日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

“クレイジー”がまたひとり…

2010-09-13 | ニュース雑感
この週末のニュースにクレイジー・キャッツの谷啓さんの訃報がありました。

谷啓さんと言えば、今は亡き植木等さん、ハナ肇さんに次ぐクレイジー“第三の男”として人気を博した方でした。私の子供の頃は何と言っても「シャボン玉ホリデー」で一世を風靡したクレイジー・キャッツ(小学生の頃毎日20時55分から5分間やっていた、確か「クレイジーの出番ですよ」とかいうショートコント番組も大好きでした)。映画も見ました、レコードも買いました。グループでは確か最年少の谷さんは、どこか子供っぽい役柄をあてがわれるケースが多くそれもまた人柄の良さを表しているようでとても温かい印象の方であったと記憶してます。レコードでは、大半が植木ボーカルの曲ばかりの中にあって、谷さんのリードボーカルで「愛してタムレ」なんていう彼らしいトボけた歌があったのもよく覚えています(「ホンダラ行進曲」も一部リードをとっていましたね)。

高校ぐらいの頃だったでしょうか、トロンボーン担当の谷啓さんがジャズピアニストの秋吉敏子さんと共演しているのをテレビで見て、日本を代表するトロンボーンの奏者だと知りとても驚かされました。クレイジーキャッツはもともとがジャズバンドの出で、後輩のドリフターズやドンキーカルテットなどとは演奏のレベルが全然違うというのは有名なお話ですが、そのバンドの音楽水準の高さを特に引っ張っていたのは谷さんのトロンボーンであったことに相違ないでしょう。谷さんがその芸名をアメリカの音楽家でコメディアンだったダニー・ケイからとったというのは実にらしいお話であり、音楽家としてもコメディアンや俳優としても一流を目指してその道を歩まれ、音楽の楽しさそのままに演奏に芝居にと芸能界を明るく彩って来られた方であっと思います。

個人的なお話ですが、若い頃私がバンドを組みたいと思ったのは、子供の頃からバンドは楽しいものという印象を、クレイジーキャッツから授けられていたからという理由が大きかったのです。植木さん、ハナさん、谷さん、センリさん…、クレイジーはホント個性豊かな楽しい仲間が集まった素晴らしいバンドでした。私はバンドを組んだときに、目標とするバンドとしてクレイジーキャッツの名を上げていました。もちろんコミックバンドを結成した訳ではありません。音楽はエンターテイメントであり、「楽しくなければ音楽じゃない」ということを、子供のころに教えてくれたのがクレイジーだったからです。洋楽を知った当時も、なんとなく暗いイメージのストーンズよりも、映画の世界で明るく楽しげに4人の個性を見せてくれたビートルズの方にまず好感をもったのは、そんな子供の頃の「楽しくなければ音楽じゃない」の印象に根ざしたものであったのでしょう(私は一貫してマイナー調の曲よりも、明るく楽しいメジャー調の曲が圧倒的に好きです)。いつも朗らかに冗談を言ったりしながらトロンボーンを吹く谷さんの印象は、明るく楽しいクレイジーキャッツには欠かせないキャラクターでした。谷さんの訃報には私の子供時代の生活の中に入り込んでいたテレビや映画の思い出があれこれよみがえってきて、なんともさびしい気分です。

クレイジーのメンバーも谷さんの訃報ですでに5人が鬼籍入りしたことになります。あんなに楽しくあこがれたバンドがもはや風前の灯。当然クレイジーの音は今ではもう二度と聞けないのです。クレイジーは一度たりとも解散や喧嘩別れはなかったからなおさら寂しいですね。バンドは本当に楽しいものであるのですが、その裏ではメンバーが欠けてしまうと続けることができなくなるという、そんな切ない一面も持ち合わせています。人の寿命で活動が停止せざおえないケースはまだしも、世の中にはケンカ別れで解散した有名なバンドや、意見が合わずにバンドを抜けた著名ミュージシャンもたくさんいます。そんな人たちは、やれるうちにもう一度一緒にやってまた皆を楽しませて欲しいものです。バンドは絶対に楽しいものなのだから。楽しいバンドマンだった谷啓さんの訃報に接し、ふとそんなことを思いました。

心からご冥福をお祈り申しあげます。