小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

下級将校の見た帝国陸軍

2014年01月25日 | プライベート
下級将校の見た帝国陸軍(山本七平:著 文書文庫)を読み終えました。

昨年末の安倍総理の靖国神社参拝を契機として、靖国神社や先の大戦の評価に関するネットの記事を数多く読み、その中で紹介されていた一冊です。

とても勉強になる本でした。
日本人と日本人の組織(この場合、帝国陸軍)の本質がとてもよく理解できました。
今から69年前に滅亡した帝国陸軍(海軍も同様だろう)の本質は、現代の日本人や日本の組織も同様で、実はこの帝国陸軍からなんらの進歩もしていないのではないかと感じさせられました。

以下、印象に残った内容を少し紹介します。

全く勝ち目の無い無謀な対米英戦争を始めた張本人の帝国陸軍ですが、その陸軍はアメリカと戦うつもりが全くなかったという事実に驚かされます。
あるいは「戦うつもりはあった」という者もいるかもしれませんが、その「つもり」とは、例えば工務店が家の前払い金だけ受け取っていながら、一枚の図面もひこうとしないでいて、「家をたてるつもりでした」と言っているようなものだということです。
敵国となるアメリカのことも知らなければ、開戦ともなれば南方地域が主戦場になるにも関わらず、日露戦争当時の満州の大平原で戦争する装備・組織・訓練からほとんど進歩がないままの状態での開戦したことで明らかです。
南方地域の実情にも疎かったようで、例えば戦地となったフィリピンは戦前は米を輸入する食糧輸入国であり、その米の輸入を仕切っていたのは華僑です。従って日本軍占領後は大幅な食糧不足となり、現地の食糧を食いつくしてしまいフィリピン派遣軍は最後にはほとんどが餓死による戦死といわれています。

「絶対にやってはならない」と教えかつ命じていたことを「やれ」と命じる「思考停止」についても考えさせられます。
戦闘機の援護なしで戦艦を出撃させてはならないと言いながら最後に戦艦大和を出撃させる。
相手の重砲軍が壊滅しない限り突撃させたはいけない。墓穴に飛び込むだけだと言いながら突撃を命じる。
山本七平は砲兵の将校でしたが、観測機材を失い砲弾もろくに無い砲兵に人力曳行(人力で大砲を引いて移動する)で300キロもの転進を命じられる。地獄の行進に耐えて現地に例え辿りついても無力なのは分かっているのに。

収容所内の秩序の保ち方の日米の違いについても印象的でした。
日本人収容所の秩序は暴力による恐怖で保たれます。これが毎晩繰り返される集団リンチの恐怖で発狂する者まで出る始末で、米軍によってこの暴力を排除されると途端に秩序が崩れてしまったそうです。
一方、米・英国人の場合、収容所内の管理機関として警察、衛生、風紀、建設、給食、厚生等々の委員会をつくり委員長が任命され、この秩序を維持するため自ら裁判所までつくり陪審員を任命する。そして彼らは、収容所内のゴミの一層、シラミ・ノミ退治から始め、全員が統制を持って任務を行い、収容所内に整然としたコミュニティをつくりあげるそうです。

最後に、大日本帝国憲法下における統帥権(軍隊の指揮権)についても勉強になりました。
戦前、軍は天皇の直轄であり陸軍は参謀総長、海軍は軍令部長が天皇の命令の下で指揮することになっています。従って内閣には軍の指揮権はありません。なぜ、このような事になっていたのか疑問でしたが、この疑問が解けました。
明治維新を成し遂げた新政府が腐心したのは、政府が軍隊を使って政治活動の弾圧ができないようにすることでした。このため軍は天皇の軍であって政府の軍ではないという考え方をとったのです。このこと自体は政争に軍が介入することを阻止するという一定の効果はありました。新興国にありがちな軍の介入による内戦はありませんでした。
しかし、この考え方の基礎は、軍は国内向けの治安軍であり外国と戦争する野戦軍とは捉えていないということです。そのことが、その後列強と肩を並べる軍事力となった軍の統率上の大きな問題となりました。
いわば、日本には二つの日本があって、ひとつは日本一般人国ともうひとつは日本軍人国であり、この二国は互いに内政干渉せす、その共同君主が天皇だったという考え方です。

他にも印象深かった事がたくさんありますが長くなるのでここまでにします。

今度は同じく山本七平の『「空気」の研究』を買って読み始めております。