かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

さらば学生の日々よ

2009年03月31日 18時32分23秒 | 一般
今日で名実共に学生としての日々は終わりを告げる。
ところが、である。学生から脱皮をするには整理をつける必要があるものが部屋の中のあちこちから出てきた。平たくいえば、役目を失ったゴミ達である。惜しいことに燃えるゴミの日はここら辺では今日で、次の収集の日はしばらく後になってしまう。しばらくはオリエンテーションのはずなので、ゴミを出すくらいはできるだろう。
明日は資源回収ゴミの日なので、これまた出すものが山のようにある。重いというのがネックである。だが、脱皮にはそのくらい重い皮を脱ぎ捨てる必要があるか。もっとも、大した皮ではないが。
別の話として、電気カミソリを買った。早速試してみた。どうも勝手がわからず、うまいこと剃るのに少し手間取った。ちょうど空いていた袋があったので、アフターシェーブウォーターと一緒にしておくことにした。きっとこれから使う機会があるはず。
片づけもので忙殺されてしまった一日だった。でも、これで気分良く明日を迎えることができそうだ。
今日が最後なら明日は始まりだ。
さあ、準備をして後は前に進むだけ。
もう、引き返す道はないのだから。

合格証書

2009年03月30日 20時45分46秒 | 国家試験
合格発表は27日だが、土日をはさんでようやく今日合格証書が届いた。合格証書といっても大層なものではなく、銀行や郵便局などから届く開くと中が見られるようになっているはがきと同じものである。
正確には、開くと左が成績等通知書で右が合格証書になっている。以前は自分の成績はおろか合格基準さえ闇の中だったというから、変わりに変わったものである。肝心の得点はというと、自分で採点してみた結果と全く同じだったので、どうやらマークミスはなかったらしい。一般と臨床の正答数が同じ、つまり臨床の得点が一般の得点のちょうど3倍だったのはご愛嬌といったところだろうか。必修問題のうち、「正解した受験者については、採点対象に含め、不正解の受験者については、採点対象から除外する。」とされた問題が4問あったのだが、その全てを間違えたため必修の満点は192点になり、そのため得点率は90%を超えた。気になる禁忌肢は0問と踏んでいなかったらしい。この時代にあっても禁忌肢がどれかは公表されていないので、こればかりは深い闇の中である。
右側の合格証書には受験地と受験番号、氏名と生年月日が書いてあり、「第103回医師国家試験に合格したことを証する。」と書いてある。日付を見ると「平成21年3月25日」とある。まあ実際のところ何日に発送されたかはわからないのだが、どうせなら27日に届くようにしてくれれば良かったのにと思う。
これで心おきなく様々なものを捨てることができる。
余談だが、この印刷された文字がどことなく古さを感じさせる。最近ではあまり見かけない印刷であるような気がする。

久しぶりの外食

2009年03月29日 21時24分20秒 | 一般
知らないうちに外食ということになっていたらしく、今日は急遽おめかしして出かけてきた。先週が両親の結婚記念日で、たまたま家族が別々に出払っていたので1週間ずらして、というのともう1つは卒業祝いというのもあったようである。
家族で外食というのはあまりないので、それだけでも結構うれしいものだが、なおのことである。場所もかつて結婚式を挙げたという思い出深い場所で、それ以来何回か来た場所でもある。
これから忙しくなって、このように一緒に行く機会もほぼなくなってしまうのだろうが、また節目の時にはぜひとも行けたらうれしいものだ。

後片づけ

2009年03月28日 20時19分33秒 | 一般
昨日の結果を受けて、価値をたちどころに失った本を棚から下ろし、ゴミに出すために紐で縛ってまとめた。おかげで、机にある棚と本棚の一段がスカスカになった。ここにはもっとまともな本がそのうちに入ることだろう。ただ、この界隈の資源回収ゴミの日はまだ先なので、しばらくは床においておくことになる。
「研修医ノート」という本を昨日買ってきて、今日軽く目を通したのだが、かなり面白かった。これから何度も繰り返し読むことになるだろうから、最初はさらっと読むことにした。そのうちに線を引いたり付箋をつけたりするだろう。
いよいよ学生から職業人になるということだが、現実感がなくピンとこないのが実際である。就職活動らしきこともほとんどしていないし、特殊な世界なのでそれも仕方のないことなのかもしれないが。現場に放り込まれれば否応なく自覚させられるはず。と思う。

空は白い

2009年03月27日 15時59分18秒 | 国家試験
今日は第103回医師国家試験の合格発表。ネットで見る手もあったが、F5連打にいらつくのも嫌だったので直接厚生労働省まで行って見てくることにした。
そういうわけで、地下鉄で霞ヶ関に出てそこから徒歩ですぐの厚生労働省へ。向かいに日比谷公園があって、早すぎたら公園で待っていようかと思ったが、それは取り越し苦労であった。ご丁寧に矢印で案内があり、難なく発表場所にたどり着いた。すでに行列ができており、その最後尾にそそくさと並んだ。2時にはまだ早かったので、並んだまましばらくワンセグで高校野球を見て時間をつぶした。
合格発表は大学入試と違って掲示されているのではなく、番号が印刷された冊子を見るという形で、その冊子が10冊あるというわけである。
どういうわけかその番号の写真を撮ったり記念撮影をしている理解できない人たちがいたが、何がそんなにうれしいのかよくわからない。自分の番号を見て、すぐに立ち去った方が後の人々のためになる。喜ぶにしても、そこから立ち去ってからでもいいはずだ。

それはさておき、もちろん自分の番号はしっかりとあった。すぐに建物を出て、合格の連絡をしてから地下鉄に乗って新宿三丁目に向かった。新宿区保健所は出口すぐと書いてあったのだが、その出口までがかなり長かった。
出口からは確かに目の前だった。医師免許の申請はとくに引っかかることもなくすみ、ついでなのでジュンク堂に寄ってから帰ってきた。

今回の合格基準を見ると、満点の値がおかしい。加えて臨床の合格基準も380点という3で割ると2あまる数だった。必修以外のところでも採点除外が出て、しかもその理由が受験生レベルでは難しすぎるという今まで聞いたことのない理由だった。また、1問だけ設問不備というのがあった。それを考えると、今回の国家試験は、やはり少しおかしかったということなのかもしれない。もっとも、除外などの措置があった問題は500問のうちのたった12問であるから、大勢にはそんなに影響しなかっただろうが。

何となく落ち着かない一日

2009年03月26日 17時43分36秒 | 一般
さて、明日の今頃には天国にいるかはたまた地獄にいるか。いやいや、天国の皮をかぶった無間地獄の入口かもしれないが・・・
もう結果は出ているに決まっているのだが、発表されなければないも同然なのでどことなく落ち着かない気持ちになってしまうのは、やはり一世一代のものだからだろうか。これからはこれをもとに食べて行かなくてはいけないのだから、重大なのも当然のこと。
だが、家に閉じこもっていてもそわそわするだけで何も建設的なことがないので、とりあえず出かけようと思ったが、高校野球も気になる。収入印紙を買うのがまだだったので、まずはそれからだと思い、郵便局に行って買ってきた。6万円とは高い。しかし、お上には逆らえないのでやむなく買う。
その後はちょっと買い物に出かけて、帰ってきてもまだ時間はたっぷり。朝の天気予報ではにわか雨もあるかもしれないと言っていたが、それどころかよく晴れている。洗濯物もよく乾くことだろう。
そのあと、床屋に行って散髪することにした。こういうときにさっぱりしておくのも悪くはない。
あれこれやっても、やっぱり落ち着かないのは自分の小ささであろうか。

一夜明けて

2009年03月25日 17時28分37秒 | 一般
帰ってきたのは夜中で、その後眠いながらも色々と片づけをしていたら、寝られたのは2時過ぎになった。そんな眠い中の片づけに手抜かりがないはずがなく、朝になって起きてみるとしっかりと2色のネクタイが床に転がっていた。
昨日配られた当局からのアンケートを書いて、封筒に入れるところまではやった。頭はあまりよく回っていないので、勉強する気にもならずにぼんやりと高校野球を見て、昼過ぎには雨が降っていたので残っていた冷凍食品のスパゲティを食べて、またぼんやり。どう見てもまともな生活ではない。
引っ越すわけでもなく、国家試験の結果もまだ出ていないので大掃除というわけにも行かず。今日の段階では特にどうしようもない。
そうこうしているうちに、もうこんな時間になってしまった。ううむ。

卒業式

2009年03月24日 23時55分43秒 | 一般
今日は大学の卒業式。午前中は大講堂で全学共通の式典があった。二部構成で前半は理系で後半は文系ということになっているが、それでも席が足りずに立ち見になったというのがすごい。入ったときにはもう空席はほとんどなく、手近な空いた席に座るのが精一杯だった。この卒業式では特にすることはなく見ているだけなので退屈といえば退屈だった。
1時間ほどで終わり、昼までひまな時間になった。同級生と写真を撮ったり、口座振替の手続きをしたりして過ごした。
昼から受け付けが始まり、1時から医学部医学科の学位記授与式。今度は医学部本館大講堂で、106人に同級生一人一人に学位記が渡された。無論、今回は自分も医学部長から直接学位記を受け取った。
その後祝辞などを聞いているうちに、WBC決勝戦が気になってワンセグでちらちら見ていた。幸か不幸か、意外に長引いたので勝利の瞬間は集合写真が撮れた直後になった。そのあとはめいめいに写真を撮ったり、家に帰ったりしていたようだった。特に女の子は振り袖に袴という格好が多かったために着替えに帰ったのではないかと思う。私は一度家に帰って荷物をおいたが、気分を変えるためにネクタイだけ青からオレンジ色に変えた。
夕方から謝恩会で、何人かの先生と直接話す事ができた。これまであまり自分からあちこち行って話したりすることはなかったが、最後なので少し勇気を出してやってみた。学生の1人が倒れるというハプニングがあったものの一次会は大盛況のうちに終わり、場所を移して二次会になった。
二次会は面白かった。ほどほどに酒を飲み、さまざまな同級生と話した。こういうのもこれで最後になるだろうか。二次会が終わったのは11時半頃だった。
今日は本当に楽しかった。と同時に、大学生活の終わりを迎えて、さびしさもある。大学というモラトリアムもこれで終わりで、次から次へと容赦なく降りかかってくることだろう。そのことを思うと不安はある。でも、思った方向に歩いていきたい。

学生時代最後の日

2009年03月23日 18時10分21秒 | 一般
いよいよ明日は卒業式。事務的には大学生の身分は一応3月末日までであろうが、明日で学生証を返上してしまうので実質大学生活は終わりになるといっていいだろう。
そんな大事な一日をどうしていたかというと、昨日の疲れが残った体を引きずりつつ、明日の準備をして過ごしていたのだった。準備と言っても大してできることはないが、服の準備と靴磨きは忘れずにやった。新しい革靴は靴擦れが怖いのでやめておくことにして、その分今まで履いていた革靴をしっかり磨くことにした。
この6年間、できたこともあればできなかったことも数知れずあるが、それを全て含めての大学生としての6年間だった。今だからこそ思う過去の自分への提言・苦言もあるが、きっとその繰り返しであろう。行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。大人はなってしまえば決して子どもにはなれない。
そんなことを考えていると一日はあっという間だ。

2本より3本

2009年03月22日 23時54分41秒 | 一般
今日は妹も加えて某ネズミの土地に遊びに行った。旅行から帰ってきて1日おいただけなので、疲れがとれたとは言い難いのだが、諸般の事情によりこの日になった。
朝は早起きして7時半頃に車で到着した。開くのは8時であるが、もうかなり行列ができていた。いつものことだが、開門直後が一番疲れるところである。結局ダッシュしたほどの成果は挙げられずにちょっと残念なことであった。
後は時間に応じて乗り物に乗ったり、島に渡って歩いてみたり。主要なところはだいたい行けたのではないだろうか。
昼前から弱い雨が降りだし、時にはすさまじい風を伴って結構降ることもあり、さながら嵐のよう。折り畳み傘だけでは歯が立たず、ズボンまで濡れてしまうほどだった。
食事は昼食も夕食も少し早めに行ったおかげで、ほとんど並ぶことなく食べることができた。前に行ったときは空腹をこらえながら結構並んだのでそのような状況を半分覚悟していた身にとっては、拍子抜けするような簡単さであった。
夜になると雨はやみ、人も少なくなったせいか待ち時間もだいぶ短くなった。そのために短い時間でいくつも行くことができた。ライトアップされた建物もきれいなもので、持参したデジカメで何枚か撮った。
閉まる時刻になったので、車に乗って帰ってきた。疲れたがとても楽しい一日だった。