日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「世界から学ぶ機会」を放棄した政府管理の“箱庭五輪”

2008-08-26 | その他あれこれ
さて、オリンピック北京大会における中国政府の対応はどうだったのでしょう。

私は開会前に、中国国民13億人一人ひとりの一挙手一投足が国際評価される、とブログで書いたのですが、実態としてのオリンピック会場は「鳥の巣」ならぬ“鳥カゴ”状態に周辺地域が囲われて、厳重な会場周辺地域への出入りチェックと報道規制によって、13億人の一挙手一投足を海外メディアの目から遠ざけるやり方をとったようでした。言ってみれば、中国国内に期間中限定で作られた「治外法権的スポーツ特区」での大会だった訳です。

そして、それ以外の地域で政府は何をしていたかと言えば、オリンピック反対デモの封じ込めに躍起になっていたようです。IOCのロゲ会長が北京で会見した際に、「抗議ゾーンを設け70以上のデモ申請がありながら、1件もそれらが行われなかったことは、普通ではない」と批判的な意見を残しています。それに対して政府側は、「すべて話し合いにより、合意点が見出せた」という見え透いた嘘を言う百年一日の如き中国スタイルであり、この前世紀的政府対応は“真の近代化”に向け依然大きな課題として残ったように思われます。

このような「言論の自由」に対する対応の問題と、政府の「情報操作姿勢」とともに、メディアの取材に対する姿勢にも大きな問題を残しています。取材エリアや取材目的に関する規制が異常に多かったようですが、その最たるものとして抗議活動を取材していた海外メディアの記者が連行されるという事件も起きています。このような「報道の自由」に対する理解のなさは、国際社会で先進国として“市民権”を得ていくために、改めて大きな課題として露呈したと言えると思います。

環境問題をテーマにした大会運営の基本コンセプトとその徹底ぶり、さらには見事な開会式、閉会式の式典運営や先端的な競技会場と各競技運営には文句のつけようがなかった、というのが各国メディアの評価でした。しかしながら、それは北京に作られた国家直営の“箱庭”での出来事にすぎず、13億人の中国国民の目には自分たちの普段の生活とは分断されたこの“海外イベント”はどう映ったのでしょうか。

“箱庭”の裏側にある13億中国国民の大半の人々の実態は、「抑圧」と「規制」によって覆い隠されたままであり、正当な国際的評価を受ける状況にはなかったと思います。言いかえれば、中国政府は“真の先進国”入りを目指してオリンピック開催に手を挙げたものの、実態をすべて世界に見せ国際的評価を受ける段階には至っておらず、13億人の実態を世界の目から遠ざけざるを得なかったということでもあったのではないかと思うのです。

仮にそうであったとしても、今回国家直営“箱庭”方式で隠し通すやり方で良かったのでしょうか。仮に中国が今まだ実態を世界に見せ評価を問う段階になかったとしても、ディスクローズをすることで批判をも甘んじて受け、自国のこれからに役立てるというこれ以上ない機会を逸してしまったとは言えないでしょうか。

オリンピック開催は世界に評価を問うだけでなく「世界から学ぶ機会」でもあると、過去の日本、韓国開催は教えてくれてもいるのです。その機会をあえて放棄したと思える今回の中国政府の姿勢。13億大半の中国国民にとって、テレビで見る自国五輪開催は確かに「ナショナリズム高揚」には役立ったかもしれませんし、それで中国政府の大きな狙いのひとつは達しえたのかもしれません。しかし、国民一人ひとりにとっての、五輪開催の将来につながる意義はどこにも見出せてはいないと思うのです。