アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

テッサ・モーリス=スズキ氏による講演「世界の先住権の常識で再考するアイヌ政策」続き

2019-03-22 09:31:06 | 日記

さる2019年3月9日のテッサ講演の続きです。

その前に前回紹介した政府のアイヌ政策推進作業部会第34回議事概要(こちら)に2017年12月から2018年3月までの間に12箇所でのべ286人の声の概要が記されているので、みなさんも是非、確認して頂きたい(特に、説明会に参加し発言された方)のですが、このまとめ方はなんとも狭い解釈で偏ったものかとあきれるほど。いや、政府に都合のいいようにまとめていると言えるでしょう。ふたつだけ引用します。

「アイヌの皆さんを先住民族として認めることについては、法律などを規定して、それに基づく政策を実施してほしい。その際、過去を振り返って、謝罪すべきという意見がある一方で、そういったものから正しいことは生まれてこないので、未来志向で物事を進めるべき。これは後者の意見が多数だった。」

ここで分かるのは謝罪すべきという意見があったということ。しかし、それを覆い隠すように「そういったものから正しいことは生まれてこないので、未来志向で物事を進めるべき」という意見を多数意見として紹介し、そちらのほうが正論であるかのように印象付けし、謝罪することの意味や重要性を無視してしまっています。

先住民族への謝罪はつい最近では、台湾にて2018年8月1日の台湾の祝日「原住民族の日」に、蔡英文総統が原住民族に謝罪。オーストラリアではテッサさんも言及していましたが、2008年2月13日にラッド首相がアボリジニに謝罪。ノルウェーでは1997年10月にハラルド5世国王が第3回サーミ議会の冒頭でサーミに対して過去にノルウェー統治下に苦しみを与えたことを謝罪。

また、2017年11月25日、カナダのトルドー首相が先住民族を傷つけたと謝罪NHKニュース。その謝罪の中で「国民すべてが過去を認識し未来に向かって歩まなければならない」と述べたとあります。先ほどの「そういうもの(謝罪)から正しいこと(さらに未来志向)は生まれてこない」と真逆のことが言われているのです。トルドー首相が言うように、過去をきちんと認識し謝罪してこそ正しく未来にむかうことができるとわたしも考えます。が、謝罪を拒みたいがゆえに、先ほどのようなまとめとなるのでしょう。

 川村カ子トアイヌ記念館のチセ 雪下ろし前

もう一つ、次の文を紹介します。

「土地・資源の返還、利用については、謝罪を求める方の中でも特にそういったものに強い思いがある方から、北海道をアイヌに返すべきという意見がある一方で、今からアイヌの皆さんに土地を返すことは現実的でないので、むしろ国有地等について、アイヌの皆さんが共同して使えるような仕組みを作って欲しいという意見。これも後者の意見 が多数だった。」

日本政府も賛成票を投じた2007年に採択された先住民族の権利に関する国連宣言(ここ)26条には、「先住民族は自己が伝統的に所有し、占有し、又はその他の方法で使用し、又は取得した土地、領域及び資源に対する権利を有する」とあり、国はそれらの土地、領域および資源を法的に承認・保護しなければならないとあるのだから、政府はまず返還することを真剣に考えなければならないはずです。そして、返還を求める声があったということを重く受け止めるべき。それを「現実的でない」という言い方でごまかし、国有地等についてアイヌアイヌの皆が共同して使える仕組みをつくってほしいという意見でまとめあげています。この意見には「返還」が削がれ、「使用許可」をお願いするかたちに変えられています。ちなみに、国連宣言28条には土地や資源が返還不可能な場合には「正当で公平かつ衡平な補償によって、救済を受ける権利を有する」とあり、先住民族が「自由に別段の合意をしない限り、補償は、同等の質、規模及び法的地位を有する土地、領域及び資源という形態、金銭的補償又はその他の適当な救済の形態をとらなければならない」と義務付けているのですが、そんなことは無視されています。国の都合のいいように意見を捻じ曲げているのです。

その後も、漁業権もなぜか許可制度の改善のお願いになっていたり、「多数」と言う言葉で少数意見をもみ消すような報告のしかたが続きます。大問題です。

 チセ雪下ろし後

さて、テッサ講演の続きです。

この度の法律案はアイヌ民族の「権利」のためではなく、「管理」のためではなかろうか、と述べた根拠として、他国の先住民族の法律と比べて極めて明瞭だ、と。資源権は各国によって違いがあるので一概には言えないがカナダの場合はすでに先住民族に返還された土地を除外しても国有地の一部や広大な国立公園の半分に採集・収穫・狩猟権がある。オーストラリアでは連邦ゆえ各州によって法律は異なるが原則として国有地の一部および国立公園における採集・収穫・狩猟権が保障されている。ニュージーランドはワイタンギ条約により諸権利が保障されている。以上の3カ国は先住民族の資源権のみならず、土地権もある程度まで認められていると紹介。

ひるがえって、今回の法律案では先住民族アイヌの権利を全く認めていない。代わりに文化維持活動のために政府あるいは自治体が作成した計画の枠組みだけで先住民族の資源利用を配慮してくれるとなっている。これはアイヌの経済的社会的な自立拡大のためものではなく、むしろアイヌに対する国家の権限と任意裁量権を増大させるものだと考える、と言われました。

この法案によってアイヌ関連の予算は増えるだろう。しかし、それらの最終決定権を持つのはなんと内閣で設置されるアイヌ政策推進本部だ。また、アイヌは地方自治体を通して文化事業などを提言は出来るが、それを採択されるかどうかを決めるのは地方自治体。結局、地方自治体が認可して、さらに国が予算支出の決定を下すことになっている。白老に設置される民族象徴空間を管理するのは政府が認定する指定法人。行政府が法人の運営などの最終決定権を持つことになる。これでは、アイヌの先住権や自己決定権(自決権)を認める法律とはとても言えない。むしろ国家がアイヌのアイデンティティ、文化、未来を管理できる法律となっていると考える、と。

安倍首相は今回の大198回通常国会における施政方針演説において、「広くアイヌ文化を発信する拠点を白老町に整備し、アイヌの皆さんが先住民族として誇りを持って生活できるよう取り組みます」と、はじめてアイヌ民族に関することを述べた(ココ)。しかし、たいへん驚いたのは、この発言は人権や共生の項目ではなく、「観光立国」の項目だ。観光問題として扱い、さらに驚くべきことはこの問題に関して大手メディアが一切批判にしなかったことを指摘。

オーストラリアでは2000年にシドニーオリンピックが開催された。この機会に政府は開会式においてアボリジニの文化に関するセレモニーを行い、観光・産業の活性化を目論みました。当時のハワード首相は「奪われた世代」への謝罪を拒んだ保守派だったが、先住権に関する議論が盛り上がった。30万人を超える抗議デモも行われた。おりピックではアボリジニのキャシー・フリーマン選手が女子400mで優勝し、オーストラリアの国旗と共にアボリジニの旗で自分のからだを包んだという大変感動的な場面があった。そして、閉会式で人気歌手のミッドナイト・オイルが「sorry=謝罪」の文字の入ったTシャツを着て、政府の先住民族政策に抗議する歌を披露。

「時は来た。公正でなければならない。借りている家賃を払おう。負担すべきものは負担しよう。時は来た。事実は変えられない。この土地は彼ら彼女らのものなのだ。それを返そう」

2000年シドニーオリンピックはアボリジニの先住権の闘いの節目となったと記録されている。前例に習うとしたら、2020年の東京オリンピックは日本の先住民族アイヌの声を世界に届ける絶好の機会となるのではないかと、わたしは信じるとエールを送ってくださいました。

最後は、シドニーオリンピックの閉会式の一部を披露。ミッドナイト・オイルが「地球が変わっていこうとしているのに、どうやって踊ればいいんだ。ベットが燃えてるっていうのに、どうやって寝るんだ。時は来た!公正でなければならない!事実は変えられない!」と歌っているのが大変印象的でした。


テッサ・モーリス=スズキ氏による講演「世界の先住権の常識で再考するアイヌ政策」

2019-03-20 11:27:53 | 日記

さる2019年3月9日に札幌教育会館にて、テッサ・モーリス=スズキ氏による講演「世界の先住権の常識で再考するアイヌ政策」があり、司会をさせて頂きました。

講演では、はじめに2月に国会に上程された「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律案」(以下、「法律案」)に関して、「大変驚いた」とコメントされました。アイヌ民族を先住民族として初めて明記したことはいいことだが、先住民族が有する権利(先住権)に関しては一切触れていない、国際的に言っても奇妙な法案だ、と。世界の共通認識として先住民族には先住権があることは切り離すことができないことなのにそれが記されていない。しかも、メディアは取り上げているところもあるが、その内容と背景は不十分だ、と。

海外における先住権獲得の事例として1970年代にアボリジニ(オーストラリアの先住民族)に無認可でオーストラリア大学が過去に「発見」し持ち帰って研究したムンゴーマン(ムンゴー湖で見つかる4万2千年前の人骨)をアボリジニに返還したことをビデオを含めて紹介。(オーストラリアには公共放送として先住民族テレビ局がある)。

特に、研究に加担した学者のひとりが43年という長い時間をかけて反省し、「遺骨は我々に語りかけている、あなたがたはわたしの土地になにをしたのか、わたしの仲間になにをしたのか、と」の言葉から、植民者側が真摯に先住民族の声を傾聴することの大切さを訴えました。

オーストラリアでは「奪われた世代」(同化政策でこどもを親から引き離して寄宿舎生活を強いられた世代)の誤りに気づき、1980年代に政府は調査委員会を設置、1997年に調査委員会の報告書ができた。そして2008年にラッド首相は分厚い報告書をすべて読み、先住民族の声を時間をかけて傾聴し、謝罪を行った。その後、奪われた世代のサポートシステムの構築、先住民族の教育、住宅、医療等の改善を行った。さらに、国として「謝罪の日」を設定した。傾聴することの大切さを強調。

ひるがえって今回の「法律案」作成時に関連付けて検証すると、日本政府はアイヌの声と意見を聞くのがあまりに不十分だと指摘。アイヌ政策推進会議(以下、推進会議)報告では2017年5月から2018年3月まで、のべ36回の意見交換会や説明会があり、のべ530人が参加したとある。この数はアイヌ人口の多くとも2パーセントになるかならないかの少数。アイヌ構成員すべての意見を聞くことは困難だろうが、わたしのような者でもこの報告書は不思議だ。まず、意見交換に関わる手続きに関する情報が不十分。報告書には2017年12月から2018年3月までの間に12箇所でのべ286人の声を聞いたとあるが、それ以外の24箇所はいつ、どこで、誰と行われたかは明記されていないし、4ヶ月弱に真冬に行っていたことに疑問がある。なぜ急いだか。海外の事例を見るとき、このような法律が成立する前には2〜3年の意見交換がある。

たぶん、この疑問の答えは2020年の東京オリンピックが関連するのだろう。つまり全世界が注目する国際行事の前になんとかアイヌに関する法律を制定させておきたかったのでしょう。しかし、この法律の目的であるアイヌ文化に対する尊敬やアイヌの権利とオリンピックにいったいどんな論理的関連性があるかまったく理解できない。

それとアイヌの意見がどれほど反映されているのかも大きな問題だ。推進会議の報告(参照)によるアイヌの側が要望した内容は、資源権に関する要望、特別議席、文化保存振興、教育充実支援、高齢者生活支援、差別罰則規定などあったが、今回の法律案とはほぼ接点はない。新しい法律案のキーポイントはこうであろう。象徴空間の管理について、地方自治体が作成するアイヌに関連する項や、農林水産業の推進に関する項、そしてアイヌの商品登録について、内閣に設置されるアイヌ政策推進本部に関すること。法案にはアイヌへの差別の禁止が書かれているが、不思議なことに罰則規定がない。すなわち、政府からのお願いでしかない。説明会でアイヌからの提案・要求にあったもので、アイヌ文化振興と知的文化保護については一定程度盛り込まれているが、それ以外は接点はない。

国有地の資源利用や鮭の漁業権の設定について法律案では山林での採集や鮭狩猟に関する項目が含まれてはいる。資源権に対応しているかのように思う人もいるかも知れないが、法律案の文言にはアイヌに関する権利ではなく特別措置となっている。それは中央政府や地方自治が「配慮する」となっている。それも生活のためではなく伝統技師式継承のためとなっている。しかし、先住民族の権利に関する国連宣言(2007)26条には、先住民族には土地や資源を有する権利があると書かれている。アイヌが有するはずの権利を「行政が配慮する」とはいったい何事か。

ここでこの法律案の根本的な問題に触れる。この法案には先住民族が有する「先住権」という言葉はひとつもない。「権利」という言葉は4回出てくる。第1章第4条に国民一般の権利について触れ、第1章18条に商標登録により生じる権利、第1章第16条には林産物の採取の権利。しかし、16条は「認定市町村の住民」がアイヌであるかどうかは不特定だし、いちいち農林水産大臣に認可を得なければならないところから考えると、権利とは言えない。実は、この法案の中でしばしば出てくるのが「管理」という言葉だ。「権利」の4回に比べ、「管理」は25回も使われている。これはアイヌの権利に関するものではなく、アイヌの管理に関する法律だ。

参考:推進会議記録(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/seisakusuishin/dai34/gijigaiyou.pdf)

皆さんに紹介したく途中から、テープ起こしのような文になりました。まだ、続きがありますので後日UPします。なお、当日のアイヌ民族の皆さんからの発言はYouTubeにUPされていますので、コタンの会のフェイスブックからご覧ください。

コタンの会

https://www.facebook.com/kotannokai/?__tn__=kC-R&eid=ARCEyGN7rp7xxOQ63dFheDP2XHijec4JMdRy-A1-DCgG3KcYn-Io_mPx3P6jlfRROyM1Jwl_Df263ONs&hc_ref=ARQ6_fp-Lyr594p3p1XmlEctKzhtNOx0IlwX7vglACDLSfXJYMMeGamnNDuOwAOrg7I&fref=nf

当日の資料(500円)


慰霊施設へ集約した遺骨もすべてのアイヌの皆さんもDNA検査をするということ?

2018-10-06 18:57:52 | 日記

新ひだか(旧静内)町遺骨返還訴訟の報告です。この裁判についての説明は過去ブログを参照ください。

昨日の10月5日に公判がありました。先方被告側の補助参加人(新ひだかアイヌ協会)が、こちら(原告:コタンの会)の求釈明に対し、回答を出して来ました。

こちら(原告:コタンの会)は前回、遺伝子を調べて遺骨を祭祀承継者に返還することは不可能だと主張しました(前回の裁判報告2018/06/26記事参照)。それに対し、今回、被告補助参加人(新ひだかアイヌ協会)は、斎藤成也氏(国立遺伝学研究所教授)の文章を証拠品として提出し、「現在においては、数世代離れた親族関係を推定することが理論的には可能となっており、さらに近い将来には、より離れた親族関係の推定も可能となると推測している」と回答してきました。

結論から言うと、こちら(原告:コタンの会)からは、被告に対して再度、求釈明(説明を求める)文書を出しました。内容は、遺伝子によって仮に「親族」ないし「遺骨の子孫」が解明されたとしても、さらにそれらの人々が「祭祀承継者」であることをどのように判定するのかを明らかにしなさいというものです。

繰り返しになりますが、前回の公判(2018/06/26記事参照)でも指摘したところを先方は無視しているのです。その部分を少し長いですが、あえて再掲載します。

引用始め****

3. 祭祀承継者というのは法的な概念(科学的に断定できるものではない)

仮に遺骨のDNA鑑定によって現在の特定人と遺骨とが血縁関係にあることが判ったとしても、それだけではその特定人が祭祀承継者か否かはわからない。祭祀承継者を明らかにするためにはまず戸籍が明らかであること、次に家督相続人が明らかかであるか(戦前の遺骨の場合)、慣習ないし相続人間の協議内容の確定(戦後)がない限り、祭祀承継者の特定は法的には不可能。しかも、その遺骨の死亡時から数世代が経過している以上、その間の相続関係(戸主の変遷(戦前)、相続人間の協議等(戦後))も明らかにされなければ現在における遺骨の祭祀承継者は確定できないことも明らかであり、これは不可能。

****引用終わり。

 

さて、斎藤成也氏(国立遺伝学研究所教授)の文章ですが、一読して感じたのは極めて一方的な専門分野からの報告で、被告側の主張に対し、まったく的外れでした。もちろん、被告側の証人ですからそうなるのでしょうが、この違和感は、先日、コタンの会らが国立科学博物館と山梨大学宛に出した質問書の回答を読んだ際にも感じられたものでした。この件に関しては後日、詳しく書こうと思いますが、そのやりとりはこちら

(質問 http://hmjk.world.coocan.jp/sapporoikadaigaku/questions20180514.html

(回 答 http://hmjk.world.coocan.jp/sapporoikadaigaku/kahaku_reply20180729.pdf

(再質問 http://hmjk.world.coocan.jp/sapporoikadaigaku/questions20181001.html

を参考にしてください。

原告のコタンの会らが、遺伝子研究のために遺骨を損傷したことは先祖への冒涜であり、人間の命の尊厳を無視した研究倫理上、大きな問題であると責任追及した際、この回答(国立科学博物館も山梨大学も全く同じものが送られて来ました)には、分析には損傷は必要なんだということと「貴団体がかんがえておられる「損傷」の程度はわかりませんが、私たち研究者もむやみに遺骨を損傷しようとしているわけではありません」と述べるのです。「損傷」すること自体を批判されているにも関わらず、「むやみに損傷しようとしているわけではない」とは、全く噛み合わない回答です。

 

この度の斎藤文書もDNA研究が「爆発的に加速し」、「(解析の)コストの劇的な下落」もあり、「この分野の基礎研究や応用研究を加速している」と、自ら行なっている研究に関して絶賛しています(まるで宣伝トーク)。が、しかし、とても大切なことが抜け落ちています。この裁判で原告側の主張は、遺骨を傷つけることなく直ちに返還し再埋葬したいという願いです。遺骨収集過程の問題はもちろんのこと、地元コタンに対する反省や謝罪もなく、さらに再度、研究材料として用いることへの説明と同意(インフォームド・コンセント)なくして、いくら研究の効果を述べても、全く響きません。

以前にも書きましたが、昨年に日本考古学会・日本人類学会・北海道アイヌ協会の三者が共同で作成した「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル最終報告書」(概要はこちら。最終報告書全文はこちら)には、従来の研究はアイヌ民族の声を聞いてこなかったし、遺骨等の収集に関しては十分な説明と同意の取得がなされなかったとし、「研究者は真摯に研究の目的と手法を事前に適正に伝えた上で、記録を披瀝、自ら検証していくことが必要である」と述べています。さらに、研究倫理の観点から見て今後の研究対象とすることに問題があるものとして「研究の実施についてアイヌの同意がえられないもの」とあります。同意がえられることを前提としている宣伝トークに納得がいきません。

また、これらの前提となっていることは、大学等にある遺骨は白老に集約保管しながらDNA鑑定を行うこと、遺骨は全道から「発掘」されたものですから、祭祀承継者を適合させるためには、いまおられるすべてのアイヌ民族の皆さんのDNA鑑定も行い、祭祀承継者が判明した遺骨を順次、返還していくということになっています。

アイヌ民族の皆さんはこのことを承知し、承諾しているのでしょうか。少なくともコタンの会やわたしの身近で遺骨返還を望んでいる皆さんは認めていません。このことを広くアイヌの皆さんにお伝えすることが大事だと考えます。

もうひとつ、前回にも述べましたが、アイヌ政策推進作業部会が検討した際(2014/4/16)に、遺骨からDNAを抽出して遺族を確定することは事実上、不可能だと東京歯科大学名誉教授水口清氏が説明しています(議事録(第16回)を参照)。この説明は4年前ゆえ、もう意味がないのでしょうか。 

様々な疑問がわく斎藤文書でした。

留萌の夕日


浦幌にてアイヌ遺骨の再埋葬とイチャルパが行われました。

2018-09-25 12:40:00 | 日記

ひと月も前のことになりましたが、さる8月18〜19日にかけて、浦幌にてアイヌ遺骨の再埋葬と慰霊のための儀式イチャルパが行われ、協力と参列をしました。

昨年に82箱のご遺骨が返還され再埋葬が行われました(ニュース動画参照)が、他に13名のご遺骨が北海道大学に保管されていました。いずれも1934年(昭9)10月27〜31日の間に、浦幌待ち愛牛(旧十勝郡浦幌村大字愛牛)にて北大医学部解剖学第2講座が「研究資料収集のため」「発掘」したものです。 

今回の13名は名前が判明しており、大学側がインターネットにて情報公開をして引き取り手(祭祀継承者)を探していたものです。1年を経て引き取り手がなかったことで、返還請求をしていた浦幌アイヌ協会に返還することになりました。

✴︎北海道大学は保管しているアイヌのご遺骨を「祭祀承継者等」に返すことを基本としてるため、ご遺骨と名前が一致するものにかぎり、「祭祀承継者」ではないコタンの会やアイヌ協会等にはすぐに返還せず、1年間、情報公開して「祭祀承継者」が返還を希望されたらそちらに返還し、名乗り出なかった際は返還請求している団体に返還するという手続きを取っています。北大側のくわしい説明は北海道大学遺骨返還室HPへ。

ただ、情報公開と言っても、公開されるのは発掘・発見された時期と発掘・発見された場所。性別、推定年齢にその他参考事項のみであり、個人名については、「個人情報やプライバシーの保護の問題が生じる可能性を排除しきれず公開しない」とのこと。名前が分からないでどうやって「祭祀承継者」は自分の遺族を探せというのでしょう。また、この返還の問題については、かつて市川弁護士が批判をしていますので参考にしてください。こちら

 

さて、当日、北大から返還された13体は、昨年に埋葬した墓地の隣で行いました。

昨年の返還と再埋葬の報告ブログ

今回は、北大の納骨堂での確認はせず、浦幌墓地にて13箱の中身を確認しました。13箱中、北大の資料には11箱に「全身骨」と記されているものの、いずれも全ての骨はなく一部分のみ。「全身骨」の表記はどのような意味があるのか前回から不思議に思うところです。「発掘」当時の「研究対象」は頭骨でしたから、他の四肢骨はどうでもよかったのでしょう。ちなみに現在、コタンの会で返還訴訟を起こしている新ひだかのアイヌ遺骨は、大学側が頭骨だけを持ち去り、残りの遺骨はまとめて焼却しています(くわしくは過去ブログを参照してください)。

残りの2箱のうち、ひとつは成人女性の頭骨の一部、残りのひとつはこども男子の頭骨の一部。さらに、今回はもう一箱、昨年に埋葬された遺骨と同一人物と確認できた環椎の一部の計14箱を確認し、埋葬しました。 

埋葬とイチャルパの後、浦幌アイヌ協会の差間正樹会長は以下のコメントをされました。インタビュー記事

「私たちは、あくまでも、先祖の骨は地元に返していただいて埋葬するという、そういう考え方で今まで行動して参りましたけれども、全道的にもそういった動きになってくれればと思っております。先祖を自分たちの土地にお迎えして、それでつくづく分かったことはですね、私たちは先祖と友にある、という考え方。たいへん私たちの心に強く影響を与えております。これをぜひ全道のアイヌのみなさんにお伝えしたいと思います。」

北大に対しては以下のコメント。

「いろいろあるんですよ。やっぱり謝罪と賠償というのは、私はやっぱりこれは、私たちは裁判では和解ということで取り下げておりますけれども、やはりこれは研究者に対してですね、責任ていうものをもう少し感じてほしいと思っております。」

 

今回も遺骨に対応する副葬品が複数あり、計21件が返還されました。

副葬品の中のひとつに、魚を捕る網を繕う道具である「あばり」がありました。この写真は、萱野茂二風谷アイヌ資料館の展示品のひとつ。ここでは「アパリ」とありますが、ほぼ同じものでした。

 

浦幌から出土した遺骨は、現在、札幌医科大学にも1体あり、現在、返還の裁判が行われています。詳しくは過去ブログのこちらを参照にしてください。

浦幌の朝焼け(撮影:三浦 結)


地震後の二風谷訪問

2018-09-20 12:30:52 | 日記

9月10日に萱野茂二風谷アイヌ資料館を訪ねました。建物はそうとう揺れたようで展示ガラスケースの大きなガラスかなり割れていました。わたしが訪ねる前にほぼガラス掃除は終わっていました。

仲間が写真をブログにアップしています。日本キリスト教団北海教区胆振東部地震支援ブログ

幸いにも重要文化財指定の展示品は被害が少なく救出でき、その掃除と平取町立二風谷アイヌ文化博物館の学芸員のOさんがヌサ(神棚)の再展示をされたのを少しお手伝いしてきました。

 

地震の前日(5日)にマイノリティ宣教センター主催のフィールドワークで30名と共にお訪ねしたばかりだったので、そのメンバーに展示部分の写真を撮っていたら送ってほしいと連絡をとりました。

さらに、萱野志朗館長の離れた事務所から大きな展示ケースを運搬したいとのことで、ちょうど隣町の鵡川まで来ていた北海教区の仲間に協力を要請して駆けつけて頂き6名で無事に設置できました。すぐに書籍やイクパスイ(棒酒箸)を展示し、翌日の11日から1階部分は開館できるようになりました。 

2階部分は20年以上前から年に一度、掃除と展示整理に来られている武蔵野美術大学のOGのお二人が急きょ手伝いに来られて数日かけて再展示し、19日から見学可能になりました。

 再展示後。

わたしとアイヌ民族情報センタースタッフの齋藤開さん(美馬牛福音教会)は18日に再度、記念館をお訪ねし、武蔵美OGの指示に従ってお手伝いをしたり掃除をさせて頂きました。すると、Yさんというご婦人がわたしを訪ねて来られました。お話を伺うとYさんは故萱野茂さんご家族と親交が深く、記念館をよくご存知の方でした。また地震1日前にフィールドワークで訪ねたメンバーの1人に甥がおられ、わたしの写真提供の情報がYさんにも届いたそうです。Yさんは、それならば武蔵美の知り合いに連絡を取って来て頂くのが一番と考え、連絡をしてくださって、急きょ来て頂いたとのことでした。当日のお手伝いは専門的なことゆえほとんど役に立ちませんでしたが、応援要請には協力できたかと。

 

余震は続いていますが、震度5程度でも展示物は動かないとのこと。また、博物館を再開するためには展示ケースの割れた特注のガラス戸複数枚と展示ケース複数補充購入など費用がかかる模様。さらに、講堂部分の天井や壁の破損、壁と床の継ぎ目がずれているなども含めて現在、業者に見積もりをお願いしているところ(業者側が忙しいので待っている状態)とのこと。見積が出た段階で募金要請を出すように今から準備します。

      

18日は北海教区でアイヌ民族の権利回復のためにご尽力くださり、『チキサニの大地』の著者のM夫妻をお見舞いしました。建物は無事でお二人ともお元気でした。

さらに、以前からお世話になっている二風谷荘の貝澤輝一さん宅をお訪ねしました。戸が閉まらなくなったところがあることや、余震の揺れの度に不安になるが、今回の地震で地盤が緩んだのか大型トラックが国道を通る度に揺れるのが困るとのこと。また、二風谷荘部分の片つけ等は娘さんに任せておられるとのこと。なにか人手がいるようなことがあれば連絡くださいとお伝えいました。

     

貝澤耕一さん宅も訪問。自宅は無事であったが息子さんの太一さん宅の煙突が折れ、食器が多数割れたとのこと。また、シケレペ沢が山崩れで木や土砂で埋もれてしまいました。幅20メートルほどでしょうか、山が崩れ、たくさんの木が倒れ、土砂が崩れています。今後、どうするかを相談の上、撤去する際には救援の依頼をだすとのこと。

二日後に連絡が入り、このままだと国道にも影響を与えかねないとのことで19日から業者が入り、木と土砂の撤去作業を始めたとのこと。今後の要請を待つこととなりました。

平取町立二風谷アイヌ文化博物館は展示品を固定していたため被害は少なく、13日には開館したとのこと(事務所の散乱がひどかった)。 

さかのぼって、12日に旭川川村カ子トアイヌ記念館を訪問。展示品も無事で電気も翌日に復旧したとのこと。


川村カ子トアイヌ記念館 リニューアル!

2018-07-25 08:48:31 | 日記

川村カ子トアイヌ記念館は1916年に現在の三代目館長川村シンリツ・エオリパック・アイヌ(先祖を大事にする人)さんの祖父イタキシロ(言論正しい)氏が記念館専用のチセ(家)を建て、先祖や近隣の人たちが使用いていたアイヌ民具を展示したのが始まり。

創立102年の歴史を持ち、道内では最も古い記念館です。

創設当時、すでに十数箇所に散在していたアイヌ・コタンはみな近文地区の「給与予定地」に追いやられて「近文アイヌ」と俗称され案内札まで建てられていました(案内札は1970年代まであったと言う:川村談)。さらに1900年に第七師団が設置されたのをきっかけに和人が激増し、多くの和人が「見物」に来ました。皇族が来た時など、「旧土人学校(豊栄小学校)」では、授業をやめて接待のためにイオマンテ(熊送りの儀式)の真似をさせ踊らされたようです。そのような見世物扱いをやめさせるべく、イタキシロ氏は記念館を建て、アイヌとしての誇りをもってアイヌ民族とその文化を伝えるべく私財を投じたのです。

館内にはアッシ織りの着物やコタンコロカムイ(エゾしまふくろう)の剥製、砂澤ビッキの作品など約300点が展示・収蔵され、見ごたえがあります。建物の周りには、クネニ(弓つくる木: イチイ)や、イナウ・ニ(御幣つくる木:ミズキ)、トレップ(エゾオオウバユリ)など、アイヌが生活に常用していた木や植物も多く植えてあり、アイヌ語の地名であるチカップ・ニ(鳥・いる処:近文)の名のごとく、多くの鳥も憩いにくる豊かな場所です。

今年の年初めは旭川も豪雪で、2月末に旭川星光教会の牧師ファミリーと当センターに実習に来ていたRさんと共に二日ほど記念館屋根の雪おろしを手伝いました。ところが、3月末に落とし残していた部分が屋根ごと落ちてしまい、大惨事に。急遽、旭川の牧師達にも協力を得て、排雪と壊れた屋根や展示品の撤去作業を手伝いました。

数ヶ月たった昨日(7/24)、久しぶりに記念館を訪れると、屋根が落ちた部分が再建され、とてもおしゃれに変身。

さらに、展示コーナーもアイヌ民族文化財団の協力のもと、とても見やすくリニューアルされていました。ぜひ、この夏にお訪ねください。

川村カ子トアイヌ記念館HP

              

来たる7月27日(金) 夜7時半より、NHKでシリーズ北海道150年第2週「アイヌ民族 家族の物語」に記念館が紹介されます。

http://www4.nhk.or.jp/P2867/


大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況等に関する調査 調査票

2018-07-10 12:46:30 | 日記

第31回アイヌ政策推進作業部会の議事概要が出ました(第31〜34回の議事概要はしばらく出されていませんでした)。第31回は昨年の2017年4月に開催されていたのに、1年以上も未公開のままでした。

内容を見ると、最初に大学等におけるアイヌ遺骨の保管状況の再調査結果の報告があり、「これらの資料については、今後、文部科学省のホームページ等で公開をする予定」とありますが、再調査結果をクリックして見ることができます。

また、「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル最終報告書」に関する件が審議されています。この概要はこちら

この「(3)研究の対象となりえる遺骨と副葬品」には、「研究倫理の観点から見て研究対象とすることに問題がある」として、研究対象にしないとする4項目が記されています。その4番目には

iv・ 収集経緯が不明瞭であるものや時代性や埋葬地に関する情報を欠如するものや資料の正当性を担保する基本的データが欠如するもの。そのほか調査行為自体に研究倫理の観点から見て学術資料として活用することに問題を含むもの

とあり、現在、大学等に「保管」されている遺骨が該当するのですが、ここには以下の但し書きがつけられています。

なお、iv」の条件に該当するもののうち、アイヌを交えた検討と判断の結果として、研究の有効性がしかるべき手続きを経て保障される場合には、限定的に研究を行う可能性も残される

この、「アイヌ」は「北海道アイヌ協会」を指すのか、個人のアイヌを指すのかは不明ですが、数あるアイヌグループの一団体だけ、あるいは個人を交えて「検討と判断の結果」で研究が出来ると書かれているのです。

 

北大開示文書研究会のメンバーが『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況等に関する調査 調査票』の開示請求をし、開示されたデータファイルを研究会サイトで見ることができます。こちら

じっくりと確認していこうとおもいます。北大、札医大に関して状況は把握できていましたが、他の10大学は初めてです。東京大学が「保管」しているアイヌ遺骨は全201体のうち、かなりの数を小金井良精が「発掘・発見」し、「調査研究の一環として収集」とあります。「収集場所」も仲間が数えてくださり35の自治体(クナシリやサハリン、シュムシュ島、エトロフ等含む)から掘り出しています。

調査票には、わかりにくいところも多々あります。たとえば、

①大学における調査の結果、個体ごとに特定できたもの(個体ごとに整理)」

②大学における調査の結果、個体が特定できなかったもの(保管している単位ごとに整理)

との分類の仕方。②の表には「成人3 未成人2」と個体が特定できているように読めるところがあるのですが、どういう意味でしょうか。

 

さて、北海道大学のアイヌ・先住民研究センターの研究員である方が、ツイッターで以下の発言をされていることをdon-xuixoteさんの7/2ブログで知りました。

「2020年開館を目指して建設予定の「国立アイヌ民族博物館」ですけどね。必要ないです。そもそもアイヌ民族は博物館なんて欲しがってないです。学芸員予定で採用されたのも和人ばかりで、アイヌ民族にはほとんどなんの関係もない施設です。作る必要が全くない。」 こちら

「そもそも国立アイヌ民族博物館構想はアイヌ遺骨研究施設と、事実上抱き合わせの企画でした。遺伝子研究を狙う人々にとって博物館はいわばダミーでしかなかった。アイヌ遺骨研究計画が頓挫した今となっては博物館を欲しがる人はもういない。作らなくても全く問題ない。」 こちら 

ツイッターをやっていないのでわからないですが、誰でも読むことが出来るのですね。下段の「国立アイヌ民族博物館構想はアイヌ遺骨研究施設と、事実上抱き合わせの企画でした」ときっぱりと言われています。そうだろうとは感じていましたが、確実な証拠をもっておられるということでしょう。「遺伝子研究を狙う人々にとって博物館はいわばダミーでしかなかった」にも驚き。上段の「そもそもアイヌ民族は博物館なんて欲しがってないです」には、わたしの周りのアイヌ民族の方は同意見。「学芸員予定で採用されたものも和人ばかりで、アイヌ民族にはほとんど関係もない施設」という発言は、学芸員予定者のリストを見たということでしょう。アイヌ民族の方の雇用につながらない施設は問題があるのではないでしょうか。

ただ、以前からこのブログでも指摘しているように(例えば最近では6/26記事や上述)、遺骨の遺伝子研究の可能性はまだありますので「頓挫」したとは言えないでしょう。

ひとり芝居の舞香さんが、ご自身の公演「神々の謡」の2公演分のDVDを送ってくださいました。映像がとてもきれい。みなさんに宣伝して、ぜひわたしたちの力で生公演をと願っています。感謝、感謝。

金成マツさんと知里幸恵さんの墓前で祈祷(銀のしずく記念館をお訪ねする度に寄らせて頂いています。この写真は今年の4月にお訪ねした時のもの)。


先住民族に土地を返した事実はある!

2018-07-06 14:32:54 | 日記

don-xuixoteさんのブログの7/2の記事をみると、さる、6月28日に内閣官房の小山参事官とアイヌの参加者が話し合いを持った際に、小山参事官が「世界で先住民族に土地を返した事実があるのですか? 自分たちが調べた限りでは世界で先住民族に土地を返還した事実はない」と言ったとの話(しかし、「これは間接的な情報なので、そういう主旨のことを言ったという程度に読んで戴きたい」とも書かれています)。それに対し、アイヌ側の出席者が「返還した事実があれば、日本もアイヌに返還するのか」と聞いたけれど、小山参事官からの返事はなかった、と。

先住民族に土地を返還した事実があることをdon-xuixoteさんはオーストラリアでの例で紹介(The Guardian, 21 June 2016)。さらに、わかりやすく地図(オーストラリア国立大学のジョン アルトマン教授作成)も紹介して証明しています。地図には1788年の時点では、オーストラリア全土が先住民族のものだったのが1965年には事実上0になり、1960年代半ばから土地回復運動が徐々に進行し、1993年と2013年の時点で増えているのがよくわかります。

また、7/5の記事によると、カナダ政府がモゥホークのガナワーゲ コミュニティに対して土地返還を正式に決定したという新たなニュースを紹介。

 ニュージーランドも過去のニュース記事の記憶では、土地の返還を行なっていたかと。この小山参事官の発言がどういったものだったか真実を知りたいものです。そして、誠実に土地返還を含めた先住権の審議をするべきだと考えます。ちなみに、先住民族の土地への権利に関して2007年に採択された国連の先住民族権利宣言ここでは、25条から28条に書かれています。

第25 条 【土地や領域、資源との精神的つながり】 先住民族は、自らが伝統的に所有もしくはその他の方法で占有または使用してきた土地、領域、水域および沿岸海域、その他の資源との自らの独特な精神的つながりを維持し、強化する権利を有し、これに関する未来の世代に対するその責任を保持する権利を有する。

第26 条 【土地や領域、資源に対する権利】
1.先住民族は、自らが伝統的に所有し、占有し、またはその他の方法で使用し、もしくは取得してきた土地や領域、資源に対する権利を有する。
2.先住民族は、自らが、伝統的な所有権もしくはその他の伝統的な占有または使用により所有し、あるいはその他の方法で取得した土地や領域、資源を所有し、使用し、開発し、管理する権利を有する。
3.国家は、これらの土地と領域、資源に対する法的承認および保護を与える。そのような承認は、関係する先住民族の慣習、伝統、および土地保有制度を十分に尊重してなされる。

第27 条 【土地や資源、領域に関する権利の承認】 国家は、関係する先住民族と連携して、伝統的に所有もしくは他の方法で占有または使用されたものを含む先住民族の土地と領域、資源に関する権利を承認し裁定するために、公平、独立、中立で公開された透明性のある手続きを、先住民族の法律や慣習、および土地保有制度を十分に尊重しつつ設立し、かつ実施する。先住民族はこの手続きに参加する権利を有する。

第28 条 【土地や領域、資源の回復と補償を受ける権利】
1.先住民族は、自らが伝統的に所有し、または占有もしくは使用してきた土地、領域および資源であって、その自由で事前の情報に基づいた合意なくして没収、収奪、占有、使用され、または損害を与えられたものに対して、原状回復を含む手段により、またはそれが可能でなければ正当、公正かつ衡平な補償の手段により救済を受ける権利を有する。
2.関係する民族による自由な別段の合意がなければ、補償は、質、規模および法的地位において同等の土地、領域および資源の形態、または金銭的な賠償、もしくはその他の適切な救済の形をとらなければならない。(市民外交センター仮訳 2008.09/21)

オオアカゲラ

いましがた、文科省情報公開係から仲間が開示請求していた『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況等に関する調査 調査票』のデータファイルが届き、北大開示文書研究会サイトにアップされました。こちら

北大・札医大は以前に開示請求し、状況は把握できていましたが、それ以外の各大学アイヌ遺骨収蔵状況が記されています。各地のアイヌ民族に届きますように。


旭川アイヌ遺骨返還

2018-07-03 15:00:21 | 日記

さる、6月24日に旭川の旭岡墓地にてアイヌ遺骨返還にともなう再埋葬の儀式が行われたとのニュースが報じられました。手元に旭川遺骨返還裁判ニュース『ヤイコ ホシピレプ(自らに帰させるもの)』No.5がありますので、その内容をご紹介します。

昨年の7月に旭川アイヌ協議会の川村エオリパック・アイヌ会長と同協議会が旭川から持ち出されたアイヌ遺骨の返還を求めて北海道大学を訴え裁判を起こしました。5月29日に和解が成立しました。和解決定後の記者会見で川村さんらはこのように語ったとニュースにあります。

「1985年5月にウタリ協会(当時)の皆と北大(アイヌ納骨堂)に行った時、頭骨に旭川ナンバー1から旭川ナンバー5とマジックで書いてあるのが5つあって、『返してくれ』と言ったら、すぐに返してくれた、あの頃は。そして、旭川に帰ってきて市長に言ったら、納骨堂をすぐ作ってくれて、8月には北大が車で5体を運んで来て、一緒に慰霊もやってくれて納骨堂に納めた。それが、今回は、新たに見つかった2体見つかったと報告書(2013年3月)に書かれたきりで、返せと言っても返事がない。うかうかしていたら、2020年に白老にできる慰霊施設に、北大ばかりではなく全国にある遺骨と合わせて1600体、まとめてしまって、しかもそれを研究のためにレンタルもすると言うんだ。50年も100年も研究材料にされてきたのをまだそのままにすると言うんだから。自分の先祖、同族を売り渡すようなことは許されないでしょ。だから、他の地域にも出かけていって、返還運動を始めようと誘うんだけど、川村は過激派だから会うななんていう邪魔が入って中々動き出さないね。この裁判、結局は謝罪もないし、行方不明のタマサイもそのままだけれど、一時も早く遺骨が故郷に帰ってきて土にかえせるならそれで何より満足だということで和解するんだ。」

 わたしは一度も裁判にも行けず(再埋葬当日も日曜日であったために参列できず)、詳しいことが分からずにいましたが、この記者会見の発言はたいへんわかりやすく説明されています。このような報道はわたしの観た限りでニュースには流れていませんでしたので、ここでご紹介しました。

和解調書によると、85年に返還され納骨堂に納めていた5体のうちの4体—その内の2体は「散らばっていた骨盤や手や足の骨を取り戻した」もの(残り1体の遺骨は身元確認の可能性があるため調査)と、今回返還された遺骨3体の計7体、そして、副葬品5品を埋葬。「散らばっていた」骨の一部は、北大の納骨堂に納められていた際には骨箱名「常呂不明1」の中に保管されていたといいます。なんともずさんな管理だったことでしょう。

報道によると旭岡墓地にある納骨堂の隣に無事に再埋葬されたとのこと。朝日新聞20180625

 クロユリ

7月8日(日)に一人芝居をされる舞香さんが東京文京区の求道会館にて、知里幸恵没後96年記念公演をされるとのこと。お近くの方はぜひ。

フェイスブックにてご案内のチラシが見られます(こちら 神々の謠

わたしは4回ほど観せて頂いていますが、毎回感動しています。そして、回を重ねるごとに深まっているのに感心します。さる6月8日、旭川での知里幸恵さん誕生祭にてお会いしたのでご挨拶しました。今度、DVDを送ってくださるとも。楽しみにしております。

7月22日(日)午後1時より札幌エルプラザにて、シンポジウム「アイヌの視点で問う『北海道150年』」チラシは以下の通り。

 

7月29日(日)には、台湾ブヌン民族の少年少女合唱団が歌う讃美夕礼拝が札幌北光教会にて午後7時より開催されます。ブヌン民族出身で北海道にて活動されているディヴァン・スクルマン宣教師のメッセージと美しい讃美をどうぞ。無料(ただし自由献金あり)。

 


慰霊施設へ集約した遺骨も新ひだかアイヌの皆さんもDNA検査をする?

2018-06-26 12:12:20 | 日記

新ひだか(旧静内)町遺骨返還訴訟の報告です。この裁判についての説明は過去ブログを参照ください。さる、6月22日に札幌地裁701号室にて公判がありました。こちら(原告側)が6月5日付で準備書面を提出し、裁判の進行についてや被告側の意見に対する反論を述べました。

まず、裁判の進行については、話し合いによって早期の解決が可能であればそうしたいと主張。

実は、問題となっている遺骨のほとんどが頭骨だけが研究のため北大に持っていかれました。頭骨以外の骨は被告新ひだか町(旧静内町)によって焼却し移葬されています。先祖の遺体を子孫の意思に反して二つ以上に分割し、別個の場所に保管するということは考えられない(いわゆる分骨は子孫の意思に基づく)ことです。それゆえ、原告側は持ち去られた頭骨をより早く持ち去られた地元に返還し、他体の遺骨と一緒に埋葬してあげたいと願っています。✳︎静内駅前発掘の27体は全身骨で持って行かれた。

手島圭三郎展に行きました。細やかな版画彫刻に感動

また、本件遺骨について祭祀承継者を明らかにすることは発掘当時及び現代においても不可能だと以下の3点から主張しました。

1.「無縁故」遺骨であること

本件遺骨は、「無縁故アイヌ墓地を、昭和31年8月から10月に移葬した」もので、全部が「無縁故」(遺骨がだれなのかも分からない、遺族などの関係者も不明)の遺骨という処理をされていた。本人確定が不可能ゆえ、遺骨の祭祀承継者などは調査のしようがない。 

2. 現代の遺骨のDNA検査による判断も事実上不可能

アイヌ政策推進作業部会が検討した際(2014/4/16)でも、遺骨からDNAを抽出して遺族を確定することは事実上、不可能だと東京歯科大学名誉教授水口清氏が説明している。詳しくは議事録(第16回)を参照してください。

3. 祭祀承継者というのは法的な概念(科学的に断定できるものではない)

仮に遺骨のDNA鑑定によって現在の特定人と遺骨とが血縁関係にあることが判ったとしても、それだけではその特定人が祭祀承継者か否かはわからない。祭祀承継者を明らかにするためにはまず戸籍が明らかであること、次に家督相続人が明らかかであるか(戦前の遺骨の場合)、慣習ないし相続人間の協議内容の確定(戦後)がない限り、祭祀承継者の特定は法的には不可能。しかも、その遺骨の死亡時から数世代が経過している以上、その間の相続関係(戸主の変遷(戦前)、相続人間の協議等(戦後))も明らかにされなければ現在における遺骨の祭祀承継者は確定できないことも明らかであり、これは不可能。

以上から、本件遺骨のように、そもそもその氏名、死亡時期等が不明な遺骨について祭祀承継者を明らかにすることは完全に不可能だと述べています。

今回の裁判は被告側に、新ひだかアイヌ協会が加わり、遺骨はコタンにではなく、北海道アイヌ協会にならって白老町に建設中の共生空間内の慰霊施設に集約し、「遺骨の特定が完了次第祭祀承継者等への返還手続きに入る」という北海道アイヌ協会の方針に従う、と主張しています。 

新ひだかアイヌ協会を裁判所用語?で「補助参加人」と呼ぶそうですが、この補助参加人の弁護士と原告側の弁護士とが法廷で意見をぶつけ合いました(この20年ほどいくつものアイヌ関連裁判を傍聴支援してきましたが、今までで一番長く、テレビドラマのようでした)。

残念ながら裁判ゆえ録音禁止のため正確にここにやりとりを書けませんが、内容としては今回の原告側の準備書面(6/5付)に対し、補助参加人弁護士は、遺骨は白老の慰霊施設へ集約し、そこでDNAを調べ、さらに新ひだかのアイヌのDNAも調べ、祭祀承継者を確定したのちに返還する、と述べました。

こちらの弁護士は、準備書面にも書いたが不可能だというと、補助参加人弁護士は「可能と考えている」と主張。「こどもがだだをこねているようにしか思えない。そう言うのであれば、きちんと反論として出すべきだ」と述べ、8月中旬までに準備書面として提出することになりました。

さて、補助参加人弁護士は、慰霊施設へ集約した遺骨のDNA検査をするということ、さらには、新ひだか町に過去に住んでいた人、および、現在、在住しているアイヌ民族の皆さんのDNAも調べると言いました。これは新ひだかアイヌ協会は了解しているということでしょうか。慰霊施設に集約される遺骨のDNA検査にいたっては、その了承はだれがするのでしょうか、そこが了解したとして、北海道アイヌ協会は認めるのでしょうか。

次回公判は8月21日(火)13時30分から札幌地裁にて(法廷は未定)。

 

第39回樺太移住殉教者墓前祭(6/16)の朝に墓前祈祷と供花。


2017年度「北海道アイヌ生活実態調査」

2018-06-22 09:08:02 | 日記

2017年度に道が実施した「北海道アイヌ生活実態調査」が発表されました。

過去調査と比較したい方はこちらから、それぞれ確認されるといいでしょう。

道新毎日読売などで記事になっています。いずれも閲覧期限があると思われるので切れていたら先住民族関連ニュースブログで検索してください。 

前回の調査が2013年に行われ、今回で8回目となります。この調査におけるアイヌ民族の人数は、「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる方、また、 婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる方」について、各市町村が把握することのできた人数なので、把握できていない方もおられるという意味で「道内に居住するアイヌの人たちの全数とはなっていない」とただし書きがされています。あるいは、法務省が出している薄い冊子『アイヌの人々と人権』のただし書きには「アイヌの血を受け継いでいると思われる方であっても、そのことを拒否している場合は調査の対象としていません」とありますので、そのような方もおられるのでしょう。さらに、道内に限っての調査なので、道外・海外を含むアイヌ民族の総数にはなっていません。これに対し、道アイヌ協会の副理事長が「過去の戸籍を調べれば総数を正確に把握できる。これでは実態調査とは言えない」と批判しています(読売)。

過去と比較しながら今後に調査結果をくわしくじっくりと見ていこうと思います。紹介できる余裕もあまりありませんので、ここでは気になるところのみピックアップします。まずは、今回の調査を過去2回(2013年)の調査と比較しながら対象とした世帯数、及び、人数を見ると、

2006年は72市町村に8,274世帯、23,782人(’99年比較で15人と519世帯増加)

2013年は66市町村に6,880世帯、16,786人(‘06年比で人口約2割、世帯で3割の減少)

2017年は63市町村の5,571世帯、13,118人で、前回より3668人減(人口・世帯共2割減少)

2回連続で2割ずつ減少。9年で1万人以上(半数近く)が減少したとはどういうことでしょう。

読売には、道アイヌ政策推進室の「個人情報保護の意識が高まり、調査を委託した自治体が把握しにくくなっていることが背景にある」との見解を紹介しています(道新も同じ)。これも先の道アイヌ協会副理事長の批判を当てはめると、道は真面目に把握する気がないと言えるでしょう。

オオウバユリの根 今年も採りました。

「概要」を見ると「新規調査」として、「アイヌの人たちに対する施策の認知度及び利用度」「複合差別の有無」「複合差別の要因」などが加わっていて、アイヌ女性らが行なっている複合差別に関する問題意識が道に伝わっていて、道も取り入れたいい傾向に感じました。ただ、複合差別について、複合差別を受けたことが「ある」ないし「見聞きした」が20.2%、「ない」11.8%。それに対し「わからない・不詳・無回答」が73%もあり、問題意識(わからずに差別している、あるいは差別されている)をより広めるという課題は浮き彫りにされたと思いました。

また、アンケート用紙の実物が見られないので確認出来ませんが、「アイヌの人たちが必要としている対策」「アイヌ政策の再構築に望むもの」などの設問が複数回答をよしとしながらも固定されていて、その中には「先住権の復権」とか「自己決定権の確保」など本来、先住民族が与えらるべき重要な権利に関しての回答選択がないようなものだとしたら意図的としか感じられません。そもそも、「アイヌ民族」ではなく、あいかわらず「アイヌの人たち」と記し、先住民族としてのアイヌではないかのように書き続けているのですから根本的に問題にすべきと思います。

671人を対象にした面接調査で行った、差別に関わる質問では、「差別を受けたことがある」は23.2%(前回23.4%)。学校での差別が多く、職場や結婚、交際での差別も多くあります。差別をしない、させない、見逃さないための施策をもっと行うべきでしょう。

過去に書きましたが、カナダの場合は政府が主導して1991年から先住民族委員会を設置して詳細な調査を行い、2008年に「真実と和解のための委員会」をつくり、さらに寄宿舎学校問題を調査し、2015年に「報告書」を出します。そこには、「同国の同化政策を文化的ジェノサイドとよび」(丸山2016.2)、政府に対して先住民族と和解するための具体策を国連権利宣言に基づき94項目あげて、その実行を迫っているのです。日本政府はそのような動きに見習うべきですし、アイヌ政策推進会議はそのような提案を積極的に行うべきではと思います。

知里幸恵さんが好きだったというエゾカンゾウ。毎年、6月8日に旭川で開催される幸恵さんの誕生祭に野生のものを200本ほど採って供えます。


第43回嵐山チノミシリ カムイノミに参列

2018-05-27 05:09:20 | 日記

春の山菜の季節が終わると、旭川の嵐山の山開きの日になり、嵐山アイヌ文化の森伝承のコタンにて開催されるチノミシリ カムイノミに参列し、6月8日には北門中学校にて知里幸恵さんの誕生日を記念する銀の滴・降る日、そして6月第3土曜日に江別で行われる樺太移住殉教者墓前祭に参列することが恒例行事のようになっています。

毎年、ひとりで参列しますが、今年から旭川星光教会の牧師がセンタースタッフに加わって下さり、Sさんファミリーが同行くださっています。

午前11時より修復されたチセの中で儀式が始まりました。開会にあたり、祭司の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんは、旭川アイヌの歴史にふれて強制移住や強制労働をさせられた時代があったこと、雄弁家偉大な村長クーチンクル(「弓を射る人」の意)は函館奉行所に乗り込みチャランケ(議論)をして、石狩に連行され強制労働をさせられた旭川アイヌ30人を連れ戻したこと(そのおかげで旭川アイヌコタンが維持できた)などを紹介。

チセの儀式のあとに、クーチンクレ顕彰碑にて祈り、さらに、旭川アイヌの熊彫りの原点となる松井梅太郎の碑にお酒をそなえました。

さいごは、踊りや歌の披露があり、みんなで輪になって踊りました。

 

先日、上川アイヌ文化が日本遺産に認定されたことをここでも書きました。このような地道な活動を川村カ子トアイヌ記念館(1916年開館)が中心となって継承してきたからこそ、今回の認定がなされたのでしょう。

長年、アイヌの儀式や舞踏、アイヌ家屋チセを含む伝統文化を継承し続けるにはたいへんな努力がいったこととおもいます。そして、和人の負の歴史も忘れてはいけません。

旭川市や富良野市など大雪山系周辺の上川、十勝地域の2市10町(事務局・上川町)が「カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界」として申請しましたが、2市10町は認定後、ますますアイヌ民族の伝統文化、そして権利を守るために資するべきですね。決して功労者であるアイヌ民族をないがしろにしないよう(利用するだけして無視しないよう)にと、強く願います。


上川アイヌ文化が日本遺産に認定!

2018-05-26 08:01:03 | 日記

5月25日付の北海道新聞(14版)の26面に大きく「上川アイヌ文化」が日本遺産に認定された報道が出ていました。北海道新聞(または関連ニュースブログに関連記事も多数掲載)。

旭川市や富良野市など大雪山系周辺の上川、十勝地域の2市10町(事務局・上川町)が「カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界」として申請したそうです。

以下、毎日新聞の記事より一部を引用。

認定されたのは、美しい大雪山系の自然と、その中にカムイ(神)を見いだして共に生きてきた上川アイヌの文化を紹介する内容。アイヌの儀式や舞踊、旭川市にあるアイヌの伝統家屋「チセ」などの文化財、伝説の舞台となった石狩川沿岸の景勝地、神居古潭(かむいこたん)などもストーリーに組み込んだ。

申請に協力した川村カ子トアイヌ記念館(旭川市)の川村久恵・副館長は「アイヌ文化が評価されたことは喜ばしい。維持・伝承していく責任を感じる」と歓迎。「旭川を中心としたこの地域のアイヌは移住・移転を強いられ、土地を奪われる厳しい時代を経験してきた。これを機に、行政と協力しながら、文化や観光だけでなく、こうした歴史や食文化なども発信していければ」と話した。

他の紙面記事やテレビニュース動画などにも川村久恵副館長のインタビューが出ていましたが、「食文化」も発信したいとの部分だけが流れていました。毎日新聞は、旭川地方のアイヌ民族の「移住・移転を強いられ、土地を奪われる厳しい時代」についての発言もきちんと紹介されていたのがよかったです。

今回の認定を喜ぶと共に、旭川地方を含むすべてのアイヌ民族が住んでいた土地を奪われ追われ、強制移住させられた歴史があります。それをうやむやにせず、謝罪と反省をしつつ、あらたな関係をつくれるようにと祈ります。

今日は、嵐山の山開きであり、アイヌ伝統にのっとり祈りの儀式が10時半から行われます。仲間と参列予定です。

 

数年前のチセ作りに参加した時の写真。このチセが先日に修復され、本日の儀式に使われます!


「慰霊」施設への遺骨収容はDNA研究のため

2018-05-25 05:11:38 | 日記

don-xuixoteさんのブログは、継続して無許可で先住民族の血液を研究材料としている実態を調べ、紹介されています。しかも、「血清アーカイヴ」として保存されているものがあるということです。アーカイヴとは書庫や保存記録という意味で、いわゆる血液が「研究材料」として使われ続けているということですね。

研究者の倫理が問われています。この規制はないのでしょうか。don-xuixoteさんも最新のブログで「研究のために不当に収集されたアイヌ血液その他の人体組織試料のあり方の検証は行わなくて良いのか」(←をクリックするとページが開きます)と問うておられます。内容もくわしく、国のアイヌ政策推進会議の議論を調べて問題を整理してくれています。これはみなさんにもぜひ読んで頂きたい。なぜ今、アイヌ遺骨が再埋葬されず白老の民族共生象徴空間の「慰霊」施設に持っていかれるのか。それはDNA研究をするためだ、と。これは大問題だと感じます。

過去ブログにて、「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟について報告しましたが、さる、5月14日に札幌医科大学が研究者に研究を目的としてアイヌ遺骨を提供したことに関し、山梨大学と国立科学博物館に遺骨が使われた論文の取り消しなどを求める質問状を北大開示文書研究会とコタンの会のメンバーらの連名で送りました。その時の記者会見がHTBニュース動画で報じられました(見られない場合は文章のみ関連ニュースブログで)。また、質問全文はさまよえる遺骨ブログに掲載されています。

かんたんに問題を整理すると、4つあります。ひとつは国立科学博物館の篠田謙一副館長と山梨大学安達登教授らは、2010年より札幌医科大に保管されているアイヌ人骨115体からミトコンドリアDNAを検出して研究をしたが、研究にあたりコタンの構成員たるアイヌの承諾を得ていないのは問題だ。

ふたつめは、それらの遺骨は研究のため損傷を受けたがどのように責任をとるつもりか。

第3点は、日本考古学協会などが埋葬から100年以内の遺骨を研究に扱わない方針にしていたのに、それに反している問題をどう考えるか。

・ところで、日本考古学協会が決めた100年基準の根拠はなんなのでしょうか。わたしが以前に聞いた世界の先住民族はどの時代であっても遺骨を研究に用いることを拒否していますし、わたしの身近のアイヌの方も同じく反対しておられます。

第4点は、第3点の問題から、書かれた論文の根底が間違っているのだから論文の取り消しが必要ではないか。

これらの質問の回答を7月末までにと要望しました。回答が届きしだい、ここでも説明をさせて頂きます。

 

山菜の季節。今年はたらの芽、うどの芽、こごみの天ぷらを堪能しました。

冬に嵐山のチセ(家)が鹿に喰われたと情報が入り、行ってみました。40頭もの大群でムシャムシャしたとのこと。確かにひどい! 26日の嵐山チノミシリに間にあうようにと一棟だけ3日間で修復中とのこと。人手も足りていて笹もないということなので、ほんの少しだけお手伝い。数年前にこのチセを建てるのにお手伝いしました。手は覚えているものです。


清水裕二さんのお話

2018-05-24 11:06:22 | 日記

毎年の春に、わたしたちの教団(日本キリスト教団)に属する北海道内(北海教区)の定期総会を行います。道内にある70近くの諸教会・伝道所から100名を超える代表が集まり、二日間の審議を行います。

今年は4月30日から2日間の日程で第78回目の定期総会が行われました。その二日目朝の全体協議会にて、アイヌ民族情報センター創立20年(今年で22年)を振り返る時間を持ちました。

北海教区はアイヌ民族の権利回復と差別撤廃を教会が宣教課題として取り組むことを目的」(センター規約3条)として1996年に開設しました。スタッフ一同、可能な限り多方面に出かけて行き、顔を覚えて頂くことを続け、信頼していただけるようアイヌの方々に仕えてきたこと、出会った方達と教会とを結びつける役割を続けてきた20年であったことを紹介しました。それらの働きの一つとして、現在進行中の遺骨返還に関する裁判支援や返還にともなう儀式の協力等があります。そのことを踏まえ、遺骨返還を求め活動している「コタンの会」代表の清水裕二さんにおいで頂き、スピーチをして頂きました。

清水さんは「北海道の土地をめぐる法律からアイヌの実態検証」というテーマのもと、アイヌ民族が明治政府によって蝦夷地から「北海道」と名称を変えられただけではなく、明治政府は勝手な法律をつくりながら土地を根こそぎ奪ったこと、また、現在、提訴中のアイヌ遺骨のことを詳しくお話しくださいました。

明治政府は戊辰戦争が終結した翌年の1869年5月に上局会議を開き、「蝦夷地開拓の件」を審議し、7月には開拓使を設置。翌月には蝦夷地を北海道へと改称します。三ヶ月という瞬く間のことでした。

さらに、1872年(明5)に、北海道土地売貸規則、地租改正が制定され、蝦夷地は「無主の土地」であり天皇領域とされます。1877年(明10)には北海道地券発行条例を制定し、アイヌの居住していた土地を官有地に編入し、住宅地やチセ(アイヌの家屋)を奪い、強制移住をさせて辺地へ追いやりました。そればかりではなく、狩猟生活をおくっていたアイヌの生業を奪い、ことばを奪い、すべてを奪い尽くした百五十年であったこと、さらに人骨まで奪って研究資料にされたことを怒りをもって訴えられました。

現在も、全国12大学に1637体に加え、博物館等の施設にあるのをあわせて約1700体がアイヌのならわしで土に収められず資料倉庫にあることを良しとせず、返還を求めておられます。コタンの会での返還されたのは一昨年の浦河町杵臼に16体、昨年の浦幌町の80体余、紋別への4体と、北大が持っている遺骨のわずか1割でしかなく、現在も新ひだかの約200体、浦河東幌別の2体、浦河東栄の34体(札幌医科大学を提訴)を提訴中であることの報告がなされ、支援を訴えました。

また、ご自身が公立中学、高校で教員(校長)をされておられた時に受けた差別についてもお話しくださいました。 

昨年に続き、アイヌ民族のエカシにおいで頂き、直接、証言を聞くことができ、参加者の複数から、よかったと感想を聞きました。また、毎年、教区総会にて審議されている「アイヌ民族の権利を回復する運動の推進決議に関する件」も賛成多数で可決され(センターHPの「推進決議」をクリック!数日後には今年のに更新されます)、議場からは是非とも毎年アイヌ民族の方をお招きし、メッセージを受けたいとの意見が出ました。

 カナダ合同教会の定期総会では、毎回、開催地域の先住民族を迎え、総会開会のための祈りの儀式により、その土地での総会開催を認めてもらっていると聞きます。わたしたちも是非、そのように恒例の事となることを願います。