かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

優先順位

2010年12月18日 16時00分47秒 | 雑談
年の瀬になりつつあるなか、やるべきことがいくつか重なりだした。こういう状況はあまりよろしくないのだが、何から手を付けるか考え始めると実に膨大な量に思えてきてしまう。
もちろん、自分がこなせる量には限りがあるので急ぐ順番を付けることになる。たいていは間近に迫っていることを優先させるわけだが、迫っていることが2つ以上ある時はまた困る。
そういうときはどのみちやらなければならないのだから、とりあえず何でもいいから手を付けることが肝要である。その段階ではもはや考えがまとまらないようならやり始める方が早いからである。
というわけで、とりあえず手を付けることにしたのであった。

昔のアルバム

2010年11月13日 17時57分32秒 | 雑談
ひょんなことから昔のアルバムが必要になり、探さなければならないのであるが困ったことに本の山の奥深くにある。そのためには当然のことながらその山を掘り返さなければならないのだが、これは容易なことではない。
そのために何をしなければならないかというと、ひたすら根気よく本を動かすのみである。ところが、本というのは重いものでなかなか難しい。そして、それがわかっているが故になかなか動かそうという気になるのも難しい。
さて、どうしたものか・・・

たまには離れることも

2010年11月07日 23時22分42秒 | 雑談
時間がとれたので、床に積み上げてある本の山を崩していくことにした。多くは仕事に関連した本だが、それ以外にもいくつかあって、今日の関心はもっぱらそちらであった。医学とは関係のない本を読むのは現実逃避というわけではないのだが、これはこれでとても面白い。
というのは、頭を切り換えるにはもってこいだからで、しかも頭を休ませるわけではないからである。休ませるわけではないので切り換えやすく頭の回転も比較的保てるような気がしている。
問題は面白くてそちらから戻るのにも労力を要することである。やはり逃避の一環のような気もする。

行き場をなくした本

2010年10月11日 16時09分30秒 | 雑談
最近の本の増殖スピードが激しくなってきた。当然のことながら本棚からは既にはみ出しており、一度本棚から取り出されたが最後、二度と本棚に安住の地はない。そうなると床に積み上げざるを得ないのだが、次々に積み上げられてしまうと下のものは忘れ去られていってしまう。床に散らかっていると足の踏み場もなくなるのだが、きちんと積み上げればかなりコンパクトにおさまる。
本の増殖のスピードは大したものだが、読むほうが最近追いつかなくなってきて床の置物が増えてきた。何とかしなければならないが、そのためにはどんどん読まなければならない。そんなに簡単に読めるなら苦労はしない。
ひよこ医者の悩みどころであった。

久しぶりの運動

2010年10月10日 21時59分51秒 | 雑談
ふと思い立って運動を始めて3日目。そろそろさぼりたくなる頃合いである。仕事が忙しくなってきたら続けられるかどうかがポイントだが、たった3日ではろくな効果は期待できない。
そんなわけでしばらく続けなければならないのだが、少し体を動かすようになるといろいろと活動的になりそうな気がしてくる。不思議なものである。
ところが、この活動的な感じになるのがどうも酒を飲んだときの感じとよく似ているのである。これは何を意味するかというと・・・

逢魔が辻

2010年07月18日 23時05分56秒 | 雑談
どの時間に眠るか?これは結構真剣な疑問。
不規則というほどの仕事でもないが、たまには夜間も仕事をしなければならないのでその時にいかに元通りのサイクルに戻すかが問題で、そのときに睡眠をいつとるか、いやとれるか。仕事によっては眠っている場合ではないこともあるわけだが、それならそれでおそらく終わった途端にそのまま寝入ってしまうのであろう。
疲れというのか、睡眠のサイクルが乱れると戻しきらないうちはおかしなことになるので面倒なことになる。その時間帯というのは起きていても覚醒していない危険な時間帯で、仕事にも影響があるのでできるだけなくしたいのだが・・・。
要するに、ふと横になって眠ってしまった後に悔やむのはやめたいというだけなのだが。

Happy Millennium!

2010年06月27日 18時24分55秒 | 雑談
早いもので、今日のこの記事が2000件目になる。書き始めが2005年の頭であるから丸々5年以上続いてきたことになるわけで、だいぶ続いたものである。
陳腐な言い方をすれば、日々の積み重ねになるのだろうが、わりと飽きやすい性分にもかかわらず続いた理由ははっきりしない。あまり力を入れすぎなかったためであろうか。最近は仕事を始めたせいで惰性に傾いているところもあり、いささか良くないと思っているところである。
やはりかつてのようにあれこれ考えたり思ったりする時間がなければ味のあるものは書けない。決してフィクションを書いているわけではないのだが、事実を自分の感情も交えて、しかるべく描写をするにはやはりきちんとした文章力・読解力がいるわけで、そこが鍛えられていないと言葉のタダの羅列にしかならない。それは文章ではない。残念ながら昨今多いのだが、その中に自分が入っている感は否めない。それは読み返してみると自分で書いたものだけによけいに痛々しく情けないものである。
それもそのはずで誰もチェックすることがなくそのまま外に出てしまうからだが、それは裏を返せば書き手のモラルというのか質がそのまま出てしまうことでもある。硬い文章は読みづらいものだが、難きから易きに流れては理解力はついてこない。それなりの本を読むことの意味はまずそこにある。もちろん、意味をくみ取っていくことによって自然とついてくるものだが。優れたテキストが必ずしも読みやすい文章ではないのはそういうことである。
話がだいぶそれたが、余裕があるときはただただ言葉を並べるのではなく、多少なりとも言葉を整えて、味のある文章に仕上げたいと思うのである。
そして、今後のことだがいつまで続けるかという問題もある。終着点を考えていないわけではないのだが、もともと大学の卒業で終えるつもりだったのがそのまま続いてしまっているので次の節目は初期研修の修了ということになりそうだが、そこで終えられるかも怪しいものである。それはそれで無間地獄の入口かもしれないが・・・。

一陣の風

2010年06月26日 21時40分52秒 | 雑談
この時期、暑いときは夏になりかけということもあってかなり暑くなってくる。そんなときには窓を開けて外気を入れるのだが、これがなかなかいい。これが本当の夏の熱帯夜では熱く湿った風が入ってきて何も変わらないのだが、今の時期と秋は本当に心地いい風が入ってくる。
バルコニーに出てデッキチェアか何かに座って風を楽しむようなら大したものだが、そのようなものは何もない。ただ、風があってそれを楽しむことはできる。今の自分にはそんな余裕が持てるだけでも幸せなことである。

夢うつつ

2010年06月19日 16時25分56秒 | 雑談
眠くてたまらないとき、懸命に起きようとして(ひょっとしたら眠っているのかもしれないが)いるときの思考というのは結構面白いものである。眠くて困っているときに一人苦笑いをしてしまうのだが、胡蝶の夢という話にあるようなもので現実と夢がごちゃ混ぜになっていていわば混乱しているようなものだろうか。夢が現実の思考に潜り込んで、ふとそれに気付いたとき、である。
そんなことが勉強しているときに起きた日には、さらに混乱に拍車がかかる。不思議なことに、夢うつつの時に生み出された奇妙な事柄は頭の中にあまり残っていかないようで、その当座の楽しみだけで終わってしまうようである。とっさにメモでもできれば素敵なものだが、それが夢らしさの表れでもあるのだろうか。
きっといつも日常的に起こっているのだろうが、起きようと粘った末に強制的にその状態が引き延ばされ誰がためにこのように感じられるのだろう。興味深いことではある。ただし、生理的な欲求に逆らうのは実に辛い。

休みの終わりに

2009年08月17日 17時01分49秒 | 雑談
都合5日間の夏休みは今日で幕を閉じる。行けないだろうと思っていた家族旅行に合流することもでき、お盆でお参りをすることもできた。来年はどうなるかわからないが、少なくとも今年についていえば幸運だったかもしれない。次のクールでも2日間の休みが取れるとの話であるが、外科なのでとれるかどうかはわからない。
この休みの間どこにいるかを問わず様々なことに思いを馳せ、色々なことに思いをめぐらしていたが、それから今に戻って嘆息したり反省したり。今にして思えば・・・という思いも数知れず。それを思い起こす時間というのも、目の前ばかりに目を向けざるを得ない仕事時間から離れて初めてできることであって、ある種のリフレッシュにもなる。
明日一日麻酔科で、明後日からはいよいよ外科。6週間の辛抱だが、なんとか頑張っていく活力になってくれればと思うのである。