かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

思いとは裏腹な結果

2014年07月31日 23時33分37秒 | 医者仕事
嫁さんも息子も落ち着き、これで仕事にまた戻れるというものである。あの大変だった出産日から早くも1週間が経った。
今日の午前中の仕事は事実上ルンバール1件のみだったのだが、髄液検査の結果が意外なもので多少悩みの種が増えてしまった。いずれにせよ、しばらくしたところでフォローアップが必要なので、またいずれルンバールをやらなければならないということは確定してしまった。
午後もあまり仕事はなさそうだったが、今日はラボミーティングがあったので帰るのが遅くなった。
帰った後で嫁さんとビデオ電話。寝ている息子の姿を見せてもらった。今度会うのが楽しみである。

大忙しの退院日

2014年07月30日 23時24分38秒 | 一般
首尾良く生まれてから7日目の今日、母子ともにそろって退院になった。
今日は1日休みをもらい、9時頃に病院に行き息子の着替えを手伝った。そして会計を済ませて10時過ぎにめでたく退院。病棟のナースステーションの前で記念撮影をした。ありがちな構図ではあるが、やはり自分の新しい家族を迎える写真としてほしくなるものである。
まずは我が家に一度入り、息子は初めて自分のベビーベッドに横になることになった。かわいかったので写真に納めてしまった。
その後、役所に行って出生届と子ども医療証、児童手当の申請をした。出張所に行ったせいか出生届の受理に40分ほど待たされたが、無事に受理され息子の戸籍が作られた。子ども医療証は即日交付してもらったが、まだ健康保険の手続きが済んでいないので息子の保険証はない。
嫁さんと久しぶりに家で昼を一緒に済ませ、荷物の準備が済んだところで息子を連れて車に乗せた。チャイルドシートに乗せたはいいのだが、ベルトの調節の仕方がわからずしばらく時間を費やしてしまった。
出発直前に授乳しておいたおかげで、道中も息子はすやすやと寝ており1回の休憩で無事に嫁さんの実家にたどり着くことができた。
これで嫁さんもゆっくりしながら子育てを始められるだろう。
私はその後家に帰らなければならず、夜遅くに高速道路で戻ってきたというわけである。日帰りはさすがに疲れる。

退院準備

2014年07月29日 23時59分04秒 | 医者仕事
今日の午前中は大した問題はなく過ぎた。カンファでの発表も今週は直接かんだわけではなかったので、私は傍観者で終わった。
さすがに午後は何もしないわけにはいかなかったが、それでも仕事はさして多くはなかった。仕事が早い時間に終わってくれたので、私としてはとてもありがたかった。
嫁さんも息子も元気で、明日には退院できそうである。今日は早めに荷物をいくつか持ち帰ることになり、家までの道のりの間に多くの荷物を頑張って持って行った。
それだけではなく、明日退院したらその日のうちに嫁さんの実家に連れて行くことになっているので、その準備もしなくてはいけない。荷物が多いので積めるものは車に動かしておくことにした。チャイルドシートもつけたが、何しろ勝手がわからずできあがるのに少し時間がかかった。

頼まれごと

2014年07月28日 23時56分22秒 | 医者仕事
当直明けにいつも通りコンサルトの仕事。午後に定時のコンサルトをこなし、今日は他の2人にお願いして5時で上がらせてもらった。
入院中の洗濯物の受け取りなど、いくつか頼まれていたことがあって面会時間が終わる前に行かなければならなかったので助かった。当直明けでも我が子の姿を見ると元気が多少は出てきてくれる。

開始早々のドタバタ

2014年07月27日 22時11分29秒 | 医者仕事
今日は当直。もし予定日通りに生まれていた場合には、この日がお七夜となっていた可能性が極めて高く、そうなった場合には何とかして交代しなくてはいけなかったのだが、幸いにして後ろにずれたため、今日は前々からの予定通りに当直に何ら差し支えることはなくなった。
せっかくの日曜日なのに我が子に会えないのは残念だが、まあしかたがない。
木曜日と金曜日は大学を休んだので、少し時間が空いてしまった。そのためか微妙に病棟に知らない顔が混じっていたりして、軽いギャップを感じた。
開始早々にちょっとしたことがあり救急外来に行くことになったのだが、久しぶりに緊張してしまった。ふたを開けてみればたいしたことはなさそうだったのでよかったが、その後はあまりたいしたことは今のところ起こっていない。

愛しさとタイミングと

2014年07月26日 23時58分08秒 | 一般
今日は外勤が終わった後ですぐにでも病院に行ってあげたいところだったが、ちょうど午後に宅配便が届くことになっていて、事情があって今日受け取らなければならなかったので届くまでは家で待っているしかなかった。
こういうときはずいぶんといらいらとしてしまうようで、かなり長い時間待ったように感じた。荷物が届いた後は、もちろん一目散に病院に行った。すぐ近くなので行くとなればそれほどたいしたことはなかったのだが、病室にいてあげられる時間がずいぶんと短くなってしまったのは残念であった。

泣き声と吸い付き

2014年07月25日 23時29分14秒 | 一般
感動の出産から一晩明けた。
出産には出血がつきものだが、嫁さんの出血はそれなりのものだったようで出産後から動悸がしたりふらふらしたりと貧血の症状が出てきていたようである。まだまだ心配の種は尽きなかった。面会の時にはだいぶ戻ってきてはいるみたいだったが、まだ何となく顔色が悪いような印象を受けた。
赤ちゃんは今日から母児同室ということで、嫁さんの病室に移ってきた。昨夜の生まれた直後と比べると、幾分むくみがとれてシュッとした印象を受けた。
面会に行ったときに早速抱いてみたところ、だいぶおとなしかったが面会に行く直前にはだいぶ泣いていたらしい。疲れてしまったのだろうか。
しばらく見ていると、そのうちに目を開けて周囲をきょろきょろと見回し始めた。その仕草がまたかわいらしい。泣き出したところで授乳の練習をしていたが、しっかりと吸い付いているのが見えた。本能とはいえ大したものである。
昨日は出産の付き添いということで面会時間の逸脱もやむを得ないところではあったが、今日からは一般の面会と同じである。今日は面会時間のぎりぎりまで一緒にいたが、帰るときには名残惜しくて困った。

誕生!

2014年07月24日 23時51分45秒 | 一般
今朝起きたときに、嫁さんがテーブルに突っ伏してじっとしていた。しばらくすると陣痛が来たかもしれないという。嫁さんはその時には午後の入院予定を待っていけばいいと言っていたが、痛みの間隔を測ってみるとすでに10分を切ることもあり、少し様子を見ていても痛みがあるときには身動きせず、扁桃もできないくらいのようだった。これは午後まで待てないと思い、急いで今日も休みにすることにしてずっとそばに付き添った。
10時前に病院に連絡をしてすぐに行った。平日日中なので正規の入院手続をしてから病棟に行った。病院に行く間も2回ほど痛みのために立ち止まることがあったが、なんとか体を支えて連れていった。
病室に入った後はさらに痛みが強く間隔も短くなってきたようで、腰のあたりをさすってあげなければならなくなった。もう病院にいるのだからと励まし、懸命に体をさすって多少でも痛みが和らげばと思ったが、だいぶしんどいようだった。しばらくしてだいぶ子宮口が開いてきたらしく、普通の病室から分娩室にいよいよ移ることになった。後から思うと、この一般病室で痛みと闘っているところが一番私としては先が見えなかった分つらかった。
分娩室に移ってももちろん陣痛は強くなるばかりで、間欠期でも腰をさすっていなければならなかった。もはやさすっている手を止めることはできず、さすり続けた時間は数時間におよんだ。もう一方の手は痛みが来た際に嫁さんがあらん限りの力でつかんだ影響で多数のミミズ腫れと爪痕ができた。だが、そんな痛みは陣痛に比べれば軽いもので、しかもその当座は私もかなり昂ぶっていたらしくほとんど痛みを感じなかった。
幸運なことに、嫁さんの実家は今日が半休で午後は空いていたためにわざわざこちらまでご両親が駆けつけてくれ、私の母も陣発で入院したことを知らせたところ、夕方に病院に来てくれた。ただ、分娩室には夫しか入れなかったので来ていただいてしばらくは病室で待っていてもらわなければならなかった。ただ、後から考えるとすぐに駆けつけてくれたこの判断は大正解であった。
初産ということもあり長期戦を覚悟し、生まれるのは早くても今日の夜中かあるいは明日の未明かと思っていたのだが、子宮口が6センチほどにまで広がった後は進みが早かった。陣痛はさらに強くなり、嫁さんは手を握りしめるだけではなく声が出てしまうほどだった。
たまたま外では雷鳴がとどろいていて、そんな中で生まれる子どもは何か特別なことがあるかもしれない、と頭の中で束の間だが多少そんなことを考えていた。嫁さんは汗だくで大奮闘を続けた。私は陣痛の合間合間でタオルで顔をぬぐい、飲み物を飲ませ、後は見守るしかなかった。破水が起こり、子宮口もほぼ全開大にまでなった。
ついにお産の準備がされ、助産師さんが当直の先生を呼んでくれた。「あともう少し」と声をかけてくれ、生まれる子どもを乗せる台の準備もされ、分娩室の中の雰囲気は最高潮に達した。
最後の最後で吸引分娩になり、多少ものものしくはなったが無事に頭が出て、次いで肩が出てきて、そして全身が出てきた。吸引のあとですぐにけたたましい泣き声が上がってきた。元気な男の子が生まれた。
嫁さんは力を出し尽くし放心状態だったが、我が子の声を聞きほっとしたと少し後で話していた。私はというと、涙を流さないまでも胸を一人熱くしていて、気の利いた台詞は一つたりとも出てこなかった。ただ、生まれた、とつぶやくのが精一杯だった。
生まれた赤ちゃんはみるみるうちに青白さがなくなり、生気を湛えた色合いに変わっていった。幾分呼吸に不安定さがあった以外は問題なかった。呼吸もその後ほどなくして落ち着き、手足をばたばたと動かした。元気な男の子だ。
しばらく経ったところで初めて自分の子どもを抱いた。とても小さく、かわいらしかった。ずっと会うのを楽しみにしていた我が子を目の当たりにして、なんと表現していいのかわからないが、そのあたりの言葉では表現したくないような、そんな何かの感情としかいいようがない。待っていてくれた嫁さんの両親と私の母にも会わせてあげることができた。初孫を見るというのはどんなものなのか、今の私には想像もつかない。
嫁さんの出血の具合を見て、分娩室を出て病室に戻った。そこまで付き添って、その後荷物を整理してから洗濯物を受け取り私は家に帰ることにした。子どもが生まれて父親になったのだが、気持ちは変に昂ぶったままでどうしたらおさまるのかよくわからなかった。うれしい、というのはもちろんそうなのだが、それだけではない。
ただ、最初に抱いたときの小さな我が子の頭や手足の感触はずっと忘れないような気がする。

取り越し苦労?

2014年07月23日 23時47分55秒 | 一般
日付が変わったばかりのとき、私が寝ようとしたところで既に寝ていた嫁さんが下着が濡れていることに気づいた。破水かそうでないかの判断が自信を持ってできず、時期が時期でもあり破水だとまずいので病院に連絡して診察してもらった。すると破水ではなかったらしく、一安心。
そのため朝は寝不足のまま仕事に行かなければならなかった。
今日の嫁さんの検診では順調だがまだ変わりはないらしかった。予定通り分娩誘発の方向で、明日入院予定になった。そうなると明後日に生まれる公算が高いか。入院は午後ということなので、明日は午前中だけ仕事をして早めに切り上げ、明後日はお休みすることにして方々にお願いをしておくことにした。
いよいよである。

頭の中の思惑

2014年07月22日 23時56分25秒 | 医者仕事
連休中に生まれるのかと勝手に思っていたのだが、何も起こらなかった。どことなく落ち着かないような状況はなお続いている。
今日もほとんど呼ばれることもなく過ぎていった。連休中もとても平和だったようで、大した引き継ぎもなし。最近はいい流れが続いているようである。
ところで、研究テーマをどうするか考えるように言われた。漠然とした考えはないわけではないのだが、具体的にどうするかと言われるととっさに答えられるものがなく、どうしようか。
思った通り今日梅雨明けが発表された。早く我が子も生まれてほしいものだ。