日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

息抜きブックレビュー ~ 放送禁止映像大全/天野ミチヒロ

2009-06-16 | ブックレビュー
★「放送禁止映像大全/天野ミチヒロ(文春文庫714円)

今回は少々趣向を変えて息抜きの一冊です。タイトルからもお分かりのように、昭和の時代から現在に至る100以上のテレビ、映画の「放送禁止映像(一部は禁止指定はされていないもののグレーな映像を含む)」を一同に集め、どの作品のどの部分が問題になり現在“お蔵入り”となっているか等々を詳細に解説してくれています。

テレビモノでは、有名どころだけでも古くは「ザ・ガードマン」に始まって「太陽にほえろ」「大都会」「特捜最前線」「西部警察」「必殺シリーズ」「ウルトラセブン」「マグマ大使」「キカイダー」「オバケのQ太郎」「パーマン」「巨人の星」「サイボーグ009」「タイガーマスク」等々、懐かしくもそうそうたるタイトルが目白押し。他にも無名作品や映画モノも多数紹介されています。すべてがすべて放送禁止ではなく、一部音声オミットやモザイク処理、タイトル変更モノなどもありますが、これだけの“問題作品”を一同に会して紹介している書籍は、ちょっと他では見当たりません。

例えば、「ウルトラセブン」では第12話がある差別問題によって永久欠番となっており、映像化はもとより書籍でも一切紹介されていないとか、「新・必殺仕置人」では第二話のみ再放送されていないとか、「オバケのQ太郎」に至っては人種差別問題に抵触する表現から85年以降再作成の映像以外、書籍も含め現在は一切封印されているとか(以上の詳しい理由は本書をご覧ください)。まぁ調べも調べたり、とてつもなく読みごたえのある“息抜き本”であります。

こんなとんでもない大作を書いているのはどんな奴だとプロフィールを見れば、作者は私と同年代の「UMA(未確認生物)研究家」とか。一体何をして食べている人物なのかよく分からないのですが、これだけの放送禁止作品群のほとんどをその目で確認して本書を書いているという、半端じゃないオタッキーぶりにはただただ脱帽です。

放送禁止の大半の理由が「差別表現」によるもので、「差別」に対してまだまだ後進国であった昭和の日本では、今ではとても信じられないような表現を使用した作品がたくさん作られていた訳です。その意味では、ここに掲載の作品たちは現在求められているあるべき「ホスピタリティ」を探る上での“合わせ鏡”のような存在でもあり、また我々が育ってきた戦後復興右肩上がりの昭和時代のひとつの側面を知るいい機会にもなる書籍であると思われます。2005年出版の書籍を加筆・修正して文庫化したもののようですが、関心のある方はぜひ一読を。いろいろためになります。

“息抜き本”につき、点数はつけません。

『「西川社長進退」と「郵政民営化是非」は“別の議論”』の再認識を

2009-06-15 | ニュース雑感
大騒ぎをしていた日本郵政西川社長の進退問題は、鳩山大臣の実質更迭により一応の決着を見ました。しかしながらこの結末、なんともスッキリしない気分です。という訳で、この問題の「本質」を今一度まじめに考えてみたいと思います。

鳩山氏の肩を持つつもりは毛頭ありませんが、問題視されるべきは今回の西川続投の結論に導いたものが、“郵政民営化路線の堅持”であった点です。確かに、西川社長は銀行界から鳴り物入りで招聘した“民営化の象徴”であったのかもしれませんが、氏の運営上の責任問題と民営化の是非は全く別の議論であってしかるべきではないでしょうか。「かんぽの宿問題」にしても、問われるべきはその売却の是非ではなく、杜撰な売却価格の決定プロセスや特定先との癒着の有無の問題です。

このような問題は言ってみれば、昨日の厚生労働省女性局長逮捕の一件にも相通じる、官業の“お上風土”にこそ起因した問題点であり、民営化によってもっとも正さなくてはならない部分であるのです。西川社長の管理責任の有無が問われるのは、当然のことではありますが、それがイコール民営化の是非を問うことになると言うのは見当違いも甚だしいのです。西川社長が、郵政民営化を強引ともいえるやり口で押し進めた小泉元首相の“肝煎り人事”だったとしても、その進退問題が元首相の民営化政策そのものまで否定することになるというのは全く筋違いの議論であると、今一度マスメディアも国民も正しく認識する必要があると思います。

その意味では鳩山氏の西川責任追及発言は、そのエキセントリックな物言いは感心しませんが、郵政民営化路線の与党および内閣への背信行為ではなく、総理の考え方に合致するか否かは別として、問題発言ではなかった訳です。問題だったのは太郎総理。結局、小泉一派や反麻生勢力の反発を受けて、「西川氏更迭は郵政民営化路線の否定」という誤った論理を受け入れ、「総選挙前の内閣として郵政民営化は後退させられない。主張を曲げないなら辞めてくれ」と鳩山氏を更迭した訳ですから。

本来最高責任者たるもの、事の「本質」を捉えた発言と判断をしなくてはいけないハズです。首相が自身の考えで西川氏の続投を望んでいたのなら、例えば「今なすべきはトップの責任追及ではなく、問題の根源たる日本郵政が引きずる官業的悪弊をいかに建て直すかだ」と明快な論理で事の「本質」を説く対応方針を世間に明らかにした上で、鳩山氏には「風土改革に民間人の西川氏は必要。私の考えの「本質」に反対するのなら、担当大臣を辞めてもらう以外にない」とでも言うべきだったのです。

結局、首相は自分の考え方を外に“見える化”できなかったばかりか、外野の声に惑わされ自ら「本質」を見失い誤った判断を下した訳で、一国のリーダーとしての資質の面で大いに問題ありを露呈したのです。結果は「西川続投」で同じであったとしても、自らの確固たる論理展開でことを行うのと、人に言われた誤った論理展開に従うのとでは大違い。後者が信頼感を大きく損なうのは当たり前の流れでしょう。

人の判断を誤らせるものは「邪心」です。太郎首相は「選挙」という大いなる「邪心」の前に物事の「本質」を見失い、「西川更迭=郵政民営化後退」という誤った判断に流されました。その片棒をかついだのは、誰に吹き込まれたのか分かりませんが、「西川更迭=郵政民営化後退」を陽動したマスメディアでもあります。マスメディアは時として、政治がらみで誰かの意図的誘導に乗せられ誤った論理展開をするものです。今回首相が早期に「西川進退と郵政民営化是非問題は無関係」の議論を投げ掛けられなかった時点で、首相はメディアをも動かした反首相勢力に負けていたのです。

今回の件で麻生内閣の支持率は再び急下降だそうです。判断に時間がかかる上に肝心のその判断すら間違ってしまう、挙げ句に国民からはソッポを向かれるでは、確かに政権末期症状と言わざるを得ない状況かもしれません。次に誰がなるのかは分かりませんが、現総理に欠けている物事の「本質」を捉える能力は、総理を目指す人間に求められる資質の中でも「最低限レベル」のものであることだけは確かです。

〈70年代の100枚〉№74“ビートルズ再結成熱望論”が生んだヒット作

2009-06-13 | 洋楽
70年代は“アフター・ザ・ビートルズ”の新たな時代であったハズでありながら、世の音楽ファンたちは心のどこかでビートルズの再結成を心待ちにしている、そんな10年であったように思います。今から33年前の76年6月7日、突然リリースされたこの“新作”に世間は色めき立ち、「今度こそビートルズ再結成」がまことしやかに囁かれアルバムは大ヒットを記録しました。

No.74       「ロックンロール・ミュージック/ザ・ビートルズ」

ビートルズが設立したレコード・レーベル「アップル・レコード」の消滅を待って、米キャピトル・レコード主導の企画として立ち上がった本作のリーリス話。当時の世間一般はそんな事情を知る由もなく、世界の多くの人がビートルズからの再結成準備スタート宣言であると信じて疑わなかったのです。ビートルズの各時代から選ばれた28曲がLP2枚組4面に収められていますが、「ツイスト&シャウト」から「ゲット・バック」に至るその選曲には、日本でのレコード発売元である東芝EMIが大きく関与したと言います。

その選曲ですが、「ヘルター・スケルター」や「ゲット・バック」が“ロックンロール”というコンセプトの下、「ツイスト&シャウト」や「ロール・オーバー・ベートーベン」などと一緒に収められているのには、当時でも少なからず違和感を覚えたものです。特に日本でのみアルバムからのシングルA面曲としてリリースされた「ヘルター・スケルター」は、明らかに日本サイドの要望による収録でしょう。曲の良し悪しはともかく、元祖ヘビメタと言われるこの曲はどうみてもこのアルバムにふさわしいとは言い難いミスキャスト選曲で、コンセプト思考に乏しく好み先行で企画をぶち壊す日本人的センスの悪さを象徴し、アルバムそのもののイメージをも混乱させる結果となっています。

アメリカでは、「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」がシングル・カットされました。元々アルバム「リボルバー」収録曲ですが、当時中坊の私なんぞはまだレコード・レンタルもない時代で、ビートルズの過去の作品まで手が伸ばせるほどの経済的余裕もなく、ほとんど“新曲”として受け入れ、こんないい曲もあったのかとビートルズの奥深さに感心させられたものです。当時はアメリカでも、ビートルズのヒット曲は知っていてもアルバムはあまり聞いたことがないという人が多かったのでしょうか、この曲は結局全米7位にまで上がるヒットとなりました。当初の発表から10年も立ってからリリースされたシングルがTOP10に入るということ自体、解散から5年以上たっていまださめぬ当時のビートルズ再結成願望を象徴していると思います。

アルバムの方もチャートをグングン上がって、最終的には第2位まで上昇します。ベスト盤でもなく新曲や未発表テイクも含まない単なる編集盤が全米2位にまであがるというのは、後にも先にもこのアルバムぐらいではないでしょうか。それと、このアルバムの全米1位獲得を阻んだのが、元ビートルズ、ポール・マッカートニー率いるバンド、ウイングスの「スピード・オブ・サウンド」であったというのは、なんとも皮肉なお話です。「ロックンロール・ミュージック」は、アルバム価値はほとんどゼロに等しい作品ですが、世の“ビートルズ再結成熱望症候群”に押されて大ヒットした事実当時の一大事件であり、70年代のリアル体験のインパクトの大きさから“100枚”に選出しました。

なお、米キャピトルはこの企画の大ヒットに味をしめたのか、翌77年にはビートルズのラブソングを集めた同種の2枚組編集盤企画「ラブ・ソングス」をリリースしましたが、こちらは最高位24位。2匹目のドジョウはいませんでした。同時に、「ラブ・ソングス」リリースの頃には、「ビートルズ再結成」の話題も次第に下火になっていくのです。

経営のトリセツ62 ~ すぐに使える「見える化」のヒント4

2009-06-11 | 経営
今回の<すぐに使える「見える化」のヒント>は、「会議の見える化②」です。

前回は会議の「目的」の“見える化”についてお話ししました。今回は会議スタート後の“見える化”、すなわち「議論」の“見える化”です。

②「議論」の“見える化”
前回、会議開催の大前提として会議の目的が“見える”「アジェンダ」作成のお話をしました。「アジェンダ」はあくまで会議に向けての予備知識としての「見える化」ツールです。会議開催時には、別の「見える化」ツールが必要になります。通常会議は、「報告」であれ「協議」であれ「決議」であれ、報告者なり上程者なり説明者が存在する訳です。つまり重要なことは、説明内容をいかに「見える化」していくかということになるのです。説明内容が特定の人にしか分からない、ひどいケースでは説明している本人しか分からない、などどいう場合もよくあります。

このように「議題」の“見える化”が一向にすすまない場合、「聴覚」に頼った議事進行をしていないかということをまず疑います。すなわち、説明者は口頭だけで「報告」「協議」「決議」の各内容を説明していないか、ということです。「議題」を“見える化”させるためには、説明内容のポイントをかいつまんだ資料を用意する必要があるのです。この「説明資料」ですが、できれば「報告」「協議」「決議」ごとに定型フォーマットを決め、説明者も会議出席者も常に「報告」「協議」「決議」のそれぞれの場合、何が説明ポイントとなるのか人によってバラつきができないようにし、またその資料を一読するだけでポイントが誰にでもすぐに把握できるような工夫が大切です。

例えば「報告」の場合、説明ペーパーには「特記事項」「課題」と「課題解決方針」を記載します。細々した「経緯報告」等は統一フォーマットに載せる必要はなく、本当に必要な場合のみ別添資料とすればいいのです。「報告」の細々した内容よりもむしろこの3点が「報告」の“幹”だからです。もちろん、「課題」がない場合は無理に「課題」を作る必要はなく、「現時点で課題なし」と記載してかまいません。ただし、報告を聞いた会議メンバーが「本当に課題はないか」質問や意見を出し合う必要はあるでしょう。

「協議」「決議」の場合は、通常の社内稟議書記載の必須記載項目をしっかりと会議用統一フォーマットに落とし込み、参加者全員で当該テーマの協議・決議のポイントを共有するようにします。もちろんこの場合、ペーパー記載事項の裏付け資料等協議・決議の賛否判断に必要な資料は、統一フォーマットに添付する必要があります。これがないと「説明根拠の“見える化”」ができなくなり、議論が長引いたり次回へ持ち越しになったり、非効率な会議の原因となります。自身が上程した「協議」「決議」事項の理由を説明するエビデンスに不足がないかは、事前の入念なチェックが必要です。

【(注)統一フォーマットを作るのは、会議の資料作りに時間をかけないためでもあります。簡潔なフォーマットで、必要最低限の議論や判断の材料を「見える化」します】

それともうひとつ、会議において説明者は説明に際して、原則ホワイトボードを使用することも重要なポイントです。説明者はホワイト・ボード前に進み出て説明に立ち、配布の統一フォーマット・ペーパーや補足説明資料等の説明に際して、資料記載事項以外は必ずホワイトボードを使って、ポイントの記述や図表の記載によって、「補足説明事項の“見える化”」も心がけてほしいと思います。「ホワイトボードの効用」については、以前の<経営のトリセツ>でも触れていますので、そちらもご参照願います。
→ http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/8f1a4b1909dfe83a30105277591b176a

<本日のポイント>
★「議題」に関しては、必ず説明資料を作成し席上配布してそれに沿って説明する
★説明資料は、「報告」「協議」「決議」それぞれの統一フォーマットを決め、それにしたがって作成する
★説明者は、ホワイトボード前に出て説明し、補足説明はホワイトボードを活用する

ホワイトボード活用の話は次回に続きます。

「骨太09」は、政治家と官僚の「思惑」に満ちたごまかしの産物か?

2009-06-10 | ニュース雑感
このところ、日本郵政西川社長の人事問題ばかりが、クローズアップされていますが、このどうでもいいニュースの陰で至って重要なニュースがサラリと流れています。

財政再建の道筋を示すべき政府の「骨太方針2009」関連報道。その口火を切ったのは、9日の日経新聞1面トップ「財政再建2020年に先送り」という政府の経済財政運営の基本方針となる「骨太09」の骨子が明らかになった、との記事です。そもそも「骨太方針」は、小泉内閣時代の06年に「基礎的財政収支の黒字化を2011年度までに達成する」と大風呂敷を広げたものであり、当ブログでは以前から当事者である官僚の皆さんの意識が希薄な現状の生ぬるい官制改革の下では、歳出の絞り込みが出来ず目標達成は夢物語であると、警鐘を鳴らし続けてきた問題であります。

今回の「骨太09」では、「基礎収支は10年以内に黒字化」と「06」で掲げた締め切りの大幅な延期を申し出ています。問題は延期そのものではなく、その理由を「追加経済対策による国債の増加や景気悪化に伴う税収の落ち込みで実現は困難になった」と記し、10年代半ばまでに消費税を含む税制抜本改革を実行するという政府の「中期プログラム」の着実な具体化を強調するという、歳入改革についてのみの具体的な見通し記述をしていることにあります。すなわち、歳入改革以上に大切な歳出削減にまったく触れていない。これには明らかに恣意的なものを感じさせる対応であります。

この点は、「骨太09」が「06」で掲げた「2011度の基礎的財政収支黒字化目標は達成不可能」とするだけで、その後の道筋を示していないことにもつながります。つまり、歳入増加の見通しを述べつつも、歳出削減に触れていない今回の「骨太09」では道筋を示そうにも示せないという訳です。これではまったく子供だましもいいところ。追加経済対策による歳出の増大はあるものの、支出の削減そのものについてまで景気対策を隠れ蓑にして知らん顔を決め込んでいる訳です。

その理由のひとつは、総選挙をにらんだ与党側の景気経済対策での対有権者人気取りの必要上、今歳出にタガをはめるのは好ましくないという思惑でしょう。そしてもうひとつは、それに便乗した原案作成の官僚たちのズル賢さです。「歳出削減→経常支出削減→官僚制度改革」という流れをなんとしても阻止したい官僚の思惑は、与党の先の思惑を利用した形です。日経新聞によれば、「歳出削減を巡ってはこれまで明記してきた『骨太06の堅持』『最大限の削減』といった言葉が今年は与党との調整に入る前の段階で早々と姿を消した」という記述があり、これは与党の思惑を先読みしての官僚の策略があったことを、示唆して余りある表現とは言えないでしょうか。

官僚が管理する財政のムダ遣い全廃と不透明さの解消を徹底的に実行すること、これが今後税制抜本改革を実行するとしている政府の「中期プログラム」に対する国民の了解を得る大前提であることは、これまでも何度も主張してきたとおりです。民間企業の財務改革でもそうですが、明確な部門別・使途別の削減目標数字および達成目標期日の設定と、その前提となる現状の経常支出内容の詳細な開示なくして改革は進行するハズがありません。景気回復による税収入の増加と税制改革による増税でいくら歳入の増加をはかろうとも、現状のザルのごとき無駄遣い財政を改めない限りは、いくら基礎収支黒字化目標を先延ばししようとも達成できるハズがないのです。

官僚の既得権堅持目的での策略は、絶対に許してはなりません。総選挙に向けた与党の事実上のマニフェストである「骨太06」。野党第一党の民主党はこれをどう受け止めるのか。彼らなりの政策を、財政再建への道筋を歳入、歳出両面からしっかりとした形で論じ、つまらぬスキャンダルがらみの足の引っ張り合いではなく、総選挙に向け“二大政党”による明確な政策論争が展開されることを期待します。

郵政社長人事~“エゴ対エゴ”を長引かせる麻生首相の力量

2009-06-08 | ニュース雑感
日本郵政西川社長の続投を巡っては、いまだ決着つかず世間を騒がせております。

この“物語”の主役は三人。ひとりは当然その去就が注目される西川善文社長です。“かんぽの宿払下げ問題”や“障害者向け郵便料金割引悪用事件”等の責任問題で、再任はいかがなものかというのが目下の争点です。当の西川氏は辞める気サラサラなし。会社自体では再任を決め、株主総会で承認の運びであった訳です。

ところがここで登場したのが、“エキセントリック鳩”こと鳩山邦夫総務大臣。「絶対に再任は認めない!」と毎度おなじみ、嫌悪感を感じさせる子供じみた強い口調で言い放っています。地デジ大使のSMAPの草くんが公然わいせつ罪で逮捕された際にも、「絶対に許さない!」と興奮していましたよね。「選挙向け目立ちたがりパフォーマンスがまた始まったか」といった印象に映るのは私だけでしょうか?

さらにここにきて、もう一人主役が登場。麻生太郎首相その人です。一歩も譲らぬ二人の争いを、世論的にも「西川が正しい」「いや、今回ばかりは鳩山が正論だ」と意見が分かれる中、「そもそも最終決定は総理が下すべきであり、どっちの勝ちか総理が判断を下せ」というのが、このところのマスメディアのトーンになりつつあるのです。当の本人は例によって優柔不断の極みで、ダラダラと事を見守っているのみですが…。

事が長引くことで喜んでいるのは民主党はじめ野党各党です。総選挙を前に政府自民党に対して、事態がどう転ぼうとも使える「西川氏任命責任」「閣内分裂」「優柔不断総理」などの複数パターンの批判の材料を、労せずして手に入れた訳ですから。どうやら太郎ちゃんは、揉め事やスキャンダルは事態が長引けば長引くほどイメージ的にはマイナスに働く、というセオリーをご存じでないようです。小沢一郎氏が、自身のスキャンダルを長引かせるという全く同じ失敗で、あれほど民主党の支持率を下げたのを目の当たりにしていながらですから、政治家として学習能力が低いお話です。

そもそもお互い譲れない理由は、西川氏は自身の元一流バンカーのプライド、鳩山氏は選挙に向けた「目立ちたがりパフォーマンス」、特に今回は草発言で批判を集め“発言修正”した挽回戦でもある訳で、言ってみればもろにエゴ対エゴの争いな訳です。となると、やはり焦点は太郎ちゃんですね。エゴ対エゴの争いなのだから、総理として自身の判断でスパッと決めればいいのです。

どちらが正しい、正しくないではなく、例えば小泉的流戦術で「喧嘩両成敗!両者クビ!」とでも歯切れよく宣言すれば、国民も納得。選挙戦に向けたイメージ・アップになるのになぁ…と。つくづくイメージ戦略センスのない総理であると思います。いろいろ“大人の事情”はあるのでしょうが、一国の総理ですからね。“べらんめぇ”がカッコいいと思っているような人ですから、まあ無理からぬところではありますが。

〈70年代の100枚〉№73~Jレノンとの共演で米国を制覇したボウイ

2009-06-07 | 洋楽
デビッド・ボウイの70年代を代表する作品と言えば「ジギー・スターダスト」。名盤選出企画では必ず顔を出す“常連”ですが、米国での発売当時の最高位は75位と、意外にも70年代の彼の作品中、米国で最も売れなかったアルバムでもあるのです。

№73  「ヤング・アメリカン/デビッド・ボウイ」

このアルバムが、名盤選びで選出されることはまずありません。何度も繰り返しますが、本企画の趣旨は「名盤選び」ではなく「個人的愛聴盤紹介」でもありません。素晴らしき70年代のリアル体験を元に、当時国内で最もホットな洋楽情報の仕入れ先として多くの若者が聞いていたラジオ番組「全米TOP40」から受けたインパクトを中心として、70年代当時のリアルタイム的重要作品をアルバム単位で選出するものです。デビッド・ボウイのこのアルバムを選出した意図は、ボウイ念願の全米レベルでの成功と75年のB4「フェイム」による初の全米チャート制覇、を評価したものです。

デビッド・ボウイの70年代は、その前半は「ギジー…」に代表される“グラム・ロック期”であり、後半ではブライアン・イーノとの共作でのある意味至って耽美主義的なヨーロッパ三部作を世に送り出しています。そしてその間に挟まれた、75~76年時期がこのアルバムに端を発する“ホワイト・ファンク期”であるのです。前作「ダイヤモンドの犬」で、ソウル・ミュージックへの接近を意識し始めたボウイは、このアルバムで初のアメリカ録音を試み、主にフィラデルフィアで黒人ミュージシャンも起用して制作。意欲的にソウル&ファンクへのアプローチをした作品となっているのです。

もうひとつこのアルバムの制作で大きなポイントとなったのが、ジョン・レノンとの共演でした。75年のグラミー賞授賞式で彼はジョンと懇意になります(その時ボブ・グルーエン氏によって収められたボウイ+ジョン&ヨーコ+サイモン&ガーファンクルの写真は当時「ミュージック・マガジン」誌上で紹介され、中坊の私はえらく興奮したのを覚えています)。その縁で彼はジョンとNYでセッションを行い、ジョンのパフォーマンスにインスピレーションを得て先の「フェイム」を共作しレコーディングしたのです。同時に、ビートルズの名曲B2「アクロス・ザ・ユニバース」の共演カバーも収録されました。

ボウイはこのジョンとの共演により、彼独自のホワイト・ファンクを確実にモノにし、この勢いを駆って次作「スティション・トゥ・ステイション」とシングル「ゴールデン・イヤーズ」も全米で大ヒット。ボウイの“第一次アメリカ進出”は成功裏に幕を下ろしました。次に彼が米国市場を賑わすのは、83年の「レッツ・ダンス」です。当時一世を風靡したナイル・ロジャース=“パワー・ステーション・サウンド”の代表作ですが、ボウイが80年代にこのアルバムを作り得たのは、70年代半ばの2枚のアルバムでホワイト・ファンクをものにしていたからに間違いなく、その発端たる「フェイム」の誕生は、ジョン・レノンがボウイにもたらした大いなる音楽遺産であると思います。

安田記念

2009-06-06 | 競馬
マイル(1600㍍)の国際GⅠ安田記念です。今年の外国馬は香港から2頭。

人気は、前走牝馬GⅠビクトリア・マイルを7馬身差圧勝の③ウォッカです。その前走と全く同じ東京1600㍍の舞台で鞍上武豊なら人気は当然です。もう一頭人気は、昨年のダービー馬⑥ディープスカイ。この2頭昨年秋に東京でGⅠを2戦して、1勝1敗。この2頭、確かに好敵手。世間的には“2強一騎討ち”の様相です。

しかしながら私の本命は、誰が何と言おうと高校の1年後輩、矢作調教師の秘蔵っ子⑬スーパーホーネットです。
昨年秋のマイルチャンピオン・シップを1番人気で、伏兵ブルーメンブラッドにやられて無念の2着。
昨年の毎日王冠GⅡでは、ウォッカをこの東京の舞台で完封しています。

⑬の単勝一本勝負したい気分ですが、一応押さえで馬③ウォッカ、⑥ディープスカイとの組み合わせ③-⑬、⑥-⑬を馬連で。

今度こそ、我が後輩悲願の初GⅠ制覇を祈念します。

経営のトリセツ61 ~ すぐに使える「見える化」のヒント3

2009-06-05 | 経営
すぐに使える「見える化」のヒントの「3」は、「会議の見える化①」です。

だらだらと何を決めようとしているのか分からない、何を議論しているのか分からない「会議」は世の会社に多いものです。「議論」や「決議」が行われている「会議」はまだいい方で、中には「報告」や社長の一方的な「示達」が中身でありながら「会議」と称し、「会議」をしているつもりになっているそんな会社も多いのです。そこまでひどくなくとも、時間ばかりを費やして大した効果も生んでいない「会議」は、「会議の見える化」ができていないケースがほとんどです。「会議運営」をこの「見える化」の観点から実地にアドバイスをするだけで、社内コミュニケーションが活性化し業績に反映されるコンサルティング例はかなり多くあるのです。

①「会議目的」の“見える化”
まず「会議」を開催する際、その入口で一番大切なことは、その「会議」の目的が何であるのかすべての参加者が見えているかどうか、この点に尽きます。これができていないと、参加者はただ漫然と「会議」に出て求められるままの受け答えをし、主催者の思惑以外何も先進的なことは決められることなく毎回同様の「会議」を繰り返しているだけ、になってしまいます。これでは「会議」をする意味が全くありません。たとえ主催者が、思惑をもってある「議題」を「会議」に諮る場合でも、それを決議する会議メンバーがその「議題」の「目的」を共有しているか否かで、「決議事項」が有効決議されるか否か、社内に浸透するか否かは大きく違ってくるのです。

では、この「会議目的の見える化」のためには何をしたらよいのでしょう。大前提は事前の「議題」の共有です。「会議」では一般に、「アジェンダ」と呼ばれる「会議」で議論されるテーマが事前に参加者全員に配布されます。もし、「アジェンダ」の事前配布すら行われていない会社があるようでしたら、まずこれがないとお話にならないと御認識いただきたいと思います。なぜなら「アジェンダ」の事前配布がない会議は、参加者は何の心構えや準備もなくただ会議室に時間に行くことだけが会議参加の「目的」になってしまうからです。“居眠り”“内職”“うわの空”が当たり前の状態で、「会議」が正常に機能するハズがないのは、容易にお分かりいただけると思います。

次に「アジェンダ」の作り方ですが、ただ「議題」を並べただけの「アジェンダ」では「会議目的の見える化」には不十分です。「議題」とはあくまで「何について議論をするか」ということだけが表現されているもので、参加者が有効な事前準備に基づいた有益な議論をするためには、これだけでは事足りないのです。「会議目的を見える化」するということは、今日行われる会議は「何のための議論がされるのか」言いかえれば「議題の狙い」を伝えることこそが大切なのであり、それとともに「何についての結論を出すことが目的であるのか」まで「アジェンダ」には言及する必要があるのです。

これこそが「会議目的の見える化」です。
この「何のための議論がされるのか」そして「何についての結論を出すことが目的であるのか」が参加者の共通認識としてあれば、会議は至って有効なものになるでしょうし、何より声の大きい誰かの一言で「枝葉」に行きかけそうな議論を、皆で「幹」の方向に揺り戻すことが可能になるのです。「会議」の議論が知らず知らず横道にそれて、終わってみれば何を議論して何を決める会議だったのだか分からない、そんな「会議」は、皆が「会議の目的」を見失っているから起きることなのです。

以上を整理すると、

★「会議」の「アジェンダ」を事前配布すること
★「アジェンダ」には「議題」だけでなく、「議題の取り上げ理由」「何を決議するか」を明示すること
★上記事前配布「アジェンダ」は会議中も全員が目にできるよう席上配布して、「アジェンダの見える化」をしつつ議論をすすめる

この3点で「会議目的の見える化」をすれば、御社の会議は確実に変わります。

改正薬事法に潜む、恐ろしき“官民癒着”

2009-06-04 | ニュース雑感
6月1日今年の衣替えと同時に改正薬事法がスタートしました。

今回の改定の大きなポイントは、①これまで薬剤師しか扱えなかった風邪薬など大衆薬の大半が第2類として「登録販売者」で扱えるようになった、②副作用の小さい第3類以外の薬は通販で扱えなくなった、の2点です。①に関しては、従来から薬剤師が販売に直接かかわっていないケースも多く、これまでの規制自体がどうかと思われるもので、利用者の利便性向上と実態重視の対応であるという点からは一定の評価ができるように思えます。ただ個人的な感覚で言わせてもらえば、もっと早く実施してよかった話であり、薬剤師団体やドラッグストア団体の既得権益堅持目的の監督官庁との“官民癒着政策”の下、ここまで引き延ばされてきたとも言えると思います。

今回の改正で最大の問題点は、薬剤通販規制の強化ともとれる②の方です。店頭販売とは逆に、これまで第3類~第2類までの薬が通信販売での販売が可能であったのが、2年間の経過措置期間はあるものの第3類以外の薬は通信販売ができなくなったのです。これは困ったことです。お年寄りや歩行困難な方々に加えて過疎地域にお住まいの方々などでも、通信販売で薬を購入していた人たちもたくさんいるはずです。また、一般のドラッグストアなどでは、入手しづらい「伝統薬」と言われる医薬品で治療を続けている人たちは通信購買に頼らざるを得ない訳で、人によっては健康管理上大変深刻な問題であるのです。

では、市販風邪薬などの第2類医薬品の通信販売を、不適切とする理由はどこにあるのでしょうか。通販では医薬品に対する十分な副作用説明と注意喚起ができないと言うのなら、大手ドラッグストアの販売方式とて同じことではないでしょうか。今回の法改正では、第3類との区分販売は義務付けられているものの、カウンターから7メートル以内であれば陳列販売可能であり、何の説明も受けずに購入することは可能なのです。むしろ、通信販売の方が事細かな注意事項等を同封したり、ネット申し込みであるなら購入時に注意文言画面が現れる等の仕組みもできる訳で、こちらの方がよほど法改正の趣旨に沿った販売方法ができるのではないかとさえ思え、どうも意図的なものを感じさせられるのです。

その観点で考えると、薬剤師団体、ドラッグストア団体と厚生労働省との“癒着”の構図および自民党の思惑がどうにも否定できません。厚労省と業界団体間には天下りと受け入れ先の関係があります。自民党には、総選挙を前にありとあらゆる業界団体は、なるべく多くを味方につけたいという狙いが明確にある訳です。言ってみれば、生活者の利益優先への転換による規制緩和の流れの中で、利害一致の政治と行政が表向きでは規制緩和をしつつも、業界団体にはバーターで新たな既得権益を与えるような制度改悪を平気でしているという“キナ臭さ”が確実に臭うのです。

大半の国民には利便性向上をはかったという部分ばかりを見せておいて、裏では弱者を切り捨て業界主流団体の利益を守る、そんな政治や行政はいつまで続くのでしょう。マスメディアは今回の薬事法改正報道を「どこで何が買える」「こういう点は便利、この点は不便」「一部では困る人も出るでしょう」等、現象面的事実だけをなめるような“天気予報的”報道に終始するのでなく、その根底に横たわる政治と行政の“悪事”を全力取材によってあばき、薬事法改正が実は大変な「改悪」であることを強く国民に訴えかけて欲しいと思います。意図的かつ誤った法改正は必ず経過措置期間内に、あるべき方向への修正を実現しなくてはいけません。国が特定の団体の利益のために法の歪んだ改正を容認することは、とてつもなく恐ろしいことであると我々国民は今回の問題から改めて認識をし、監視の目を光らせる必要があると思います。