静聴雨読

歴史文化を読み解く

第三の人生

2013-10-01 07:08:08 | 身辺雑録

仮に、人生を区切るとすれば、学業を終えるまでを第一の人生、仕事を終えるまでを第二の人生とすることに、大方の異論はないでしょう。私の場合は、大学を卒業した22歳までが第一の人生、サラリーマン生活にピリオドをうった60歳までが第二の人生、ということになります。自営業の方は、この第二の人生が長く、65歳や70歳を過ぎても現役、という方も多く、まったく、これらの方々には頭が上がりません。

さて、第二の人生を終えた後にくるのが第三の人生です。

この第三の人生の過ごし方は、人により、様々です。親や配偶者の介護に明け暮れる人、病いを得て療養中の人、ボランティア活動に汗を流す人、日々悠々自適に好きなことをして過ごす人、などなど。

私の場合を振り返ってみると:

勤め先に「次の仕事に就くのを支援する制度」(正式な名前は忘れました)があり、次の仕事に必要なスキルを身につけるために有給休暇を取ることができました。58歳を過ぎたところで、この制度の適用を申請しました。

私の考えた「次の仕事」とは、研究生活です。「十九世紀歴史文化の研究」を本格的に目指すつもりでした。具体的には、ヘンリー・D・ソロー Henry D. Thoreau とウィリアム・モリス William Morris に焦点を充てて、近代文明への対峙の仕方を研究しようとする試みです。

勤め先の了承を得て休暇に入った矢先に、母が脳梗塞で倒れ、私の生活の中心は母の世話に移行し、「十九世紀歴史文化の研究」は棚上げになりました。以来、8年間は、同じ状態で推移しました。

この間、たまたま、ブログを立ち上げることを思いつき、4年前に「歴史文化を読み解く」と題するブログを始めました。本格的な「十九世紀歴史文化の研究」は棚上げせざるを得なくとも、少しでも「歴史文化」に関わりのあるテーマでコラムを発表しようというものです。このブログの心地よさにすっかりはまって現在に至りました。

今年の夏、一通り母の世話が終わり、幸い病いの兆候もない私には、日々悠々自適に好きなことをして過ごす道が残っているに過ぎないことを自覚せざるを得なくなりました。
棚上げにしていた「十九世紀歴史文化の研究」のほこりをはたいて再開するか、思案中です。

そのためには、さらに身辺を整理し、読書力を回復させ、ということが必要です。
また、環境を変えることも有効かもしれません。

「日々悠々自適に好きなことをして過ごす」ことを、昔の人は「晴耕雨読」と称しました。晴れの日には畑を耕し、雨の日には読書で心を耕す、ということです。多くの人の理想でしょう。
私の場合は、畑を耕す趣味はないので、読み替えて、「晴釣雨読」です。晴れの日には海に出て魚釣りで過ごし、雨の日には読書で過ごす、という生活です。

「晴釣雨読」は造語ですが、インターネットで検索すると、このことばでブログを書いている人が多く存在することがわかりました。

神奈川県に金沢八景という漁港があります。遊漁船の釣り宿が30軒ほど密集する釣り人のメッカです。私もこれまでよくここに出向き、おそらく10軒以上の釣り宿にお世話になっています。

近くには、金沢文庫・称名寺など、鎌倉時代の遺刹もあり、鎌倉にもほど近い立地です。
まさに、「晴釣雨読」のためにしつらえた場所ではないか。
そうだ。この地に居を移そうか。そんなことを考える今日この頃です。 (2010/10)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿