日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「70年代洋楽ロードの歩き方6」~アフター・ザ・ビートルズ6

2010-04-11 | 洋楽
さてジョン・レノンの続きです。

エルトン・ジョンとの共演が彼のミュージシャン・スピリットに再び火をつけ、アルバム「心の壁愛の橋」からのファーストシングル「真夜中を突っ走れ」はエルトンとのダブル・リード・ボーカルで“エルトン=ジョン=レノン”との謳い文句で大ヒット。ジョンのソロとしては初めての№1ヒットになったのでした。そして、全米№1になったらステージで共演するというエルトンとの約束に基づいて、マディソン・スクエア・ガーデンでのエルトンのライブにジョンが飛び入りで参加し大歓声に迎えられ、まさしくロッカー、ジョン・レノンは大復活を遂げたのでした。その復活の日、楽屋でのヨーコとの再会を契機とした「モトサヤ生活への復帰」→「ショーン誕生」→「ハウスハズバンド生活」…の流れは、音楽家としてのジョン・レノンにしばしの休息をもたらします。この時点ではまだ、次なる“復活の日”が悲劇の時になろうとは誰も知る由はなかったのです。

さてさてジョン・レノンの音楽ロードの“歩き方”をまとめます。

ジョンのアルバムで、完全な“ワン・オブ・ザ・ビートルズ”的作品は、
○「ジョンの魂」
○「イマジン」
○「サムタイム・イン・ニューヨークシティ」
の3枚です。
これら3作は、ヨーコが常にジョンの傍らで新しい影響力をもって存在していた創作活動時期であり、ビートルズ68年の「ホワイト・アルバム」「アビーロード」と同様の流れで聞くのが正しい捉え方であると思います。

分類が難しいのは、74年の「マインド・ゲームス」。このアルバムでジョンが宣言している理想国家「ヌートピア」は、領土も国境もパスポートもない想像上のユートピアであり、「イマジン」の中で展開した世界を具現化したものです。実はこのヌートピアの設立宣言をおこった時点では、ジョンはヨーコとともに暮らし二人連名での宣言となったのですが、その直後に彼らは別居生活に入り、このアルバムがリリースされた時期には既に“ロスト・ウィークエンド”生活に入っていたのです。その意味では、“ワン・オブ・ザ・ビートルズ”から“アフター・ザ・ビートルズ”への過渡期的なアルバムであり、完璧な“ワン・オブ…”ではないものの、この後ソロ・ミュージシャン、ジョン・レノンとして様々なアーティストとの共演で新たな段階に突入する時期とは一線を画していると考えるのがいいように思えます。

そして、完璧な“アフター・ザ・ビートルズ”となるのは次作「心の壁愛の橋」からですが、他のアーティストとの共演も多彩な時期であり、彼のアルバムと交友アーティストのジョンがらみの作品をセットで聞くと、彼の進言で他のアーティストに取り上げさせたカバー曲やビートルズ時代の曲の再演などから、ジョンがソロとしてどのような方向をめざしていたのかがうかがい知れて面白いと思います。
~ジョン関連の“アフター・ザ・ビートルズ”作品~
○「心の壁愛の橋」
○「ロックン・ロール」(以上ジョン・レノン)
○「プッシー・キャッツ(=写真)」(ニルソン)
○「グッドナイト・ウィーン」(リンゴ・スター)
○「ツー・サイド・オブ・ザ・ムーン」(キース・ムーン)
○「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ(シングル)」(エルトン・ジョン)
○「ヤング・アメリカンズ」(デビッド・ボウイ)

デビッド・ボウイの「ヤング・アメリカンズ」は、グラム・ロックの雄であったボウイが、アメリカ進出を本気で手掛けた第1作で、グラミー賞の表彰式でジョンと顔を合わせた彼はニューヨークでセッションをおこない、ビートルズ時代の名曲「アクロス・ザ・ユニバーズ」をジョンの演出によってレコーディング。同時にジョンのインスピレーションにヒントを得た作品「フェイム」を共作してしているのです。「フェイム」はボウイが“ホワイト・ファンク”路線のスタートを切った記念すべき作品で、全米№1を記録する大ヒットとなっています。黒人系のR&B路線を求めて渡米したボウイを、最終的にこの路線に乗せたのが同じ白人の英国人であるジョン・レノンであったというのは実に興味深い話であり、ジョンのアーティストとしての根っこがR&Bに深く根ざすものであるということを明確に指し示す出来事であるとも言えるのです。

この時期のジョンのアウトテイクとして、「ジョン・レノン・アンソロジー」に数多く興味深い音源が収録されています。また、エルトンとの共演(生涯最後のライブ演奏)音源は、現在エルトンのライブアルバム「ヒア&ゼア」に全3曲(「真夜中を突っ走れ」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンズ」「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」)が完全収録されており必聴です。(ポールの曲である「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」をあえて演奏していることからも、この時期には1個のミュージシャンに立ち返り、もはやポールへのトラウマは薄れていたと思われます)。