日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方8」~アフター・ザ・ビートルズ8

2010-04-25 | 洋楽
ジョージは73年の「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」に続いて74年には、ソロ第3作として自ら立ち上げたレーベル名と同じタイトルの「ダークホース」なるアルバムをリリースします。初ソロ作「オール・シングス・マスト・パス」と前作「リビング・イン・ザ…」では、彼のビートルズ・コンプレックスの裏返しであるインド哲学に起因する宗教観が全面的に支配していましたが、この「ダークホース」ではジャケット・デザインと一部の曲にこそ宗教臭が残っているものの、中身的にはこれまでとは違ったムードがかなり強くただよっています。何より特徴的に私的な歌詞が増えているのですが、その原因はと言えば、妻パティとの破局による私生活での苦悩があったようです(エバリー・ブラザースの「バイ・バイ・ラブ」までマイナー調で歌詞を替えて歌うなど、暗いムードの歌が多いのです)。

サウンド面でも変化がうかがわれます。全体は大きく2つ、前作同様のおなじみメンバーによる楽曲とツアー・メンバーで録られた楽曲から構成されており、特に後者はウイリー・ウイークス、アンディ・ニューマークスのリズム隊にトム・スコット率いるLAエキスプレスも加わってひと足早いAORのノリも感じさせ、次作であのデビッド・フォスターが編曲を手掛けることになる足がかり的な流れとも言えそうなムードは、明らかに音楽面で過渡期を迎えたと言えるのです。はからずもビートルズの映画「ア・ハード・ディズ・ナイト」で知り合った妻パティとの別離が、ジョージをビートルズ・コンプレックスから卒業させるきっかけを作ったかのようにも思える訳です。

このアルバムでの白眉は、ロン・ウッドとの共作B3「ファー・イースト・マン」。ウイリーとアンディの都会派の演奏は、それまでのジョージとは明らかに別の世界を醸し出しており、いわゆるビートルズ後期から一時的にかなり強く精神的な世界に立脚していたそれまでの彼の音楽観が本来あるべきポピュラーの流れに戻ってきたと言ってもいい状況に変化しているのです。この傾向は次作75年の「ジョージ・ハリスン帝国」(って最高に変なタイトルです)で、一層明確になってきます。ツアーの失敗と離婚問題、盗作裁判等に揺れた環境下では良い楽曲が生まれるハズもなくこのアルバムは商業的には惨敗でしたが、音楽面ではデビッド・フォスターの力もあって前作から現れたビートルズ卒業を感じさせる都会派的変化が一層明確化したのでした。そして、自身のレーベルに移籍しての「331/3」「愛はすべての人に」では、一連の揉め事も決着して、いよいよビートルズを卒業したポップで洗練されたソロ・アーティスト、ジョージ・ハリスンとしての全盛期に突入していくのです(セールス的には決して全盛期ではありますせんが…)。

さて、ジョージをまとめます。
★ワン・オブ・ザ・ビートルズ期
「オール・シングス・マスト・パス」
「バングラディシュのコンサート」(ディランまで登場するスワンプ一座の一大ライブ・イベントです)
「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」
※付随的に聞くべきアルバム(スワンプ仲間です)
「オン・ツアー/デラニー&ボニー・アンド・フレンズ」(クレジットなしですが、ギターを弾いています)
「レオン・ラッセル/レオン・ラッセル」(英国アーティスト向けスワンプの教科書。ジョージのスライド冴えてます)
「ウルル/ジェシ・エド・デイヴィス」(ジョージの「スー・ミー・スー・ユー・ブルース」は本人に先駆けての録音)

★アフター・ザ・ビートルズ期
「ダークホース」
「ジョージハリスン帝国」(「ギターは泣いている」のジェシ・エドのソロにはクラプトンとは違う味わいが…)
「331/3」(個人的にはジョージのイチオシ)
「愛はすべての人に」(オリビアとの再婚で最も幸せそうなジョージが聞けます)
※付随的に聞くべきアルバム(脱スワンプ系です)
「忘れえぬ人/デイブ・メイスン」(デラボニからのつきあい、本作はスワンプではなく都会派への移行は彼の影響?)
「リンゴ/リンゴ・スター」(「想い出のフォトグラフ」はじめ3曲を作。ギターでも参加。実にポップです)
「俺と仲間/ロン・ウッド」(ジョージ参加の「ファー・イースト・マン」のロン・ウッド・バージョンは涙モノ)

70年代ジョージ・ハリスンはこんな区分けで、それぞれをまとめて聞いてみるのが正しい“歩き方”であると思います。