ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

聖火リレー

2008年04月20日 | Weblog


長野の聖火リレーも、まさかこんなことになるとは関
係者も思ってなかったことだろう。
兎に角、無事に終わることだけを考えているのではな
いだろうか。
本音は、「チベット問題」がどうのなんて関係ないだ
ろう、であろう。

「セレモニーを予定通りに遂行」、こういうことに関し
ては、日本人は信じられないくらい神経質になる。
どうでもいいんじゃない、というようなことでも、急
に尤もらしく神妙になるのは、傍から見ていると滑稽
ですらあるのだが、何かと権威付けしたくなるらしい。
名誉だとか、伝統を持ち出すのもその為の道具である
と思う。
そんな文化の日本だから、「名誉ある聖火リレー」も
是非とも成功させたいと、他の国以上に思っているは
ずである。
しかし、今回は、中国との関係を悪くしたくない国、企
業の思惑が、否応無しに絡んでくるので更なるプレッシャー
をかけられてしまった。
一番の本音は、こんなことなら受けるんじゃなった、な
筈だ。

こういう問題は、オリンピックが肥大すればするほど
起こりうるものだ。
すでにベースは商業主義なのだから、理念と実態の乖
離は相当なもので、大きな矛盾を抱えながら肥大化す
る五輪、という一つの流れは止められない。
考えてみれば、五輪そのものが今の中国のようなもの
とも思える。
となると今回は、「五輪」と「中国」がシンクロする
歴史的瞬間を我々は目撃することが出来るのかもしれ
ないのだ。
そんな僥倖が訪れるとは夢にも思ってなかった。
なんてことは、一切思ってない。
何故かと言うと、「五輪」には興味が無いから。
やってれば見ることはあるし、日本選手の活躍が気に
ならないことは無い。
だから、全く興味が無いというわけではない。
が、全てに行き過ぎという感じがするのだ。
マスコミも選手も国も国民も。

特に、「国威発揚」の部分があまりに強くなっている
今回の「五輪」に代表されるのようなものは、本当な
くてもいいと思う。
しかし、それがあるゆえ、更なる感動を多くの人にあ
たえるから厄介なのである。
世界最高のテーマパークみたいなものか。
感動製造装置としては、多分間違いなく最高のものだ
と思う。
きらきらした目で「感動をありがとう」、などと言われ
ると、「これこそが真実だ」なんて皆直ぐ思っちゃうか
ら、弱ってしまうのだ。
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