かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

2005年という年

2005年12月31日 21時22分54秒 | 一般
この記事でおそらく今年は最後であろう。ちなみに、この記事が356件目になる。長いものも短いものも色々書いたが、今年1年間でそれだけの文章を書いてきたわけである。我ながらよく続いたものだ。机の引き出しには数日しか続かなかった日記が眠っているのだが。
さて、今年という年はどういう年だったのだろうか。一番大きいのは医学部に進学したことだろう。野球の面ではかなり苦汁を飲まされた。今は腰回りを筋トレで鍛えることで何とかしようとしているところだ。秋からはふり返れば本当に早かった。毎日毎日夢中になって、必死になって過ごしていたからだろうか。ときには喜び、ときには怒り、ときには哀しみ、ときには楽しんだ、そういえるだろうか。こみあげてくる怒りはいろいろと発散できないので、なんとか紛らわすしかなかった。物わかりの悪い人間はなかなかタチが悪い。自分はそんな人間にだけはなりたくないと思っているが、人が多く集まればそううまくはいかないもの。自分一人では到底まとめきれなかったろう。そのために、心の底から楽しむことはできなかった気がする。楽しくやっているのを見てうらやましく思ったり、悲しさを覚えたり。人の輪を遠目に見て、ちょっとうらやましそうに見ている、そういう構図が一番自分にぴったりなのだろうか。
これだけなら今年という年はまあいろいろありましたね、で終わるのだが今年はご承知のように最後の一週間で暗転してしまったので、それが一番印象に残る年になるであろう。
今日は久しぶりにちょっとだけだがドライブしてきた。もちろん一人でだ。車の運転は楽しい。しばらくはいやなことも忘れられる。誰かが隣に座っていたらもっと楽しくなっただろうか。当たり前だが、隣に座る人によっては面白いどころか拷問になってしまうことは言い添えておく必要がある。それを考えれば、一人の方が気楽でいいのかな・・・。誰かいないかな、と思うこともあるが。
始まるのが遅いが、多分青春まっただ中なんだろう。もうそんなに先は長くないだろうが。ときにふわふわと浮ついたり、突然正気に戻ってみたり。そんなこと経験したこともなかったのだから、それは2005年のトピックとして挙げられるであろう。

一応知り合いに向けて・・・
今年はそういうわけで喪中になってしまったので、当方から年賀状は出しません。なので、この場を借りてメッセージを送ります。
今年1年間ありがとうございました。2006年があなた方にとって素晴らしい1年間になりますよう。そして、2006年もまた2005年同様、よろしくお願いいたします。

真面目すぎるかな?もう今年も残りわずかですが、皆様よいお年をお迎えくださいませ。

帰京

2005年12月30日 22時19分07秒 | 一般
何もなければこの日東京を発つはずであったが、これまで書いてきた事情により逆に東京に戻ってくる日になってしまった。正月も祝うことはできない。いや、祝う気になれない。
今日は祖母の命日を含めて数えて、7日目に当たるので初七日の法要があった。祖母の遺体が安置されていた場所には祭壇が作られ、そこに遺影と遺骨が安置されている。お坊さんの読経をかしこまって聞き、焼香をすませたのち、空港に向かった。そして、昼過ぎの飛行機に乗り羽田に着いた。そこからタクシーで家に戻った。滞在日数は当初の予定通りで、出発がずれた格好になった。
滞在中はテレビもほとんど見ず、新聞を見てもあまり頭に入ってこなかったため、完全に世の中の動きから隔絶されてしまっていた。そのため、認識に微妙なずれが生じており、違和感を感じた。
帰ってからこれまでの携帯で更新した分に加筆をしたり、修正を加えたりした。もし、これまでの経緯を読まれた方がいたら変わっているところがあるのでまた読み直されるといいかもしれない。
とにかく、精神的に衝撃を受け続けた7日間であった。思い返してみると、突然の一方で全てが変わったところから始まった。北海道で家について布をめくって顔を見たとき、「ああ、本当なんだな」とそう思った。見慣れた祖母の顔がそこにあった。息をしていないことをのぞけば、化粧して眠っているようにみえた。湯灌の際に手伝って遺体を持ち上げたとき、湯をかけてあげたとき、死装束を着せられているとき、ただ目を閉じて気持ちよく洗われているだけのように見えた。納棺が済んだときも、まだ起きてきそうな気がした。本当にお別れだと思ったとき、遂にこみ上げてくるものを抑えきれなくなってしまった。火葬されて収骨のとき、そこに祖母の姿はもうなかった。そして家に戻った。死後の事務手続き、片づけに忙殺された。そんな感じである。事実は事実。最終的には受けとめるしかないのである。

片付けられますか?

2005年12月29日 23時25分15秒 | 一般
1日経った今日はなんというか、やっと少しずつ元に戻りはじめたと言えよう。でも、もう祖母はいない。元に戻りつつある分、かえってそれが痛いほど感じられた一日であった。
今の世の中、一人の人間の死は様々な事務手続きを必要とするらしく、それが著しく煩雑なものである。一日中その話と片付けであった。相続人の話し合いを傍らで聞いていたが、本当に面倒である。死んでしまうとこういう話が必ず起こるものらしい。今回の話し合いではいわゆる骨肉の争いというものは一切なく、それどころか互いに譲り合っているような印象を受けた。あり方としては望ましいあり方なのだと思う。問題は、対象となるものの全貌が把握し切れていないことにある。というのも、誰一人としてこのような状態を想定していなかった(間違いなく本人も)ため、どこに何があるかは本人しか知らず、1ヶ所に整理されていたわけでもないため家中を探し回らなければならなかったからである。
家の中は仏間をのぞいてすべてあの日で時間が止まってしまっていた。カレンダーも、飾り付けも、部屋の中の様子も、何もかも。あまりに突然のことだったので、すべてそのまま、日常がそのまま停止してしまったようなものである。
しかし、時間はお構いなしに流れ続ける。整理もつけなければならない。それは心がどうであれ、現実に向き合い、行動しなければならないということである。だから、片づけなければならないのだ。

funeral

2005年12月28日 23時21分11秒 | 一般
あまり眠れず朝を迎えた。いよいよ今日が葬儀である。今日を迎えるまで、正直自分が泣くなど想像だにしなかった。普段の私を知っている読者諸氏もきっとそう思うのではないかと思う。
ずっとここまで胸にグッと来るものはあったが、そのたびに堪えた。いや堪えようとした。弔辞の場面で実はかなり危なかった。それでも堪えた。でも棺の中に花を供える段になり、最後に蓋が閉じられる際にはもう堪えきれなかった。止めようにも止まらなかった。ハンカチを借りて、涙を抑えようとした。しかしながら、そんなことでとどめることはできなかった。嗚咽を漏らすのを防ぐので精一杯だった。もっと幼ければ遠慮なく泣くこともできただろう。だが私にも21歳の大人としての見栄がある。その狭間で私は泣いた。ダブルの喪服に身を包んで。
一度涙がこぼれると、そのあとは急に涙脆くなり、ちょっとした拍子に涙がでた。
そしてバス型の霊柩車に乗り込み火葬場に向かった。火葬場は立派な建物だった。外からでは何の施設かわからないくらいだ。棺を炉に納めるとき、また泣きそうになったがここでは堪えた。どこかでまだ生きてると信じたかったのかもしれない。火葬されて骨になってしまえば人の形をした祖母はもう永遠に見られないからだ。そして、火葬場で火葬の間しばらく物思いに耽っていたら、最初はただの物思いだったのだが、父に察してもらうとその瞬間にまた目から涙がこぼれ、しばらく涙が止まらなかった。骨上げでは鎮まったが、またその後の繰上法要で泣いてしまった。たまには自分も涙脆くなるものだと思った。
これまで、私は葬式で多くの人の前で涙する人を理解できなかった。そして、心の底から手を合わせることもできなかった。しかし、多くの思い出がある祖母の葬式ではそれがなぜなのか理解できた気がする。親しかった人が死んでしまうこと。それは心を理屈抜きで突き動かした。動いていた人がぱたっと動かなくなってしまうこと、それがいかに衝撃だったか。そういうことである。

お通夜

2005年12月27日 20時11分42秒 | 一般
北海道は寒い。あたりまえか。今日はいろいろなことがあった。言葉にするのが難しいが、衝撃を受けること数知れず、であった。目の前の光景は現実だとは思えなかった、いや思いたくなかった。喪服に身を包み、棺が出発して、会場に着いて。何度も涙があふれそうになった。やはり現実は現実であった。本当に、本当にそうだった。
今にも起きてきそうな、そんな穏やかな顔である。棺の中に納まっているのが不思議なくらいだ。明日、葬儀が終わったら、もう二度と顔を見ることはできない。辛いが、それが現実である。

締切

2005年12月26日 14時35分39秒 | 一般
今日は3つの締切が重なった。1つは採点。1つは部誌。そしてもう1つは生理のレポートである。部誌は前からチョコチョコと作っていたし、採点もそんなに大変ではなかったが、生理のレポートは大変だった。何が大変かって、データの量が半端ではない。その解析も大変。おまけに、自分だけならまだしも同じグループの人が質問をぶつけてくるから、頼られるとすぐ調子に乗る悪い癖がでたというか、むしろ喜んだというか。質問してくる人によりけり、であるが。一度頼られるととことん応じてしまうのは困ったもので、必要以上に気にかけてしまうらしい。おかげで、自分のレポートが終わったのにまだいろいろと頭を使っているわけだ。まあそれはそれでいいのだが。
これで今年の学校関連のイベントは終わった。しかし、あんまりのんびりとはできないだろう。1月は試験が3つあるし。休み中も勉強しないとな。
何でこんな時間に書いているかというと、これから飛行機で北海道に行くからである。あんまり楽しくない旅行だが。それでは失礼。

世間ではクリスマス

2005年12月25日 21時44分02秒 | 一般
今私は女性と2人きりである。その女性が年頃の人だったらまあうれしいのだが、ただ単に家で妹と2人でいるというだけである。両親は急な不幸により北海道に行ってしまったため、私がお守りをする羽目になったのである。一頃は食事の給仕や看病までしたことがあるが、今ではだいぶ大きくなったのでその必要はほとんどなくなり、お守りをさせられる側としては喜ばしい限りである。塾に通うようになったら、今度は駅まで迎えにいかされるのが面倒だが。
我が家は昨日ほどのドタバタはないものの、やっぱり何となく落ち着かない。別にクリスマスだからというわけではない。もし何もなければ個人的には多少はそうだったかもしれない。でも、今となっては全く祝う気にもなれない。
そんな沈んだ気分とは裏腹に、メールや電話で喜んだりする単純な自分がなんだかおかしくてしょうがない。生理の試験が終わって、レポートを作るのに大わらわになっているときにこれだからむしろ楽しいのかもしれない。それでもやっぱり気分は沈みがちのような気がしている。
明日、私も北海道に向かう予定だ。喪服を持ってだが・・・。

一つの終わり

2005年12月24日 21時00分18秒 | 一般
ちょっと今日はシリアスになります。なんだかいつものように書く気が起こらない・・・。悪い夢を見ているのなら早く覚めて欲しい・・・。

朝電話が入った。3時間しか寝ていない頭は睡眠を要求し続けていたそんなとき、朝の一報で急に目が覚めた。思いもよらないことだった。睡眠欲どころか食欲も失せてしまった。じっとしていられなくなった。その一報、それは・・・

祖母の訃報だった。

昨日まで全く、いやそれどころか今朝まで何も変わりはなかったとか。しかし急に倒れてそのまま。急性心筋梗塞。病院に運ばれたときにはもう息がなかったということだ。つい1週間前に話したばかりだったのに。いつかこういう日が来るとはわかっていたが、あまりに唐突すぎる。あっけなさすぎる。言葉が何も浮かばなかった。現実感のかけらもない。信じられない。

だが、事実は事実。年末に行く予定だったが、おそらく行くのが早まるだろう。正月はどうなるのだろう。まったくわからない。全てがひっくり返ってしまった。そういうわけで、家は1日中ばたばたしていて落ち着かなかった。

とにかく理屈抜きで言葉にできないが、なにかが胸に溜まっているようである。でもレポートはやらなければならないし、年明けには試験があるし追試もあるし。そんななかでも勉強しなければならない。それもまたつらいことだ。

メタファー

2005年12月23日 21時54分04秒 | 雑談
メタファーとは隠喩のこと。比喩表現には大きく分けて2つあり、1つは直喩。もう1つが隠喩である。直喩とは「AはBのようだ」というように明示されているもので、隠喩とは明示されないもので下手をすると最後まで何を指し示しているか明示されないもこともある。つまり、何をさしているかが明かされないのである。
ということは、読み手次第で解釈が変わるわけである。これは何をさしているのか、ここが違うと真に語っている内容も読みとれなくなってしまうわけだ。
書いた人は何かを意図して書いていることはもちろんだが、読み手は作者の意図を読みとれるだろうか。有名な作家になるとそれで研究ができるくらいだから、なかなか難しいのだろう。小説の中には色々なものが埋まっていると聞いたことがある。中には作者が埋めたものもあるだろうし、研究者がこうも読めるといったものもあるんだろう。
こういう駄文になるともちろんそんな研究の必要もなく、たちどころに読み解かれてしまうのだろう。読み解かれたくなくて書くようなものは暗号という別物になってしまうので、ここで言及することはやめよう。

助詞

2005年12月22日 22時22分49秒 | 雑談
諸兄が聞きたいのは助詞じゃなくてむしろ女子の話と見るが、あいにく当方そちらの方面はとんと不案内なのでご容赦いただきたい。
で、助詞。文法を習ったときに聞いたことがあるはず。日本語の場合は名詞の後につくので助詞というが、英語などでは名詞の前につくので前置詞という呼び方に変わる。これは動詞を最後に持ってくる日本語と、動詞が前に出る英語の違いによるもの。
一応分類上は、付属語のうちの活用しないもの、ということらしい。活用するのは助動詞である。助詞はあまり目立たないが、実はかなり大事な役割を担う。ニュアンスを確定させるからである。ところが、この使い分けが実に難しい。日本人でもわからなくなるのだから、その難しさもわかろうというもの。多くの場合そこまで意識して使うことはないはずだが、文章を書くときに結構これが曲者で、少し変えるだけで内容が大きく変わってしまう。そこまで考えて作ることは少ないかもしれないが、気になるとやっぱり気になってしまうもの。気になるとすぐ悩んでしまうタチなので、そうなるとなかなか進まなくなってしまう。
話すときにもちょっとした違いで、言外の意味を捉えることがあるからやっぱり重要。
諸兄もご注意いただきたいものだ。本当に重要なものは表に出てこないものなのだろうか。