アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

川村カ子トアイヌ記念館 リニューアル!

2018-07-25 08:48:31 | 日記

川村カ子トアイヌ記念館は1916年に現在の三代目館長川村シンリツ・エオリパック・アイヌ(先祖を大事にする人)さんの祖父イタキシロ(言論正しい)氏が記念館専用のチセ(家)を建て、先祖や近隣の人たちが使用いていたアイヌ民具を展示したのが始まり。

創立102年の歴史を持ち、道内では最も古い記念館です。

創設当時、すでに十数箇所に散在していたアイヌ・コタンはみな近文地区の「給与予定地」に追いやられて「近文アイヌ部落」と俗称され案内札まで建てられていました(案内札は1970年代まであったと言う:川村談)。さらに1900年に第七師団が設置されたのをきっかけに和人が激増し、多くの和人が「見物」に来ました。皇族が来た時など、「旧土人学校(豊栄小学校)」では、授業をやめて接待のためにイオマンテ(熊送りの儀式)の真似をさせ踊らされたようです。そのような見世物扱いをやめさせるべく、イタキシロ氏は記念館を建て、アイヌとしての誇りをもってアイヌ民族とその文化を伝えるべく私財を投じたのです。

館内にはアッシ織りの着物やコタンコロカムイ(エゾしまふくろう)の剥製、砂澤ビッキの作品など約300点が展示・収蔵され、見ごたえがあります。建物の周りには、クネニ(弓つくる木: イチイ)や、イナウ・ニ(御幣つくる木:ミズキ)、トレップ(エゾオオウバユリ)など、アイヌが生活に常用していた木や植物も多く植えてあり、アイヌ語の地名であるチカップ・ニ(鳥・いる処:近文)の名のごとく、多くの鳥も憩いにくる豊かな場所です。

今年の年初めは旭川も豪雪で、2月末に旭川星光教会の牧師ファミリーと当センターに実習に来ていたRさんと共に二日ほど記念館屋根の雪おろしを手伝いました。ところが、3月末に落とし残していた部分が屋根ごと落ちてしまい、大惨事に。急遽、旭川の牧師達にも協力を得て、排雪と壊れた屋根や展示品の撤去作業を手伝いました。

数ヶ月たった昨日(7/24)、久しぶりに記念館を訪れると、屋根が落ちた部分が再建され、とてもおしゃれに変身。

さらに、展示コーナーもアイヌ民族文化財団の協力のもと、とても見やすくリニューアルされていました。ぜひ、この夏にお訪ねください。

川村カ子トアイヌ記念館HP

              

来たる7月27日(金) 夜7時半より、NHKでシリーズ北海道150年第2週「アイヌ民族 家族の物語」に記念館が紹介されます。

http://www4.nhk.or.jp/P2867/


大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況等に関する調査 調査票

2018-07-10 12:46:30 | 日記

第31回アイヌ政策推進作業部会の議事概要が出ました(第31〜34回の議事概要はしばらく出されていませんでした)。第31回は昨年の2017年4月に開催されていたのに、1年以上も未公開のままでした。

内容を見ると、最初に大学等におけるアイヌ遺骨の保管状況の再調査結果の報告があり、「これらの資料については、今後、文部科学省のホームページ等で公開をする予定」とありますが、再調査結果をクリックして見ることができます。

また、「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル最終報告書」に関する件が審議されています。この概要はこちら

この「(3)研究の対象となりえる遺骨と副葬品」には、「研究倫理の観点から見て研究対象とすることに問題がある」として、研究対象にしないとする4項目が記されています。その4番目には

iv・ 収集経緯が不明瞭であるものや時代性や埋葬地に関する情報を欠如するものや資料の正当性を担保する基本的データが欠如するもの。そのほか調査行為自体に研究倫理の観点から見て学術資料として活用することに問題を含むもの

とあり、現在、大学等に「保管」されている遺骨が該当するのですが、ここには以下の但し書きがつけられています。

なお、iv」の条件に該当するもののうち、アイヌを交えた検討と判断の結果として、研究の有効性がしかるべき手続きを経て保障される場合には、限定的に研究を行う可能性も残される

この、「アイヌ」は「北海道アイヌ協会」を指すのか、個人のアイヌを指すのかは不明ですが、数あるアイヌグループの一団体だけ、あるいは個人を交えて「検討と判断の結果」で研究が出来ると書かれているのです。

 

北大開示文書研究会のメンバーが『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況等に関する調査 調査票』の開示請求をし、開示されたデータファイルを研究会サイトで見ることができます。こちら

じっくりと確認していこうとおもいます。北大、札医大に関して状況は把握できていましたが、他の10大学は初めてです。東京大学が「保管」しているアイヌ遺骨は全201体のうち、かなりの数を小金井良精が「発掘・発見」し、「調査研究の一環として収集」とあります。「収集場所」も仲間が数えてくださり35の自治体(クナシリやサハリン、シュムシュ島、エトロフ等含む)から掘り出しています。

調査票には、わかりにくいところも多々あります。たとえば、

①大学における調査の結果、個体ごとに特定できたもの(個体ごとに整理)」

②大学における調査の結果、個体が特定できなかったもの(保管している単位ごとに整理)

との分類の仕方。②の表には「成人3 未成人2」と個体が特定できているように読めるところがあるのですが、どういう意味でしょうか。

 

さて、北海道大学のアイヌ・先住民研究センターの研究員である方が、ツイッターで以下の発言をされていることをdon-xuixoteさんの7/2ブログで知りました。

「2020年開館を目指して建設予定の「国立アイヌ民族博物館」ですけどね。必要ないです。そもそもアイヌ民族は博物館なんて欲しがってないです。学芸員予定で採用されたのも和人ばかりで、アイヌ民族にはほとんどなんの関係もない施設です。作る必要が全くない。」 こちら

「そもそも国立アイヌ民族博物館構想はアイヌ遺骨研究施設と、事実上抱き合わせの企画でした。遺伝子研究を狙う人々にとって博物館はいわばダミーでしかなかった。アイヌ遺骨研究計画が頓挫した今となっては博物館を欲しがる人はもういない。作らなくても全く問題ない。」 こちら 

ツイッターをやっていないのでわからないですが、誰でも読むことが出来るのですね。下段の「国立アイヌ民族博物館構想はアイヌ遺骨研究施設と、事実上抱き合わせの企画でした」ときっぱりと言われています。そうだろうとは感じていましたが、確実な証拠をもっておられるということでしょう。「遺伝子研究を狙う人々にとって博物館はいわばダミーでしかなかった」にも驚き。上段の「そもそもアイヌ民族は博物館なんて欲しがってないです」には、わたしの周りのアイヌ民族の方は同意見。「学芸員予定で採用されたものも和人ばかりで、アイヌ民族にはほとんど関係もない施設」という発言は、学芸員予定者のリストを見たということでしょう。アイヌ民族の方の雇用につながらない施設は問題があるのではないでしょうか。

ただ、以前からこのブログでも指摘しているように(例えば最近では6/26記事や上述)、遺骨の遺伝子研究の可能性はまだありますので「頓挫」したとは言えないでしょう。

ひとり芝居の舞香さんが、ご自身の公演「神々の謡」の2公演分のDVDを送ってくださいました。映像がとてもきれい。みなさんに宣伝して、ぜひわたしたちの力で生公演をと願っています。感謝、感謝。

金成マツさんと知里幸恵さんの墓前で祈祷(銀のしずく記念館をお訪ねする度に寄らせて頂いています。この写真は今年の4月にお訪ねした時のもの)。


先住民族に土地を返した事実はある!

2018-07-06 14:32:54 | 日記

don-xuixoteさんのブログの7/2の記事をみると、さる、6月28日に内閣官房の小山参事官とアイヌの参加者が話し合いを持った際に、小山参事官が「世界で先住民族に土地を返した事実があるのですか? 自分たちが調べた限りでは世界で先住民族に土地を返還した事実はない」と言ったとの話(しかし、「これは間接的な情報なので、そういう主旨のことを言ったという程度に読んで戴きたい」とも書かれています)。それに対し、アイヌ側の出席者が「返還した事実があれば、日本もアイヌに返還するのか」と聞いたけれど、小山参事官からの返事はなかった、と。

先住民族に土地を返還した事実があることをdon-xuixoteさんはオーストラリアでの例で紹介(The Guardian, 21 June 2016)。さらに、わかりやすく地図(オーストラリア国立大学のジョン アルトマン教授作成)も紹介して証明しています。地図には1788年の時点では、オーストラリア全土が先住民族のものだったのが1965年には事実上0になり、1960年代半ばから土地回復運動が徐々に進行し、1993年と2013年の時点で増えているのがよくわかります。

また、7/5の記事によると、カナダ政府がモゥホークのガナワーゲ コミュニティに対して土地返還を正式に決定したという新たなニュースを紹介。

 ニュージーランドも過去のニュース記事の記憶では、土地の返還を行なっていたかと。この小山参事官の発言がどういったものだったか真実を知りたいものです。そして、誠実に土地返還を含めた先住権の審議をするべきだと考えます。ちなみに、先住民族の土地への権利に関して2007年に採択された国連の先住民族権利宣言ここでは、25条から28条に書かれています。

第25 条 【土地や領域、資源との精神的つながり】 先住民族は、自らが伝統的に所有もしくはその他の方法で占有または使用してきた土地、領域、水域および沿岸海域、その他の資源との自らの独特な精神的つながりを維持し、強化する権利を有し、これに関する未来の世代に対するその責任を保持する権利を有する。

第26 条 【土地や領域、資源に対する権利】
1.先住民族は、自らが伝統的に所有し、占有し、またはその他の方法で使用し、もしくは取得してきた土地や領域、資源に対する権利を有する。
2.先住民族は、自らが、伝統的な所有権もしくはその他の伝統的な占有または使用により所有し、あるいはその他の方法で取得した土地や領域、資源を所有し、使用し、開発し、管理する権利を有する。
3.国家は、これらの土地と領域、資源に対する法的承認および保護を与える。そのような承認は、関係する先住民族の慣習、伝統、および土地保有制度を十分に尊重してなされる。

第27 条 【土地や資源、領域に関する権利の承認】 国家は、関係する先住民族と連携して、伝統的に所有もしくは他の方法で占有または使用されたものを含む先住民族の土地と領域、資源に関する権利を承認し裁定するために、公平、独立、中立で公開された透明性のある手続きを、先住民族の法律や慣習、および土地保有制度を十分に尊重しつつ設立し、かつ実施する。先住民族はこの手続きに参加する権利を有する。

第28 条 【土地や領域、資源の回復と補償を受ける権利】
1.先住民族は、自らが伝統的に所有し、または占有もしくは使用してきた土地、領域および資源であって、その自由で事前の情報に基づいた合意なくして没収、収奪、占有、使用され、または損害を与えられたものに対して、原状回復を含む手段により、またはそれが可能でなければ正当、公正かつ衡平な補償の手段により救済を受ける権利を有する。
2.関係する民族による自由な別段の合意がなければ、補償は、質、規模および法的地位において同等の土地、領域および資源の形態、または金銭的な賠償、もしくはその他の適切な救済の形をとらなければならない。(市民外交センター仮訳 2008.09/21)

オオアカゲラ

いましがた、文科省情報公開係から仲間が開示請求していた『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況等に関する調査 調査票』のデータファイルが届き、北大開示文書研究会サイトにアップされました。こちら

北大・札医大は以前に開示請求し、状況は把握できていましたが、それ以外の各大学アイヌ遺骨収蔵状況が記されています。各地のアイヌ民族に届きますように。


旭川アイヌ遺骨返還

2018-07-03 15:00:21 | 日記

さる、6月24日に旭川の旭岡墓地にてアイヌ遺骨返還にともなう再埋葬の儀式が行われたとのニュースが報じられました。手元に旭川遺骨返還裁判ニュース『ヤイコ ホシピレプ(自らに帰させるもの)』No.5がありますので、その内容をご紹介します。

昨年の7月に旭川アイヌ協議会の川村エオリパック・アイヌ会長と同協議会が旭川から持ち出されたアイヌ遺骨の返還を求めて北海道大学を訴え裁判を起こしました。5月29日に和解が成立しました。和解決定後の記者会見で川村さんらはこのように語ったとニュースにあります。

「1985年5月にウタリ協会(当時)の皆と北大(アイヌ納骨堂)に行った時、頭骨に旭川ナンバー1から旭川ナンバー5とマジックで書いてあるのが5つあって、『返してくれ』と言ったら、すぐに返してくれた、あの頃は。そして、旭川に帰ってきて市長に言ったら、納骨堂をすぐ作ってくれて、8月には北大が車で5体を運んで来て、一緒に慰霊もやってくれて納骨堂に納めた。それが、今回は、新たに見つかった2体見つかったと報告書(2013年3月)に書かれたきりで、返せと言っても返事がない。うかうかしていたら、2020年に白老にできる慰霊施設に、北大ばかりではなく全国にある遺骨と合わせて1600体、まとめてしまって、しかもそれを研究のためにレンタルもすると言うんだ。50年も100年も研究材料にされてきたのをまだそのままにすると言うんだから。自分の先祖、同族を売り渡すようなことは許されないでしょ。だから、他の地域にも出かけていって、返還運動を始めようと誘うんだけど、川村は過激派だから会うななんていう邪魔が入って中々動き出さないね。この裁判、結局は謝罪もないし、行方不明のタマサイもそのままだけれど、一時も早く遺骨が故郷に帰ってきて土にかえせるならそれで何より満足だということで和解するんだ。」

 わたしは一度も裁判にも行けず(再埋葬当日も日曜日であったために参列できず)、詳しいことが分からずにいましたが、この記者会見の発言はたいへんわかりやすく説明されています。このような報道はわたしの観た限りでニュースには流れていませんでしたので、ここでご紹介しました。

和解調書によると、85年に返還され納骨堂に納めていた5体のうちの4体—その内の2体は「散らばっていた骨盤や手や足の骨を取り戻した」もの(残り1体の遺骨は身元確認の可能性があるため調査)と、今回返還された遺骨3体の計7体、そして、副葬品5品を埋葬。「散らばっていた」骨の一部は、北大の納骨堂に納められていた際には骨箱名「常呂不明1」の中に保管されていたといいます。なんともずさんな管理だったことでしょう。

報道によると旭岡墓地にある納骨堂の隣に無事に再埋葬されたとのこと。朝日新聞20180625

 クロユリ

7月8日(日)に一人芝居をされる舞香さんが東京文京区の求道会館にて、知里幸恵没後96年記念公演をされるとのこと。お近くの方はぜひ。

フェイスブックにてご案内のチラシが見られます(こちら 神々の謠

わたしは4回ほど観せて頂いていますが、毎回感動しています。そして、回を重ねるごとに深まっているのに感心します。さる6月8日、旭川での知里幸恵さん誕生祭にてお会いしたのでご挨拶しました。今度、DVDを送ってくださるとも。楽しみにしております。

7月22日(日)午後1時より札幌エルプラザにて、シンポジウム「アイヌの視点で問う『北海道150年』」チラシは以下の通り。

 

7月29日(日)には、台湾ブヌン民族の少年少女合唱団が歌う讃美夕礼拝が札幌北光教会にて午後7時より開催されます。ブヌン民族出身で北海道にて活動されているディヴァン・スクルマン宣教師のメッセージと美しい讃美をどうぞ。無料(ただし自由献金あり)。

 


慰霊施設へ集約した遺骨も新ひだかアイヌの皆さんもDNA検査をする?

2018-06-26 12:12:20 | 日記

新ひだか(旧静内)町遺骨返還訴訟の報告です。この裁判についての説明は過去ブログを参照ください。さる、6月22日に札幌地裁701号室にて公判がありました。こちら(原告側)が6月5日付で準備書面を提出し、裁判の進行についてや被告側の意見に対する反論を述べました。

まず、裁判の進行については、話し合いによって早期の解決が可能であればそうしたいと主張。

実は、問題となっている遺骨のほとんどが頭骨だけが研究のため北大に持っていかれました。頭骨以外の骨は被告新ひだか町(旧静内町)によって焼却し移葬されています。先祖の遺体を子孫の意思に反して二つ以上に分割し、別個の場所に保管するということは考えられない(いわゆる分骨は子孫の意思に基づく)ことです。それゆえ、原告側は持ち去られた頭骨をより早く持ち去られた地元に返還し、他体の遺骨と一緒に埋葬してあげたいと願っています。✳︎静内駅前発掘の27体は全身骨で持って行かれた。

手島圭三郎展に行きました。細やかな版画彫刻に感動

また、本件遺骨について祭祀承継者を明らかにすることは発掘当時及び現代においても不可能だと以下の3点から主張しました。

1.「無縁故」遺骨であること

本件遺骨は、「無縁故アイヌ墓地を、昭和31年8月から10月に移葬した」もので、全部が「無縁故」(遺骨がだれなのかも分からない、遺族などの関係者も不明)の遺骨という処理をされていた。本人確定が不可能ゆえ、遺骨の祭祀承継者などは調査のしようがない。 

2. 現代の遺骨のDNA検査による判断も事実上不可能

アイヌ政策推進作業部会が検討した際(2014/4/16)でも、遺骨からDNAを抽出して遺族を確定することは事実上、不可能だと東京歯科大学名誉教授水口清氏が説明している。詳しくは議事録(第16回)を参照してください。

3. 祭祀承継者というのは法的な概念(科学的に断定できるものではない)

仮に遺骨のDNA鑑定によって現在の特定人と遺骨とが血縁関係にあることが判ったとしても、それだけではその特定人が祭祀承継者か否かはわからない。祭祀承継者を明らかにするためにはまず戸籍が明らかであること、次に家督相続人が明らかかであるか(戦前の遺骨の場合)、慣習ないし相続人間の協議内容の確定(戦後)がない限り、祭祀承継者の特定は法的には不可能。しかも、その遺骨の死亡時から数世代が経過している以上、その間の相続関係(戸主の変遷(戦前)、相続人間の協議等(戦後))も明らかにされなければ現在における遺骨の祭祀承継者は確定できないことも明らかであり、これは不可能。

以上から、本件遺骨のように、そもそもその氏名、死亡時期等が不明な遺骨について祭祀承継者を明らかにすることは完全に不可能だと述べています。

今回の裁判は被告側に、新ひだかアイヌ協会が加わり、遺骨はコタンにではなく、北海道アイヌ協会にならって白老町に建設中の共生空間内の慰霊施設に集約し、「遺骨の特定が完了次第祭祀承継者等への返還手続きに入る」という北海道アイヌ協会の方針に従う、と主張しています。 

新ひだかアイヌ協会を裁判所用語?で「補助参加人」と呼ぶそうですが、この補助参加人の弁護士と原告側の弁護士とが法廷で意見をぶつけ合いました(この20年ほどいくつものアイヌ関連裁判を傍聴支援してきましたが、今までで一番長く、テレビドラマのようでした)。

残念ながら裁判ゆえ録音禁止のため正確にここにやりとりを書けませんが、内容としては今回の原告側の準備書面(6/5付)に対し、補助参加人弁護士は、遺骨は白老の慰霊施設へ集約し、そこでDNAを調べ、さらに新ひだかのアイヌのDNAも調べ、祭祀承継者を確定したのちに返還する、と述べました。

こちらの弁護士は、準備書面にも書いたが不可能だというと、補助参加人弁護士は「可能と考えている」と主張。「こどもがだだをこねているようにしか思えない。そう言うのであれば、きちんと反論として出すべきだ」と述べ、8月中旬までに準備書面として提出することになりました。

さて、補助参加人弁護士は、慰霊施設へ集約した遺骨のDNA検査をするということ、さらには、新ひだか町に過去に住んでいた人、および、現在、在住しているアイヌ民族の皆さんのDNAも調べると言いました。これは新ひだかアイヌ協会は了解しているということでしょうか。慰霊施設に集約される遺骨のDNA検査にいたっては、その了承はだれがするのでしょうか、そこが了解したとして、北海道アイヌ協会は認めるのでしょうか。

次回公判は8月21日(火)13時30分から札幌地裁にて(法廷は未定)。

 

第39回樺太移住殉教者墓前祭(6/16)の朝に墓前祈祷と供花。


2017年度「北海道アイヌ生活実態調査」

2018-06-22 09:08:02 | 日記

2017年度に道が実施した「北海道アイヌ生活実態調査」が発表されました。

過去調査と比較したい方はこちらから、それぞれ確認されるといいでしょう。

道新毎日読売などで記事になっています。いずれも閲覧期限があると思われるので切れていたら先住民族関連ニュースブログで検索してください。 

前回の調査が2013年に行われ、今回で8回目となります。この調査におけるアイヌ民族の人数は、「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる方、また、 婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる方」について、各市町村が把握することのできた人数なので、把握できていない方もおられるという意味で「道内に居住するアイヌの人たちの全数とはなっていない」とただし書きがされています。あるいは、法務省が出している薄い冊子『アイヌの人々と人権』のただし書きには「アイヌの血を受け継いでいると思われる方であっても、そのことを拒否している場合は調査の対象としていません」とありますので、そのような方もおられるのでしょう。さらに、道内に限っての調査なので、道外・海外を含むアイヌ民族の総数にはなっていません。これに対し、道アイヌ協会の副理事長が「過去の戸籍を調べれば総数を正確に把握できる。これでは実態調査とは言えない」と批判しています(読売)。

過去と比較しながら今後に調査結果をくわしくじっくりと見ていこうと思います。紹介できる余裕もあまりありませんので、ここでは気になるところのみピックアップします。まずは、今回の調査を過去2回(2013年)の調査と比較しながら対象とした世帯数、及び、人数を見ると、

2006年は72市町村に8,274世帯、23,782人(’99年比較で15人と519世帯増加)

2013年は66市町村に6,880世帯、16,786人(‘06年比で人口約2割、世帯で3割の減少)

2017年は63市町村の5,571世帯、13,118人で、前回より3668人減(人口・世帯共2割減少)

2回連続で2割ずつ減少。9年で1万人以上(半数近く)が減少したとはどういうことでしょう。

読売には、道アイヌ政策推進室の「個人情報保護の意識が高まり、調査を委託した自治体が把握しにくくなっていることが背景にある」との見解を紹介しています(道新も同じ)。これも先の道アイヌ協会副理事長の批判を当てはめると、道は真面目に把握する気がないと言えるでしょう。

オオウバユリの根 今年も採りました。

「概要」を見ると「新規調査」として、「アイヌの人たちに対する施策の認知度及び利用度」「複合差別の有無」「複合差別の要因」などが加わっていて、アイヌ女性らが行なっている複合差別に関する問題意識が道に伝わっていて、道も取り入れたいい傾向に感じました。ただ、複合差別について、複合差別を受けたことが「ある」ないし「見聞きした」が20.2%、「ない」11.8%。それに対し「わからない・不詳・無回答」が73%もあり、問題意識(わからずに差別している、あるいは差別されている)をより広めるという課題は浮き彫りにされたと思いました。

また、アンケート用紙の実物が見られないので確認出来ませんが、「アイヌの人たちが必要としている対策」「アイヌ政策の再構築に望むもの」などの設問が複数回答をよしとしながらも固定されていて、その中には「先住権の復権」とか「自己決定権の確保」など本来、先住民族が与えらるべき重要な権利に関しての回答選択がないようなものだとしたら意図的としか感じられません。そもそも、「アイヌ民族」ではなく、あいかわらず「アイヌの人たち」と記し、先住民族としてのアイヌではないかのように書き続けているのですから根本的に問題にすべきと思います。

671人を対象にした面接調査で行った、差別に関わる質問では、「差別を受けたことがある」は23.2%(前回23.4%)。学校での差別が多く、職場や結婚、交際での差別も多くあります。差別をしない、させない、見逃さないための施策をもっと行うべきでしょう。

過去に書きましたが、カナダの場合は政府が主導して1991年から先住民族委員会を設置して詳細な調査を行い、2008年に「真実と和解のための委員会」をつくり、さらに寄宿舎学校問題を調査し、2015年に「報告書」を出します。そこには、「同国の同化政策を文化的ジェノサイドとよび」(丸山2016.2)、政府に対して先住民族と和解するための具体策を国連権利宣言に基づき94項目あげて、その実行を迫っているのです。日本政府はそのような動きに見習うべきですし、アイヌ政策推進会議はそのような提案を積極的に行うべきではと思います。

知里幸恵さんが好きだったというエゾカンゾウ。毎年、6月8日に旭川で開催される幸恵さんの誕生祭に野生のものを200本ほど採って供えます。


第43回嵐山チノミシリ カムイノミに参列

2018-05-27 05:09:20 | 日記

春の山菜の季節が終わると、旭川の嵐山の山開きの日になり、嵐山アイヌ文化の森伝承のコタンにて開催されるチノミシリ カムイノミに参列し、6月8日には北門中学校にて知里幸恵さんの誕生日を記念する銀の滴・降る日、そして6月第3土曜日に江別で行われる樺太移住殉教者墓前祭に参列することが恒例行事のようになっています。

毎年、ひとりで参列しますが、今年から旭川星光教会の牧師がセンタースタッフに加わって下さり、Sさんファミリーが同行くださっています。

午前11時より修復されたチセの中で儀式が始まりました。開会にあたり、祭司の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんは、旭川アイヌの歴史にふれて強制移住や強制労働をさせられた時代があったこと、雄弁家偉大な村長クーチンクル(「弓を射る人」の意)は函館奉行所に乗り込みチャランケ(議論)をして、石狩に連行され強制労働をさせられた旭川アイヌ30人を連れ戻したこと(そのおかげで旭川アイヌコタンが維持できた)などを紹介。

チセの儀式のあとに、クーチンクレ顕彰碑にて祈り、さらに、旭川アイヌの熊彫りの原点となる松井梅太郎の碑にお酒をそなえました。

さいごは、踊りや歌の披露があり、みんなで輪になって踊りました。

 

先日、上川アイヌ文化が日本遺産に認定されたことをここでも書きました。このような地道な活動を川村カ子トアイヌ記念館(1916年開館)が中心となって継承してきたからこそ、今回の認定がなされたのでしょう。

長年、アイヌの儀式や舞踏、アイヌ家屋チセを含む伝統文化を継承し続けるにはたいへんな努力がいったこととおもいます。そして、和人の負の歴史も忘れてはいけません。

旭川市や富良野市など大雪山系周辺の上川、十勝地域の2市10町(事務局・上川町)が「カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界」として申請しましたが、2市10町は認定後、ますますアイヌ民族の伝統文化、そして権利を守るために資するべきですね。決して功労者であるアイヌ民族をないがしろにしないよう(利用するだけして無視しないよう)にと、強く願います。


上川アイヌ文化が日本遺産に認定!

2018-05-26 08:01:03 | 日記

5月25日付の北海道新聞(14版)の26面に大きく「上川アイヌ文化」が日本遺産に認定された報道が出ていました。北海道新聞(または関連ニュースブログに関連記事も多数掲載)。

旭川市や富良野市など大雪山系周辺の上川、十勝地域の2市10町(事務局・上川町)が「カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界」として申請したそうです。

以下、毎日新聞の記事より一部を引用。

認定されたのは、美しい大雪山系の自然と、その中にカムイ(神)を見いだして共に生きてきた上川アイヌの文化を紹介する内容。アイヌの儀式や舞踊、旭川市にあるアイヌの伝統家屋「チセ」などの文化財、伝説の舞台となった石狩川沿岸の景勝地、神居古潭(かむいこたん)などもストーリーに組み込んだ。

申請に協力した川村カ子トアイヌ記念館(旭川市)の川村久恵・副館長は「アイヌ文化が評価されたことは喜ばしい。維持・伝承していく責任を感じる」と歓迎。「旭川を中心としたこの地域のアイヌは移住・移転を強いられ、土地を奪われる厳しい時代を経験してきた。これを機に、行政と協力しながら、文化や観光だけでなく、こうした歴史や食文化なども発信していければ」と話した。

他の紙面記事やテレビニュース動画などにも川村久恵副館長のインタビューが出ていましたが、「食文化」も発信したいとの部分だけが流れていました。毎日新聞は、旭川地方のアイヌ民族の「移住・移転を強いられ、土地を奪われる厳しい時代」についての発言もきちんと紹介されていたのがよかったです。

今回の認定を喜ぶと共に、旭川地方を含むすべてのアイヌ民族が住んでいた土地を奪われ追われ、強制移住させられた歴史があります。それをうやむやにせず、謝罪と反省をしつつ、あらたな関係をつくれるようにと祈ります。

今日は、嵐山の山開きであり、アイヌ伝統にのっとり祈りの儀式が10時半から行われます。仲間と参列予定です。

 

数年前のチセ作りに参加した時の写真。このチセが先日に修復され、本日の儀式に使われます!


「慰霊」施設への遺骨収容はDNA研究のため

2018-05-25 05:11:38 | 日記

don-xuixoteさんのブログは、継続して無許可で先住民族の血液を研究材料としている実態を調べ、紹介されています。しかも、「血清アーカイヴ」として保存されているものがあるということです。アーカイヴとは書庫や保存記録という意味で、いわゆる血液が「研究材料」として使われ続けているということですね。

研究者の倫理が問われています。この規制はないのでしょうか。don-xuixoteさんも最新のブログで「研究のために不当に収集されたアイヌ血液その他の人体組織試料のあり方の検証は行わなくて良いのか」(←をクリックするとページが開きます)と問うておられます。内容もくわしく、国のアイヌ政策推進会議の議論を調べて問題を整理してくれています。これはみなさんにもぜひ読んで頂きたい。なぜ今、アイヌ遺骨が再埋葬されず白老の民族共生象徴空間の「慰霊」施設に持っていかれるのか。それはDNA研究をするためだ、と。これは大問題だと感じます。

過去ブログにて、「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟について報告しましたが、さる、5月14日に札幌医科大学が研究者に研究を目的としてアイヌ遺骨を提供したことに関し、山梨大学と国立科学博物館に遺骨が使われた論文の取り消しなどを求める質問状を北大開示文書研究会とコタンの会のメンバーらの連名で送りました。その時の記者会見がHTBニュース動画で報じられました(見られない場合は文章のみ関連ニュースブログで)。また、質問全文はさまよえる遺骨ブログに掲載されています。

かんたんに問題を整理すると、4つあります。ひとつは国立科学博物館の篠田謙一副館長と山梨大学安達登教授らは、2010年より札幌医科大に保管されているアイヌ人骨115体からミトコンドリアDNAを検出して研究をしたが、研究にあたりコタンの構成員たるアイヌの承諾を得ていないのは問題だ。

ふたつめは、それらの遺骨は研究のため損傷を受けたがどのように責任をとるつもりか。

第3点は、日本考古学協会などが埋葬から100年以内の遺骨を研究に扱わない方針にしていたのに、それに反している問題をどう考えるか。

・ところで、日本考古学協会が決めた100年基準の根拠はなんなのでしょうか。わたしが以前に聞いた世界の先住民族はどの時代であっても遺骨を研究に用いることを拒否していますし、わたしの身近のアイヌの方も同じく反対しておられます。

第4点は、第3点の問題から、書かれた論文の根底が間違っているのだから論文の取り消しが必要ではないか。

これらの質問の回答を7月末までにと要望しました。回答が届きしだい、ここでも説明をさせて頂きます。

 

山菜の季節。今年はたらの芽、うどの芽、こごみの天ぷらを堪能しました。

冬に嵐山のチセ(家)が鹿に喰われたと情報が入り、行ってみました。40頭もの大群でムシャムシャしたとのこと。確かにひどい! 26日の嵐山チノミシリに間にあうようにと一棟だけ3日間で修復中とのこと。人手も足りていて笹もないということなので、ほんの少しだけお手伝い。数年前にこのチセを建てるのにお手伝いしました。手は覚えているものです。


清水裕二さんのお話

2018-05-24 11:06:22 | 日記

毎年の春に、わたしたちの教団(日本キリスト教団)に属する北海道内(北海教区)の定期総会を行います。道内にある70近くの諸教会・伝道所から100名を超える代表が集まり、二日間の審議を行います。

今年は4月30日から2日間の日程で第78回目の定期総会が行われました。その二日目朝の全体協議会にて、アイヌ民族情報センター創立20年(今年で22年)を振り返る時間を持ちました。

北海教区はアイヌ民族の権利回復と差別撤廃を教会が宣教課題として取り組むことを目的」(センター規約3条)として1996年に開設しました。スタッフ一同、可能な限り多方面に出かけて行き、顔を覚えて頂くことを続け、信頼していただけるようアイヌの方々に仕えてきたこと、出会った方達と教会とを結びつける役割を続けてきた20年であったことを紹介しました。それらの働きの一つとして、現在進行中の遺骨返還に関する裁判支援や返還にともなう儀式の協力等があります。そのことを踏まえ、遺骨返還を求め活動している「コタンの会」代表の清水裕二さんにおいで頂き、スピーチをして頂きました。

清水さんは「北海道の土地をめぐる法律からアイヌの実態検証」というテーマのもと、アイヌ民族が明治政府によって蝦夷地から「北海道」と名称を変えられただけではなく、明治政府は勝手な法律をつくりながら土地を根こそぎ奪ったこと、また、現在、提訴中のアイヌ遺骨のことを詳しくお話しくださいました。

明治政府は戊辰戦争が終結した翌年の1869年5月に上局会議を開き、「蝦夷地開拓の件」を審議し、7月には開拓使を設置。翌月には蝦夷地を北海道へと改称します。三ヶ月という瞬く間のことでした。

さらに、1872年(明5)に、北海道土地売貸規則、地租改正が制定され、蝦夷地は「無主の土地」であり天皇領域とされます。1877年(明10)には北海道地券発行条例を制定し、アイヌの居住していた土地を官有地に編入し、住宅地やチセ(アイヌの家屋)を奪い、強制移住をさせて辺地へ追いやりました。そればかりではなく、狩猟生活をおくっていたアイヌの生業を奪い、ことばを奪い、すべてを奪い尽くした百五十年であったこと、さらに人骨まで奪って研究資料にされたことを怒りをもって訴えられました。

現在も、全国12大学に1637体に加え、博物館等の施設にあるのをあわせて約1700体がアイヌのならわしで土に収められず資料倉庫にあることを良しとせず、返還を求めておられます。コタンの会での返還されたのは一昨年の浦河町杵臼に16体、昨年の浦幌町の80体余、紋別への4体と、北大が持っている遺骨のわずか1割でしかなく、現在も新ひだかの約200体、浦河東幌別の2体、浦河東栄の34体(札幌医科大学を提訴)を提訴中であることの報告がなされ、支援を訴えました。

また、ご自身が公立中学、高校で教員(校長)をされておられた時に受けた差別についてもお話しくださいました。 

昨年に続き、アイヌ民族のエカシにおいで頂き、直接、証言を聞くことができ、参加者の複数から、よかったと感想を聞きました。また、毎年、教区総会にて審議されている「アイヌ民族の権利を回復する運動の推進決議に関する件」も賛成多数で可決され(センターHPの「推進決議」をクリック!数日後には今年のに更新されます)、議場からは是非とも毎年アイヌ民族の方をお招きし、メッセージを受けたいとの意見が出ました。

 カナダ合同教会の定期総会では、毎回、開催地域の先住民族を迎え、総会開会のための祈りの儀式により、その土地での総会開催を認めてもらっていると聞きます。わたしたちも是非、そのように恒例の事となることを願います。


「アイヌの血液を使い回した研究2例」より 

2018-05-18 14:57:54 | 日記

先日、ご紹介したdon-xuixoteさんの新たなブログ記事によると、新冠の少年たちの採(盗)られた血液(1964年のケンブリッジ調査隊によるアイヌ血液採取)が、二次利用されたということが調べられています。学者たちは血液を本人たちへの説明と同意を無視して使い回しているというのです。ここでは新冠と他の1例が紹介されていますが、これだけではないのでは? さらに今後もこれらの血液は「研究材料」になり続けるということでしょう。

二次利用の一つ目は先述のケンブリッジ調査隊で採取した日高地方の187人のアイヌの血液が、「アーサー ムーラント博士の厚意」で提供され、アーサーG. スタインバーグによって遺伝子研究がされています。1966年に論文になっています。

「序」には、なんと、「北海道からの人種的に謎めいた/得体の知れない(enigmatic)アイヌ人からの血清サンプルを試験する機会が提示された時、我々は即座に受け入れた」という一文もある! 格好の「研究材料」を得たとばかりの好奇心丸出しの表現ですね。

もう一つは、1980年に東京大学グループがDNA分析のためアイヌの血液サンプルの収集保存を続けていますが、その中の平取、日高地方の36人のアイヌの血液を2012年に二次利用したとのこと。ここには被験者(採血された人)への説明があったとも、地域の代表者たちおよび各被験者からの同意があったのかも記されていないそうです。

✳︎斉藤成也とティモシージナムが「アイヌ民族の代表たちに説明した」とありますが、同意が得られたとは記されていませんし、被験者への説明とはいえません。現在の二風谷の知人に聞いても「記憶にない」とのこと。ましてやブログで指摘されているように転居された方達を無視しています。

don-xuixoteさんは、最後に皮肉として「アイヌ政策有識者懇談会」の第5回会合こちらでの篠田謙一氏による発言(p.5)を書き直しながら引用しています。

「資料1に主なアイヌ人骨血液がどのように集められたかということを表にしました。古くは明治時代から集められた人骨もあります。大正時代あるいは昭和の初期、あるいは戦後に随分沢山の人骨血液が集められています。このような先達が集めた人骨血液の研究によって、私たちはアイヌの成立あるいはアイヌの集団の地域差といったものを見ることができたわけですが、決定的に本土と集め方が違っていたのは、本土の日本ではそこの人々自体に収集の目的、ないしはその意義を説明して人骨血液を集めましたが、残念ながらアイヌ人骨血液の中にはそのような手順を経ずに集めた人骨血液がかなり混ざっています。これは人類学者としても率直に反省しなければいけない点だというふうに思っています・・・」

同じことをしているのですから、ほんとうに皮肉な話です。さらに、このように続きます。

「このような人骨血液の研究、特にDNAの研究などは、今後更に研究が進めば、より多くのデータを得る可能性があります。ですから、このような人骨血液も合わせて、慰霊(??)とそれから研究というものの両方ができるような設備が整って、今後アイヌ研究あるいは日本人全体の成り立ちの研究といったものが更に進むといったことを私どもは願っております。」

慰霊施設と研究が一緒にできる! 遺骨は研究「サンプル」とされる! それが現在進行中の慰霊施設だということなのです。このまま進めていいのでしょうか。

さらに、何千もあるとされているアイヌ民族の血液「サンプル」に関して問題にしなくていいのでしょうか。 

ここまで書いて、先日(5/14)開催された第10回アイヌ政策推進会議の配布資料報告(ここ)が手に入り、アイヌ政策推進作業部会報告(資料1-3)に目を通しました。28〜31ページに遺骨の返還、集約等に関することが掲載されています。ページ数がわかりにくいのですが、たまたまなのか「29」ページだけ数字が記されています。

毎日新聞5/16記事にもなりましたが、政府はこれまで遺骨返還を祭祀承継者(遺族)個人に返還するとしていたのを、盗掘された地域のアイヌ民族団体にも返還すると決めたとのこと(P29)。

いままで記してきたように、遺骨はコタンのものゆえコタンに返還するべしとのわたしたちの主張をやっと認めだしました。

しかし、その一方で現在つくっている象徴空間の慰霊施設がいかに尊厳ある慰霊の空間か(P16)、また「温度、湿度等適切な状態でアイヌ遺骨等を保管」(P30)すると好印象をアピール。

遺骨を研究材料にすることは記されません。

天塩鏡沼海浜公園にある松浦武四郎像


「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟の意見陳述/ HTBノンフィクション『聞こえない声~アイヌ遺骨問題~もう一つの150年』

2018-04-28 11:13:18 | 日記

前回お知らせした遺骨返還訴訟での清水裕二さんの意見陳述の中に、ご自身が1950年代に生体測定・身体測定及
び身体表面の観察調査、さらに採血をされたという証言がありました(「コタンの会」のブログにも意見陳述が紹介されました)。身体測定や採血されたことはご本人から何度か伺っていましたが、悲しみと怒りを伴ったものでした。この測定や採血による研究はだれがどのような目的で行ったのかを調べていきたいと願いつつ、don-xuixoteさんのブログを見ると、その論文の推定が出来たとのこと! 

さらに、その血液は今も凍結されたままで「眠って」いる可能性があるとも・・・。本人の承諾もなく、研究材料とされ続けていく問題。これを放置している学者達の倫理を問いたい。

don-xuixoteさんは関連として、1964年のケンブリッジ調査隊によるアイヌ血液採取と東大研究者による1970年の公刊論文のためのアイヌ血液採取のことを書いておられます。

HTBノンフィクション 『聞こえない声~アイヌ遺骨問題~もう一つの150年』が4月26日深夜に放送され、録画したものを観ました。youtubeにも紹介されていましたのでお見逃しの方はどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=6&v=OFKedCVAS60

遺骨問題をわかりやすく説明しています。平取の遺骨返還に尽力されている木村二三夫さんの「本来であれば(遺骨返還の問題は)アイヌたちが踏み込む問題ではない。持ち去ったものたちがいろいろな段取りをして地域に還すべきことだ」と言われていたことに、本当にその通りだと思いました。北大側は相変わらず話し合いに応じず、裁判をしないと返還しません。旭川で返還訴訟を起こしているお一人が「盗んだ側が還すにあたってなぜ盗まれた側がこれだけ労力を使って裁判を行わなければいけないのか。時間的にも金銭的にも自らその代償を払ってまでもしていかなければいけないのか」と問うておられました。

盗掘と生体測定、採血、それらの無認可による研究(論文公表)という問題をどんどん世界に発信し、そのあり方を問う必要性を感じます。


「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟 原告代表 清水裕二さんの意見陳述

2018-04-11 09:25:27 | 日記

昨日の4月10日午後2時より、札幌地裁701号室において、「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟の公判があり、小川隆吉エカシをお乗せして傍聴してきました。*訴訟名称はこのブログで説明しやすいようにと勝手に付けています。

今回は、「コタンの会」代表であり、今訴訟の原告である清水裕二さんの意見陳述がありました。近く、「コタンの会」HPで全文が公開されると思いますが、ここで簡単に紹介させて頂きます。

清水さんは、「北海道」命名150年のお祝いムードに対し、アイヌにとって
は「負の歴史時代・負の歴史遺産満席の時代」であったと批判することから始められました。

そして、過日に鑑賞された映画「サーミの血」(2016年ノルウェ)を「硬直しつつ」観た、と証言。その理由は正に、ご自身が1950年代に同じ体験をしたからだと。具体的に「コンパ
ス状の測定器具によって頭蓋骨全体を縦横無尽に測定する生体測定・身体測定及
び身体表面の観察調査、さらに採血された」と、屈辱的なお話をされました。これはご自身が通われていた静内の小学校でアイヌのこどもだけが受けさせられたものだった、と。

このような検査は道内のいたるところであったことは想像できます。2017/04/20記事においても故萱野茂さんの著書『アイヌの碑』(1989年 朝日新聞社)の一節を紹介した通り、二風谷では研究の名のもとに民具の横取り、血液採取、身体検査、写真撮影、ご遺骨の盗掘が行われたとの証言が書かれています。それは過去のことではなく、近年、旭川において血液採集があったことを旭川のアイヌ民族の方から伺ったことがあります。このような人権侵害が今なお「学問」の名の下で過去の謝罪もなく正当化されている現状があります。これを放置していいわけがありません。

清水さんは、これらの研究に対して批判し、さらに今回の裁判に対し、

①明治以降にも
アイヌ墓地から発掘した人骨の調査研究を行った。

②
遺族など当事者の許可もなくDNA検査の人類研究を実施された。

③
遺骨に対する権限・権利もない北海道アイヌ協会が係わっている事は極
めて責任は重大だ。

と指摘し、検査を行った研究者・札医大そして北海道アイヌ協会は、謝罪して直ちに遺骨を返還するべきだと意見を述べられました。


被告の札医大、北海道側は、遺骨がどこに帰属するか(「文化財」なのかどうか)の調査中で、結果が5月末になるということ。

次回、公判は5月14日、次々回は6月8日、いずれも午後2時より。支援傍聴をお願いします。

 

なお、「コタンの会」では、

「上映×朗読×講演会〜新ひだか町から持ち去られたアイヌの遺骨について知る、感じる、考える。」を以下の通り、開催。

と き 2018年4月22日(日曜)13時〜15時30分

ところ 新ひだか町地域交流センター ピュアプラザ2階

1 講演「新ひだか町でのアイヌ遺骨持ち去りの背景と今後」 講師/植木哲也・苫小牧駒澤大学教授

2 朗読「痛みのペンリウク 囚われたアイヌ人骨」 おはなし/土橋芳美(著者) 朗読/嘉藤師穂子

3 藤野知明監督作品「八十五年ぶりの帰還 アイヌ遺骨杵臼コタンへ」

資料代 300円

主催 コタンの会 問い合わせ 電話090ー9517ー4351(清水さん)

 詳しくはこちらを参考ください。

 

映画「サーミの血」公式サイト 個人的にDVDを予約しました(6/6発売)。

映画「サーミの血」予告編

 

昨日の留萌の朝は冬に逆戻り。


「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟 続き 本件遺骨Bのこと

2018-02-01 07:14:15 | 日記

前述しましたが、さる1月26日にコタンの会(清水裕二代表)と、浦幌アイヌ協会(差間正樹会長)が原告となり、アイヌ遺骨返還請求裁判を起こし、北海道と北海道公立大学法人札幌医科大学(以下「札医大」)を訴えました。

訴状はコタンの会のHPのこちらからお入り下さり、PDFファイルでダウンロードしてください。

今回は、 本件遺骨Bについてわかりやすく説明します。

本件遺骨Bは1979年(昭54)3月、浦幌町教育委員会後藤秀彦が、浦幌町十勝太から出土したとして、北海道大学西本豊弘を仲介して被告札医大に送付された遺骨。

浦幌町から出土したアイヌ遺骨であると被告札医大も認めていたので、「いつでも返還する」と言っていた遺骨でした。が、2017年に突如、「アイヌ遺骨かどうかの判断はできない」という理由で拒否しました。

被告札医大は「アイヌ遺骨かどうかの判断ができない」理由をいくつか挙げているが、いずれも、原告代理人が以下のように精査し、アイヌの遺骨であることが間違いないと結論し、返還を求めました。

被告札医大がまとめた「札幌医科大学に保管されている第三者(団体・個人など)から移譲されたアイヌ人骨の出自調査報告」書(まとめたのは解剖学第二講座の松村博文教授)によると、本件遺骨Bは十勝太地区の町道拡幅工事の折に発見され、浦幌町教育委員会後藤秀彦が札幌医科大学解剖学第二講座講師山口敏に譲ったとあるので、浦幌町十勝太から出土したことは否定できない。

また、浦幌町史によると、十勝太の和人は明治16年から入植をはじめ、明治25年前後にはかなり開けた市街地になっていたことが分る。したがって、この時点ではすでに町道は開通し、和人であるならば行政が完備され、死亡者が発見された場合は警察に届け出られたうえ、近くの寺か共同墓地に埋葬され、町道の脇に埋葬されることはない。すると、本件遺骨Bは和人が入植する以前に死亡したアイヌで、アイヌの風習に従って山野に埋葬された蓋然性が非常に高い。

被告札医大は、鉄環はアイヌの副葬品にはないとして本件遺骨Bがアイヌ遺骨であることを否定するものの、その鉄輪は行方不明であり、そもそも副葬品であったか、

鉄環以外の金属製品ではなかったのか等々、が証明できない。また、アイヌのニンカリ(金属製の輪になっている耳飾り)の可能性も否定できず、この場合には間違いなくアイヌの副葬品であり、遺骨はアイヌ人骨となる。少なくとも、被告札医大がいうように、「アイヌ副葬品に鉄環はない」という理由から本件遺骨Bがアイヌ人骨ではないと断定することはできない。

 

できるだけ、わかりやすく、要点をまとめたつもりですが、いかがでしょうか。詳しくは訴状をお読みください。

なお、その日の午前中には、10月にコタンの会が起こした(被告:北海道大学・新ひだか町)アイヌ遺骨返還訴訟の第2回口頭弁論が行われました(詳細は後日に)。

 

以下の通り、出前講座を行います。どなたもおいでください。

「奪われたアイヌ遺骨〜その研究の過去と現在
        東京大学・札幌医科大学のケース」

とき 2018年2月16日(金)18:00-20:30

ところ 札幌市教育文化会館 講堂(4階)
    札幌市中央区北1西13  電話011-271-5821

入場料 無料(資料を500円で頒布します)

主催 北大開示文書研究会コタンの会

プログラム

植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)
「小金井良精の北海道旅行―東大のアイヌ遺骨」

殿平善彦さん(北大開示文書研究会共同代表)
「 私たちが札医大に問い質したいこと 」

木村二三夫さん(平取アイヌ遺骨を考える会共同代表)
「札医大と初めて話して感じたこと、言いたいこと」

討論・交流会

http://hmjk.world.coocan.jp/demae/2018sapporo/sapporo20180216.html

道庁で夜6時半からやっているプロジェクションマッピングを観に行きました。なかなかよかったです。

https://wonder-lights.net


「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟 20180130

2018-01-30 14:05:36 | 日記

1月25日の午後6時20分からHTB「どさんこワイド」で取り上げられました。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=53&v=ul0q9TSpB3s

翌日の26日、コタンの会(清水裕二代表)と、浦幌アイヌ協会(差間正樹会長)が原告となり、アイヌ遺骨返還請求裁判を起こし、北海道と北海道公立大学法人札幌医科大学(以下「札医大」)を訴えました。

しばらく、以下でニュース動画が観られます。HTBニュース

訴状は近々、コタンの会や北大開示文書研究会のHPに上げますので、詳しくはそちらをお読みいただき、ここでは分かりやすく要点を説明します。

開示された資料によると、札医大は、1962年(昭37)5月に浦河町東栄遺跡からアイヌの遺骨35体を収集し、現在も保管中(「本件遺骨A」)。それらは、「文化財保護法による届け出許可のもとに行われた札幌医科大学主体による発掘調査」として、「研究のための収集」と記されています。

さらに、札医大は1979年(昭54)に浦幌町十勝太の町道拡幅工事の際に発見された遺骨1体を浦幌町から「移譲」されています(本件遺骨B)。これら36体の遺骨の返還請求を起こしました。

灯台を破壊するほど荒れた留萌の波 連日吹雪いています。

コタンの会は、自分たちのコタンから掘られ持ち去られた遺骨はコタンのものなのだから速やかにコタンに返し再埋葬したいという主張を続け、裁判所の和解により過去に北海道大学より遺骨を取り戻し、浦河町杵臼、浦幌、紋別と再埋葬を行って来ました。

被告北海道は本件遺骨Aについて「埋蔵文化財」として、これらの遺骨の所有権を有し、被告札医大は被告北海道から依頼を受けた保管者として本件遺骨Bの占有権を主張しています。

 しかし、発掘の経緯を精査すると、結論は「埋蔵文化財」とは言えない。そのため、被告北海道は本件遺骨Aについて所有権を有していない。そのため、遺骨は返還されるべきというのが原告の主張です。

まず、発掘されたアイヌ墓地の歴史を調べると、古い時代ではなく明治以降に東栄遺跡の中に、付近に住むアイヌの人々が墓地として使用したことがわかる。アイヌ墓地そのものは「アイヌ期」の遺跡ではない。しかも1962年の調査・発掘の際の資料にも「調査分担は浦河町教委が考古学、札幌医大がアイヌ墓地である」とされ、東栄遺跡のうち、縄文以降の考古学的遺跡の発掘は浦河町教育委員会が担当し、被告札医大は明治以降に使用されていたアイヌ墓地の発掘を担当していたことがわかる。さらに、札医大は考古学的な遺跡発掘調査をしたのではなく、解剖学者による解剖学のための「研究のための収集」であることも明瞭となる。

要は、札医大は最初から研究材料として明治期のアイヌの遺骨であることをわかりながら、あたかも「アイヌ期」で埋蔵文化財であるかのようにゴマかして発掘して持ち帰っていた、ということなのです。

被告らが、本件遺骨Aが埋蔵文化財であるとする根拠は、結局、虚偽による結果である。文化財だから自治体の承諾を得れば、研究対象に簡単にできることを研究者らは利用したということになる。

✳︎これが明らかになれば、他にも「埋蔵文化財」とは言えないものを「埋蔵文化財」とされて、研究対象にされているものがある可能性が大きいということ。

 

原告コタンの会が、なぜ本件提訴をせざるを得なかったのかと言うと、これらの遺骨がすでにミトコンドリアDNA研究の対象とされているからです。2017年10月11日、安達登と国立科学博物館・人類学研究部篠田謙一ら複数の研究者によって英字論文で発表しています。

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.23338/full

本件遺骨AからのミトコンドリアDNAの抽出とその解析は、権限あるものの承諾を得ていないものとして研究倫理に反するとともに違法行為(器物損壊罪)と評されるべきものです。

また、さらに本件遺骨AからヒトのDNAを抽出し研究される可能性が高いため、返還を求めたのです。

この論文はなぜかタイトルに古代(ancient)使われており、使用した94の「江戸期アイヌ個体」と述べています。それらのうち32個体が「本件遺骨A」(すなわち明治以降のアイヌの遺骨)なのです。

最近、ips細胞の論文に不正があったことが大々的にニュースになりましたが、この論文もそれに匹敵するほど問題があるのではないでしょうか。

 

北海道アイヌ協会・日本人類学会・日本考古学協会による「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル・最終報告書」こちらが、昨年4月に出来ました。この中に、従来の研究に問題があるため研究者は深く反省し、今日の人権の考え方や先住民族の権利に関する議論や国際的な動向に関心を払い、その趣旨を十分に理解する努力をするべきで、研究をする際には真摯に研究の目的と手法を事前に適正に伝えた上で、記録を披瀝、自ら検証していくことを求めています。そして、研究の対象外とするものとして①アイヌの同意が得られないもの、②100年以内に埋葬された遺骨や副葬品、③収集経緯を公開できないものなどが挙げられていますが、今回の本件遺骨Aは研究対象外のはずです。これも問題にするべきです。

(本件遺骨Bに関しては後日に)。

 

今年の教会(アイヌ民族情報センター)前の雪像。『赤鼻のトナカイ』のつもり。大雪と猛吹雪ですぐに壊れました。