突然ですが今日は昨日の関西ローカル番組「ビーパップハイヒール」を見ていて、なんだか面白かったので、その中から少しですが御紹介しますね。
「都道府県物語2」というタイトル編のようです。(「1」は生憎見れてません残念です~)
「廃藩置県」直後は2府57県もあったという「近畿地方」からすこし・・
慌てて撮ってますので、見辛いですがご容赦くださいませ。↑は近畿地方の下半分なんですが、pekoの故郷の奈良県は「五條県」が大部分を占めてたようで・・・それに「奈良県」は小さいです~何でも置県の折りには、都があったにもかかわらず、一時は隣接の「堺県」に統合されそうになったのを住民が直訴して辛うじて「奈良県」になったそうです。
そして、今の三重県は「和歌山県」だったんですね~流石に徳川御三家です。全国に300ほどあった県が今の47都道府県になるまでには紆余曲折、様々なドラマがあったようです。
現在の「兵庫県」は近畿で一番大きな県ですが、↑の赤の部分が嘗ての一番小さな「兵庫県」でした。貧しかった当時の政府はすでに此処に開港していた「神戸」に着目して、諸外国との貿易で外貨を稼ごうとしたのですが、「兵庫県」には港を整備する資金もなく・・で、住民感情を無視した政府の断行が始まり、当時の裕福だった「飾磨県」や「豊岡県」を合併させたというわけです。
←のようなとんでもなく大きな県になってしまいますよね~当時の政府「西郷隆盛 大久保利通 木戸孝允 井上馨 山形有朋 大山巌 西郷従道」の7人が携わったということですが、何ともいい加減ですよね~
最終的には今の「京都府」にひっつけた形できまったようですが・・↑の「滋賀県」も、嘗ては日本海までが「滋賀」だったようです。「若狭地方」を福井県が吸収するまでは・・
此方も「置県」でややこしい話になって、(当時は「川」を基準にしていた分け方が主だったようで)7人の男たちが無茶な決め方をした結果・・・「新宮県」で仕事をしてらした方たちが反発・・・
和歌山県でありながら県本体とは離れて「奈良県」と「三重県」に囲まれた飛び地となってしまった現在の「北山村」です。
此方は幅1mしかない県境のお話ですが、福島県民の大切な信仰の山「飯豊山」があったため登山道が福島県のものとなった為に出来た「さかい」だということでした。
他にも当時の「蝦夷地(北海道)」「館県(函館の一部)」を「青森県」にしようという案もでたとか、「隠岐」と「島根県」、「京都」と「滋賀」の犬猿関係等等、面白いお話をしることができました。
番組の今回の「かしこ(い)ブレーン」は日本国際地図学会会員、地理を題材にした著作活動をされてる「浅井建爾(浅井健二)氏」でした。
三重県は和歌山県だったくだり・・・
以前より思っていた疑問が解決して
まさに 目からウロコです。
それは 三重県は伊勢の筈なのに
三重県のとくに南部には
紀伊と付く地名がたくさんあって
伊勢なのに なんでかなぁ~と素朴な疑問
pekoさんの記事で 視界が開けた気分です。
へぇ~~へぇ~~・・・・トリビア!!
詳しいことは一考に分かりませんが
其の時代には土地の豪族とか幕府に関わった人達に寄って、今とは違うハッキリ言うと
権力の表れなんでしょうね・・・
今の大阪府も大阪市との、思いように寄っては面白い対立ですよね・・・
兵庫県もこんな経緯が有ったとは
初めて知りましたね~勉強に成りましたね
其の分、頭が少し痛くなったニャァ
そうでしたか~ずっと疑問だったんですね。
こんな記事でもお役にたてて良かったです~
全国の置県に関する「ドラマ」少しでしたがなかなかおもしろかったです~
関連書も読んでみたくなりました~
番組の説明があっという間に過ぎるので撮りながら記憶するのもでして、詳しくUPできなくてすいませんでした。
peko凄く興味がわいて、関連書も探して読んでみたくなりました~
「兵庫県」「京都府」「大阪府」「奈良県」当初小さかったのにもでした~