アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

新ひだか(旧静内)町での遺骨返還裁判

2017-10-23 11:11:16 | 日記

 さる、10月19日、日高管内新ひだか(旧静内)町と同管内浦河町東幌別にて過去に持ち去られ、北海道大学に保管されている195体のアイヌ遺骨の返還と埋葬する墓地の提供を求める訴えを各地区に住む「コタンの会」が起こしました。新ひだか町から193体、浦河町東幌別から2体という過去の訴訟では最大の数にのぼります。 

 「北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」(2013 以下、『報告書』)によると、新ひだかでの発掘は1956年7月に静内町『駅前墓地』廃止・墓地改葬に伴い、静内町依頼により北大医学部第二講座が発掘し、現在161体を所有。さらに、1972年に北海道大学医学部解剖学第一講座によって静内町『豊畑共同墓地』改葬に伴って発掘し持ち去り、現在32体を所有していることが記されています。

 静内駅前アイヌ墓地は静内町駒場共同墓地へ改葬の際、静内町、北海道大学医学部第二解剖教室(責任者児玉作左衛門教授)、日高郷土史研究ケパウの会、静内高等学校郷土研究部の4団体が作業を行い、頭骨は改葬せずに北大が持ち去ります。『報告書』には「10日間に160余体のアイヌ骨格を発掘することができた。しかも、骨格の保存状態は良好であり、人類学的調査に使用し得るものも100余体という誠に貴重なる資料である」と、遺骨を単なる「研究材料」にしか見ていない記載がなされています。さらに『報告書』には、和人墓地の改葬は809件おこなったが「アイヌ墓地の改葬は皆無である」と記載されており、「改葬事業」とは名ばかりで、最初から研究ありきで持ち去ったことがあからさまに記されています。 

 当時の墓地、埋葬に関する法律では、「『改葬』とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し・・・」とあり、「他の墳墓に移し」ていない北大の遺骨発掘はこの法律に違反した違法な改葬行為ということになります。

 豊畑共同墓地改葬事業については、改葬時の写真が情報公開され、その中にクワ(アイヌの墓標)がたくさん写っている写真があり、発掘当時も墓地として使用されていたことがわかります。さらに75体のアイヌ遺骨を発掘しながら北大は32の頭骨を中心として持ち去っているだけで、残りは火葬して新墓地に埋葬しています。旧静内町は、駅前墓地同様、改葬事業において新たな墓地に埋葬しなければならない義務を認識していたのです。

 過去の裁判同様、原告らの主張はアイヌの遺骨管理権限はコタンという集団が保持しているのでコタンへの返還を求めています。また、新ひだか(旧静内)町は上述のように、本来、改葬するべき義務を怠り、北大に遺骨を引き渡すという違法行為を行った(「寄贈」したことも隠蔽)ことから、墓地を準備し再埋葬するようにと新ひだか町をも訴えました(行政訴訟)。

 アイヌ民族の遺骨返還を求める訴訟は今回で5件目。その内、3件(浦河町杵臼、浦幌、紋別)は昨年以降にすでに和解が成立し、再埋葬が行われました。原告のコタンの会副代表の葛野次雄さんは記者会見で、「早く帰ってきて静かに休んでほしい」と訴え、アイヌ語でモシリコロフチ(国土を治めている女神)へ祈りを献げました。

 わたしたちはこの裁判も支援し、情報提供をみなさんにして行こうと思います。

 

さる、10月12日に新篠津にてわたしたちの教団の北海道内の牧師たちの研修会の中で楢木貴美子さんをお招きし、「樺太アイヌ(エンチウ)として生きて」の講演を伺うことができました。報告・感想は12月発行予定の機関紙「ノヤ」に掲載します。また、10月19日には札幌地区アイヌ民族フィールドワークでも楢木さんのお話と、カナダ合同教会の世界宣教師委員会総主事であるパティ・タルボットさんのお話を伺うことができました。

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