03月25日 22時40分35秒 | 一般
金曜日。週末の一歩手前ということで何かとうれしい日である。が、明日は研修修了発表会。そして、片づけの事実上のタイムリミットでもある。
発表会の準備をする時間はあまりなく、むしろ片づけにかなり時間をとられた。これはかなり大変である。
仕事は相変わらず大したことがない。今夜が最後のバックアップだが、これまでのバックアップ全てでも電話対応2回しかなく、病棟に行かなければならないことは一度もなかった。事実上何もないに近いくらいであったろう。

朝の冷や汗

2011年03月24日 21時37分54秒 | 医者仕事
病棟医ではなかったので病棟には9時過ぎに行けばいいのだが、どんどんたるんできて、いまや9時半に出勤である。今日もその調子で行って、PHSの電源を入れた後に電話がかかってきて、ECTがあるから手術室に来いという。考えてみると、その人は引き継ぎではあったものの自分の担当であり、うっかりすっぽかすところであった。朝に冷や汗をかいた。
が、その後は平穏そのもの。何もなかった。
しかし、片づけはまだ終わりそうにない。参った。

片づけ地獄

2011年03月23日 22時32分49秒 | 一般
仕事は大したことはなく、5時になるか早いか病院を飛び出した。
住んでいた部屋の片づけが何よりも大変で、何が困るかと言えば玉石混淆ということである。それさえなければ大したことはないのだが、そこが最も頭を悩ませるところである。
とうとう業者に始末してもらうことになったとのことで、いよいよタイムリミットが近づいてきた。しばらく通うことになりそうである。

指輪姿

2011年03月22日 23時35分17秒 | 医者仕事
新しい生活が始まったと思えば、仕事は当然のように待っているわけで、また仕事である。今週は2人が休暇でいないために病棟医とバックアップは2人で回すことになり、予診も当然2人で回すことになる。また、引き継ぎ患者がいるので受け持ちも増えた。とはいえ、やることはほとんどなく、関門はカンファレンスであった。何を言ったらいいかというのは結構大事なポイントで、ここをしくじるととんちんかんなことになりかねないのでここだけはクリアしておかねばならない。
幸い、それに関しては問題なく終わった。
そして、今日は嫁さんの引っ越し。とりあえず家具は揃った。あとは梱包を解くだけなのだが、その道は険しく遠い。