かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

ひと区切り

2006年02月28日 21時16分42秒 | 一般
2月も今日で終わり。とともに、この半月の間のバイトも今日で最後である。ノートパソコンが大活躍し、TeXうちと問題を解くという趣味が実益につながったじつにいいバイトだった。おまけに、空いた期間に採点をしていたから、病理学の試験が終わってからの2月はほとんど数学に費やされたといってもいいくらいである。もっとも、暇なときにできるだけ稼いでおかなければならないという事情もあるわけだが、この半月あまりはなかなか楽しかった。バイトがなくてももちろん入試問題をチェックしたり解いてみたりはするが、それを提供する側に回るとまた気分も変わるものである。今日はそれ以外に手書きの解答を打ち直すこともやった。おかげであるところの答えはすべてTeXで解答を作ることができた。
これからしばらくは数学に接することはおそらくないだろう。せいぜい数学セミナーや数理科学を読むくらいか。これもまたちょっとした楽しみである。

始まりの後は・・・

2006年02月27日 21時49分51秒 | 雑談
終わりがある。何でもそうだ。
終わってからでないと冷静に見つめることはできないのかもしれない。必死にもがいて苦しんで、その果てに見出したものであっても、後から考えてみるともっといい道があったことに気付くというのはよくあることである。ああすればよかった、こうすればよかった、と思うのもざらにある。
だが、いずれ必ず終わるものだからといって、その間が無意味だということにはならない。もしそうなら、あらゆるものには意味がないことになる。それどころか、終わりがあることにむしろ価値の根本があるとも言える。なぜなら、価値は他との差異によって作り出されるからである。つまり、言い換えれば均質化されるところに価値は生まれない。「あって当たり前」になるからである。とすれば、終わりとはまさに決定的な差異である。
こう書くと、終わることに価値が移りそうだが、それは誤りである。続かせようと努力する中で現れる終わりにこそ逆説的だが価値が現れるのだろう。意図した終わりの中に価値はない。

昔話

2006年02月26日 21時55分32秒 | 一般
自分の面接の時のこと。現役の時の話は大して何もないので、浪人したときの話にしよう。
東大の面接はとにかく待たされる。なにもないのでひたすら退屈なだけである。まわりには面接マニュアルのようなものを読んでいる輩がおった。心の中でせせら笑い、ひたすら真面目な顔を作って待つことどのくらいか。自分を含む6人くらいが廊下に並んだ椅子で待つように言われる。そして、面接室が空くごとに一人ずつ呼ばれていくのであるが、番号順ではなく予め指定されている部屋が空くごとになのだと思うが、バラバラの順に呼ばれる。なぜか私は最後まで待たされたため、1人でぽつんと廊下に座って待つハメになった。窓の外には鳩が見えたことを覚えている。ちなみに、その折に自分の次の受験番号の人の名前を知ったのは余談である。肝心の面接はまあどうでもよい。3人いた面接官の顔も誰一人として覚えていない。
面接を受ける機会は別の大学でもう1回あった。そこでは面接はマンツーマンで面接官が変わって計2回やるのだが、面接シートを書かされた。もとより書き方など教えられていない身、好きなように書き散らして出した。すると、面接官に「君は実に麻布らしいね」といわれてしまった。それがほめられているのかけなされているのかは別にいいのだが、何とも複雑な思いがした。言われた当座は「あ、そうですか」などと言った覚えがある。ここでもやっぱり非常に待たされた。面接というものは待たされるものなのだろうか。とくにここでは化学・生物という選択だったのが遅くなった一番の原因らしい。物理・化学ならば午前中に終わるのに、午前中の小論文の後に午後までだいぶ待たされるというのがそもそもの問題であった。
ううむ。あれでどの程度の人間性がわかるのかな。

前期試験

2006年02月25日 23時29分25秒 | 一般
自分が実際に受けたのはもう3年も前の話であるが、それ以来毎年この日は入試問題を解いている。今年はそれがバイトの内容に重なったので、趣味と実益を兼ねることとなった。
今日は東京医科歯科大学と東大の問題を解いた。医科歯科の問題は全部で3題で、時間は90分。そこまで解くのに時間はかからないというのが実感である。そんなに難しい問題でもなかった。やや論証に手こずるかもしれないが。
東大は文科が100分で4題、理科が150分で6題だが、自分の分担は理科の第1問から第3問までだったので、まずそちらを優先的に解いた。全体的には今年は易しめだったと思う。とくに第1問と第2問は異様に易しかった。あれなら両方解くのでも20分もかからないだろう。第3問は計算がややこしいだけの問題で、そんなに発想は必要のない問題である。押し切れるだけの力も要求されているということだろうか。そんなに面白い問題というわけでもなかったので残念。
結局夜10時までバイトは続いたのだった。そして、また採点にかからなければならないわけである。

知っていること知らないこと

2006年02月24日 21時31分17秒 | 雑談
知っているだけでいいこととただ知っているだけではどうしようもないことがある。たとえば、道具の名前だけ知っていても何の役にも立たない。
「はい、どうぞ。」「・・・」「これは何ですか?」「はさみです。」「ここに紙があります。切ってみてください。」「???」
これではだめなわけである。はさみがものを切る道具だということも知らないと、さらには使い方を知らないと全く意味がない。こういう場合はそこまでわかってはじめて「知る」といえるわけである。もちろん知っているだけでもいい場合もある。たとえば、あまり使う機会のない言葉はどうだろうか。
「科挙の最終試験でトップになった人を何と呼ぶか?」「状元」「その通り!」
この場合はおそらくこれだけで十分であろう。もしそのあたりを専門に研究するのであればそうではないかもしれないが。
忘れにくくするには芋づる式に覚えるといいといわれる。イメージ付けをして覚えるのも、語呂合わせもだいたいはネットワークの形成させていると言ってもいいだろう。
思うに、知る前が想像できなくなったとき、それが本当に知ったというときなのだろう。知らなかった頃が想像できないくらいまで定着したとき、である。

先生の青空授業

2006年02月23日 21時55分43秒 | 一般
先生は私に何をしてくれたか。それを今日は記すことにする。多分先生はこれを見ないだろうから少し脚色してもわかるまい。
昨日先生にレクチャーでもしてもらおうと連絡を取ったら、1時頃でいいか?というから快く承知して、10分前くらいには学校に着いた。それから待つこと30分以上。全く現れる気配がない。電話しても応答がない。しょうがないのでひたすら本館前で待ち続ける。その間に何人かの同級生とおしゃべりなどして時間をつぶした。ついでに生化学の断片的な記憶も教えた。少しだけ。
それからしばらくして先生から今起きた、という衝撃の連絡。さらに待ち続けることに。結局先生が現れたのが2時半。確か1時って言っていたはずだが・・・。
今日はそういう日だったのだろうな。いろいろと話ができたからまあいいといえばいいのだが。

試験問題の裏

2006年02月22日 21時16分07秒 | 一般
ここしばらく入試問題を解くアルバイトをしているが、不自然な問題がたまに目につく。作る側にもおそらくそれなりの事情があるだろうから、あまりとやかく言いたくはないが、受験生を心理的な罠にはめたいのかと思わされるような設定はさすがにいかがなものかと思う。もちろん、決まり事が明文化されているわけではないので、あくまで受験勉強の中で培われた法則のようなものをやたらと当てはめて考えるほうにも問題はある。
また、問題の背景がわかってしまうと驚くほどすんなりと解けるものだということを実感した。受験生の時は全く考えもしなかっただろうが。
問題を解いていると、受験生の頃を思い出す。今日は特にあの頃の感覚が部分的ながら戻ってきたような気がした。そういえば、あの頃は周りの人間を人形か何かのように思って暮らしていたのだった。それがいつしか血の通った人間になった。どうしてしまったのだろうか。

一緒にドライブ

2006年02月21日 18時02分39秒 | 一般
車と1人の人間が一緒にドライブしただけだ。要するにいつもの光景である。ようやく車を点検に出すことができた。この前つけたクッションもなかなかいい感じだ。
そういうわけで、落合にある日産の工場まで優雅にお出かけしてきた。何も変わったことはなかったということなのでまずはよかったと思う。おまけに、点検が終わった後は一段と美しく見えた。実に素晴らしいラインだ。そんなに速い車ではないが。
その間に学校に行って来た。とはいっても何か講義があったわけではなく、情報を仕入れにいっただけである。マクロの追試は予定通り受かっていたのでまずは一安心。これで残るは病理学総論のみ。20日に結果がでるという話だったが、今日も結果はでていなかった。結果が心配ではある。
明日はまたバイト。しかもなかなかヘビーだ。頑張らなくては。

テフテフ

2006年02月20日 21時17分04秒 | 雑談
TeX。テックとも読むらしいが、私はテフと読んでいる。レポートを書くとき、よく使うのはこれである。でなければ一太郎を使う。ワードはほぼ間違いなく自分では使わない。自分では、というのは、誰かからもらったワードのファイルを改変したりするときにはさすがに使うからだ。そういうわけで、ほとんど周りとは互換性がない形式のファイルを使っているため、誰かにあげるときはpdfにしてから渡したりする。
pdfにするときに使うのはクセロPDFが多い。最新のAcrobatを買う金はないので、こういうフリーソフトを使うことが多い。最近、家で古いバージョンのAcrobatを発見したので、それをインストールして使っている。
TeXで困るのは、グラフをどうしようかということである。生理実習の時はExcelで作ったグラフを貼り込む必要があったのだが、TeXではそのまま貼り付けることができないし、どうしようかと考えた挙げ句、やや面倒だがこういう手をひねり出した。まずグラフをpdfに変換する。これは印刷するのと同じ要領でできる。次に、そのpdfをphotoshopを使ってbmpに変換する。こうするとあとはincludegraphics命令をつかって貼り込むことができる。もっといい手段がありそうなものだが。この前思いついたのは、予めスペースをあけた原稿をpdfにしてそこにpdfにしたグラフをphotoshopで貼り込むという方法である。こっちの方がいいかもしれない。ちなみに、数学で必要なグラフはWinTpicを用いて作っているので、こっちは造作もないことである。

気付かないよ

2006年02月19日 22時25分43秒 | 一般
今日家の中であったほのぼのとした1コマである。
妹が髪を切ってきたらしい。床屋ではなくて美容院で。まず、髪を切ったことに全く気付かなくて怒られた。次に床屋といって怒られた。最後に、病院に行ったんだねと言ったらまた怒られた。
が、次の一言には参った。全く気付かなかった、と言ったら、そんなことだから彼女ができないんだ、ときた。これには参った。全くませたやつだ。だが、全く気付かないのは昔から全く変わらない。どうも、一見して気付くというのはないらしい。ものの見方が一点集中というのか、広く捉えることができないままのようだ。
そういうと、今度は親が医者になれないよときた。まあいいんだ。医者になれなくても。勉強さえできればな。