日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ91~小沢“不人気”に学ぶ経営者の資質

2010-09-02 | 経営
次の総理を決める民主党代表選は菅直人総理と小沢一郎前幹事長の一騎討ちとなり、昨日両者出席の下、合同の記者会見が開かれました。

個人的にどちらを応援するしないではないのですが、両者の心証に関しては世論の反応はかなりハッキリ「管>小沢」の傾向が出ているようで、メディアの世論調査によれば「次期総理にふさわしいのは?」の質問の回答として「管:小沢=7:2」ほどの明らかな開きが見られるようです。その原因は何であるのか、昨日の会見での発言内容を照らし両者を日本国の「経営者」と見立てて「国民=従業員」から見たマネジネントの信頼性の観点で見てみることにします。

まず、マニフェストの扱いについて。マニフェストは言ってみれば経営の従業員に対する“アメ”の部分であり、以前から管氏の主張は「以前ぶちあげたアメ戦略は見直しが必要」小沢氏は「あくまで一度掲げた戦略は貫く」というものであり、ここだけを見れば明らかに従業員(国民)にとって喜ばしい「アメ戦略」維持を掲げる小沢氏の方が好感度が高くてもおかしくないように思われます。さらに、消費税問題では、管氏は先の参院選から一貫して「引き上げに向けた本格的な議論が必要」、対する小沢氏は参院選の時から「まずは徹底した削減ありき。増税検討はその後」と参院選で大勝したみんなの党に非常に近い見解を表明しており、ここでも従業員(国民)の支持する主張に近いのは小沢氏の方であるように思えるのです。なのになぜ従業者の経営者好感度は圧倒的に「管>小沢」なのでしょう。

もちろんひとつはいわゆる「政治とカネの問題」でしょう。世論一般のこの問題での小沢氏の対応に対する受け止め方は、「説明責任を果たしていない」という考えに集約されるようです。言い換えれば「問題に対する自身の“見える化”がされていない」ということになると思います。しかも昨日の会見においてもこの問題に対して「何度もの調査を経て潔白は証明済」と、どう考えても独善的としか言いようがない受け答えをされておりました。検察の不起訴は「基礎に至るには証拠不足」という結論であり、不起訴が「潔白」の証明ではない訳ですから「説明責任」は依然として残る訳で、この問題に関する“見える化”不足と独善的言動が一気に従業者(国民)の好感度を引き下げていると思えます。

さらに“見える化”に関しては、もう一点。管氏が昨日の会見の中で小沢氏に対して「党代表」「総理」になられたいなら今までのような不明な委員会欠席や雲隠れはダメだ、と切り込んでいました。この点に関してはまさしく「行動や考えの“見える化”ができていない状態で経営者は務まらない」という、従業者(国民)の声を代弁したもっともな主張であるなと感じました。「何を考えているのか分からない」「何をしているのか分からない」という、自らを“見える化”していない経営者は従業員(国民)から好感が持たれないと断言できるでしょう。経営者は本人が思う以上に従業員からその一挙手一投足が、暗黙のうちに注目されているのです。これまでも「密室協議」や「裏工作」が目立って多い小沢氏の好感度の低さは、何よりもこの自身の“見える化”不足に尽きると思います。 小沢氏が総理になるのであるのなら、今の日本は業績底這い状態の企業と同じであり、何よりもまず経営者としてこのご自身の“見える化”ができないなら、従業員(国民)はついて来ることなく政権は短命なものに終わるのではないかと思うのです。

翻って経営者ですが、長期化が進む不景気の中にあってはまさに今の総理と同じ資質が求められる訳であり、自身の考え、行動の“見える化”と独善的判断の排除が何より求められていると思います。「社長が考えや行動を何ですべてオープンにしなくちゃいけないのか。そんなもの社員が自分で考えればいい」などと思われている方はさすがに少ないとは思いますが、どなた様も小沢氏の好感度の低さを他山の石として、ご自身の“見える化”の進展度合いと“独善傾向”の有無は、真剣に問い直す必要があると思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿