(3)丸山真男の体験
イスラム教徒にとっての「メッカ」。キリスト教徒にとっての「サンチャゴ・デ・コンポステラ」。いずれも「聖地」として名高い。それぞれの教徒は、願掛けのため、あるいは、大願成就のお礼参りのために「聖地」を目指す。わが国でいえば、伊勢神宮への「お伊勢参り」がそれにあたる。
クラシック音楽ファンやオペラ愛好家やワーグナー狂がバイロイト音楽祭を目指してバイロイトに赴くことを、上記の宗教的儀式になぞらえて、「バイロイト詣で」という。
私は、クラシック音楽ファンであるが、オペラ愛好家とはいえないし、ワーグナー狂でもない。だが、一度は「バイロイト詣で」をしてみたいといつからか念願するようになった。
ワーグナーといえば、俗臭芬々としたところがあり、その政治的スタンスも危ういところが気がかりなのだが、その音楽は圧倒的に迫るものを持っている。ワーグナーを否定すべきか肯定すべきか、悩ましい問題だ。
この問題を率直に吐露したのが、政治学者の丸山真男だ。彼は無類の音楽好きで、特にドイツ・オーストリア系の音楽家に共感を抱いていた。中野 雄『丸山真男 音楽の対話』(平成11年、文春新書)に、丸山の音楽観が表われている。この本は、中野が聞き手になって、丸山の音楽体験を存分に語らせているものだが、丸山はオペラ作者のワーグナーと指揮者のフルトヴェングラーへの思いを語っている。
第1部が「ワーグナーの呪縛」と題して、丸山のワーグナー体験を明らかにしている。ワーグナーの反ユダヤ主義という政治体質に対する嫌悪に加えて、ワーグナーがヒトラーに利用されたことへの反発が、ワーグナーへ距離を置くきっかけになったという。
その丸山の「ワーグナー嫌い」を覆したのが、1962年の「バイロイト詣で」だった。そこで聴いた『ローエングリン』(ヴォルフガンク・サヴァリッシュ指揮)に丸山は打ちのめされたらしい。
私のワーグナー体験も丸山のそれに類似している。だから、一度、バイロイトでワーグナーの楽劇に身を浸して、どれだけ共鳴するか、または反発するか、を試みてみたいのだ。
(2009/3)
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