日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

小沢氏と検察に“国民代表”が叩きつけた「NO」の意味

2010-04-29 | ニュース雑感
「開き直る」という言葉を広辞苑でひいてみました。「のがれられぬと覚悟して、ふてぶてしい態度になる」という意味が記されていました。なるほど、やはり一昨日の小沢一郎氏を評して言うには、この言葉が最適であると思いました。

政治とカネをめぐる不透明な流れの追及に絡んで、自身の秘書の逮捕・起訴があっても「知らぬ」「存ぜぬ」で通し、結果検察の弱腰での「不起訴処分」と小沢氏の幹事長職居直りに国民世論は怒っていた訳です。そして一昨日、市民審査員11名による検察審査会が全員一致で「小沢氏は起訴相当」との結論を出し、東京地検は再捜査に着手することとなりました。それでも同日の小沢氏は会見の席上、「やましいことはなにもございません」と意に介さぬそぶりでサラリと言ってのけた訳です。まさしく「開き直る」とはこのことかと。ただどうなんでしょう。「開き直る」の意味「のがれられぬと覚悟して、ふてぶてしい態度になる」ですが、彼は「のがれられぬ」とは思ってないようにも思います。この期に及んで「のがれられぬ」と思っていないとしたら益々「ふてぶてしい」訳で、辞書上の「開き直る」以上に「ふてぶてしい」のではないかと思えてくるのです。

それと毎度毎度のことですが、小沢氏の会見でなぜマスメディアはもっと強力に突っ込まないのか、です。以前にも書きましたが検察もマスメディアも小沢相手となるとなぜか尻込みをする。今回国民の代表である検察審議会は、堂々と「NO」を突き付けているのです。このことの重大性がマスメディア第一線の記者連中には分からないのでしょうか。「何開き直ってるんだ!」「国民はNOと言っているんだぞ!」「国民をバカにしているのか!」ぐらいの罵声はこの日の会見場で小沢氏に浴びせて当然と、企業不祥事会見などでの彼らのやり口を見ている限りおいて私は思うのですが、会見場の記者諸君はまたもや小沢氏の顔色うかがいに終始していた訳です。情けない。

さらに情けないのは鳩山総理。「コメントする立場にない」と明言を避け、またもやリーダーシップの放棄を早々に決めたかのような態度です。あー情けない、情けない。少なくとも現段階で小沢氏が幹事長を務める政権政党の責任者として、「検察審査会の「起訴相当」判断は重大な結論であり、小沢氏とはその進退も含めて本人とよく話し合い慎重に対処していきたい」ぐらいの回答をするのが当然でしょう。検察審査会の判断はいわゆる心象判断的な世論調査レベルではなく、検察の調査資料を精査した“国民代表”が下した判断であり、しかも今回は11人全員の意見が「起訴相当」で一致すると言う状況なのですから。総理は自身の判断の甘さをもっと自覚するべきでしょう。

そして、今後の焦点は検察の対応です。自分たちの判断に対しその資料を確認した“国民代表”から「NO」を突き付けられたのですから。「こんなに証拠があるのに、どうして起訴しないのか」と言われているのです。もっと言えば「何を恐れているんだ」と言われているようなものです。先のマスコミと同様、“蛇ににらまれたカエル状態”と国民の目には映っている訳です。江副浩正氏の著作にあるようなリクルート事件での検察の「絶対に挙げてやる!」という執拗な“正義感”はどこに行ってしまったのか。何度も言いますが、小沢氏ほどの絶対的な専制君主が、大切な「お金のこと」を秘書任せにして何も知らないなどということはあり得ないわけです。検察の今後の再捜査にはその威信がかかっているとの認識を十分にもっていただき真相の究明をして欲しい。国民の多くがそう願っているに違いありません。

“国民代表”が叩きつけた今回の「NO」は、「相手によって対応を変えている」と映る政治、検察、マスメディアの「正義」のあり方について、「これでいいのか?」と改めて問うているのだと思うのです。

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2 コメント

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は? (茄子茗荷)
2010-05-01 11:39:09
いくら何でも、第5検察審査会の面々11人を、「国民の代表」は言い過ぎでしょう。
それに、散々マスコミが喧伝してきた小沢個人からの4億円の借入れとその資金の出所には触れずに、不動産登記と資金移動の記載された時期のズレだけの問題のみで、「起訴相当」としています。
実は、石川議員の逮捕や起訴に問題があって、それにも関わらず、彼を逮捕起訴に持ち込んだので、石川が起訴なら小沢だって起訴だろうという、歪んだ「市民感覚」を感じたのが、今回の検察審査会の結論でした。
検察の無理が、検察審査会の無理を呼んでしまったということでしょうか。
小沢を好きとか嫌いとか、小沢を認めるとか認めないとかいうことと、今回の検察の暴走を認める認めないということを、一緒にして論じてしまうのは危険な様に思うのですが、どうなんでしょうか。
いつも、「なるほどネー」と思いながら読ませていただいているだけに、この件に関してだけは、ちと残念に思いました。
勝手なことを言って、申し訳ありません。
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Unknown (OZ)
2010-05-01 19:06:03
茄子茗荷さん、コメントありがとうございます。

おっしゃられる内容は良く分かります。

私がこの問題に関して一貫して一番問題にし続けていることは、政権政党の幹事長であり社会的に重責を担っている人物が、政治とカネの問題で長らく疑惑を投げかけられていながら、全く持ってその説明責任を果たしていないということにあります。「何開き直ってるんだ!」「国民はNOと言っているんだぞ!」「国民をバカにしているのか!」は、この後におよんで一向に説明責任を果たそうとしない彼に対して、そんな観点から出た私個人の怒りの言葉です。

一般人とは違う重さの責任を負うべき人間がそのような無責任極まりない態度をとり続けることが絶対に許されることではなく、説明をしないのならせざる追えない環境に法的手段を以て追い込む以外にないと思うのです。

これが一般人や小沢氏の個人的な問題に向けられた審判や方法であったなら、それは検察の暴走の危険さも責められるべき問題になろうかと思いますが、今回は国民に選ばれ社会的地位を得た人間がその地位を利用して悪事をはたらいたのではないかという疑惑を投げかけられている訳ですから。こういった観点で考えれば今回の審査会のメンバーは「国民の代表」もしくは「有権者の代表」として判断を下してると位置付けられると考えました(これが議員の政治的な問題でなく、小沢氏の個人的な問題であるなら当然この理解ではないということです)。マスメディアの本件に関する喧伝にしても、すべては彼が説明責任を果たさないが故の流れであると思います。

私は彼にとっては今回の「NO」が国民の信頼を回復できるラストチャンスであると思っています。ここでキッチリと説明責任を果たすなら、石川議員らの逮捕に関する検察のやり方の誤りがあったとすればそれに対しても国民の理解を得られることにつながるのではないかと思います。一日も早く、国会議員としての小沢一郎に向けられた政治とカネの疑惑について説明責任を果たされることを期待していますし、その内容如何によっては私の主張も大きく方向転換することもありうると思っています。私も小沢氏の好き嫌いで意見申しあげているものではありませんので。

このような考えであるとご理解賜れば幸いです。
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