日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

訃報~大沢啓二さん

2010-10-07 | その他あれこれ
大沢親分こと元日本ハム監督大沢啓二さんが今朝亡くなられたそうです。

日ハムファンにとっては忘れがたい昭和56年、それまでの万年Bクラスのチームを育て上げ昭和37年水原監督の東映時代以来のリーグ優勝に導いた“名監督”でした。工藤幹夫(西武の工藤とは別人の当時のエース)、松浦宏明(最多勝投手)、田中幸雄(日ハム唯一の名球会選手)などは大沢監督が育てた秘蔵っ子たちであり、チーム生え抜きの中心選手を育てつつ、監督就任以来苦節6年優勝に導いた功績はまさに名監督の名にふさわしいものであったと思います。背番号「86(ハム)」をつけ、監督は11年間も務め、その後も球団常務としてフロントに残るなど、まさしく日本ハム球団史上随一の功労者でありました。

喧嘩早いとか、ガラが悪いとか、ヤクザみたいだとか、いろいろ言われてもおりましたが、その実けっこうおちゃめなことろもあって、常勝西武の森監督を「岐阜の貯金箱」日ハムが苦手としたロッテ伊良部投手を「伊良部クラゲ」と名付けるなど、自分の思うままに敵のあだ名をつけるところはなかなかのセンスであったと思います(けっこうイメージできるセンスのいい命名です)。先般お話しした背番号「51」の大杉選手に端を発し長年日本ハム一筋に応援を続けている私には、もっとも印象深い監督でありました。大沢氏も今年の日ハムが前半戦もたついて歯がゆい思いをしたことでしょう。訃報を聞いたファンとしては、日ハムの功労者大沢氏生前最後のシーズンとなった今年、チームが最終戦でロッテに抜かれクライマックスシリーズに残れなかったことが大変心残りです。

長年にわたる日ハムファンの一人として、心から感謝の意をささげつつご冥福をお祈り申しあげます。

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