静聴雨読

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現代語訳「源氏物語」を読む

2012-07-17 07:19:28 | 文学をめぐるエッセー

今、日本では、「源氏物語」生誕一千年を記念する行事が目白押しだ。

さて、「現代語訳『源氏物語』を読む」について、読者からご意見をいただいた。
與謝野晶子訳の引用に誤りがある、というものだ。「深い御寵愛」と私は引用したのだが、正しくは「深い御愛寵」だとのこと。お詫びして訂正したい。

また、與謝野晶子訳には3種類あるらしい、ということも教わった。
1回目の訳は、預けていた出版社が倒産して行方不明になった。
2回目の訳は全訳ではなく、かつ、與謝野鉄幹の筆が入っていること。
3回目の訳は全訳で、かつ、鉄幹死後の訳業なので、これこそが「與謝野晶子訳」だといえること。
また、3回目の訳の完成は1927年で、1910年代とした前回の記述を訂正しなければならない。

私の引用した角川文庫版(*)はこの3回目の訳を収録したもので、現在も版を重ねている。
ところが、これと並行して、『新装版』が同じ角川文庫から、今年刊行された。2つの角川文庫版の相違はどこにあるのか? 調べていないので、よくわからない。

以下は、再録です。 (2008/11)

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現代語訳「源氏物語」を読む

来年(2008年)は「源氏物語」生誕一千年だそうである。その機会に、というわけでもないが、「源氏物語」を初めて通して読んでみた。といっても、現代語訳で読んだのである。昨年夏から1年弱をかけてゆっくりと読んだ。

取り上げたのは、谷崎潤一郎の最初の訳になる刊本で、1938年- 41年の発行のものだ。この訳本からも70年経っていて、月日の経過に感慨を覚える。

この本は父の蔵書だったもので、兄に渡り、そして私に来たものだ。すでに中国大陸で戦火が激しくなっている時期に発行されたこの本は、当時の社会情勢から超越したような造りになっている。A5判、函入り、13巻で、各巻には和綴じの冊子が2冊入っている。各冊は、透かし絵入りの紙に文字が印刷されている。透かし絵は長野草風の筆になるもので、今は、残念ながら色あせてしまっているが、当時はさぞ優雅な装丁ぶりであったことだろう。これに、香でも焚きしめてあれば、平安時代の雅な宮廷に誘われること間違いない。

全般を通した感想は:
1.登場人物の系譜などを頭に入れて読まないと、退屈に思うことがある。
全体が、クレッシェンド-ディクレッシェンドの繰り返しになっているためかもしれない。
2.登場人物名の省略と敬語の頻用が隔靴掻痒の感を募らせる。
3.作者(紫式部)の批評・皮肉めいたことばは物語の中核には及んでいない。ほんの「つけたり」
  だ。
4.最後の十帖(宇治十帖)は引き締まった出来で、それまでの中だるみを吹き飛ばしてくれる。
5.全部を一人の作者が書き通したという心証は十分ある。

さて、「源氏物語」の冒頭の一文は次の通りだ。

「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。」(『完訳日本の古典14』、小学館(*))

帝の存在は、明示されていないものの、判別できる仕掛けになっている。
「御時」(おほむとき、と読む)=「帝の御代」
「さぶらひ」=「帝に仕える」
「時めき」=「帝の寵愛を得る」

尊敬の対象は女御・更衣に及んでいる。それは、「さぶらひたまひける」・「時めきたまふ」のように、「たまふ」という敬語動詞でわかるようになっている。

主人公の光源氏の母の存在も明示されていないが、「時めきたまふ(お方、が省略されている)ありけり」という形で文脈の中で暗示されている。「いとやむごとなき際にはあらぬ」とあるので、女御ではなく更衣だろうと推測できる仕組みになっているのだ。

以上の前提を置いて、何種類かの現代語訳を見てみよう。古い順に並べる。

與謝野晶子訳(1910年代)
「どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御寵愛を得ている人があった。」

谷崎潤一郎訳(1938年)
「いつ頃の御代のことであったか、女御や更衣が大勢祇候してをられる中に、非常に高貴な家柄の出と云ふのではないが、すぐれて御寵愛を蒙っていらっしゃるお方があった。」

谷崎潤一郎新々訳(1964年)
「何という帝の御代のことでしたか、女御や更衣が大勢伺候していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰よりも時めいている方がありました。」

円地文子訳(1972年)
「いつの御代のことであったか、女御更衣たちが数多く御所にあがっていられる中に、さして高貴な身分というではなくて、帝の御寵愛を一身に鐘(あつ)めているひとがあった。」

瀬戸内寂聴訳(1996年)
「いつの御代のことでしたか、女御や更衣が賑々しくお仕えしておりました帝の後宮に、それほど高貴な家柄の御出身ではないのに、帝に誰よりも愛されて、はなばなしく優遇されていらっしゃる更衣がありました。」 

初めに、訳文の長さに注目したい。
谷崎潤一郎新々訳(1964年)と與謝野晶子訳(1910年代)が短く、瀬戸内寂聴訳(1996年)が圧倒的に長いのがわかる。

谷崎潤一郎新々訳と與謝野晶子訳に共通しているのは、女御・更衣に対する敬語を訳すのを省略していることだ。これが文章の短縮に貢献している。
一方、瀬戸内寂聴訳(1996年)は、「賑々しく」・「帝の後宮」・「帝に誰よりも愛されて、はなばなしく優遇されていらっしゃる」というように、補足的・説明的な文言を多く挿入しているために、文章が長くなっているのだ。

谷崎潤一郎新々訳(1964年)や與謝野晶子訳(1910年代)か、瀬戸内寂聴訳(1996年)か、どちらを取るかと問われたら、私は谷崎潤一郎新々訳や與謝野晶子訳を取る。文章が引き締まっているのが魅力だ。

次に、帝の存在の表わし方に注目したい。それは、「御寵愛」ということばだ。與謝野晶子訳(1910年代)・谷崎潤一郎訳(1938年)・円地文子訳(1972年)に共通する訳語だ。このことば一つで、帝と光源氏の母との関係が明らかにされている。以降に現われる、他の女御・更衣の嫉妬の記述にストレートにつながる。

谷崎潤一郎新々訳(1964年)が「御寵愛」ということばを止めて、「誰よりも時めいている」ということばを採用したのは、文章を短くするための工夫のようだ。しかし、「時めいて」よりも「御寵愛」の方が優れているのは明らかだろう。

瀬戸内寂聴訳(1996年)は親切心から説明過剰の表現になっている。

帝の存在を示し、女御・更衣にも敬意を表わし、なおかつ短くまとめる訳文は可能か? 與謝野晶子訳をベースに、新しい訳文を考えてみた。

「いずれの帝の御代であったか、女御や更衣が数多くお仕えしていた中に、ものすごく高貴なのではないが、帝の深いご寵愛を得ているお方があった。」(拙訳)

それにしても、與謝野晶子の現代語訳(1910年代)が、百年弱を経過して、なお生命力を保っていることは驚くべきことだ。(以前、現代の日本語は30年か50年で古びる、と述べたことがあったが、ここに例外が現われて、訂正せねばならない。)

源氏物語生誕一千年も素晴らしいが、源氏物語現代語訳百年も同様に素晴らしい事績だと思う。 (2007/6)



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