日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№76~「重」と「軽」のバランスでチャートを制覇

2009-07-20 | 洋楽
忘れられた70年代アメリカン・ロック・バンドの代表格、バックマン・ターナー・オーバードライブ(以下BTO)登場です。「アメリカン・ウーマン」のヒットで知られるカナダのロックバンド、ゲス・フーのギタリストだったランディ・バンクマンが、ベースのCFターナーと73年に結成したバンド、それがBTOです。当初は重厚なギター・サウンドを身上とした正統派アメリカン・ロック・バンド路線でスタートしながらも陽の目を見ず、若干のポップ感を持ち込んだセカンド・アルバムから、「Taking Care of Business」が全米12位まで上がるヒットとなり、これを機に“ポップ織り交ぜ路線”に移行し大成功を収めます。

№76   「ノット・フラジャイル / バックマン・ターナー・オーバードライブ」

74年上り調子の彼らにとって決定打となったのが、シングルA4「恋のめまい」と本アルバムでした。シングル、アルバム共に全米№1をゲット!彼らの身上である重厚なサウンドをベースにしつつも、表向きはドゥービー・ブラザース的な軽快で印象的なギター・カッティングを配した「恋のめまい」は、日本でもそこそこのヒットを記録します(時期はこの全盛期より少し後であったと思いますが、確か来日公演も行われ、日本でのライブ盤とかも出されていたような。けっこう人気だった訳です)。A3「ハイウェイをぶっとばせ!」も同様の路線で第二弾シングルとして最高位14位を記録。押しも押されもせぬ、人気アメリカン・ロック・バンドの地位を確立したのでした。

シングルでこそ表向き軽いノリを強調していましたが、彼らの身上はランディの風貌そのもののズシリと重たいロック・ビートにありました。このイースト・コースト的な重たいビートこそかれらの当時の人気の肝であり、単なるシングル・ヒット・メーカーにとどまることなく、ビートの効いた曲を満載した本作が全米№1に輝いた理由はそこにあったと思います。ところが彼らも、先のグランド・ファンク同様、人気の“肝”を見誤ってしまうのです。軽いノリのシングル「恋のめまい」がシングル・チャートを制覇したことで、同系統をさらに軽くしたシングル「ヘイ・ユー」をフィーチャーした次作以降次第にポップ化一辺倒路線へと移行していき、人気は急激な下降曲線を描いてしまうのでした。

結局、グランド・ファンクもBTOも自分たちが大ブレイクするきっかけをつくったポップ化路線を行き過ぎることで、ロッカーとしての個性を失いパンク・ロックの波が押し寄せる中、80年代の到来を待たずして消え去ってしまったのです。70年代半ばから後半にかけて彼らと比較的近い立ち位置にいたバンドとしてZZトップがあげられますが、彼らは80年代も引き続き大活躍しむしろ70年代以上の成功を収めるのです。その違いはまさに、単なるポップ路線に傾倒していったか、武骨なロック・スピリットを見失わないポップ化路線を歩んだかどうかであると思えるのです。

最後に余談。BTOの「Taking Care of Business」の日本タイトルは「仕事にご用心!」ってものすごい誤訳!キャンディーズかよって感じ。「頭のハエを追え」って慣用句でしょ。意味が全然違うんじゃない?スティーブン・ビショップの「Save it For A Rainy Day(慣用句「万が一に備えよ!」)」→邦題「雨の日の恋」と並ぶ、まだ“戦後”であった時代の“英語音痴”日本の恥ずかしい誤訳タイトルとして、燦然と輝いております。