日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№36 ~ 80年代への“橋渡し”を務めたデュオ

2008-08-23 | 洋楽
ダリル・ホール&ジョン・オーツというと、80年代を代表するアーティストのように思われがちですが、実はそのキャリアは古くデビューは72年にさかのぼります。

全米初ヒットは74年の「サラ・スマイル」が全米4位を記録、76年には「リッチ・ガール」が全米№1ヒットして一楽スターダムにのし上がります。しかしながら、その後一時期ポップなイメージと元来の持ち味であるソウルフルさのバランスが難しく、デビッド・フォスターをプロデュースに起用してのAOR路線を試みるなど若干の迷走状態に陥ります。そして、約3年の混迷期を経て彼ら自身の手でそのスタイルを完成させたのが、80年のアルバム「モダン・ヴォイス」でした。

№36    「モダン・ヴォイス/ダリル・ホール&ジョン・オーツ」

本企画の70年代の定義は、70年4月ビートルズ解散から80年12月ジョンレノンの死去までですから、まさに70年代終盤の会心作。このアルバムで70年代から80年代への橋渡しの役割を果たしたアーティストであった、と言うのが一番彼らにふさわしい形容かもしれません。ポップ、ロック、ソウル、ダンス…あらゆる要素を取り混ぜることで、楽曲の時代であった70年代的要素を持たせつつ、リズムやアレンジの時代である80年代的要素も織り交ぜた新しさが、彼らの魅力でありました。

このアルバム「モダン・ヴォイス」は初のセルフプロデュース作で、黒人音楽のメッカであるフィラデルフィア出身の彼らが、試行錯誤の末ポップな中にもソウルフルな味わいをにじませることで、他にはない「ホール&オーツ・ブランド」を作り上げた作品であると、位置づけることができると思います。ダリル・ホール自身も「本当のホール&オーツのはじまり」と語っているこのアルバム、個人的には大学時代リリース直後にレコードレンタルで借りて、出始めの「ウォークマン」で聞き倒した1枚です。

楽曲的には何と言っても№1ヒットのA5「キッス・オン・マイ・リスト」が出色。この曲なくして、次作である大ヒット作「プライベート・アイズ」の誕生もその後の「マン・イーター」のヒットもあり得なかったのです。ポップでリズミカルでメロディアス…。まさにホール&オーツの完成型がこの一曲に集約されていると言っていいでしょう。

他にも、ブルーアイドソウルの先輩グループであるライチャス・ブラザーズのカバーB1「ふられた気持」、85年にポール・ヤングのカバーで№1ヒットする名バラードB3「エブリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」、AOR的佳曲のA1「ハウ・ダズ・イット・フィール」やA4「イン・ラブ・ウイズ・ユー」(個人的にはこれがイチオシ!)など、本当に完成レベルの高いアルバムで、彼らにとっては初のミリオンセラーにもなっています。

この後、「プライベート・アイズ」、「マン・イーター」等のヒットで80年代前半に大ブレイクし全盛期を迎える彼らですが、その後は売れて大いに稼いだ安心感からか趣味のブラック・ミュージックへの傾倒が激しくなり、このアルバムで確立したせっかくの均整のとれた彼らのオリジナリティは失われてしまいました。それにつれて人気も下降線…。今も時々「昔の名前で出ています」的に日本にも来ている彼ら、ベンチャーズ的ナツメロ・アーティストとして生きるのでなく、昔のスタイルを思い出して、あの時代のホール&オーツらしさを感じさせる作品をまた聞かせて欲しいものです。