一時はどうしたものかと思い、やや途方にくれたスト
ローブ=ユイレの、「アンティゴネ」を見終わった。
最初は、それなりの知識がないと、この手の「古典悲
劇」は解らない、と思って観て矢張りそうなのかなと
納得しかけての中断だった。
ところが、その後再び観始めたら、全くそれは杞憂で
あった。
固有名詞が聞き慣れないと、人間関係が整理されるま
でにはちょっと頭の中が混乱するというのは、何も「ア
ンティゴネ」に限ったことではない。
その点に関しては、例えば、アルトマンの映画の方が
遥かに大変であったりする。
この「アンティゴネ」に登場する人間は、全部で10
人いるかいないかというものだ。
登場人物がそれだけというのは、それはそれで相当
「普通」の映画ではないということだが。
後、この映画の特徴は、全て野外ロケであるということ。
但し、同じ全編ロケでも、「エリック.ロメール」のよ
うな映画ではない。
全てが同じ場所なのだ。
ギリシャ(その後イタリアと判明)のどこかの野外円
形劇場。
そこだけなのだ。
しかも、登場人物は身振りによる演技をするわけでは
なく、殆ど直立不動で朗読するように喋るだけ。
形式としては、舞台の朗読劇という感じではないか。
それが、廃墟のような円形劇場で延々続けられるの
だ(この状況は、眠れ、と言っているようなものだ)。
ならば、舞台と同じではないか、映画である必要がど
こにあるのかという疑問も自然に湧く。
確かに最初はそう思った。
しかも、舞台の芝居は元々好きではないので、余計に。
それが、徐々に人物の背景が判ってくると同時に、そ
れほど退屈ではなくなって来るからあら不思議。
内容は、「国家の衰亡」と「国家と個人の問題」とい
うことになるのかと思う。
抑揚の無い会話を聞けば、そこは自然と理解される。
むしろ、余計な挿話がない分、判り易いといえるかも
しれない。
ただ、問題は、余計な演技というものも無いから、感
情移入とかそういうものの入る余地は、一切無い。
「劇的」という演出も、一切無い。
そして、問題の、舞台との違いである。
その違いを考えると、やってることは同じと言えるか
もしれないが、見てる部分が違うということではない
だろうか。
舞台は、観客が好きなところを見れば良い。
しかし、映画は、監督の目を通したものを、半ば強制
的見せられるものだ。
そこに大きな違いが生じる。
変化の無い映像であっても、実は、全体の中では重要
な部分であったりする、というよりそれが全体かもし
れない。
例えば、人もいない動きの無い地面の映像がアップで
映っている場面が、ところどころ挿入される、しかも
長く。
そこに言葉がかぶせられるのだが、一体何なのか、と
思われるが、これこそが映画体験だ、と実際に思えて
くるのだ。
映画と出合った瞬間(ちょっと美化しました)。
舞台では、絶対ありえない体験だと思う。
ストローブ=ユイレの映画は、夾雑物を取り除いた、よ
り映画の本質に迫ったものであると思う。
だから、退屈であるのだが、魅力的に感じてしまうの
だ。