日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

日本振興銀行を破綻、ペイオフ発動に至らしめた3つの“致命傷”と「国の責任」

2010-09-11 | ニュース雑感
日本振興銀行の破綻、ペイオフ発動が話題になっています。日本振興銀行に関しては3つの問題点があったと個人的に思っていますので、その点を少々お話します。

まずひとつ目。銀行業務、特に法人融資業務は素人にはできないと言うことです。同銀行は元日銀バンカーの木村剛氏が、時の小泉政権の蔵相竹中平蔵氏とのバイプを最大限に活かし、高利で集めた預金を中小企業に貸し出しし、貸し渋り時代の救世主的銀行を作ろうというというまことしやかなビジネスモデルで設立した新しいタイプの銀行でした。このビジネスモデルの最大の過ちは、融資業務、とりわけ法人融資業務は素人が考えるほど甘くないということにつきます。不可欠だったのは豊富な審査経験とデータ蓄積。あのソニー銀行もヨーカドーのアイワイバンクも法人融資に関してはその難しさを知るが故に、ハナからこの分野を相手にしてないのです。今回の破たんを見るにつけ、木村氏も竹中氏も日銀エリートやお坊ちゃん教授にすぎず、企業審査のプロではなかったと強く印象付けられてます。(ご存知ない方へ補足説明ですが、日銀は政策金融機関であり個別企業の審査など全くおこなっていません)。

二つ目は、中小企業向け貸出し専門金融機関というビジネス・コンセプト。法人融資審査に加えて、中小企業の扱いの難しさは半端ではありません。とにかく中小企業の審査基準は社長の人柄や組織風土などスコア化しにくい要素に左右される部分が多く、一般の銀行は大企業取引を含めて信用格付バランスをとりながら融資業務をおこなっています。それがポッと出の後発金融機関である日本振興銀行が、もっとも審査が難しい中小企業相手でかつ他で借りられないような企業を中心とした融資業務に的を絞るのはまさに“自殺行為”に等しいと思います。大半の金融関係者は設立当時そう思ったに違いありません。決算書通りの実態財務であることの方が圧倒的に少ないのですから、経営者の個人の属性を含めたトータルで実態把握をした上での審査なくして中小企業融資など成立しないのです。

今ひとつは、企業経営における目的のすり替えの問題です。目的のすり替えは企業破綻への第一歩となることが多くあります。日本振興銀行における目的のすり替えは、「中小企業融資専門」の看板を掲げておきながら、焦げ付きなどが多く発生しその分野が思うように収益源にならないとみるや、大口ファンド等への投資を主業務とする方向転換をいとも簡単にしたことにあります(約7割をシフト)。景気の後退とともにそれらもまた不良債権化していき、振興銀行の首を絞める形になったと言えるのです。やるべきだったことは目的の変更ではなく、いかにしたら中小企業融資からデフォルトを抑えた収益確保ができるかであり、その点を重点的に議論し慎重な検討を諮るべきであったのです。

いずれにしましても、木村氏をはじめとした役員の責任はもとより、“浅はか”な発想により銀行免許を認可した竹中平蔵大臣を長とする時の監督官庁にも、この問題に関して大きな責任が存在すると思います。法人融資の難易度の高さ、中小企業の難しいその特異性、目的をあっさり捨て去り目的外に走った振興銀行の行動、以上の3点について、銀行免許を与えた当時の監督官庁はその責任においてちゃんと説明をするべきではないでしょうか(当然必要に応じて竹中氏も)。日本初のペイオフ発動の判断は、発動の影響の大小のみによるのでなく、監督官庁すなわち国の責任を十分に検証した上で、慎重に行われるべきであると考えますがいかがでしょうか。

「エコカー減税」ドタバタ打切りに見る「公務員改革いまだ“進捗ゼロ”也」

2010-09-09 | ニュース雑感
景気回復のカギを握る「エコカー減税」が、9月末の終了期日を待たずに突如7日で終了となりました。

期間満了前の終了は予算に限りがあるわけでやむを得ないところではありますが、その終了の仕方はいささか首をかしげたくなるおかしな流れでありました。「エコカー減税」が8月の駆け込み需要で予算残高が9月末まで持たない可能性があると伝えられたのが今月はじめ。3日には「このままペースで申請があれば、早くてあと10日ほどで終了」とアナウンスされたかと思ったら、7日には「明日にも終了」と10日後どころかわずか3日でいきなりの“終了予告”をおこない、翌8日に「終了宣言」。しかも「8日申請分はすべて受け付けない」としたのでした。

まず気がつく問題点ですが、「予算の残高がなくなった時点で終了する」というルールと期間中一定間隔で「現時点での残高がいくらで、一日平均いくらぐらいの申請金額があるか」ということが、国の責任においてしっかり国民に伝えていたのかということです。もしアナウンスがあったのだとしても、少なくとも時事問題に関心の高い私の元にも全く届いていませんでした。申請が車の購入契約日にはできないという点に関するアナウンスも不足していたと思います。運輸局への登録が完了した段階ではじめて減税申請ができるのであり、通常は7~10日程度かかるようです。つまり、当局が「9月末までもたないかも」とアナウンスした今月はじめの段階で、「これはマズイ」と急遽購入を決めた人でも今回の“減税打ち切り”には間に合わなかった計算になるのです。ホント不親切極まりないです。

そして何より、今月に入ってからの突然の打ち切り予想発表と予想を大幅に裏切る早期終了のドタバタ不手際です。「終了」の結果は仕方ないとしても、あまりな急展開は利用者の立場を全く考えない完璧な“お役所仕事”です。7日に「明日にも打ち切り」と言われてギリギリ翌8日に申請が間に合った人も結局予算オーバーで切り捨てられたのですから、結局7日で打ち切ったのと同じ結果になったわけで、これはホントお粗末極まりない。恥の上塗りです。役人が各運輸局への新車登録申請状況を追いかけていれば、少なくとも一週間先の予算残高まではほぼ日足ベースで把握できたハズじゃないでしょうか。役所の管理不在の手抜き加減は、国民をなめ切っているという他ありません。民主党政権になった直後は、抜本的公務員改革を行うと威勢がよかったもののなにひとつ変わっていないわけで、無駄をなくすばかりが公務員改革ではないということを、役人はもとより政治家も分かっていなかったということの象徴的出来事であるように思います。

しかもおまけに、7日申請分までで打ち切りとなった事を弁明した担当大臣の直嶋経済産業相は、「公平感を期した結果」として打切りへの理解を求めたのみ。分かっていないですねこの人も。公務員が自民党政権時代となにひとつ変わらぬ“お役所仕事”であった不手際を詫びるでもなく、不手際の原因究明と再発防止を宣言するでもなく、弁明だけですから。「ないモノはないのだから理解しろ」と開き直りともとれるこの態度を見るに、真底ダメな大臣だなと思わされました。政治家が“お役所仕事”の問題点に気がつかないなら改善など望むべくもありません。減税策終了で自動者産業の業績下降を心配する論調ばかりが目立った今日のニュース、景気の先行きも心配ではありますが、私にはむしろ“国民目線”を植えつけるべき公務員改革は結局お題目で終わるのか、という失望感に満たされた気分の方が圧倒的に大きく残った嫌な出来事でした。

アクセス激増!来訪御礼!熊谷にも御礼?

2010-09-08 | その他あれこれ
一体どうしたのでしょう?昨日突然当ブログのアクセス数が激増しました。

このところ少しずつではありますが、アクセス増加傾向にはあったのですが、そんなの問題にならないぐらい。いきなり10倍以上に増えたのです。gooのブログは登録数が約150万件あって、当ブログはたいていアクセス数順位では5000~6000位ぐらいにつけていまして、もちろん“死にブログ”もけっこうあるのでしょうが、それでもだいたい全体の上位0.3%ぐらいにはいる訳です。ところが昨日はなんと全体の55位!全150万件中でですから、これはちょっと驚きです。しかも更新を2日サボっていてこれですから、一体なんでしょうか?一瞬目を疑いました。なんか“炎上”するようなこと書いたかなと、余計な不安がよぎったりもしましたが、それはなさそうで。誰か有名な方が当ブログのレビューをしてくれたとか?何かご存じの方いらっしゃいましたら教えてください。いずれにしてもアクセスが増えることは嬉しいことであります。各方面から訪れていただいている皆様、本当にありがとうございます。

アクセス激増記念というわけで、名刺代わりに熊谷のお話をします。日本有数の暑い街で最近一躍有名になった熊谷ですが、今年は本当に暑いです。半端なく毎日が暑いです。実は今年日別で日本一の気温を記録した日は1日か2日だったと思うのですが、とにかく平均して暑い!日本一記録日数で言えば今年は恐らく、熊谷と同気温の日本記録40.9度を持つ岐阜の多治見が一番じゃないでしょうか?関西の今年の暑さは半端じゃないようですから。関東では今年は群馬県の館林がいい感じなんじゃないでしょうか(我が友、村田クンの故郷です)。でも平均気温なら熊谷はかなりいけていると思います。9月に入っても連日大変なことになっているんですから。テレビの影響もあってか、仕事の関係でも、「熊谷に打ち合わせに来ませんか?」とお誘いすると、たいてい「今はちょっと…忙しくて…」とやんわり御断りを受けることが多いです。半面、「熊谷は大変でしょう?」と会う人会う人、同情を買うことも多くて、なんか得したような変な気分ですね。

熊谷?そうか、熊谷が「日本一暑い街」として最近さかんにテレビに登場しているものですから、もしかしてその影響でブログ・アクセスが増えたとか?…試しに今「日本一」「暑い」「熊谷」で“ぐぐっ”てみました。私のブログちゃんと6番目に出てきます。優秀ですね。ブログタイトルは「熱い」であって「暑い」じゃないのですが、へぇーそうなんだって感じです。「日本一」「熊谷」でもギリギリ1ページ目に登場!特徴のある街に住んで、それを利用させていただくのもこれはビジネスの常套なわけで、ありがたや、ありがたやです。アクセスが急増した本当の理由はハッキリはしませんが、とりあずは「熊谷」のおかげということにして、微力ながら自称“熊谷PR大使”として折に触れPR活動をしていきたいと思います。ではことはじめに熊谷のセールストークを一言。

いいところですよ、熊谷。荒川と利根川に挟まれた自然豊かな環境でありながら、新幹線が停まる“都会”でもあります。東京から40分、オフィスや店舗の賃料が安いので東京のビジネス・パーソンのビジネス実験場には最適だと思います。夏暑く、冬寒い。ビジネスのセオリーとして夏は夏らしく、冬は冬らしくは、消費者ビジネスを興す上では間違いなくプラス要因なのです。熊谷がビジネス実験場として認知され、「次世代ビジネスで日本一熱い街」になると面白いですね。ガンバレ、熊谷!

「70年代洋楽ロードの歩き方21」~パワーポップ4

2010-09-05 | 洋楽
パワーポップはその源のひとつがポール・マッカートニーであるが故、各所で彼の影響は見て取るができます。

ソロ・シンガー系では、まずギルバート・オサリバン(写真)。ビートルズ解散後、ポールが出す作品がことごとく批判の的になっていた絶不調期に、ポールの代わりを務めるがごとく「アローン・アゲイン」でシーンに登場。ポールをして、「僕の後を継ぐミュージシャン」と言わしめた“本家”公認のパワーポップ・アーティストです。彼には同時期のアメリカ発のシンガーソングライター・ブームのアーティストたちとはちょっと違った味わいがありました。「ゲット・ダウン」「愛のジェット便」などはパワーも十分。多少バブルガムっぽいムードも漂わせた作風は、確実にパワーポップ的であると言えるでしょう(特に「愛のジェット便」は日本でチョイ売れしましたが、実にB級でそれっぽいです)。

次にソロ・アーティストで特筆すべきはトッド・ラングレンです。彼はアメリカ人ですが、ビートルズに対する半端ない傾倒ぶりはつとに有名であり、ユートピア名義で全編ビートルズのパロディ・アルバム「ディフェイス・ザ・ミュージック」(これもある意味すごい才能を感じさせます)を作ってしまうほどの入れ込みは異常とも言えるほど。彼の余りある音楽的才能にポールからの影響が付加されれば、当然の如く極上のパワーポップのひとつやふたついとも簡単に作り出してしまうのです。その代表作が2枚組名作アルバム「サムシング・エニシング」。代表曲「アイ・ソー・ザ・ライト」「ハロー・イッツ・ミー」などをはじめ、彼のパワーポップ的一面を最大限に表現した作品であると言えそうです。

英国系のポール・フリークとして忘れてならないのが、ニック・ロウ。彼はルックスもどことなくポールに近いモノがあり、パワーポップ系の作品をデビュー以来常に一定量リリースしているように思います。彼最大のヒット曲「クルー・トゥビー・カインド」は、その代表ナンバーと言えるでしょう。また彼はプロデューサーとしても活躍しており、中でも特筆すべきは、尖りきっていたエルビス・コステロにパワーポップ的要素を加えることで、新時代の幕開けを演出した功績であろうと思います。コステロの「オリバーズ・アーミー」(アレンジはアバのパロディ)などはどこから聞いてもパワーポップ的です。(余談ですが、ロウとコステロはビートルズもカバーした「ベイビー・イッツ・ユー」をレコーディングしています。役回りはコステロがジョンで、やはりロウはポールです。また、ポール自身が80年代にコステロを“仮想ジョン”的共作相手として共演してもいますから、ニック・ロウはかなりポール的であると言えるのではないでしょうか)

もうひとり意外なことろでは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(以下CSN&Y)のグラハム・ナッシュ。彼の長いキャリアの中で際立つ代表曲、CWSN&Yのアルバム「デ・ジャブ」収録の「ティーチ・ユア・チルドレン」と「僕らの家」。この2曲は演奏こそアメリカ的であるものの、曲はかなりパワー・ポップ的であると思います(いささかパワー不足な点がパワーポップと言うにはややモノ足りませんが…)。グラハム・ナッシュの60年代は英国のバンド、ホリーズのメンバーであり、アメリカ出身であるCSN&Yの他の3人とは音楽性で確実に一線を隔しているのです。その経歴を考えれば、ポールから直接音楽的影響を受けていて何の不思議もありません。この辺の影響系譜を見るにつけ、パワーポップはやはり60年代英国音楽の流れを汲んだ70年代の音楽文化であると言えると思うのです。

CSN&Yがらみという事で言えば、デビュー当時は“第二CSN&Y”と言われたグループ、アメリカにもパワーポップの香りがしています(こちらもややパワーが足りませんが…)。実は彼らはアメリカ人でありながら英国育ちで、デビューもイギリスでした。しかも彼ら一番のパワーポップ的創作期は、ポールとは縁の深いあのジョージ・マーチンがプロデュースをしたアルバム「ホリディ」「ハート」の時代なのです。同時期のヒット曲「ロンリー・ピープル」「金色の髪の少女」などは、堂々たるパワーポップであると思います。なお、ジョージ・マーチンは米国産のパワーポップ・バンド、チープ・トリックのプロデュースも手掛けており、パワーポップ陰の仕掛け人であると言ってもいいのかもしれません。

<70年代洋楽ロードの正しい歩き方~パワーポップ4>
★パワーポップを正しく知るアルバム★
今回は参考程度にタイトルのみです。全編パワーポップではないものも含みますのでご注意願います。
①「ザ・ベスト・オブ・ギルバート・オサリバン」
②「サムシング・エニシング/トッド・ラングレン」
③「ディフェイス・ザ・ミュージック/ユートピア」
④「ザ・ベスト・オブ・ニック・ロウ」
⑤「ザ・ベスト・オブ・エルビス・コステロ&ジ・アトラクションズ」
⑥「デ・ジャブ/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング」
⑦「ヒストリー~グレイテスト・ヒッツ/アメリカ」

おかげさまで3周年

2010-09-04 | その他あれこれ
本日9月4日をもちまして、本ブログ「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」がめでたく3周年を迎えることができました。WEBを通じてご愛読の皆様、いつもいつも本当にありがとうございます。たくさんの方々のご支持を頂戴して、私も日々気ままな想いを書きつらねる意欲をかきたてられている次第であります。本当に感謝の念に堪えません。本日まで何本の原稿を書いてきたのかと数えてみましたところ、本日の分を入れまして805本。よくもまぁこれだけくだらない自分勝手な思いを書き続けてきたものだと(ボツ稿、未刊稿を含めると確実に900は超えますね)、我ながらあきれるやら感心するやら。勝手なくだらない文章を読んでいただけることは本当に感謝の一言です。これからもできる限り長く続けていければと思っている次第であります。

最近サブタイトルを変えたのですが、お気づきでしたでしょうか?「“コンサルティング脳”で森羅万象を切る!」と少々偉そうに変更を加えてみました。何のテーマを取り上げるにしても、ごくありきたりの見解を述べていたのでは面白くないので…。少しでも職業柄の特性である「本質」を捉えようと努力するモノの見方とでも言うのでしょうか、“コンサルティング脳”なんて偉そうにいうほどの鋭い切り口ではないのですが、皆さまがモノを考えたりモノを解析したりする際のクセづくりとかの、多少のヒントにでもなることができればと思いサブ・タイトルを変えてみたのでした。ダラダラとつまらない惰性に任せた書き連ねにならないようにとの自己牽制の意味も込めて、こんな表現にしてみた次第なのです。

今までごった煮状態のブログで来たのですが、今後この形を続けたものかどうかと少し悩んでいます。ジャンル別に引っ越しをしようかと考えたり。なるべく仕事の延長線にある硬いものに専念しようかと思ったりもするのですが、ゆるネタもけっこう好きだったりするものでそれもさびしいかと。今の形が一番私自身を体現している内容ではあるのですが、どうもブログのカラーが定まらないという嫌いもありまして…。結論は急いではいないので、少々考えてみようと思います。何かキッカケがつくれればすぐにでも動くことになるのかもしれませんが。それと、昨年来始めよう始めようと思って延ばし延ばしになっているツイッター版「熊谷社長」ですが、これこそ明確なコンセプトの下に初めてキッチリ、カラーをご理解いただいた方々にフォローいただけるものにしたいと現在コンセプトの詰めに入っております。近々始めますので、その節はブログと併せよろしくご支援のほどお願いいたします。

“リアル”の大関をご存知の方もご存じでない方も、これからも“バーチャル”でのお付き合いのほど、引き続きよろしくお願い申しあげます。

経営のトリセツ91~小沢“不人気”に学ぶ経営者の資質

2010-09-02 | 経営
次の総理を決める民主党代表選は菅直人総理と小沢一郎前幹事長の一騎討ちとなり、昨日両者出席の下、合同の記者会見が開かれました。

個人的にどちらを応援するしないではないのですが、両者の心証に関しては世論の反応はかなりハッキリ「管>小沢」の傾向が出ているようで、メディアの世論調査によれば「次期総理にふさわしいのは?」の質問の回答として「管:小沢=7:2」ほどの明らかな開きが見られるようです。その原因は何であるのか、昨日の会見での発言内容を照らし両者を日本国の「経営者」と見立てて「国民=従業員」から見たマネジネントの信頼性の観点で見てみることにします。

まず、マニフェストの扱いについて。マニフェストは言ってみれば経営の従業員に対する“アメ”の部分であり、以前から管氏の主張は「以前ぶちあげたアメ戦略は見直しが必要」小沢氏は「あくまで一度掲げた戦略は貫く」というものであり、ここだけを見れば明らかに従業員(国民)にとって喜ばしい「アメ戦略」維持を掲げる小沢氏の方が好感度が高くてもおかしくないように思われます。さらに、消費税問題では、管氏は先の参院選から一貫して「引き上げに向けた本格的な議論が必要」、対する小沢氏は参院選の時から「まずは徹底した削減ありき。増税検討はその後」と参院選で大勝したみんなの党に非常に近い見解を表明しており、ここでも従業員(国民)の支持する主張に近いのは小沢氏の方であるように思えるのです。なのになぜ従業者の経営者好感度は圧倒的に「管>小沢」なのでしょう。

もちろんひとつはいわゆる「政治とカネの問題」でしょう。世論一般のこの問題での小沢氏の対応に対する受け止め方は、「説明責任を果たしていない」という考えに集約されるようです。言い換えれば「問題に対する自身の“見える化”がされていない」ということになると思います。しかも昨日の会見においてもこの問題に対して「何度もの調査を経て潔白は証明済」と、どう考えても独善的としか言いようがない受け答えをされておりました。検察の不起訴は「基礎に至るには証拠不足」という結論であり、不起訴が「潔白」の証明ではない訳ですから「説明責任」は依然として残る訳で、この問題に関する“見える化”不足と独善的言動が一気に従業者(国民)の好感度を引き下げていると思えます。

さらに“見える化”に関しては、もう一点。管氏が昨日の会見の中で小沢氏に対して「党代表」「総理」になられたいなら今までのような不明な委員会欠席や雲隠れはダメだ、と切り込んでいました。この点に関してはまさしく「行動や考えの“見える化”ができていない状態で経営者は務まらない」という、従業者(国民)の声を代弁したもっともな主張であるなと感じました。「何を考えているのか分からない」「何をしているのか分からない」という、自らを“見える化”していない経営者は従業員(国民)から好感が持たれないと断言できるでしょう。経営者は本人が思う以上に従業員からその一挙手一投足が、暗黙のうちに注目されているのです。これまでも「密室協議」や「裏工作」が目立って多い小沢氏の好感度の低さは、何よりもこの自身の“見える化”不足に尽きると思います。 小沢氏が総理になるのであるのなら、今の日本は業績底這い状態の企業と同じであり、何よりもまず経営者としてこのご自身の“見える化”ができないなら、従業員(国民)はついて来ることなく政権は短命なものに終わるのではないかと思うのです。

翻って経営者ですが、長期化が進む不景気の中にあってはまさに今の総理と同じ資質が求められる訳であり、自身の考え、行動の“見える化”と独善的判断の排除が何より求められていると思います。「社長が考えや行動を何ですべてオープンにしなくちゃいけないのか。そんなもの社員が自分で考えればいい」などと思われている方はさすがに少ないとは思いますが、どなた様も小沢氏の好感度の低さを他山の石として、ご自身の“見える化”の進展度合いと“独善傾向”の有無は、真剣に問い直す必要があると思います。