日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№83~AORを形作ったJAZZサイドからのアプローチ

2009-09-19 | 洋楽
ジャズボーカル・サイドからAORの原型を作ったロバータ・フラッグに続いては、ジャズ・ギターの名手のAORサイドへのアプローチ作です。

№83   「ブリージン/ジョージ・ベンソン」

76年はAORにとって記念すべき年でした。そもそもAORの起源となる作品は74年のニック・デカロの「イタリアン・グラフィティ」とする説が有力です。「ジャズやソウルの匂いがする大人のポップ・アルバムを作れないか」と言うデカロの相談に乗りこのアルバムをプロデュースしたトミー・リピューマこそ、AORの創始者とも言える重要人物。このアルバムそのものは大きなヒットにこそならなかったものの、音楽制作シーンにおける影響力は多大なモノがあり、この考え方をベースにトミーが企画・プロデュースし、AOR確立の決定打となったのが、76年ジャズ・サイドから初のAOR的アプローチであるジョージ・ベンソンの本作でした。

このアルバムにおける衝撃は、なんと言ってもシングル・カットされたA2「マスカレード」に集約されます。ジョージ・ベンソンは60年代にウェス・モンゴメリーの後継者と言われた、正統派ジャズ・ギタリストです。ところがこの曲でのジョージは、それまでとは違う新たな“顔”、すなわちボーカリストとして見事な力量を披露したのです。曲はあのスワンプ・ロックの重鎮レオン・ラッセルの名曲です。このアルバムのリリースから2年ほど前にカーペンターズがカバーして再注目されていたタイミングでもあり、ニック・デカロがトミーに言った「カーペンターズやビーチボーイズにもっと大人の味付けをできないか」というAORの起源的発想を、トミーとジョージ・ベンソンはまんま実現させてしまった訳なのです。

レオンの「カーニー」収録されているこの曲のオリジナルはかなりゴスペル寄りのムードであり、またカーペンターズのカバーではよりポピュラー寄りにアレンジされていますが、ジョージのバージョンではジャジーな雰囲気満載で、抜群のアダルトムードに仕上げています。やはり決め手は彼のギターとスキャットをメインに据えたアレンジにあるでしょう。それにしてもこのジャジーなアレンジにぴったりな歌の見事さはなんでしょう。エリック・クラプトンもしかりですが、メロディアスにフレーズを聞かせるギタリストは、歌心も人一倍あるのですね。アルバムにおけるボーカル曲はこの1曲ですが、タイトル・ナンバーのA1をはじめとしたインストナンバーはどれもジャズと言うにはあまりにメロディアスであり、ジャズサイドからの新しいアプローチであると実感させられます。当時こうしたジャズサイドからポピュラーサイドへのアプローチを、日本では「クロスオーバー」と呼んでおりました(懐かしき死語!)

シングル「マスカレード」は、チャート10位まで上がるヒットを記録。さらにアルバムは、POP、R&B、JAZZ3つのチャートで同時に1位になるという史上初の快挙を成し遂げます。AORがアメリカでは、「アルバム・オリエンテド・ラジオ」の略であることは有名なお話ですが、このアルバムはその観点からもまさにAORの代表作である訳です。ちなみに翌77年、シングル「マスカレード」、アルバム「ブリージン」は共にグラミー賞を受賞しています。

さて話を戻して、AOR成立のカギを握るプロデューサー、トミー・リピューマのお話を少々。彼はこのアルバムと対になるポピュラーサイドからのAORアルバムを同じ年に世に送り出してもいます。それが、マイケル・フランクスのデビュー作「アート・オブ・ティー」です。このアルバムでも彼はジャズのフルバンド、クルセイダースの面々をバックに配するなど、徹底したジャズとポピュラーの融合を試みています。「ブリージン」ではジャズサイドから、「アート・オブ・ティー」ではポピュラー・サイドから、同時稼働させることで70年代半ばの新たな音楽の流れとなりうるAORを形作ろうとしていた訳です。さらにトミーは同年、ジャズ系スタジオ・ミュージシャン集団「スタッフ」のバンド・デビューをプロデュースしてもいて、確信犯的にAORブームづくりを企てていたと言っていいでしょう。そしてこうした動きは次の段階で、クルセイダースのAORアルバム「ストリート・ライフ」「ラプソディ&ブルース」やグローバー・ワシントンJrのボーカルアルバム「ワインライト」の大ヒット等、ジャズとポピュラーの垣根が取り払われる大きなうねりにつながる訳です。

AORと言うと一般的にボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルがその先駆者であるかのように言われています。実は彼らは“ブルー・アイド・ソウル”という別のジャンルで区分けされるべきアーティストなのですが(初期のホール&オーツなども同じ仲間です)、トミー・リピューマ系のAORが形作られたのと時期的な一致点を見たことでAORの定義がより幅広い範囲を指し示すことになり、セールス面での成功と相まって彼らこそがAORの代表格であるかの如く祭り上げられたと私は認識しています。私が考える本当の意味での元祖AORは、トミー・リピューマ系のアルバムに他なりません。中でも、ジャズサイドのミュージシャンが初めて明確な形でポピュラーにアプローチをしたこのアルバム「ブリージン」は、70年代半ばに新たなうねりを見せ始めた音楽シーンを語る上で欠かすことのできない最重要な1枚なのです。