アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

82箱のご遺骨が浦幌に再埋葬されました

2017-08-22 15:28:15 | 日記

すでに、各報道機関で報じられておりますが、さる8月19日に浦幌へアイヌのご遺骨が返還され、アイヌ民族の伝統儀式がとり行われました。

北海道放送HBC ニュース動画

十勝毎日新聞記事   北海道新聞の記事

 参加協力させて頂いた者として、個人的な報告をします。

8月19日(土)。午前7時半に小川隆吉さんをお乗せし、北海道大学医学部の駐車場に建つ「アイヌ納骨堂」に到着。浦幌アイヌ協会やコタンの会、そして北大開示文書研究会のメンバーが集まりだし、8時にご遺骨の確認をし、霊柩車に運びました。

今回は、前回ブログに書いたように、63人分と人数不明のご遺骨、あわせて82箱。一つひとつ丁寧に開けて中を確認しました。

82箱のうち、大箱31、中箱17、小箱34。

北大の『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(2013 以下、『報告書』)のリストには、番号が付けられていましたが、今回は箱の大きさで並べられてリストが作られ、返還前日に弁護士事務所にファックスで届いたとのこと。頭の中で混乱したものの、当日のリスト順に確認しました。

『報告書』には「全身骨」と記載されているものは大箱におさめられていましたが、確認をしたメンバーの話では実際の中身は全身骨の一部だけで肋骨や背骨はなく、頭骨のないものもあったと。また、ある箱には大腿部の骨が10以上まとめて入れてあったということです。いかにずさんな管理をしていたか。83年前に突如、北大がやってきて5日間のうちに墓を暴いて遺骨を持ち去って行きました。「研究材料」として持ち去ったはいいものの「お役目」終了後には「モノ」扱いして発掘地域別に「分別」しダンボールに詰め込んで放置していたということなのでしょう。

小箱は成人の頭骨(あるいは骨の一部のみ)、そして小児の14箱。どういう経緯で小児のご遺骨が14体も持ち去られたのでしょう。確認をされた浦幌アイヌ協会のメンバーは辛かったと話されていました。また、一刻も早く故郷に持ち帰りたいと。

「浦幌不明」と記されているのが31箱あった中、大箱9、中箱17、小箱5。これらは、浦幌から掘り出されたものであることは間違いないものとして今回返還されたものですが、先に記したように、一箱に一人のご遺骨がおさめられているとは限らず、お一人分が数箱に分かれていたり、ひと箱に数人分のご遺骨がある可能性もあるので、ここでは「◯体」とは書けず、「箱」で数えます。

さらに「副葬品」の11箱を加えて93箱が、大型バス1台とマイクロバス2台に積み込まれました。北大側も、受け取るこちら側も何重にも確認しつつもたいへんスムーズに行われ、午前9時に浦幌へ向かいました(霊柩車を兼ねているバス)。わたしたちも急いで浦幌へ向かいました。

浦幌では浦幌町浜厚内生活館前にて、13時から祭主である差間正樹浦幌アイヌ協会会長によりカムイノミが執り行われました(一般参列および取材はお断り)。

わたし達は13時ほどに町営浦幌墓園に到着し、ご遺骨を迎える準備を整えました。ご遺骨が到着後、バスから運び出す際と埋葬前にリストにて確認し、埋葬位置を丁寧に記録しながら粛々と再埋葬を行いました。最後には7本のクワ(墓標)を立て、その日のすべての儀式が終わったのは16時。

翌日、浦幌町浜厚内生活館前にて神への祈りカムイノミと先祖に祈るイチャルパを10時から行いました。イチャルパからは一般参列もでき、マスコミの方達を含めて100名が集まりました。

テレビでも放映されていましたが、浦幌アイヌ協会には多くの若手がいて、よく働いておられました。長い準備期間も、自分たちの仕事が終わって夜遅くまでみんなで協力しあったそうです。副祭主の葛野次雄さんが儀式の説明の中で、若手に継承できたことと、彼らが頑張ったことを喜んでおられました。

わたし達も微力ながら協力させて頂けたことはよかったです。

写真:浦幌アイヌ協会より提供いただきました。


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