日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№85~ノスタルジー・ブームで息を吹き返した“アメリカ代表”

2009-09-23 | 洋楽
ビーチ・ボーイズです。「ビーチ・ボーイズって60年代のバンドでしょ?」って?その通り、60年代の大スターですが、70年代も健在?実は70年代前半の彼らは勢いを失っていたのですが、突如発売されたこのアルバムで一気にブーム再燃となったのでした。

№85   「エンドレス・サマー/ビーチ・ボーイズ」

60年代に大活躍したサーフ・ミュージックの元祖、ビーチ・ボーイズ。A5「サーフィンUSA」C1「アイ・ゲット・アラウンド」C3「ドント・ウォーリー・ベイビー」D3「ヘルプ・ミー・ロンダ」などなど、ヒットを量産し英国産のビートルズに対するアメリカの代表としていかにもヤンキーなノリで一世を風靡した訳です。60年代半ばにビートルズの「ラバー・ソウル」に衝撃を受けた中心メンバーのブライアン・ウイルソンにより制作された「ペット・サウンズ」の発表がバンドの運命を大きく変えました。今でこそ大名盤とされる「ペット・サウンズ」も当時は一般に受け入れられず、売上はイマイチ。結果、レコード会社との不仲、ブライアンのノイローゼ等々がバンドに暗い影を落とすことになり、70年代に入るとやや過去の存在となりつつあった訳です。そんな折も折、突如出されたのがこの2枚組のベスト盤でした。

当時アメリカでは、前年の大ヒット映画「アメリカン・グラフィティ」に端を発した一大ノスタルジー・ブームが巻き起こっていました。映画は1962年のアメリカが舞台で、ビーチ・ボーイズの同年のヒット曲も2曲取り上げられた同映画のサントラ盤が大ヒット。また同時期、カーペンターズもノスタルジックなアルバム「ナウ&ゼン」をリリースし、60年代メドレーで彼らの「ファン・ファン・ファン」を取り上げ、これも新しい世代の話題になっていました。ここまでお膳立てが揃えば、本家が出ない手はないでしょうから、ある意味“満を持して”のベスト盤リリースだったと言うことなのだと思います。

この流れにしたがって、選曲は「ペット・サウンズ」以前の20曲。と言う訳ですから、名曲「グッド・バイブレーション」は入っておりません。あくまで「サーフイン」=「サマー」な訳です。ベスト盤としてはちょっとさびしい気はします。でも、現行のCDにボーナス・トラックで「グッド・バイブレーション」が入っているのを聞くと、ボーナス・トラックとはいえ、選曲コンセプトを考えるとこれまたちょっと複雑な思いにもさせられたりもするのです。このアルバム、ベスト盤としてでなく、60年代前半のサーフ・ミュージック・ブームを懐かしむアルバムとして聞くのが正しいのかもしれません。

2枚組全20曲入りなのですが、なにせ1曲が平均2分少々という短い曲ばかりの彼らですからLP1面で12分前後、4面合わせても50分弱な訳です。果たして2枚組にする必要があったのか疑問ですよね。この点は、前年に出ているビートルズの初期2枚組ベスト盤「赤盤」への対抗意識に違いないと思ったりします。どこまでも、ライバルはビートルズな訳でして。最近でも「20世紀の名盤特集」みたいな企画では、決まってビートルズの「サージェント・ペパーズ…」と「ペット・サウンズ」が上位を争う展開になっているようで、“永遠のライバル争い”は21世紀も続いているのです。

この2枚組ベスト盤、アルバム・チャートで1位を獲得するという快挙を成し遂げまして、当時のバンドの不振ぶりが信じられないような状況に驚かされるとともに、アメリカ人のビーチ・ボーイズ好きに感心されたりしたものです。ちなみにこの時期、なぜか再びシングル・カットされた「サーフィンUSA」がシングル・チャートで36位にまで上がるリバイバル・ヒットとなる“珍事”も起こっています。このアルバムをきっかけにビーチボーズ人気はすっかり意気を吹き返し、翌75年本作の続編「スピリット・オブ・アメリカ」(これが「青盤」?)の連続ヒット(最高位8位)や、当時人気絶頂シカゴとのジョイント全米ツアー「ビーチャゴ」の大成功につながり、76年にはシングル「ロックンロール・ミュージック」が10年ぶりのトップ10ヒットとなる全米5位を記録するほどの大復活へとつながったのでした。めでたし、めでたし。