かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

一太郎が勝った!

2005年09月30日 17時33分05秒 | 雑談
勉強の合間にちょっとネットにつないでみたら、こんなニュースがあった。

ジャストが逆転勝訴 「一太郎」アイコン訴訟

実はこの件については以前からちょっと興味を持っていた(今年の2月2日の記事)のだが、第一審では松下電器産業の主張が通って、仮処分までは行かなかったが判決が確定次第、一太郎と花子の製造・販売の中止と廃棄を命じられていた。私はかなり一太郎側に肩入れしている。もっとも理由は別にジャストシステムの方が正しいというのではなく、一太郎を愛用しているからだが。最近はwordを使わなければならないことも結構あって残念に思っている。
ちなみに、第一審の判決文は一太郎ではなくて他のソフトを使ったとか。今回はどうだったのだろう。気になるところである。

ひたすら回る機械

2005年09月29日 22時28分11秒 | 野球
今日は久々に検見川で練習。目的はもちろんマシンを使ったバッティング練習である。今日はそのために他のメニューは全て大なり小なり削った。さすがにキャッチボールまで短くしたのはまずかったかと反省。
ところで、今日は車で行ったのだが、またしても渋滞に阻まれ到着がぎりぎりになってしまった。そのため、準備が遅くなって相当迷惑をかけてしまった。ごめんなさい。渋滞さえなければ・・・。昼の東京でそれを期待する方が無理か。
できるだけフリーの時間をとろうと思ったが、思いの外時間がかかったのはマシンのセッティングだった。つまり、準備に相当時間をくってしまったわけだ。結局4周回すことができた。これは当初の予定通りだった。が、時間が遅かったために、ベースランニングはカットすることにした。これは予定外のこと。
なんとかフリーをやることができたので、それだけはよかったと思っている。あとはどうなのかはよくわからない。その結果はきっと試合で出ると信じている。
明日は一日空いているので、じっくりと勉強をしよう。

昔を思い出してふとニヤリ

2005年09月28日 21時13分36秒 | 一般
今日はちょっと講義に出てみた。あまりちゃんと聞いていなかったが、実は面白い話をしていることに気付いた。でも、あまり耳を傾ける余裕がなかった。昼になって、コピーをもらってから御殿下で検見川の予約を取った。幸いにも11月20日は空いており、押さえることができた。
さて、今夜のことである。誰がつけたか知らないが、「現役教師1000人大告白!先生だって人間なんだ頑張れ!炎の応援SP」という番組をたまたまやっており、ちょっとだけそれを見る機会があった。あまり多くは語らないが、ちょっと苦笑いというのとも違うが、ふと笑いを漏らす場面があった。ちなみに、合格発表の時その先生の顔をちらっと見かけたが、やっぱり自分は変わったなあと思った。気がつかないうちにだいぶ見え方も変わるのかな。

暗闇との競走

2005年09月27日 22時14分59秒 | 野球
明後日は検見川で大いに打ち込んでもらうことにして、今日は守備練習を中心に練習メニューを組んだ。球数も増やして、時間を長めにとった。
今日は新マネ候補が見学にきてくれた。どこをどう間違ったのか、なぜかライン引きを教えることになってしまい、そのためキャッチボールができなかった。
途中まではだいたい思惑通りの時間経過だったのだが、ハーフバッティングが問題だった。となりでロングティーをやることにしたのだが、つい大事なことを言い忘れてしまい、思わぬ時間をくってしまった。というわけで、最後は時間に追われて終わることになってしまった。
最近は暗くなるのがとみに早い気がする。「秋の日はつるべ落とし」とはよくいったものだ。

ところで、今日ふと「は渭をもって濁る」という言葉を思い出した。単独で見たら多少濁った水も澄んでいるように見えるのだろう。あくまで相対的なものだから。あまり深い意味はない。

集中した数十分~微生物学Ⅰ本試験

2005年09月26日 20時32分27秒 | 試験
昨日までの三連休がある意味休息になったといえるのだろう。その割に勉強があまりできなかった。シケプリを覚えるだけで時間がなくなってしまったのが残念。でも、過去問はだいたいわかるから大丈夫だろうと思って、昼過ぎに登校した。教室にはいると、たくさん、たくさん人がいた。こんなに学年って多かったのかと思わされた。いつもはその3割くらいしかいないのに。
試験が始まる前、教授が「とても簡単な問題です」と言い、拍手が起こった。この人なら信用できそうだ。これがもしマクロの某助教授に言われたら、誰にとってとても簡単な問題なんだ?ということになるに決まっている。信用できるものか。しかもそういうのに限って本当に簡単だと思っていたりするからな。
試験自体は本当に過去問を勉強しておけばできるような問題ばかりだった。1題だけ実習の内容から出題されたようだったが。まあ何とかできたからいいだろう。これで落ちていたら、今度こそ本当に自信を失ってしまう気がする。今度は大丈夫だろうとさすがに思うが。実習のレポートを提出しさえすればね。
そのあと、検見川の予約を取りにいった。幸い空いていたので、予定通りとることができた。木曜日は学校に行けないかもしれないな。
次の試験は今度の土曜の寄生虫学だが、持ち込み可だから、さしあたってはその次の来週の月曜にある脳解剖を勉強することになるだろう。

名伯楽

2005年09月25日 20時42分17秒 | 雑談
ある文章にこんな一節があります。
「世に伯楽ありてしかるのちに名馬あり」
実に含みの多い言葉だと思いませんか。続きを大まかに言うと、伯楽というのは要は見る目を持った人です。その伯楽がいなければ、名馬とされる馬もただ大柄で他よりも多くの食料を消費するだけの存在になってしまうよ、というくだりになります。
多くの名馬を見いだせれば、名伯楽です。さて、ここからが問題。名馬は本当に名馬か?世の中の大半は見る目がない(さもなくば、見る目がある人のことを伯楽なんて特別な呼び方をしない)から、名馬を名馬とは思いません。ただの無駄飯食いとしか思わないでしょう。
それなのに、なんで名馬が生まれるのか。誰から見ても明らかな名馬というのもいるんでしょう。それは価値観の問題になるから、あまり深く掘り下げられないのですが。伯楽が周りに阿るはずはありません。そんなことをしたら、世に名馬はいなくなります。となると、周りが伯楽を伯楽と認めるかどうか、ということになります。見る目があると思えばこそ、伯楽を信じて、自分の目ではなく伯楽の目を頼るわけです。
では、伯楽が認めない馬を周りが名馬だと思った場合を考えてみます。周りはきっとしばらくは伯楽を信じないでしょう。そして、しばらくして伯楽が言ったことが正しかったと気付くでしょう。そのときにその馬はどうなるのでしょう。心の狭い人間なら「お前のおかげでとんだ恥をかいた」なんて理不尽なことを言いそうです。自分の目が狂っていたことを指摘されただけなのに。「過大な期待をかけて悪かった」と言えたらなかなかのものだと思います。ほんとうにその馬のことを思っていると言えるような気がします。
ここまでのことをまとめると、「長いものには巻かれよ」ということになってしまうのですが、誰が何と言おうと自分の目を信じようという人がいれば、それは一人の伯楽になるんでしょう。周りが認めるかは別ですが。

今の私がいかにしてあるか・スポーツ編

2005年09月24日 20時57分28秒 | 雑談
今日は雨のせいで野球が流れたので、あまり書くべきほどのこともない1日だった。そこで、ちょっと思いついたので私の過去について特定のトピックで書いてみることにしよう。興味のない人は読まなくて結構。


今回はスポーツという点から書いてみる。
両親ともに野球が好きだったのか知らないが、気がつくとだいたい身近なスポーツは野球だった。とはいっても、もちろん周りに友達はいなかったし、やる場所もなかったから「ドラえもん」にでてくるような近所の友達と野球ということはなかった。小学校ではテニスボールを壁にぶつけたり、角にぶつけたりして野球まがいの遊びをやっていた。
ちょうどそのころ、少年野球チームに入った。今から思うと、本当に面白くなる前でやめてしまったのだが、その当時、大人のコーチが怖くてたまらなかった。と同時に野球も怖くなった。機会があって、その後で別の少年野球をやる機会があったのだが、そのときはのびのびと楽しく野球ができて、とても楽しかった。この2つの野球経験は、その後の私に大きな影響を与えたことは間違いないと思う。
同時期に近くの子供とサッカーやバスケットボールなどをやっていたが、どうしても好きになれなかった。なんで面白がるのかわからなかった。それは今でも変わらない。
小学校の5年から、学校で剣道を習い始めた。高校3年まで剣道をやることになったから、都合8年やったことになる。ずっと授業としてやっていたのだが。今も家のどこかに数本の竹刀と防具一式があるはずだ。中がどうなっているか想像するだに空恐ろしいが。この時期は野球を実際にやることはあまりなかった。ただ、テレビで高校野球を見て、つられて自分も体を動かしながら見ていただけだ。8年間やって何もないのも何だと思い、とりあえず段をとった。こんな自分でも一応剣道初段である。高3の時に、すでに三段をもっていた同級生と打ち合ったことがあったが、打ち込みの速さや足さばきに舌を巻いた記憶がある。面を打とうとして足を踏み出したときに、逆に面を打たれてしまったことも印象に残っている。高校を卒業するとともに剣道をする機会はなくなった。
そして、大学生になって、何か運動をしないとな、と思っていた自分の目の前に野球部があった。野球をやってみるのもいいかな、という軽い気持ちでやってみることにした。一度やってみるとやっぱり面白かった。昔を思い出した。そして、今に至る。
こうしてみると、自分が長いこと関わったスポーツは野球と剣道である。どっちが好きかと言われると、やっぱり野球と答えてしまう。見る分には剣道も好きだけど。他のスポーツとの関わりはあまりないみたいだ。なぜなのかはわからないが、他の球技が好きになれないし、興味がもてない。ソフトボールは例外かな。ソフトボールなら興味を持てなくはないから。

悶え苦しむ休日、ああ痛い

2005年09月23日 20時59分00秒 | 一般
タイトルを見たあなた、何を考えただろうか。私が恋の悩みに「悶え苦しみ」、心が「痛い」とでも思ったらそれは大間違いである。本当に脂汗を浮かべて苦しんでいたのだ。
どういうわけか昨日の夜から頭痛が始まり、おまけに早朝から腹が痛くなった。さらに寝ようとしても1時間位したら目が覚めてまた寝る、の繰り返し。朝までまんじりとせず、半分寝たような状態で何とか起きた。ところが頭は痛いわ、腹は痛いわ、あまつさえ腰まで痛み出す始末。なんで休日にこんな目に遭わなければならないのかわからない。家にいる医者(父)に診てもらったところ、緊張性頭痛と診断され、薬をもらって飲んだ。すると、しばらくして頭痛は若干軽くなり(なくならなかった)、腰の痛みも消えた。が、腹痛はそのままでときおり痛みに顔をしかめて耐えるだけだ。あと、異様に汗をかいた。そんなに暑くないのに。食欲も不振。参った参った。集中力も著しく削がれ、あまり勉強できない。ひどい話だ。
昼過ぎになって薬が切れたとみえ、腰痛は復活した。しかし、頭痛は何とか治った。腹痛は相変わらずそのまま。何か悪いもの食べたかな、と思ったが思い当たる節はそう見あたらなかった。あえて言うなら昨日の夜か・・・。
今は何とか小康状態でこのまま治まってくれればいいと思っている。明日は昼から雨らしい。練習の終わりとどっちが早いだろうか。火曜日みたいになるのだろうか。

投げられはするけどねぇ

2005年09月22日 22時41分12秒 | 野球
今日は組織学実習のスケッチの提出日である。昨日の夜に書き上げるつもりだったのだが、10時過ぎに眠りについてしまい、起きたら4時だった。残りは8枚。だいたい私はスケッチ1枚について30分くらいかけて描くので、だいたい4時間くらいかかる計算になる。起きてすぐに描き始めた。途中、朝食を挟んで休憩をとったので、終わったのは10時くらいだった。それから学校に行った。外は弱い雨で、中止にはできないくらいの微妙な天候であった。ちょっと気分は盛り下がった。もともと盛り上がってないんじゃないのという意見もあるが。まあいいんだ。
とりあえず本館の教務係にまず行って、提出してきた。正直ホッとした。
結局弱い雨は弱い雨のままで、降ったり止んだりだった。そこで、グラウンドに電話をかけて確かめてみたら、大丈夫だという。12時半くらいまで雨は止まなかった。グラウンドの管理員の話を信じて、中止はしないことにした。すると、1時前に雨は止んだ。そのまま練習に向かった。
最近は暗くなるのが早いので、なるべく早めにフリーバッティングが終わるように、すこしずつ削った。思惑通り、だいたい予定通りに終わった。最後にベースランニングを3周やって練習は終了した。
いよいよ日曜から秋リーグが始まる。ピッチャーは足りないという非常に危機的な状況で、なんとか勝たなければならない。負けたら元の木阿弥だからだ。
ちなみに、今日少し投げ込みをやった。投げること自体は痛くないのだが、問題はフィールディングで、その折りに爆弾はよく爆発するのである。一度爆発すると、しばらく走れなくなるという恐ろしい爆弾である。ちなみに、投げた球自体はまあフリーで使えるくらいだといってもらえた。ので、今度から少しずつ投げてみようかと思っている。無理をせずに。

とろくて徒労

2005年09月21日 21時41分28秒 | 一般
今日は朝からスケッチ。あともう残りわずかでラストスパートというところか。が、一方でとんでもない誤算をやらかした。
今日は生理学の発表の日だったのだが、4限ということだったので3時に間に合えばいいと思っていた。ところが、前の班がはやく終わったせいか知らないが、始まるのが早まってしまった。しかも、それを伝えられてもその時点ではもはやどうしようもない。おまけにお巡りさんに呼び止められて自転車の照会をされるし。急いでいってみたらもう発表が始まっており、その場に行くことは満座の注目を浴びることを意味する。どの面下げていけばいいのか。結局満座の注目を浴びるのはやめにして、影でこそこそ発表を聞くことにした。自分の担当した範囲はCaチャネルとKチャネルの話がメインなのだが、早朝に送った原稿が生かされていて、その部分だけは心の中でニヤリとした。そんなことをしている場合ではなかったのだが。
発表が無事終わり、何事もなく次の班に移ったので、心中ホッとした。まったく申し訳ないことをしてしまった。おまけに、これでは何をしに行ったのかわかったものではない。せめてあと20分早く行くべきだった。後悔先に立たず、だな。