かつてのひまな野球人の記

野球が好きだった医者が書きたいことを書き散らすブログ。今は保健センター教員をしつつ神経内科医と研究者もやっています。

ただ1枚のプレパラートのために

2011年09月30日 23時40分40秒 | 医者仕事
外の研究室に行くのは今日でだいたい終わり。残された仕事は追加で染色をお願いした標本を観察し、写真を撮るということだけだったのだが、見て拍子抜けしてしまった。思ったように染まっておらず、いわゆる「パンチの効いていない」画にしかならないのである。となると、今日の仕事はもう終わりである。とはいえ、あまりに早すぎるためさっさと帰るというわけにもいかない。
その意味ではちょっと辛い一日になった。
余談だが、月の変わり目であるためカレンダーをめくっていたとき、目にSEPという文字が入ってきた。もちろんSeptemberの頭3文字に決まっているのだが、思わず感覚誘発電位を考えてしまった。そういう自分に一人で苦笑いしていた。

引き継ぎ

2011年09月29日 23時36分44秒 | 医者仕事
とうとう引き継ぎをする時期になってしまった。私は引き継ぎの時には色々と凝るタチで、どうしても詳細な資料を作ってしまう。というのは自分の受けた引き継ぎでは足りないと思ったからで、自分で困ったことが後任で困ることがないように、と考えるからである。さっさと済ませるつもりが1時間以上にわたる詳細な引き継ぎとなってしまい、その分自分が帰る時間が遅くなってしまった。
病棟に戻るのは考えるだけで身震いがしてくる。この日、病棟の引き継ぎ相手も決まった。

困った病理診断

2011年09月28日 23時28分56秒 | 医者仕事
今日1件病理診断を頼まれた。皮膚筋炎と書いてあったのでおおよその所見を頭に思い浮かべていざプレパラートを見て、首をかしげた。何かが違う。見慣れた筋繊維ではなかった。
顕微鏡でのぞいてみてあっけにとられた。脂肪しか見えなかったのである。どうも違うものを取ってきてしまったようだ。そして、よく標本に作ったものだと思った。脂肪のかたまりではなかなか切れるはずもなく、薄切は至難の業であったに違いない。
さて、診断はどう書いたか。所見はというと、要するに脂肪ですということしか書きようがなかった。
そのため、ほとんど時間がかからずにレポートができあがってしまった。空振りの生検は何ともいいようがない。

スライドのブラッシュアップ

2011年09月27日 23時22分49秒 | 医者仕事
CPCまでついに1週間を切った。スライドは今日を迎えた段階では残念ながら今ひとつの域を出なかったが、今日は手ずから指導してもらってようやく完成も見えてきた。写真を差し替えたり、言葉を直したりとなかなかできあがりを迎えるには作業がたくさん重なっているが、それも先が見えてきたような気がする。
夜は研修医の交代前のお疲れ様会だった。こちらはごちそうする側で、財布の中身が一気に寂しくなった。今日出るのが遅くなってやむを得ずタクシーを使う羽目になったため、余計に財布は薄っぺらくなってしまったのだった。

ひとりぼっちと思いきや

2011年09月26日 23時09分36秒 | 医者仕事
最近は朝の出勤時間がとみに遅くなり、9時に間に合わないこともしばしばある。さすがに9時半ともなると気まずいのだが、行ってみると研究室は空っぽで、誰もいない。また、誰かがきている様子もない。そのまま仕事をしていたが、昼になっても誰も来ない。あまりにも誰も来ないのでうとうととしていたら、突如上が現れた。外勤か何かだったようだ。まったく人の悪いことである。調子に乗り過ぎなくてよかったと心の底からよかったと思ったものである。

光の魔術

2011年09月25日 23時27分44秒 | 一般
宿を出た後は伊豆高原をぶらぶら。ワイルドスミス美術館に立ち寄り、そばで昼を済ませてから万華鏡の美術館に行った。ここはすごかった。貴重な万華鏡を見せてもらったり、巨大な万華鏡の中に入ったり。変わった写真も撮れた。さらに自分の万華鏡を作ることもできた。我々夫婦は各々1個ずつ作った。本物の鏡を使うと値は多少張るがやはり美しい。鏡を組み合わせてできる光の魔術。
土産物を物色し、少し早めに海鮮丼とおいしい豪快な味噌汁で夕食。ちょうど日がかげってきた頃に帰路についた。さすがに連休の最終日の上り方向なので渋滞は覚悟していたが、それほどたいしたことはなかった。所要時間は3時間ほど。思ったよりも早く着いた。

相模湾の景色と迫る山々

2011年09月24日 23時53分57秒 | 一般
1泊2日で伊豆の温泉に行くことにした。結婚してから2人での旅行はこれが初めて。こういうのも悪くはない。
昨日の当直は外来に呼び出されることはなかったので、内科当直としてはまずまずだった。救急搬送の依頼を断るのは辛いのだが、こちらもどうにも引き受けられないので仕方がない。
さて、午後になってから車で出かけることにした。首都高から東名高速に入り、そこから小田原厚木道路に行って、最後は相模湾岸をずっと一般道で行った。渋滞が心配だったが、調べたとおりであまり渋滞に巻き込まれることはなかった。小田原から先はほぼずっと相模湾を横目に走り続けるので景色がきれいに見えた。反対側に目をやればすぐに山。熱海を抜けて伊東に入り、伊豆高原の宿へ一直線。最後は道が狭くてやや戸惑ったが、ぶじにたどり着くことができた。所要時間はほぼ4時間。計算通りでまずまずの道のりであった。
宿は静かないいところ。食事も美味でつい日本酒を飲み過ぎてしまった。残念。

電話番

2011年09月23日 23時54分09秒 | 医者仕事
最近2回ほど当直になっていた金曜日だが、今日は総合内科当直。総合内科のベッドはないので外からの電話対応のみなのだが、やっかいな電話もなくはないのでこれはこれで面倒である。病院の中にも色々なルールがあってなかなか難しいのだが、夜の当直なので半日ほどで仕事が終わると思えばまだ気は楽。
昼間は休日で、洗車と給油に行ってきた。

平日の昼間のひととき

2011年09月22日 23時06分15秒 | 医者仕事
外勤が終わって大学に移動する時間というのは平日の昼間に外出できる貴重な時間でもある。いろいろな場所に立ち寄るのにこれほど適した時間はない。よくあるのは財布の中身が少なくなったためにいくらか補充をすることだが、これも手数料を取られないというだけでもだいぶ違うものである。それと解放感か。
大学に戻ると仕事があるが、まだ今はそれほど忙しくもない。今のうちではあるが。

大荒れの中で

2011年09月21日 23時22分08秒 | 医者仕事
今日は朝から何だか不穏な気配。台風が来るということだが、下手をするとここら辺でも直撃しかねない動きのようであった。
今日は普通に研究室にいる日であるから、私の仕事はもっぱら顕微鏡を見てレポートを書くことになるのだが、それ以上に昨日の話が残っていた。私としてはまずそちらを片づけたいところであった。ところが、意に反して外からサンプルが届いてしまったこともあって、なかなかそれだけをやっているというわけにもいかなかった。
初めてきちんと筋生検の標本を凍結して薄切し、さらにHE染色までやった。最初のところで筋繊維がきちんと垂直になっていないと評価できる標本ができないため、実際に顕微鏡で見てみるまでは何ともいえないドキドキした感じがした。いざ顕微鏡で見てみると、さいわいしっかりとした横断面が見えていて、十分に評価できる代物ができあがった。
その後電子顕微鏡をいじったりしていたのだが、外は土砂降りになっていて電車も止まるという話もあったので早々に引きあげることとした。
外に出ると時折凄まじい風が吹き、家を目前にしてとうとう私の傘は力尽きてしまった。骨が完全に折れてしまっていてはもはやどうにもならない。吹き荒れる風に進路を遮られることもあったが、何とか家に駆け込んだときには前面はびしょ濡れになっていたのだった。