日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ93 ~ 「戦略オプション」検討による危機管理とは

2010-09-29 | 経営
依然として解決策を見だせぬ尖閣諸島問題ですが、これまでの経緯を見るに日本政府は明らかな選択ミスを犯しているとマスコミおよび世論は大騒ぎをしています。確かにそうなのでしょうがそれは結果論でもあり、この泥沼に至った最大の原因は、選択の誤り以前の問題としての後先を考えぬ選択行動、すなわち一般論で言うところの選択段階で検討すべき「戦略オプション」が欠如していたことにあると思っています。

日本政府にとって、今回の一件に関してキーとなる選択ポイントは3回あったと思います。1回目は事件発生時の中国漁船船長の拘束時点。この時に日本政府の選択余地は、①「船長を拘束し日本の法の下に起訴に追い込む」②「国内法での処罰を問わず、本国へ強制送還する」の2つがあり、日本政府は①を選択しました。2回目は、船長が起訴事実を認めず拘留期間の延長を決めた時点。この時点での日本政府の選択余地は、①「あくまで日本の法の下での処罰を前提に、拘留期間を延長し起訴をめざす」②「領海の特性を鑑みて、拘留期間の延長をせずに本国へ強制送還する」の2つの中からやはり①を選択しました。そして3回目は、中国の報復措置がエスカレートし大騒ぎになった時点。この時点での日本政府の選択余地は、①「中国の態度には耳を貸さず、あくまで船長の起訴をめざす」②「中国の強硬な姿勢に鑑みて、要求通り船長を釈放する」の2つの中から、②を選択したのでした。

結果はマスメディアの報道にあるとおり、上記のどの3時点においても行動選択の後の中国の態度を想定した対応策が練られておらず、都度選択した行動に対する想定外の中国側のアクションを受け惑いや焦りを感じつつ途方に暮れているといった寂しい結果になっているように思えるのです。言い換えるなら、今回の件での日本政府の無策ぶりを見るにつけ、ポイントとなる重要な各時点において日本政府の選択に対する相手方の想定アクションは完全な決め打ちであり、想定通りにならなかった場合の対応策は全くねられていなかったのです。一番目の時点では「外交問題には発展しない」→「起訴に向けて突き進む」としか想定していなかった、2番目の段階でも同様に「中国は特に何も言わない」→「起訴に向けて突き進む」という想定のみ、3番目に置いても「中国は即座に態度を軟化」→「何事もなかった化の如く事は終息する」という想定のみしか存在しなかった訳です。これでは、現時点で未だに何の終息の手がかりもつかめないのは当たり前と言わざるを得ないでしょう。

ここで重要なことは、戦争においても企業活動においても、“必勝”に向けた戦略構築のセオリーとして「戦略オプション」検討という考え方が存在するということなのです(「戦略」は元々軍事用語なので、あえて「戦争においても…」と書きましたが、この表現が戦争そのものを肯定するものではありません)。すなわち、重要局面において戦略的選択を迫られる場合、相手方の出方や市場の動向を完璧には読み切れない訳ですから、相手や市場の動きが想定通りにいかなかった場合の戦略的腹案、すなわち「戦略オプション」を用意して前に進む必要があるのです。ところが今回の場合、日本政府は独断的判断の下に「戦略オプション」の検討すらせずに前に進み、ことごとくその予想に反する相手方の出方に直面して、最終的に現在途方に暮れているという状況なのです。企業で言えば、重要戦略の実行でライバルや市場が想定外の動きをし失敗に傾いた際、その方向修正としての「戦略オプション」の事前検討がないがために、あわてて対処療法的戦術で立て直しをはかっていると言う状況であり、普通そうなれば経営的には大ダメージを受け最悪倒産にも追い込まれかねない流れに陥ると言っていいと思います。

“決め打ち”で戦略を打つことはある意味ギャンブルであり、その戦略が重要なものであればある程ギャンブルは絶対に避けなくてはいけないのです。「戦略オプション」は戦略検討時の想定により選択された主戦略からは漏れたサブ戦略ではあるのですが、そのサブ戦略を事前に検討しておくことで、想定と著しく異なった場合の危機管理策として機能させることが出来るのです。今回の日本政府のたび重なる“戦略的無策”ぶりを見るに、文化や思想の異なる諸外国を相手にするという意味では最も慎重に対処すべき外交において、危機管理能力が著しく劣っていると言わざるを得ないと思います。日本政府首脳は、外部コンサルティングの力を借りてでも、早急に基本的な戦略構築の考え方を身につけるべきでしょう。初歩的な戦略ミスでこの国を滅ぼすことのないよう、今はただ祈るばかりです。