アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

浦幌にてアイヌ遺骨の再埋葬とイチャルパが行われました。

2018-09-25 12:40:00 | 日記

ひと月も前のことになりましたが、さる8月18〜19日にかけて、浦幌にてアイヌ遺骨の再埋葬と慰霊のための儀式イチャルパが行われ、協力と参列をしました。

昨年に82箱のご遺骨が返還され再埋葬が行われました(ニュース動画参照)が、他に13名のご遺骨が北海道大学に保管されていました。いずれも1934年(昭9)10月27〜31日の間に、浦幌待ち愛牛(旧十勝郡浦幌村大字愛牛)にて北大医学部解剖学第2講座が「研究資料収集のため」「発掘」したものです。 

今回の13名は名前が判明しており、大学側がインターネットにて情報公開をして引き取り手(祭祀継承者)を探していたものです。1年を経て引き取り手がなかったことで、返還請求をしていた浦幌アイヌ協会に返還することになりました。

✴︎北海道大学は保管しているアイヌのご遺骨を「祭祀承継者等」に返すことを基本としてるため、ご遺骨と名前が一致するものにかぎり、「祭祀承継者」ではないコタンの会やアイヌ協会等にはすぐに返還せず、1年間、情報公開して「祭祀承継者」が返還を希望されたらそちらに返還し、名乗り出なかった際は返還請求している団体に返還するという手続きを取っています。北大側のくわしい説明は北海道大学遺骨返還室HPへ。

ただ、情報公開と言っても、公開されるのは発掘・発見された時期と発掘・発見された場所。性別、推定年齢にその他参考事項のみであり、個人名については、「個人情報やプライバシーの保護の問題が生じる可能性を排除しきれず公開しない」とのこと。名前が分からないでどうやって「祭祀承継者」は自分の遺族を探せというのでしょう。また、この返還の問題については、かつて市川弁護士が批判をしていますので参考にしてください。こちら

 

さて、当日、北大から返還された13体は、昨年に埋葬した墓地の隣で行いました。

昨年の返還と再埋葬の報告ブログ

今回は、北大の納骨堂での確認はせず、浦幌墓地にて13箱の中身を確認しました。13箱中、北大の資料には11箱に「全身骨」と記されているものの、いずれも全ての骨はなく一部分のみ。「全身骨」の表記はどのような意味があるのか前回から不思議に思うところです。「発掘」当時の「研究対象」は頭骨でしたから、他の四肢骨はどうでもよかったのでしょう。ちなみに現在、コタンの会で返還訴訟を起こしている新ひだかのアイヌ遺骨は、大学側が頭骨だけを持ち去り、残りの遺骨はまとめて焼却しています(くわしくは過去ブログを参照してください)。

残りの2箱のうち、ひとつは成人女性の頭骨の一部、残りのひとつはこども男子の頭骨の一部。さらに、今回はもう一箱、昨年に埋葬された遺骨と同一人物と確認できた環椎の一部の計14箱を確認し、埋葬しました。 

埋葬とイチャルパの後、浦幌アイヌ協会の差間正樹会長は以下のコメントをされました。インタビュー記事

「私たちは、あくまでも、先祖の骨は地元に返していただいて埋葬するという、そういう考え方で今まで行動して参りましたけれども、全道的にもそういった動きになってくれればと思っております。先祖を自分たちの土地にお迎えして、それでつくづく分かったことはですね、私たちは先祖と友にある、という考え方。たいへん私たちの心に強く影響を与えております。これをぜひ全道のアイヌのみなさんにお伝えしたいと思います。」

北大に対しては以下のコメント。

「いろいろあるんですよ。やっぱり謝罪と賠償というのは、私はやっぱりこれは、私たちは裁判では和解ということで取り下げておりますけれども、やはりこれは研究者に対してですね、責任ていうものをもう少し感じてほしいと思っております。」

 

今回も遺骨に対応する副葬品が複数あり、計21件が返還されました。

副葬品の中のひとつに、魚を捕る網を繕う道具である「あばり」がありました。この写真は、萱野茂二風谷アイヌ資料館の展示品のひとつ。ここでは「アパリ」とありますが、ほぼ同じものでした。

 

浦幌から出土した遺骨は、現在、札幌医科大学にも1体あり、現在、返還の裁判が行われています。詳しくは過去ブログのこちらを参照にしてください。

浦幌の朝焼け(撮影:三浦 結)


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