ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ゲームの規則

2011年06月16日 | 映画

 

今更ながらのルノワール「ゲームの規則」を、やっと見た。しかし、前回15分ほどしたところで不覚にも眠ってしまったので、もう一回はじめを見て、どんなで出だしだったかと思い出し、改めて続きから見たのだった。

舞台の殆どが貴族の館、そこで繰り広げられるいろんな人間の恋愛をはさんだドタバタという所謂群像劇。登場人物も多く、この手の映画でありがちな名前と顔が一致しないという混乱を乗り越えなくてはならないが、そんなことは映画の質を損ねることでははない。それにしても皆動き回る。その動き回る人物達を追うカメラワークの冴えなどを見ると、よくこの時代に(1939年)こんな映画を作ったものだと、思わず感心する。傑作の誉れ高いが、当然という気がする。

これを見て思い出したのがアルトマンの「ゴスフォード.パーク」。同じように舞台は貴族の館(こちらはマナーハウス)。こちらの方が登場人物も多く、人間関係は更に複雑。そしてどちらも殺人事件が起こる。「ゴスフォード.パーク」はその事件を解明するというミステリー色が強いが、実際はどちらもそこに重きは置いていない。中心は、動き回る人物の運動とその関係だ。

と、この二つの映画、かなり似てると思って、ちょっと気になってネットで調べてみたのだが、その辺を指摘している人間も少なからずいた、というか、「ゴスフォード.パーク」公開時にそれなりに話題となったという事実をこちらが知らなかっただけというのが正解のようだ。やはり普通にそう思う人も多かったということだ。中には、更に差別化したいからか、シェイクスピアとの関連性を指摘してるものもあったが、シェイクスピアは映画は撮ってないので比べられても。多分、演劇的な部分でそう言いたいのだろうが、そうなると殆どの物語にシェイクスピアを発見できるのではないか、とシェイクスピアには全く触れたことがない人間は想像する。

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