ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

スティルトン

2008年04月13日 | 食べ物


このところ良くチーズを食べているので、そういう時
の必須アイテムのパンが欠かせない。
チーズトーストにでもするのなら「食パン」でも可だが、
どう考えても「シェーブル」や「ウォッシュタイプ」に
「食パン」は合わない。
どうしても、所謂フランスパンの「バゲット」や「パンド
カンパーニュ」がほしくなる。
となると、そういうパンを売っている店で買うわけだ
が、地元ではその選択肢はあまりない。
つまり、あるレベル以上の「バゲット」を売っている
店は多くないということだ。
ここのところはずっと「Tomo」という店の全粒粉の
「バゲット」だ。
レトロタイプとか言うのだろうか、もちっとしたテク
スチャー(格好付けて表現、ちょっと厭味か)と、厚
めの皮のバランスが良く、粉の味があるので一番好き
なのだ。
しかし、店がちょっと遠いので、買うタイミングが合
わないと、買えない場合が多々ある(遅いと品切れとい
うことも)。
そうだ、ここは映画少年Yもご贔屓にしていた。
彼の場合、一年を通じてコンスタントに週一のペース
で通っているらしい。
私の場合はチーズがあるときだけだが。
間違いなくYは、超常連である。
ああ、Yの話ではなかった。

それで、この前行った時が、ちょうど物が無いという
時であった。
仕方ないので、このところご贔屓の例のチーズを買っ
ているスーパーへ行くことにした。
一般的に言って、スーパーで売っている「バゲット」で
レベル以上のものは殆ど無い。
「紀ノ国屋」などのスーパーは例外だ(田舎に、そんな
スーパーなどあるはずも無い)。
それは分かっているが、チーズも本格的なものを扱っ
ているからもしや、と淡い期待を0.1パーセントほ
ど抱いたのだ。

パンの前に、一応チーズ売り場も確認。
すると、「スティルトン」があるではないか。
一応説明すると、イギリスのブルーチーズで、「ロック
フォール」「ゴルゴンゾーラ」とあわせて、世界三大
ブルーチーズと呼ばれている。
個人的には、ブルーチーズの中で一番好き。
考えてみれば、イギリスの美味いものの数少ない中の
一つというか、唯一か。
その「スティルトン」を売っていたのだ。
早速、購入。
しかも、値段が安め。
こういうところが、何となく田舎の狙い目という気が
する。
この時点では、品質は大丈夫かという一抹の不安はあっ
た。
というのも以前、田舎で他の店で売っていたものを、
つい買ったことがるが、それはひどい状態で、食べられ
たものではなかった。
チーズは発酵食品なので、保存状態が重要なのだ。

続く。


コメント

たぶん悪魔が

2008年04月12日 | 映画

ストローブ=ユイレの「アンティゴネ」、ブレヒトの
改訂版ということだが、円形劇場で同じものを上演し、
映画も同じ場所を使い舞台と殆ど同じ、か?
しかし、残念ながら「アンティゴネ」に関する知識が全
く無く、ちょっとお手上げである。
兎に角、睡魔が襲う。
それにしても、何故このDVDを買ってしまったのか。
「ブレッソン」の魔力だったのか。
「たぶん悪魔が」。
「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」の方ににす
ればよかった。

ストローブ=ユイレやブレッソンなどは、気楽に観ら
れない映画の代表だと思うが、流石にそれが続くとき
つくなることはある。
映画を観るのが苦行では、何か本末転倒のような気が
するが、娯楽的な面白さではない面白さというのは、
そういう映画ならではなものだから、一瞬苦行か、と
思うような瞬間がたとえあろうが、結局は止められな
いのである。
映画の可能性というのを求めるか求めないかで、大き
く変わるところである。
普通に、ハリウッド映画だけを楽しめるんだったら、
こうはなってはいないということだが、それの方が幸
せかなと思うこともある今日この頃である。
ただ、映画少年Yのように、絶えず注入しないと死ん
でしまう(中毒に)という風にはなっていないので、
その点では大分益しだ。
観ない時は、何ヶ月も観ないし、それで平気なわけだ
から。

こういうのは、全てに共通することで、例えば本でも、
べストセラーしか読まないという人もいれば、そうで
ない人もいる。
自ずと、経験するものは違ってくる。
類型で満足できるか出来ないか、という風に言い換え
ても良いかも知れない。
これは、結構はっきりしているのではないか。
つまり、類型からはみ出すのがすべての不幸の始まり
なのである、とも言えるのだ。


コメント

今宵、フィッツジェラルド劇場で

2008年04月11日 | 映画


スノッブなM氏から借りたビデオ、アルトマンの「今宵、
フィッツジェラルド劇場で」をやっと観る。
何故やっとかというと、そのDVDは、ある一台のパ
ソコンでしか観られないから。
そして、そのパソコンがある部屋というのが、暖房設
備が無いので、寒い間はなかなか観ることができない
ということだったのだ。
やっと、なんとか耐えられる季節になった。

「今宵、フィッツジェラルド劇場で」は、結果的に、アル
トマンの遺作となった作品で、そういうわけでもないだ
ろうが、作品の中にも死の影が漂っている。
まるで、自分の人生にあわせたような内容、遺言のよ
うにも感じるのだ。
彼の死から逆算するから余計にそう感じるというのは
あるが、それまでの作品には登場しない「死神」(ヴァー
ジニア.マドセン)のような、現実の人間ではない登
場人物を使ったりすること自体が、過去の作品とは
ちょっと趣が違うと思わせる。
終焉というテーマが割りにはっきりしている。
元々が無常というものを意識した監督であると思うが、
それがこの作品には充溢している。

長く続いたラジオショーの、最後の一日を描くだけの
作品だが、会話のやり取りだけでそれぞれの人物の人
生を描いてしまう監督の才能は、相変わらず健在で、
まるで非常に良く出来たドキュメンタリーを観ている
ような錯覚を覚える。
カントリー音楽中心のショーであるので、聴衆にキリ
スト教原理主義者が多いであろうことから起こりうる
反応などを皮肉ることも忘れないし、経済至上主義者
の代表としての人間(トミー.リー.ジョーンズ)に
対して、観客がちょっとした溜飲を下げる運命を与え
たりと、随所にアルトマンらしい演出が施されている。
それにしても、あまりに最後の作品らしい。
過去の作品の中で一番とは言わないが、こういうのが
佳作中の佳作である、と言えるのではないか。
どうしても、しみじみしてしまう(映画そのものは決
して情緒的ではないが)映画である。

そしてそのDVDには、ジャック.タチの「郵便配達
の学校」という映画も録画してあった。
ついでにそれも観る。
喜劇であるが、真のアクション映画とはこういうもの
か、と思わずにはいられない。
喜劇で、こういう疾走感のある映画は、今では多分不
可能。
なんでもCGでできてしまうから、今の映画からは肉
体性が消えてしまっている。
やはりキートンかジャック.タチか、である。
志村けんとの差は大きい。




コメント

春の昼下がり

2008年04月10日 | 食べ物


「ヒメギフチョウ」でも飛んでいるかと思い、カタクリ
の群生地に(<カタクリにヒメギフチョウ>というのは、
<梅に鶯>に匹敵する決まりものとして、蝶の世界で
は常識とされている)赴くが、そのカタクリはまだ葉
が一枚地面から顔を出しているという程度。
花どころではない。
最盛期には、まだ十日はかかるのではないか。
そこで、周辺の如何にも里山的なところを歩くが、他
の蝶もあまり飛んでない。
新しいデジカメを、蝶で実践したいのに、その対象と
なるものがいないのでは話にならない。
漸く1頭の「キタテハ」が見つかったが、全然近づけな
い。
こんな普通の蝶でも、初撮りとなると、その価値が増
す。
直ぐ、飛び立ってしまう。
仕方無しに18倍ズームのお世話になるが、角度が悪
く、結果ピント合わず。
他の、もっと普通の「モンキチョウ」すら止まらない
ので、結局、あきらめる。

場所を変え、諏訪湖を見下ろすところに移動。
気温も高く天気は良いが、ここにも殆どいない。
時期が早いのか。
しょうがない、昼飯だ、ということで直ぐ近くの蕎麦
屋にいくことにした。
この蕎麦屋は、兎に角場所が良い。
ガラス張りの店内から、諏訪盆地が一望できるのだ。
観光客にとっては、大喜び。
よって、客層は観光客およびそれに付随する人たちと
いうことになる。
こちらは観光客でもないので、そういう景色は魅力の
うちではないから、来ることは滅多にない。
蕎麦だったら「更級」で食しているので。
しかし、今回の状況だと(シーズンではなく昼の時間
帯にこの辺にいるという)利用しようかという気にな
る。
元々個人的な評価は、味よりは景色という店なので。

平日の昼、しかもシーズンではないので、混雑はして
いない。
客層は、観光客、出張できたサラリーマン、と彼らを
連れてきた地元の社員風のグループ。
ざる(ここには盛が無い)を二枚注文。
蕎麦粉は所謂せいろに相当するもの。
それが、一枚ずつ運ばれてくる。
そういうところは気遣っているようだ。
つゆは、「更科」に比べると甘め。
最近蕎麦は、全て「更級」が基準となっている。
一枚目のざるは、合格点が7とすると、6.5点。
見るからに、切り方が不揃いで、こしもやや弱く
しゃきっとしていない。
不味くは無いが、6.5点。
そして二枚目。
これは7.3点。
何故点数が違うかというと、明らかにものが違ってい
たからだ。
二枚目は、同じ細さに切られていて、こしもあり完全
に別物であった。
一枚目より細い分、水切りが悪くちょっとびちょびちょ
であったが。
こういうところが蕎麦の面白いところだ。

今回の蕎麦は、打ち手が違っていたのかと思うくらいの
差だったが(実際そうかもしれない)、同じ店でも、一
つとして同じものが無いという蕎麦の難しさ、奥深さ
を感じた春の昼下がりであった(なんてね)。
コメント

ブレッソン

2008年04月08日 | DVDコレクション

長編小説挫折続きのyちゃんは、映画も良く見ている。
映画少年Yも話が通じて嬉しそうだった。
何故かというと、私と話す以外そういう場がなかなか
田舎ではないから。
普通の映画(この場合の普通の映画というのは、田舎
でも封切する映画)の話だったらそんなこともないの
だが、何せ、「ゴダールの映画史」を見るためだけに
東京へ行くという、普通ではない人間だから。
この間は、「ペドロ.コスタ」のためだけに行ってき
たらしい。
相変わらず、映画少年の道を、日々歩んでいるようで
ある。

で、そのyちゃんが、前、過去に見た「ジャンヌ.ダル
ク」の映画が印象に残っていると言ったことがあった。
そこで、タイトルを聞いたのだが良く覚えてなく、ど
んな内容かと聞いても良く覚えてなかった。
でも、良かったらしいのだ。
そこで、ブレッソンの「ジャンヌ.ダルク裁判」かな?
と聞いたのだが、そんなようなものだったかな?とい
うあやふやな返事をするだけ。
「じゃあ、<裁かるるジャンヌ>?」
「そうだったかも」
これでは埒が空かない。
どちらにしろ、古い映画なことは間違いない。
そこで、どっちであるか確認するため、所有のブレッソン
の「ジャンヌ.ダルク裁判」を貸すことにしたのだった。
ついでに「スリ」「抵抗」も。

その三本を見終わったyちゃんに早速聞いてみると、ど
うやら嘗て見たのは、「裁かるるジャンヌ」の方であっ
たようだ。
それでは、今回のはどうだったのか聞くと、良かった
ということであった。
どうやらブレッソンもお気に入りになったようだ。
その話を聞いていたYは、「そうでしょう」と興奮気
味に合いの手を入れた。

そんなブレッソンのDVD三枚組みが、このところずっと
気になっている。
「ロベール.ブレッソンDVD BOX1」という、な
にやらシリーズ物の気配のする三枚組みだ。
内容は「ジャンヌ.ダルク裁判」「湖のランスロ」「たぶん
悪魔が」で、後の二本がどうしても見たいもの。
結局、アマゾンで注文してしまった。
この手のDVDは、安くなることはないし、再販の可
能性も低い。
というわけで、今、手元にそのパッケージがある。
とりあえず、まじまじと見つめる。


現時点のDVD(記録のために)

ロベール.ブレッソン 「ジャンヌ.ダルク裁判」「湖のランスロ」「たぶん悪魔が」

ストローブ=ユイレ  「アンティゴネ」「アメリカ階級関係」

ジャ.ジャンクー   「青の稲妻」「プラットホーム」「一瞬の夢」

ロブ=グリエ     「グラディーバ マラケシュの裸婦」

ドン.シーゲル    「殺人捜査線」「中国決死行」「突撃隊」「ぬき射ち二挺拳銃」「真昼の死闘」

フリッツ.ラング   「死神の谷」「M」

ルイス.ブニュエル  「アンダルシアの犬」                                  

ムルナウ       「吸血鬼ノスフェラトゥ」

ロバート.アルドリッチ「キッスで殺せ」「攻撃」「燃える戦場」「飛べフェニックス」「ふるえて眠れ」

エリック・ロメール  「我が至上の愛  アストレとセラドン」

チャールズ.ロートン 「狩人の夜」

山中貞夫       「人情紙風船」「百万両の壷」

小津安二郎      「一人息子」

オーソン.ウェルズ  「オーソン.ウェルズ IN ストレンジャー」

ロバート.アルトマン 「ナッシュビル」

コメント

長編小説

2008年04月07日 | 芸術


昨日の続き。
文学部出のyちゃんに、カフカ以外の長編小説に関し
ても聞いてみた。
それは、トーマス.マンの「魔の山」。
するとyちゃんは、一応手は出したらしく、しかし、
上下二巻の下の途中で放棄してしまったということだっ
た。
これに関しては、同じ例を知っている。
知り合いの「チェリスト」だが、確か同じように途中放
棄しているはず。
「チェリストと魔の山」、或いは「魔の山のチェリス
ト」、タイトルとしては小説的なのだが。
そういう問題ではなかった。
この小説も、途中放棄が多いということなのだろう(と
身近な例で一般化して大丈夫か)。
個人的には、長編小説の門戸を開いてくれた記念碑的
小説で、それまでとは違う小説の醍醐味を教えてくれ
たもの。
今でも、主人公の名前がフルネームですらすら出てく
るくらいなのだから。

となると、長編小説の金字塔「失われた時を求めて」に
ついても聞きたくなる。
yちゃんは、やはり手は出していた。
しかし、一巻で放棄。
「マドレーヌがほにゃらら」という部分しか覚えてい
ない。
この部分は一番ミーハー的に有名なところで、文学系
なら情報として多くの人が知っているところだろう。
そう言えば、これに関しても身近な例があった。
映画少年Yが、読みたいと言ったので、貸したのだっ
た。
確か彼も、一巻で放棄した。
どうやら、いきなり大きな壁が襲うようだ。
さすが、世界で一番有名で一番読まれてない小説であ
る。
そうだ、もう一人いた。
スノッブなM氏だ。
彼の場合、井上究一郎訳の単行本全巻を持っている。
しかし、全く読んではいない。
完全にお飾りである。
スノッブ全開であるが、それにしても勿体無いもので
ある。
途中放棄率の高さから言って、間違いなく「失われた
時を求めて」は上位に来るだろう。

一応手を出そうとするだけ益しかと思うが、yちゃん
が読もうとした動機が不思議であったので、それを聞
くと、担当の講師だか教授が奨めたということであっ
た。
「カフカ」「トーマス.マン」「プルースト」とは、
いやに趣味が合う。
「トーマス.マン」が「ジョイス」に代われば、もう
他はいらなのではないか。
しかし、学生に奨めても、殆ど放棄では薦め甲斐が無
いというものである。
そこで、「当時と今では捉え方も違うから、面白さが
分かるかもしれない。もう一度チャレンジしてみれば」
と、あまりに真っ当なことをyちゃんに言った。
yちゃんも、そうしてみようかという気には、ややなっ
たようではある。
コメント

村上春樹とカフカ

2008年04月06日 | 芸術


「イングリッシュパブ」には、もう一人yちゃんという
女の子がいた。
そのyちゃんは、出身が文学部ということで、文学関
係の話もいくつか出てきた。
村上春樹には全く興味が無いY(映画少年の方は大文
字で)は、「源氏鶏太」みたいなものでしょう、とわ
けの分からないことを言ったが、大体比較でその名前
を出したところで誰も分からない。
私も、サラリーマン小説を書いた人というくらいの知
識しかない。
Yは、「村上春樹」も直ぐに忘れられる小説家である
ということを言いたかったらしい。
その点に関しては、ちょっと現実的ではない。
すでに、世界的にも人気があり、ノーベル賞候補にも
挙げあられる「村上春樹」と、名前さえ忘れ去られよ
うとしている「源氏鶏太」では、流石に比べられない
だろう。
「村上春樹」好きのyちゃんも、怪訝な表情である。

となると、どうしても「海辺のカフカ」からカフカの
話になってしまう。
「村上春樹」と「カフカ」の共通性に関しては、皆首
を傾げる。
全く違うというのが、共通認識であった。
で、yちゃんに聞いてみた、ちゃんと読んだのかどう
か。
すると、カフカの「城」は、一応読み通したらしい。
しかし、どうも、文学部の意地ということで読んだら
しく、案の定面白くて読んだわけではなかった。
他のYにしたって、確か「変身」(薄いから)を読ん
だだけで、他は読んでないはず。
それで分かったように「唯一<変身>は<羊男>に通
じるかもしれないですね」などと言っている。
単に、人間ではないものという共通性に過ぎないのだ
が、その部分だけで似ているというのも、あまりに皮
相的だ。
村上春樹の「羊男」は、<本当の自分>或いは<捨去っ
た自分>という類のもので、不条理な世界に通じるも
のではないと思う。
だから、カフカの「変身」とも似ていない。
いずれにしろ、カフカのよさは、短編ではなく長編であ
ると思う。

それより「村上春樹」に関しては、以前翻訳していた
「レイモンド.カーヴァー」「ジョン.アーヴィング」
の世界だろう、というのは、yちゃんも納得。
「ジョン.アーヴィング」となると、俄然Yも、原作の
映画がいくつかあるので、待ってましたとばかりタイト
ル挙げる。
「サイダーハウスルール」「ガープの世界」「ホテル.ニュ
ーハンプシャー」。
ここで自説の、「村上春樹」は「レイモンド.カーヴァー」
と「ジョン.アーヴィング」を足して二で割った作家で
ある、と披露したのだが、今ひとつ反応は薄かった。
コメント

イングリッシュパブ

2008年04月05日 | 食べ物


過去の記事を、ジャンル別に整理しようと思い取り掛
かったが、思いのほか大変であった。
一つ一つ振り分け、新たにアップするという地道な作
業をするだけなのだが、何せ、タイトルを見ただけで
は内容が分からないので、一々確認しないといけない。
当然その時、過去の内容を目にするのだが、適当なこ
とを良く書いてるもんだと、関心というか呆れること
も多々である。
こんなことなら、ちゃんとしたタイトルを付けておく
んだった。
それにしても、何故そうしようと思ったかということ
だが、自分で書いた筈だが忘れてしまっている知識と
か情報があり、それを確認するのに、手がかりがない
とそれこそ端からチェックしないといけなくなる、と
いうことだからだ。
で、それはまだ終わってない。
徒に書き続けたお陰で、数だけは多い。
どこまで続くぬかるみぞ。

整理のほうは、適当なところで切り上げ、その後、映
画少年YとカフェのT君が初めてご対面するという機
会を作ったので、その現場へ行く。
当初「スペインバル」を予定していたのだが、金曜日
の夜ということもあり超満員。
そこで急遽「イングリッシュパブ」に変更。
過去行ったのは、八ヶ岳山麓の「イングリッシュパブ」と
いうより「アイリッシュパブ」(どう違うのかは分か
らないが)。
で、今回は「イングリッシュパブ」。
しかも山の中ではなく松本市内。
店内の雰囲気も、今回は都会の「イングリッシュパブ」、
山の方は田舎の「アイリッシュパブ」という違いが確か
にある、のか?(想像で言ってるだけ)。
いずれにしろ、それぞれ良い雰囲気がある。
注文方式も、その都度カウンターで精算という本場スタ
イルである。
それに、外人も多い。
ますます本場の雰囲気だ。

無事対面したYとT君は、「荒俣宏」「夢野久作」だと
何だか興味の対象が一致したらしく、盛り上がっている。
こちらは定番の「フィッシュアンドチップス」など摘み、
ギネスビールを飲む。
まあ、イギリスだから、特別美味しいものもあるわけで
はないから、こんなところが無難である。
が、ポテトがいやに水っぽい。
いやいや、イギリスだからこんなものであろう。
楽しむべきは、雰囲気雰囲気。
それにしてもかかってるBGMがジャズというのも、ち
ょっと不思議である。
入ったときにかかってたのがまた、嘗て良く聴いてたも
ので、「おおー、ほにゃららだ」と言いたかったのだが
そのほにゃららが思い出せなかった。
「トミー.フラナガン」か「ソニー.クラーク」のどち
らかだと思ったが。
コメント

テレビ

2008年04月04日 | Weblog


映画「靖国」の上映中止というニュースは、非常に厭な
感じであったが、京都で上映することになって、やや
ほっとしている。
プリンスホテルが「日教組」を拒否したのと同じ理由
の上映中止だったが、つまり、右翼の妨害、一応法治
国家としてはそれはないだろうと思ったが、ぎりぎり
のところで止まった、とみたい。
言論統制の中国を、他人事と笑ってはいられなくなる
ところだった。
それにしても「靖国」という名は、象徴的にどんどん
膨張していく。
この点に関しては、江戸時代に戻してほしいものであ
る。

こういう時に、全く頼りにならないテレビは、このと
ころやけにクイズ番組が目立つ。
単純に、視聴率が良いという理由からだが、相変わら
ず能が無い。
と、言ったところで、事態が変わるわけでもなく、く
だらない番組を流し続けるわけだが、そういう番組を
見てしまうこちらにも問題がある。
くだらないと言いながら見ている自分に、渇!である。

しかし、その視聴率だが、野球の視聴率の下降ぶりは
凄い。
まあ、今までが高すぎたに過ぎないのだが、テレビの
スポーツニュースは、相も変わらず野球中心で、日本
全国誰もが注目しているがごときの報道振りだ。
そんなに皆注目しているわけ無いのに、大リーグも、
日本人選手の活躍を5割アップで伝えたりと、兎に角
大袈裟というか、基本的にそれ程のニュース価値があ
るのかと、つい思ってしまう。
一番のコンテンツであるという事実も、分かっている。
基本的に、テレビはマッチポンプであるということも
分かっている。
しかし、いつまでもこんな姿勢で良いのか、と思うの
もまた事実である。
無くなったところで全く困らない、とさえ思う今日こ
の頃である。

コメント

お勧めの一品

2008年04月03日 | Weblog


新しいデジカメの、所謂試し撮りをするべく、蓼科に
行った。
しかし、当然のことながらまだ寒い。
桜が咲くのは、一ヵ月後。
先日の雪も残っているし、まだまだ冬だ。
撮りたいものの姿形は一切無し。
つまり、蝶或いは虫類の気配はないということだ。
仕方無しに、試し撮りだからと、木の芽をマクロなど
で撮る。
今回はスーパーマクロの機能で、1センチまで寄れる。
その具合を見たいのだ。
そこは、以前のへぼカメラと違って、ちゃんと確信を
持ってピントが合っているのを実感できる。
が、ぶれてるかどうかは分からない。
それは、腕の問題である。

今までは室内でしか撮っていない。
つまり、フラッシュをたく状況ばかりだったのだ。
自然光でどれほどの画質になるのか、楽しみである。
とは言ったが、それほどこだわっているわけではない。
画質よりは、ピントが合っている方がうれしいのだ。
それに、フラッシュも、自分でフラッシュをあげない
といけないこに気づいたのは、昨日のことである。
それまで、勝手に出て発光するものばかりと思ってい
たのだ。
いろいろ試し、1センチ四方の対象物でも、まず大丈
夫なことは分かった。
ただ、細いひも状のものを、50センチくらい離れた
ところから撮るのが難しい。
具体的にどういうものを想定したかというと、「イト
トンボ」だ。
ぐっと寄れれば問題ないが、そういう距離の時に、幅
数ミリのもにピントを合わすことが上手くいくかとい
うことである。
ズームを使ったりして、上手く撮れるようにしたいも
のである。
今後の課題。

撮影は、さっと切り上げ、昼飯の時間だ。
あまり何かを食べたいというものが無かったので、沿
線のラーメン屋でラーメンでもということになった。
積極的に食べたいものが無い時に、ラーメンでもとい
うことになるのだ(年に数回あるかないかというとこ
ろだが)。
だから、特別にラーメンに何かを求めることはしない
し、いらない。
不味くなければ良しなのだ(こだわりのラーメンなど
というのは問題外)。
で、普通にラーメンを食べ終わったところ、一人の客
が入ってきた。
ちょっと、ラーメンにはうるさいぞという雰囲気を発し
ている(こういう客が多くてうんざりだ)。
そして、その後のこの客の発言が更にうんざりを倍加
させた。
その客は店の人に「ここのお勧めは何ですか」などと
聞いている。
ラーメン屋にお勧めも何もないだろう。
ラーメンに決まってるだろう。
後は、味噌なり醤油なり自分の好きなものを黙って頼
めばすむことだ。
毎日仕入れが変わるすし屋だったら話しは分かる。
ラーメン屋でお勧めって、自分では気の利いた質問で
もしているつもりなのだろう、自信満々の顔をしてい
たが、店員さんの一瞬答えに詰まっていたことの意味
は、多分一生理解できないであろう。
自分の決断力の無さと、鈍感さを露呈していることに
も、一生気づかないのだろうな、とその時思った。

ラーメン屋に限らず、「お勧めは」と聞きたがる人間
が決断力に乏しいというのは、経験上からしてかなり
当てはまることであると思う。
コメント

マンステール

2008年04月02日 | 食べ物


ここにきての気温0度は、連日マイナス10度のあの
頃の寒さより応えるかもしれない。
身体がすでに暖かさを知った故の不幸か。
三寒四温の三寒がきついのだ。
それより、この辺のガソリンも値下がりしているのだ
ろうか。

いろんなものが値上がりしているのは、日々実感する。
最近発見したスーパーのチーズ売り場は、それまでは
通販で取り寄せるしかなかったチーズを、普段買える
という状況にしてくれたが、試しに最近のチーズの値
段をネットでチェックしてみた。
久しぶりに見ると、随分変化していた。
大体二割以上上がっていたのだ。
「シェーブル」とか「ブルビ」は、もともと高めで、
なかなか沢山買うということは出来なかった。
100グラム800円以上はしていたのだ。
しかし、今回見ると何と1000円以上だ。
100グラムなんてほんの僅かである。
それが1000円以上。
完全に贅沢品の仲間入りだ。
円高なら逆になるはずだが、ユーロ高と原油高がそれ
以上ということなのか。
確かに、チーズなんて基礎食品でもないし、贅沢品と
言ってしまえばそうかも知れない。

そうやって考えると、例のスーパーのチーズは、100
グラムあたりに換算すると、「シェーブル」も「ブルビ」
も700円くらいだった(ものは当然違うが)。
これはお値打ちというものだろう。
それにこの前は、ウォッシュタイプも結構おいてあるこ
とも発見した。
「マンステール」「ルブローション」ともう一つアルコ
ールで洗ったタイプのものがあった。
売り場を存続させるためにも、ここはせっせと買わな
くては、と思いを新たにしたのは言うまでもない。

で、その時に「マンステール」を買った。
このアルザス地方の臭いチーズは、本格チーズの味に目
覚めたきっかけチーズだ。
とろとろになたくらいの「マンステール」と、当時一緒
に取り寄せた、パリの「ポワラーヌ」というパン屋のパン
ドカンパーニュの組み合わせは、史上最強と思ったもの
だ。
今でこそ「ポワラーヌ」は有名だが、その頃は(十七八
年前)殆ど知られてなく、こちらも単に好奇心で取り寄
せたのだった。
物凄く固く、酸味の強いパンは、単独で食べても美味い
とは思えなかったが、「マンステール」と食べると本当
に美味かったのだ。
これも「マリアージュ」というやつか。
今から考えると、インターネットなど影も形も無い時代
にも関わらず、結構いろいろやっていたものである。
本当、好きものなんだね。
コメント

コンフィ=カスレ

2008年04月01日 | 食べ物


前々からいつかは「カスレ」と思っていたが、とうとう
そのチャンスが巡ってきた。
というほど大袈裟なことではないが、要するに材料が
揃ったということである。
「カスレ」の肝となる材料、つまり、「コンフィ」を
手にしたのである(その気になれば、それらは買えば
いつでも手に入れることはできるのだが)。
しかし、ここがなかなかしぶといところで(自分のこと
を言ってるのだが)、市販のものを使う気になれないの
だ。

例えば「鴨のコンフィ」、いつも肉関係をとり寄せる
通販会社で出来たものも販売している。
値段的には、肉だけのものの倍くらいか。
それを取り寄せれば、いつでも「カスレ」は可能であ
る。
しかし、そういうものを使う気にはなれない。
何故かと言うと、それらは本来の味とちょっと違うか
ら。
出来合いのものは、どういうわけか、ハムっぽい味が
するのだ。
これは、今までの経験から導き出した結論だ。
肉関係のもので、そうではなかったものは記憶に無い。
だから、本格派を標榜するのなら、自分で作るしかな
いのである。

で、まずは「コンフィ」を作ることから始める。
今回は、念願の「ほろほろ鳥」を使うことにした。
「コンフィ」作りから始めて、「カスレ」が完成する
には、最低三日はかかる。
難しさは無いが、ただ時間だけは物凄くかかる料理で
ある。
余程の酔狂でなければ、ここまでしようなどとは思わ
ない筈だ。
それにしても、われながら酔狂である。

その「ほろほろ鳥のコンフィ」を作る時、冷凍してあっ
た「子牛のすね肉」も一緒にコンフィにすることにし
た。
基本的には、肉なら何でもコンフィに出来る。
出来るが、美味いかどうかは、その肉質に関係する。
適度に筋がある肉の方が良いのだ。
つまり、長時間熱を通すので、どうしてもばぱさぱさ
になる傾向がある。
それが、筋があることによって(その部分はゼラチン
質なので、柔らかくなる)、適度なしっとり感を与え
ることができるのだ。
要するに、適材適所ということだ。
ヒレだったら、そのままローストが美味いに決まって
いるが、脛だったら煮込みなのである。
ということで、「コンフィ」までは完成した。
コメント