日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方6」~アフター・ザ・ビートルズ6

2010-04-11 | 洋楽
さてジョン・レノンの続きです。

エルトン・ジョンとの共演が彼のミュージシャン・スピリットに再び火をつけ、アルバム「心の壁愛の橋」からのファーストシングル「真夜中を突っ走れ」はエルトンとのダブル・リード・ボーカルで“エルトン=ジョン=レノン”との謳い文句で大ヒット。ジョンのソロとしては初めての№1ヒットになったのでした。そして、全米№1になったらステージで共演するというエルトンとの約束に基づいて、マディソン・スクエア・ガーデンでのエルトンのライブにジョンが飛び入りで参加し大歓声に迎えられ、まさしくロッカー、ジョン・レノンは大復活を遂げたのでした。その復活の日、楽屋でのヨーコとの再会を契機とした「モトサヤ生活への復帰」→「ショーン誕生」→「ハウスハズバンド生活」…の流れは、音楽家としてのジョン・レノンにしばしの休息をもたらします。この時点ではまだ、次なる“復活の日”が悲劇の時になろうとは誰も知る由はなかったのです。

さてさてジョン・レノンの音楽ロードの“歩き方”をまとめます。

ジョンのアルバムで、完全な“ワン・オブ・ザ・ビートルズ”的作品は、
○「ジョンの魂」
○「イマジン」
○「サムタイム・イン・ニューヨークシティ」
の3枚です。
これら3作は、ヨーコが常にジョンの傍らで新しい影響力をもって存在していた創作活動時期であり、ビートルズ68年の「ホワイト・アルバム」「アビーロード」と同様の流れで聞くのが正しい捉え方であると思います。

分類が難しいのは、74年の「マインド・ゲームス」。このアルバムでジョンが宣言している理想国家「ヌートピア」は、領土も国境もパスポートもない想像上のユートピアであり、「イマジン」の中で展開した世界を具現化したものです。実はこのヌートピアの設立宣言をおこった時点では、ジョンはヨーコとともに暮らし二人連名での宣言となったのですが、その直後に彼らは別居生活に入り、このアルバムがリリースされた時期には既に“ロスト・ウィークエンド”生活に入っていたのです。その意味では、“ワン・オブ・ザ・ビートルズ”から“アフター・ザ・ビートルズ”への過渡期的なアルバムであり、完璧な“ワン・オブ…”ではないものの、この後ソロ・ミュージシャン、ジョン・レノンとして様々なアーティストとの共演で新たな段階に突入する時期とは一線を画していると考えるのがいいように思えます。

そして、完璧な“アフター・ザ・ビートルズ”となるのは次作「心の壁愛の橋」からですが、他のアーティストとの共演も多彩な時期であり、彼のアルバムと交友アーティストのジョンがらみの作品をセットで聞くと、彼の進言で他のアーティストに取り上げさせたカバー曲やビートルズ時代の曲の再演などから、ジョンがソロとしてどのような方向をめざしていたのかがうかがい知れて面白いと思います。
~ジョン関連の“アフター・ザ・ビートルズ”作品~
○「心の壁愛の橋」
○「ロックン・ロール」(以上ジョン・レノン)
○「プッシー・キャッツ(=写真)」(ニルソン)
○「グッドナイト・ウィーン」(リンゴ・スター)
○「ツー・サイド・オブ・ザ・ムーン」(キース・ムーン)
○「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ(シングル)」(エルトン・ジョン)
○「ヤング・アメリカンズ」(デビッド・ボウイ)

デビッド・ボウイの「ヤング・アメリカンズ」は、グラム・ロックの雄であったボウイが、アメリカ進出を本気で手掛けた第1作で、グラミー賞の表彰式でジョンと顔を合わせた彼はニューヨークでセッションをおこない、ビートルズ時代の名曲「アクロス・ザ・ユニバーズ」をジョンの演出によってレコーディング。同時にジョンのインスピレーションにヒントを得た作品「フェイム」を共作してしているのです。「フェイム」はボウイが“ホワイト・ファンク”路線のスタートを切った記念すべき作品で、全米№1を記録する大ヒットとなっています。黒人系のR&B路線を求めて渡米したボウイを、最終的にこの路線に乗せたのが同じ白人の英国人であるジョン・レノンであったというのは実に興味深い話であり、ジョンのアーティストとしての根っこがR&Bに深く根ざすものであるということを明確に指し示す出来事であるとも言えるのです。

この時期のジョンのアウトテイクとして、「ジョン・レノン・アンソロジー」に数多く興味深い音源が収録されています。また、エルトンとの共演(生涯最後のライブ演奏)音源は、現在エルトンのライブアルバム「ヒア&ゼア」に全3曲(「真夜中を突っ走れ」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」)が完全収録されており必聴です。(ポールの曲である「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」をあえて演奏していることからも、この時期には1個のミュージシャンに立ち返り、もはやポールへのトラウマは薄れていたと思われます)。

桜花賞

2010-04-10 | 競馬
明日は春のクラシック第一弾桜花賞GⅠです。
高松宮で良いスタートを切れたので、ここも連勝といきたいですね。

前日昼段階での人気は、2歳チャンプの⑨アパパネ、③アプリコットフィズ、⑰シンメイフジが10倍以下ですが、結構割れて混線模様です。混線とはいえ3歳戦ではまだ「GⅠ理論」で検討するほどのデータがありませんので、ステップレースでの成績を参考にレベル検討する以外になさそうです。

通常2歳チャンプが出走するトライアルのチューリップ賞上位馬のレベルが高く、今年もそのレースでアパパネが2着したので好勝負だった1~4着馬は要注意です。ただ今年の同レースが道悪だったので、評価は難しいところです。狙いは同レース4着でさらに中1週のフラワーカップを快勝した⑧オウケンサクラ。フラワーカップ2着馬④コスモネモシンが1月のフェアリーステークスではクィーンカップ圧勝で今回人気の③アプリコットフィズを退けており、三段論法的に判断してオウケンサクラの実力はかなりのものと判断できます。チューリップ賞でも鋭い差し脚を見せましたが、道悪も影響しての4着と見ています。良馬場ならば差し切っていたかなと。母ランフォザドリームには随分お世話になった記憶があり、心情的にも応援したいですね。連戦の疲れがなければいいのですが…。

人気の⑨アパパネは唯一のGⅠ馬ですが、前走の負け方が気に入りません。もしや早熟?②アプリコットフィズは絶好調横山典の騎乗が怖いですが、ジャンポケ産駒で勝負は次走東京コースのオークスではないかなと。そんな訳でこの2頭は押さえに回して、相手は筆頭には⑬アニメイトバイオ。牡馬と互角に戦った京王杯、2歳女王戦接戦の2着と実力は完璧にGⅠ級です。前走は明らかな太め残りで、絞れて来れば一発あって不思議なしです。

とりあえずは、⑧-⑬のワイド1点は決まり。
あとは、どうするか考えます。馬を見て⑧か⑬を軸に遊びます。

気になる天候ですが雨が早く降り出すようなら、前走チーュリップ賞1着同様道悪大得意の①ショウリョウムーン、同3着⑪エイシンリターンズ(この母エイシンサンサンにもお世話になりました)は要注意でしょうね。

経営のトリセツ84 ~ 不況下こそより重要な経営者の「シナリオ力」

2010-04-08 | 経営
「ビジョン」とは「めざす姿」「到達したい将来像」とそこへの道筋を明確のすることであると昨日お話しました。では「めざす姿」「到達したい将来像」と道筋が、とりあえず提示されていれば何でもOKかと言えば、そうではないのです。「めざす姿」「到達したい将来像」その道筋に納得性があるかどうか、実はそれこそが肝心の部分であるのです。

不況下の時代社長が思いつきで「我が社をこうしたい!」「こうやっていってこんな会社にしよう」と言ったところで、なかなか社員は素直にはついてはこないのです。「社長は勝手なこと言ってるよ」「俺たちの気も知らないで、この不景気な時に自分でやってみろって言うんだよ」。理由や裏付けの乏しい「ビジョン」は、かえって信頼感を損ない求心力を失っていきます。「経営理念」は経営者あるいは創業者の「想い」ですから具体性に欠けていてもいいのですが、「ビジョン」はこれから先をめざすための航海図でもあるわけで、具体性を帯びた説得力がなくては意味をなさないのです。よく中小企業で、社長が「めざす姿」を掲げていながら、「社長にはついていけない」と社員と社長が分離をしてしまうケースを目にしますが、大抵は「ビジョン」に理由や裏付けがないか乏しいかなのです。

ではどうするかです。「ビジョン」づくりのセオリー的に解答を言ってしまえば、まずは自社のコアコンピタンス(他社に勝る利点、強み)を明確化し、その上で事業ドメイン(核となる事業分野)を決め、その中で自身が考える「めざす姿」を見定めて、何をどうやってそこに行きつくのかを明示しつつ社員を導いていくのが正解です。場合によっては、社員の意見も聞きながら方向修正をしていくことも必要でしょう。その場合には当初社長が考えた「めざす姿」は変更を余儀なくされるかもしれません。例えばそうであっても、皆が共有できる裏付けある「めざす姿」とそこへの道筋が見えてくるなら、それこそ真の「ビジョン」づくりとなりうるのです。

このように「ビジョン」づくりの際に重要なことは、とにかく極力客観的な材料を集めて検証していくと言う作業です。「このやり方を選ぶのは、マーケット的にこういうデータがあるから」とか「このやり方をしないのは、他社の過去の失敗をみているから」といった、理由や裏付けを必ず取りながらすすめることが大切なのです。もちろん経営の場面場面では経営者の“カン”が雌雄を決することも間々あるのですが、こと中期的な戦略を方向づける「ビジョン」の策定は、まだ見ぬ先々への進み方を決めるものでもあり、極力客観的判断材料を求め提示し皆の納得を得てすすめるべきであるのです。

まだ見ぬ先々のゴール地点やゴールへの道筋に納得性を帯びさせるこの力は、言い換えれば「シナリオ力」です。企業にとって「ビジョン」の下にベクトルが揃い社員がまとまる否かは、その「ビジョン」の裏にあるべきこの「シナリオ力」にかかっていると言えるでしょう。すなわち、「めざす姿」に納得性を帯びさせられる「シナリオ力」、「めざす姿」に向かう道筋の「シナリオ力」、これによって「ビジョン」の下に皆がまとまり力をひとつにして発展に向かう闘う企業が作れるのです。景気が良く勘に頼った経営でも大きな危機に陥ることのない時代はいいのですが、今のような不景気で不安定な時代は、納得性に乏しいリーダーシップでは、社員のベクトルを揃えて前に進ませることは非常に難しいのです。

不況下の経営者に求められるリーダーシップの源泉となる力は、客観的裏付のある「シナリオ力」であると思います。いつの世も、論理的に筋道を立てられる「シナリオ力」を持った経営者は確実に社員のベクトルを揃えることで企業をまとめあげ、どんなに景気の悪い時代でもちゃんと企業を成長させているのです。

経営のトリセツ83 ~ 「理念」と「ビジョン」

2010-04-07 | 経営
不景気下の最近の傾向として、組織の結束や進むべきベクトル合わせを経営課題として取り組む中小企業が増えています。これは、流れに任せた商売でも十分に商売になっていた好況下から一転、本気で仕事を取りに行くことをしないと明日どうなるか分からない現在の状況下では当然のことと言えば当然なのです。今まで本来の意味で「営業」をしていなかった企業が、「営業の強化」を重要課題にあげ「営業指南ネタ」がビジネス書や雑誌でもてはやされるのも、そういった時代の流れであると言えるでしょう。

さて、組織の結束や進むべきベクトル合わせを考えるとき真っ先に思い浮かぶのが、「経営理念」の再徹底です。今まで何気なく事務所の額縁に飾られているだけだった「経営理念(会社によっては社是、社訓)」を取り上げ、「この厳しい時代、創業の精神に立ち返って気持ちを引き締めて仕事に精進せよ」と大号令をかける経営者も少なくありません。これが果たして効果絶大かと言えば、なかなかそうはういかないのが実情です。なぜなら「経営理念」の類は、あくまで理念であり、企業活動の“よりどころ”や“支柱”ではあるものの大抵は抽象的で、何をやるか何をめざすのかが分かりにくく、再徹底を大号令されても現実の仕事にはなかなか反映しにくいからです。

そんな流れの中で我々がお手伝いするのは「経営ビジョン」の明確化作業です。「経営ビジョン」とは何か?「経営理念」が先も述べたように、「企業活動のよりどころ」や「企業経営を支える精神的支柱」であるのに対して、「経営ビジョン」はより具体的な組織目標としての「めざす姿」や「到達したい将来像」とその道筋なのです。すなわち、中長期的な到達点をより具体的な形で表わし、組織内の皆が同じマイルストーンに向かって歩んでいけるようにする訳です。具体的には「○○の分野で、××のサービスを通じて、△△№1をめざす」といった形にまとめられるのが良いとされています。すなわち、これぐらい具体性が見えれば、抽象的に「こういう気持ちでやるのだ」というだけの「理念」とは一線を画して、社員一人ひとりが「自分が何に向かって今何をすべきか」がより明確に分かるようになるのです。

この何気に書いたように見える「○○の分野で、××のサービスを通じて、△△№1をめざす」ですが、実はここには「ビジョン」にとって大切なことがすべて盛り込まれています。まず、「○○の分野で」。これは自社がどの分野に当面の重きを置いているかを宣言しています。一般的に「事業ドメイン」と言いますが、企業と言うのはやはり「何が本業であるか」を明確にすることは本当に大切であり、ややもすると道に迷いがちな不況下であればある程、社員一人ひとりに「迷った時はここに立ち返れ」ともう言うべき「本業宣言」をしてあげることが重要なのです。

次に「××のサービス」。この「××」は実は「経営ビジョン」づくりで最も大切な部分なのですが、ここには言い換えると「組織の価値観」というものをにじませるのです。「組織の価値観」とは何か?組織に属する全ての人間が何に価値を置いて仕事をするのか、毎日の企業活動の中で大切にしなくてはいけないことは何か、を宣言するものです。「組織の価値観」の例としては、トヨタの「改善」、セブン&アイの「仮説と検証」などがその代表格です。上の例でいえば、「××」には「顧客目線」とか「品質第一」とかが「組織の価値観」として入るケースが考えられます。いずれにしても、「組織の価値観」があってはじめて「ビジョン」は活きると言っても過言ではないと思います。

そして、「△△№1をめざす(△△は例として特定のマーケットや地域)」。この部分はまさに「めざす姿」なのですが、これを“お題目”で終わらせないためには、しっかりと「△△№1」を定義して組織の誰もが「△△№1」として納得できる指標を具体化し、目標計数として落とし込む必要がある訳です。数字で具体的到達点が見えない「めざす姿」は、結局“お題目”になってしまいますから。
(「△△」には、ほかにも「シェア○%」とか「利益率○%」とかで表現することも可能です)

ここまでの流れを言葉で言うのは実に簡単ですが、実際に“お題目”に終わらない「経営ビジョン」を作り上げるにはかなり労力のいる作業が必要です。要するに、具体的な「経営ビジョン」どれだけ具体的な「裏付け」を持たせられるかが、「経営ビジョン」を“お題目”で終わらせない大きなポイントになる訳ですから…。その辺のお話はまた次回。

ipadとキンドルの“呉越同舟”は、「オープン・ソース」のなせる技

2010-04-05 | マーケティング
話題のipad関連の記事で気になるものを見つけましたので少々。

今朝の日経新聞の囲み記事で「アマゾン・アップル「ライバル」奇妙な共存」という見出しのモノがそれ。その記事によれば、電子書籍拡販でしのぎを削る両社、取り扱い電子書籍の数ではアマゾンの端末キンドルが45万冊に対してipadは6万冊と、アマゾン圧倒的優位の関係にあります。それでありながらアマゾンはipadでキンドルの書籍を読むためのソフトを無料配布しているとのこと。もちろんアップル側がソフトの搭載を認めていればこその事実なのですが、この協力関係は日本の常識ではちょっと不思議な感じがするかもしれません。

優位に立つアマゾンが積極的にこの動きに出ているのは当然、自社の書籍を端末がどこのものであれ多く読んでもらいたいとの狙いあればこその策。一方のアップルのipadは単なる読書端末ではなく、映画鑑賞やゲーム端末としての機能も併せ持っており、その多様性で勝るが故の端末販売促進が狙いであるという訳です。たまたま、同じ読書端末であっても売りたいものが違っていたから成立する話といってしまえばそれまでですが、日本企業同士の場合にこううまくいくのかと言えば、なかなか難しいのではないかと思ってしまいます。

このライバル“提携”を根底で可能にしているものは何かと言えば、アップルの「オープンソース化戦略」に他なりません。アップルは、ipod、iphoneにおいてもいち早くそのOSをオープンソース化し開かれたプラットフォームとすることで、誰もが自由にアプリケーションを作成できる環境を提供し「iphoneには欲しいアプリがそろっている」というCM通りの状況を作り出して大成功を納めているのです。この「オープンソース化戦略」は、昨年あちらでベストセラーになった「FREE」の世界でもあります。アマゾンがipad上でキンドルの書籍を読むためのソフトを開発できたのは、まさしくアップルの「オープン・ソース化戦略」あればこそでありますが、遠慮構わずアマゾン利用者の利便性優先でipadとの“相乗り”戦略を決断したアマゾンも、負けず劣らずなかなかデキた企業であると言っていいと思います。

それに比べて我が国のIT産業のケツの穴小さいこと小さいこと。そうです、先週取り上げた携帯電話キャリア各社が「既得権ビジネス」を守らんがために、「iモード」に代表される利用者の利便性を後回しにするような“クローズド・ソース戦略”には、心底ガッカリさせられます。欧米のことわざ「Sometimes the best gain is to lose. 」にあたるものが、日本にも「損して得取れ」という言い回しであるハズなのですが…。官僚文化の下ではそもそも「損」はその辞書にはないようで…。今ある権益を守ろう守ろうとするのは“島国根性”のようにも思われますが、携帯業界ばかりでなく我が国のビジネスそのものが“ガラパゴス化”しないか少々心配になってしまいます。

<音楽夜話>再びディラン…

2010-04-04 | 洋楽
いやー連日忙しくて参ってますが、少しだけヒマネタ書いておきます。

ディランの最終日の話はチョコッと、3月28日のコメント欄にアップしました。よかったらご覧ください。

今回のライブでやけに目立った01年の作品「ラブ&セフト」の話ですが、小倉エージ氏の原稿によればこの表題は「ミンストレル・ショウの学術書にちなんだもの」とか。やっぱり。これであの「ローリング・サンダー・レビュー」に確実につながる訳です。納得です。それと「セフト」は「盗む→盗作」をイメージさせるものですが、本作の歌詞には「ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、トゥエイン、シェークスピア、ダン、ウェルギス、ペトラルカ、そして聖書」からの引用がなされていると。深い深いルーツの旅なのですね。

思い起こせば、66年のひん死の重傷を負ったバイク事故から隠遁生活に入り、何かを悟った彼はルーツ探しの旅を始めました。それが「ベースメント・テープス」であり、「ローリング・サンダー・レビュー」であった訳です。そして、80年代に作品に宗教色を色濃く反映させた後に、再びルーツ探しに帰ってオールド・フォークなどのトラディショナルのカバーアルバム2枚を経て、90年代後半からの栄光のアメリカーナ路線に舞い戻って来たわけです。そうやって考えると、今回のライブは当然かなりアメリカーナな、というよりアメリカーナ一色のライブになるわけです。

ステージのディラン後方のアンプの上には、あの「シングス・ハブ・チェンジド」で受賞したアカデミー賞のオスカー像が置かれていました。まさしく“アメリカ人の誇り”なのでしょう。彼は96年からノーベル文学賞にノミネートをされているそうですが、アメリカ人の彼にとってはノーベル賞よりもアカデミー賞受賞の方がよほど価値のあるものなのかもしれません。彼がもしノーベル賞を本気で狙っているのなら、ノミネートされている身で歴史的文学作品をわざと“セフト”するような作品を作るとは思えないですから。一体何を考えているのか?「ディランの頭の中」は深すぎて分かりません。だからおもしろいのです。
(写真はネットで集めた今回の音源用に私が作ったジャケットです)

※余談
「ラブ&セフト」収録の「ポー・ボーイ」(恐らく彼の師ウディ・ガスリーの名作「プア・ボーイ」の“セフト”作ですよね)と「シュガー・ベイビー」は、ディラン・ファンならずとも必聴の名バラードです。私は今回両方とも生で聞けて幸せでした。

携帯電話「SIMロック解除」~利便性向上に立ちはだかる“既得権ビジネスの壁”

2010-04-02 | ニュース雑感
総務省で2日、「携帯電話端末のSIMロックの在り方に関する公開ヒアリング」が開催されたそうです。携帯電話のSIMロックとは、携帯電話に他社の通信カードを装着しても利用できないようにしている仕組みのことで、もし解除されれば例えばドコモの通信カードを携帯から抜いてソフトバンクの携帯に入れかえても通話ができるようになるという、利用者にとっては画期的な改革なのです。この日、総務省の内藤副大臣は各通信キャリアからの意見を踏まえて、「事業者の話し合いでSIMロック解除に応じる取り組みを行っていただきたい」と要請。政府がガイドラインを作成する方向で年内のSIMロック解除に向けて動き出した模様です。

SIMロックは携帯電話事業の自由化に逆行し、これまで長年海外携帯キャリアおよび携帯メーカーの上陸を阻み続けてきたことで日本の携帯ビジネスのガラパゴス化をすすめ、結果国際競争力を低下させてきた元凶にもなったと言われています。これはまさに、旧電電公社であるNTTの子会社としてスタートしたドコモ、旧国際電電KDDを母体として発足したauという“官僚系”企業が作ってきた官僚的既得権型ビジネスな訳で、主にドコモ幹部と旧郵政官僚が入念に作ったその仕組みは、SIMロックを外すだけで一気に“ガラパゴス”が“大陸”に飲み込まれるように流れが変わるような、そんななまやさしいものではないのです。なぜなら“官僚系企業”がその既得権益を守らんとするがために、今回の事態も当然想定した上で、二重三重でのガードが施されていると言っても過言ではないからです。

その最たるものが、非オープンソース型のコンテンツ・アプリケーションの存在です。その代表はドコモの「Iモード」でしょう。すなわち、仮にSIMロックがはずされ“自由化”が進んだとしても、それはあくまで「通話」とそれに関連するサービスに限定されたものであり、ネット閲覧の機能やメール通信の機能はどこまでも各社独自形式が残る訳です。すなわち、auやソフトバンクの利用者が、SIMロック解除後にカードをドコモの携帯端末に差し込んだとことろで、使えるのは通話とそれに付随するサービスのみで、ネット閲覧やメール機能は使う事ができないのです。その逆もまた同様です。ドコモ、auからすれば「これならSIMロックがはずれても、大きく利用者が動くことはない」と踏んでいる訳で、今回の動きにも異様に理解が良いように見えるのはそんな理由があるのです。

となれば、焦点は携帯端末メーカーを通信キャリアからひっ剥がせるかと言う点に絞られてきます。すなわち、携帯端末をメーカーが独自開発し「家電」として販売。どこの通信キャリアの通信カードを入れても、通話・ネット閲覧・メールが自由にできるという方式に変更できるか否かという問題です。これを政府の「要望」としてガイドラインに盛り込めるなら、SIMロック解除が本当に生きてくる形になる訳です。しかしここで問題になるのは、これまで財力にものを言わせて、メーカーの新機種開発コストの大半を通信キャリアが持つことで、今の“おかかえメーカー制度”が成り立っている点です。通信キャリアと端末メーカーの切り離しは、メーカーの撤退も含めた大規模な業界地図の塗り替えにもつながることであり、メーカーを味方につけこの点を逆手に取った当局との裏折衝による“既得権確保”が行われる公算が高いと言わざるを得ないのです。すなわち、「利用者の利便性優先」を掲げたはずの自由化は、二重三重の“官僚的既得権堅持策”の前に、実質屈してしまうのではないかと思われるのです。

内藤総務副大臣は公開ヒアリング終了後「利用者の利便性最優先での、民間の本気度に期待したい」と話していたようですが、官僚体質企業に「利用者の利便性最優先での本気度」など存在し得ません。実はSIMロック解除の話は、ナンバー・ポータビリティの導入の際にも議論になっていながらあっさりと見送られており、通信キャリア各社の顧客利便性優先に関する“本気度”の低さは実証済みなのです。ようやく今回世論の盛り上がりでSIMロック解除の入口にこぎつけた訳で、政府総務省には二重三重のガードをすべて打ち崩し真に利用者が利便性の向上を享受できるようなSIMロック解除改革につながるガイドラインの策定に期待したいところでありますが、果たして…。