日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

社会人としての“育ちの違い”と鍛えるべき『主観』

2008-08-28 | その他あれこれ
日本経済新聞の最終面の人気連載コーナーに「私の履歴書」というものがあります。各界の重鎮方がその半生を赤裸々に綴り、「今だから言える」的裏話も含め1か月単位で毎日紙面を盛りたてている人気コーナーです。

現在は連日、電通最高顧問の成田豊氏がその半生を書き綴っています。このコーナー、執筆者による当たり外れはかなりあります。今までの傾向分析をしてみると、私が興味深く読ませていただいてきたのは、たいてい創業社長か芸術家の方々のお話のように思われます。

まあ芸術家の方は、たいてい普通とは少し違う生い立ちがあるようで、生き様そのものが“作品”のようで面白い訳です。創業社長の場合は、会社設立時の苦労話はそれぞれが個性あふれるものですし、こちらも勉強になります。また黎明期に必ずと言っていいほど訪れる「倒産の危機」話からは、オーナーとしての責任感ある対処がうかがい知れる点も興味を惹かれる部分です。

一方、サラリーマン社長の方々の場合は、押しなべてその話のメインが会社を大きくした苦労話(一部自慢話)で、やはりサラリーマン的苦労や成功の域を脱しないものも多く、創業者に比べていま一つのめり込ませる魅力に乏しい気がしております。成田氏の場合も、同様の印象は強くあるのですが、広告業界と言う一般人にも馴染みやすい業界的な面白みもあってか、昭和から平成に到る日本の文化的背景をいかに広告業界が担ってきたかがよく分り、その点ではおもしろく読まさせてもらっています。

そんな中、氏の連載中気になった記述がひとつありました。北京オリンピック期間中、私が盛んに批判的立場から取り上げてきた「オリンピック商業化」に関するものです。成田氏は、電通も大きくかかわった例の商業化の転換点84年ロス五輪に触れ、「人類平和の象徴財産である五輪は、80年代の商業化が存続の危機を救った。商業化を誤りであるとする考えは間違い」と言う趣旨の主張をされていました。

確かに、商業資本を取り入れたことは、あの当時の赤字五輪開催による存続の危機を救ったのは確かだと思います。しかし、五輪が「人類平和の象徴財産」であるとしても、「スポーツ倫理」の危機問題は全く別次元の議論であります。「スポーツ倫理」の堅持は、いわばコンプライアンスの問題なのです。

商業化がたとえ過去に貴重な「人類の財産」を守ったとしても、私が先週ブログに書いた意見は、結果今の時代になってコンプライアンスを脅かす状況に陥ってしまっては、それはいかがなものかという主張です。あの時はよかったのかもしれません。ただ長い年月の中で、蝕まれた現状は認識をし、反省と改善が必要なのではないかと思う訳です。

先の成田氏の見解とは、相いれない関係にあることは明らかです。成田氏の見解を読んでいて、私との意見の違いは単なる世代の違いではないなと思いました。むしろ育った畑の違いによる、見識の違いではないのかと思ったのです。すなわち、氏は商業の最も商業らしい部分を担う広告代理店文化の論理展開なのでしょう。一方の私は、銀行育ちのコンプライアンス優先主義でのものの見方が身についてしまっているのかもしれません。

現実のビジネスにおいても、育った業界の違いによる意見のぶつかり合いや、お互いの「常識」のズレによるトラブルなどは多々あり、困惑させられることもしばしばです。新聞社時代に先輩記者から、「『客観』などというものは存在しない。だから常に『主観』を鍛えることを心がけなさい」と教えを受けました。成田氏の原稿に、思わずその言葉を思い出しました。社会人としての“育ち”の違いが原因で困惑させられる自分は、まだまだ『主観』の鍛え方が足りないのだなと思った次第です。