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~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

卵の回転

2006年04月12日 20時52分04秒 | 見る・読む
タイトルの内容に入る前に、まずお知らせしたいのは、本日深夜放送の日本テレビ「深夜の音楽会」についてです。(残念ながらこちらでは放映されません)
BBSでは以前お知らせしましたけど、
私が以前コンチェルトのコンペを受けた時の指揮者と、一昨年あるコンサートで聴かせていただきそれ以来すっかりファンになってしまった10才の少女が
モーツァルトの26番ピアノコンチェルト「戴冠式」で共演します。
また、今をときめく名歌手がモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」等のオペラからいくつかのすばらしいアリアを聴かせてくれます。
くわしくはこちら。
深夜の音楽会


話かわって、今朝の新聞から。
<回転ゆで卵ジャンプ 理論予測とほぼ一致>
・・・・・なんのことやら・・・。ただ字面のものすごいインパクトについ内容に目が行きました。

なんでも、横になったゆで卵を勢いよく回すと、起き上がる途中で卵がわずかにジャンプすることが実験で確かめられたらしい。これは昨年発表されていた理論予測とほぼ一致。
予測は、ゆで卵を水平方向に速く回すと、起き上がる過程で生じる細かな振動の力が、一時的に重力と等しくなり、宙に浮くことを示していた。そこで検証のため、計測技術の専門家と作った「卵回し装置」で、ゆで卵の回転を観察した、ということだ。
実験は卵を模したアルミ玉で厳密に測られたらしいが、毎秒25回転では5、6回ジャンプし、浮上時間約0.02秒、高さ最大0.1ミリと計算通りだった、ということだ。

私、この事実についてあれこれいう知識もなにもないのですが、
まず「ゆで卵」です。「なま卵」ではない。「ゆで卵」を回してたら立ってくるのです。
しかも、その間に「浮く」時間が存在するということ。
私のようなものだと「そうだとして、それがどうだというのか・・」でまったく先には進みません。
が、そこはさすがに物理学者。計測技術の専門家と「卵回し装置」を作る。
しかも毎秒25回転もさせてしまう。
するとみごと予測通り、5、6回ジャンプし、浮上時間も高さも一致したというではないですか。

ふと疑問に思ったことをしつこくしつこく検証していく過程、おそれいります。
ちょっと表現しにくいのですが、ある種の感動を覚えました。
これから私、たとえ子供が食事中卵回していても「手遊びするな!」と叱らない母親を目指したいと思います。


追記

理論予測はこちら


実験の様子はこちら


珍菓子の誘惑

2006年04月11日 22時41分13秒 | 見る・読む
先日航空機から持ち帰った情報誌に掲載されていたもの。

<お菓子の世界にも竹炭>

  竹炭わさびせん
  竹炭かりんとう
  柿っ子とぴー炭くん
  炭ココア
  まっ黒クッキー
  竹炭のど飴
  古代米炭せんべい
  竹炭こんにゃくゼリー

いずれも写真つきだが、当然のことながらどれもどれも真っ黒だ。
見ただけでは、まず買う気は起こらないのだが、エライと思うのはライターの腕。

例をあげてみる。
『竹炭のど飴』
  外観は普通ののど飴。だが舐めてみるとのど飴プラスしっかり竹炭の味。
  ゆっくりと体内に竹炭がしみていくのを実感する。
『炭ココア』
  砂鉄?と思ってしまうほど、とにかく黒い。
  粒子は細かくココアと融合していて飲みやすい。

のど飴は黒豆が楕円になったような感じなので、決して<普通>には見えないのだが(笑)、「ゆっくりと体内に竹炭がしみていく」のはお好きな人にはたまらないかもしれない。そもそも竹炭って、体にはどういう効能があるのだろうか?
私が検索したところによると、同じ店で『炭ココア』だけでなく『炭コーヒー』というものも売っていた。
「コーヒーと炭は良いとりあわせ」と一瞬思ったが、それは「炭火焙煎」の際に「炭」という漢字が出てくるのでなじみ感があるだけのことだった。
「粒子は細かくココアと融合していて飲みやすい」とあるから、うまいというより体にいい感じ優先なのだろう、きっと。

私は、炭シャンプー、炭せっけんと使っていて、だからといって炭マニアではないのだが、だいたいこういう珍しいものは見逃せない人間だ。
やめとけばいいのに、以前青汁の冷凍ものを買い(決して健康目的ではない)、そのままで飲んだなら、まるでカメの水槽の水のような味がし(実際水槽の水は飲んだことないですけど)、
それならばとレモン炭酸で割ったなら、まるでカメの水槽の水をレモン炭酸で割ったような味がした。

どーしようかなあ・・・竹炭のお菓子

  

クジラにやられたトビウオ

2006年04月10日 19時42分44秒 | 見る・読む
今朝、ワイドショーをつけたら、いきなり鹿児島弁が飛び出してきた。
高速船(通称トッピー)と何かの海洋生物がぶつかり、110数人の乗客乗務員のうち、80人を越すケガ人が出ているという(のちのニュースによると90人あまりに増えていた)。鹿児島弁はこの軽症の乗客のインタビューだった。
そして、証言の一部からこの海洋生物はおそらく「クジラ」ではなかろうか、ということだった。

それはまあそういうことも有り得ないこともないとは思うのだが、あの広い広い海でぶつかるほどクジラは多いのか、それともなにか方向感覚に異常があるのか、はたまた航行事態に問題があったのか?

取材によると、クジラによる船舶の事故は多発しており、玄海灘では短期間のうちに数件の衝突事故が起きているらしかった。
クジラの生息地域が変わってきたのか?捕鯨がなくなった影響等で異常に増えたのか?

話はちょっとそれるが、もの心ついたころから「クジラのオバ(オバで通じますかね?自信ないです)」の酢味噌あえが食卓に並び、学校に行ったら行ったでゴム草履のような「クジラの竜田揚げ」を食べさせられてきた世代としては、いきなり捕鯨禁止の時代になって、なんとなく寂しくはあるが(別にそう食べたいとも思わないけど)、まあそれはそれでいろいろ理由があるのだろうからここでは突っ込まないことにする。
ただ、<哺乳類を食べる>ということに関しての衝撃についてなら少し類推することもできる。
というのは、静岡出身の友人が「イルカを食べることがある」というのをきいて、「えっ、あのイルカ?曲芸したり人間と一緒に泳いだりするとかいうあの?」と仰天したからだ。

実家に電話してみた。
母がいう
「船が、うっくじるっくらい激しくぶつかったちいうが、クジラんほうは、いけんもなかったたろかい?
いま、潜水士んしが、もぐっ、調べおっ、ちいう話じゃが」

父がいう
「テレビで(乗客が)<頭蓋骨骨折>とか言っても感じがでらんね。こっちじゃ<びんたがうッぽげた>という」

クジラがいけんもなか・・ということはないと思います、私。
生きてたとしてもたぶん<びんたがうッぽげて、あっこそこつぐろじん>だと思います。

  ※ちなみに元国語教師の父によると<つぐろじん>とは、接頭語つ+黒い(ぐろ)+しみ(じん)、であろうということだった。

<トッピー>とは、鹿児島近海に多いトビウオ(方言でトッピーという)にちなんだ愛称らしいが、相手がクジラとはまた気の毒なことであった。


知りたい、今時の導入教育

2006年04月09日 21時08分15秒 | ピアノ
クラシカ・ジャパンの朝の番組で、某コンクールの入賞者演奏会の模様を見ました。

もう~、たまげました。
まず曲が難しい。
幼稚園の年長でモーツァルトの<ソナチネ>やランゲの<ソナチネ>、
小1でハイドンの<ソナタ>、小2でドビュッシーの<グラデュス・アド・パルナッスム博士>やシャミナードの<森の精>(これは私知らない曲でした)とか弾いちゃうわけです。
それもムリなく・・・なんです。
技術的には、指がムラなく均等に動かないといけない曲が多いし、モーツァルトは3度の重音もあるし、シャミナードにいたっては、アルペジオの中で右左とメロディーと取り分ける(まあ、リストの<ため息>の小型のような曲といえばいいでしょうか)きわめて難しい箇所があるのに、6~8歳の子供たちがまったく問題なく弾く。
しかも・・ここからが大事なんですが、<指導された!>という感じがない。
相当な練習や指導があったのは想像に難くないのですが、完全に自分のモノになっている。たぶん目を閉じて聴いたら、有名ピアニストの演奏と思うかもしれません。
もちろん才能の占める部分は大きいと思うのですが、最近の導入教育は私たちの頃とは相当違っているのではないでしょうか?
今日の演奏を見ていても、音域が広かったりかなり音量のいる部分があっても、無理せずに楽に楽器を鳴らしている。まだ補助ペダル使うくらいの体格なのに、全然力みがないし、鍵盤に指を置くだけで音を出せている。
こういう弾き方はできないです、私いまだに。
今までのことを白紙に戻して、こういう子たちと同じ教育を一から受けなおしたほうが、話が早いのかもしれません。

午後、本屋にいって音楽雑誌を立ち読みしてましたら、
4歳でウィーンのセミナーを受けに行き、それからすぐ留学、今11歳で、現地で天才と騒がれている日本人少女のインタビューが出ていました。
このごろ、小学生でも留学は珍しくないようです。

そうはいっても・・・私にはものすごく珍しい!


つぐろじん

2006年04月08日 22時43分49秒 | 見る・読む
<つぐろじん>・・・なんだと思います?
私はあるものをずーっとこう呼んできました。
今でもそう呼びます。

でも東京に住んでみたら、これはなんと<青たん>と呼ばれており、最初はモウコハンのことかと思ったのです。
で、こちらに引越してきたら、息子が時々(本人は無意識らしいですが)「<あおぢ>ができた」とかいうわけです。

なんか感じが出ません。「つぐろじんが出来たぁ~ 」という悲痛な感じが・・・(笑)

そこで、調べてみました。なんと『内出血のアザの呼び名』を調査したサイトがありました。
それによるとですね、
<オール>・・・・・・・・・・沖縄県
<青なじみ>・・・・・・・・・茨城・千葉地方
<血が死んだ>・・・・・・・・北陸・中部地方
その他<くろにえる>とかいうのもありました。

あらためて知ったことですが、<つぐろじん>はかなり特殊です。
だいたい語源がさっぱりわかりませんね。沖縄の<オール>なみに。
でも、これ鹿児島人なら100%通じるんじゃないかと思います。でも、それにしてもどういう語構成なんだろう<つぐろじん>って・・・・・。


同じく、鹿児島人ならほぼ100%通じると思われる言葉に<ラーフル>があります。
これは当然<黒板消し>を指すわけですが(えっ、当然じゃないって?)、県外に出て初めて「通じない」ということに愕然とする語です。
だって、<ラーフル>ってすごくスマートだし、なんでこんな言葉があるのにわざわざ<黒板消し>って呼ばなきゃなんないんですか?(笑)
どうも語源はオランダ語らしく、今でも事務用品の用語としては使われるみたいなのですが、鹿児島県全域と宮崎県の一部を除いては通じないらしいです。

これも、ものすごく力の入った大論文がありました。
『ラーフル考』

こういうことって、地元にいると案外なんとも思わないのですよねえ。
県外に出たから面白がったり、不思議に思ったりするだけで。
またこれからも時々、おもしろい方言について考えていこうと思っています。

桜 異聞

2006年04月07日 12時08分50秒 | 見る・読む
お花見で楽しそうな世間さまに水をさすようで、ちょっと遠慮していたのですが・・
この時期になると、どうしてもどうしても思いだす短編(ほんとに短い。エッセイみたい)があるのです。
    梶井基次郎『桜の樹の下には』
冒頭は強烈です。
「桜の樹の下には○○が埋まってゐる!」(正解はコメントをクリック)
鬱屈した主人公のごビョーキな心象風景を映し出したかのような作品ですが、
ある意味大変美しい、好きな作品のひとつです。

今朝、新聞を見ていたら、もうひとつの桜を題材にした短編、
坂口安吾の『桜の森の満開の下』の話が載っていました。(以下抜粋)

<終戦の年、東京は桜の季節に空襲に遭った。そのさまを作家坂口安吾が見ていた。
3月10日の大空襲の後、上野の山では焼け残った桜が花を咲かせた。だが花見客は一人もいない。風ばかりが吹き抜ける満開の桜の下は、冷気と静寂に支配されていた。安吾は、虚無の空間に魂が消え入っていくような不安感に襲われる。
終戦から2年後、安吾は、このときの恐ろしげな実感を、グロテスクで美しい傑作『桜の森の満開の下』に結実させた。桜の美の奥に潜むまがまがしさを描き出し、いまも多くの読者を魅了する。>

この作品を映画化しようとしたのが、篠田正浩監督。作品中の「まがまがしい」女主人公は、当然というべきか(笑)岩下志麻。(以下抜粋)

<篠田には桜に格別の思い入れがあった。14歳で終戦を迎えるまで熱烈な皇国少年だった。「バラじゃ死ねないが、桜ならと思っていた」。思いは8月15日を境に雲散霧消する。長く忘れていた桜への記憶を呼び覚ましたのが、安吾の小説だった。かつての軍国の花とは異なる、官能的で不吉な桜は刺激的だった>

この映画見たことないのですが、ロケ地はヤマザクラが満開の吉野山(平安時代にソメイヨシノはありませんから、ヤマザクラなのですね、)
女と山賊が桜に埋まるラストシーンでは、段ボール80箱分の紙の花びらを使ったとかで、非常に興味をそそられます。

ついでといってはなんですが、この「まがまがしい」という語、「禍禍しい」と書きますけど、
大学時代『古事記』の講義の時、女性教官がちっともまがまがしくない凛としたさわやかなお声(笑)で、何度も「まがまがしいものが」とおっしゃったのを懐かしく思い出します。

そして「まがまがしい」お話が大好きな方へ。同じく新聞の記事より抜粋。

<「桜は怖いもんです」
京都の桜守で知られる16代佐野藤右衛門はいう。
藤右衛門は5年前の3月、京都北部の村へ行った。村の墓にあった桜の巨樹が枯れたので、原因を調べようとしたのだ。
根元を掘り返していると、急に雲がわいて暗くなり、風が巻き、雪が舞いだした。藤右衛門は生まれて初めて桜に恐怖を感じる。あたふたと作業をやめて帰った。
翌朝起きると、顔の左半分が腫れ上がり、左耳が聞こえなくなっていた。
腫れは1週間ほどで引いた。だが聴力は今もほとんど失われたままだ>


若葉たん、萌え~

2006年04月06日 23時57分24秒 | 雑感
桜が終わりに近づき、いよいよの季節になってきました。
なにがいよいよかというと、
<萌え>です。
近年この<萌え>が流行って、最初はなんで2ちゃんねるで雅語なんか・・と妙な感じがしたのですが、口語アイデンティティの脆弱な私のこと、臆面もなく染まってます。
近年の<萌え~>についは、なんだかわかったようなわかんないような感じで、しいていえば「ニュアンス」といった理解しかできてないのですが、
もとは<萌ゆ>という自動詞ヤ行下二段活用の古語であり、「植物の芽が出る。芽ぐむ。きざす」の意。現代語では<萌える>(自動・ア下一)という語ですね。
また、<萌え木>という語は、「若芽の出た木。若葉の現れた木」を意味し、これから先のいわゆる「木の芽時」にいくらでもお目にかかれます。

・・・・・・・・とここまで、書いたところで、むずむずして痒いような気になってきました。
白状します。。。子供のころからこの時期は苦手です。若芽の独特の明るい緑は相当刺激的で、長く見てると頭痛がしてきます。
この感覚は今ドキの「萌え~」とは、ちょっと違いますよね、たぶん。

散歩のたびに新芽を見ては「あっ、萌え~」「あっ、萌え~」と鼻血吹きそうなおばさんて、かなりヤバイかも、です。
なんだかウンチク臭いんですけど、最後に・・・
「ヤバい」を広めたのは川端康成の『浅草紅團』だそうです。
クイズ番組でお笑いの長井が「間違いない!」って言ってました(笑)。

些細で大事な2つの出来事

2006年04月05日 21時40分28秒 | 雑感
1.さんざん悩んだすえ・・・・・  ピアノ椅子の目盛りを3つ上げました!

 これ、大事件なんです。
 3年くらい前、ベートーベン=リストの「運命」を弾いているときは上から3つ目くらいで弾いてました。
その後、「熱情 第1楽章」をステップで弾いた時、アドバイザーから「少し高すぎるように思う」といわれ、上から5つ目に。
だいたい身長からしても妥当な高さと思いこれを続けてましたが、バッハやモーツァルトの細かい音符をクリアに弾くために、上から8つ目まで下げてみたところ、これがなかなか良く、手首が下がる分指先が軽くなりこれを5ヶ月近く。

ブラームスを弾くようになって、音域の広さや和音の多さ、それとブラームス自身が椅子が高かったという記録から、高いほうがいいのだろうとは思っていたのですが、なかなか急には変えられず迷い続けておりました。
K先生のレッスンで「上からつかむ」「指を立てる」という指示が多々あったので、これを可能にするには椅子を上げるのが早かろう、と思い切ってやってみました。(8つ目から3つ上げたということは、以前の位置に戻ったということですね)

どうやら良いようです。とくにスーパー音跳びのブラームスには。シューマンもレガートや体重かけるところには良いと思われます。
ただ、どんな曲にも手首を下げる必要のある箇所は出てくるので、この時の体のポジションはこれからです。なにしろ、自分自身の奏法がちっとも決まってないので、いちいち考える必要があります。日々手探り状態。

2.カカオ70%チョコを体験

先日のカカオ99%はいきなりショパンをポゴレリチで聴いてしまったような衝撃で(ちと違う?)、それはそれで克服する喜びとハマってしまうと抜けられない誘惑があったのですが、とりあえずスーパーに同じリンツチョコレートの70%があったので買ってみました。
それにしても、今のビター流行ときたら!
ワンコーナービターチョコですよ。しかも70、85、86と点数のような数字が並んでいる。私は世間に疎いのでよくわからないのですが、なにか世相と関係あるのでしょうか?
そして・・・70%チョコは上品な大人のお味で大変おいしゅうございました。
次は80%台ですね。修行は続きます・・・

フランスは遠し

2006年04月05日 00時24分33秒 | ピアノ
NHK教育テレビ<スーパーピアノレッスン>で、今日からフランスものが始まった。
講師はミシェル・ベロフ。
これから17回にわたり、ドビュッシー・ラベル・メシアン・サティを取り上げていくようだ。

本日はドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』

録画して見ていたにもかかわらず、二人の子供が音声多重で話しかけてくるもので
字幕を見るくらいしかできなかったのだが、それでも「この曲はこんなに難しかったのか!」と仰天した。
「柔らかなパステル調の曲」くらいの意識で、私はほぼ雰囲気だけで弾いていたのだが、
ベロフの指導は、絵画・彫刻・建築の様式をベースに
「ここのペダルは低音ではなく中音を残して」「ここは拍感を大事に」「ここは和音の移り変わりを出して」等と具体的。
もちろん「巻き毛の雰囲気」などニュアンスの説明もあるにはあるのだが、
「響き」「色彩」「光」をフレーズや音にこめていく過程を丹念に指導していく。
ディミヌエンドやテンポを落とす位置についてもきわめて厳格だ。

絵画的な描写というと、なんとなく音にする場合「音色」ばかり考えてしまいそうになるのだが、
考えてみれば絵画はそれこそ構成・光量・色の配合・遠近感等々が計算されつくされているわけなのだから、譜面の読みも一層細かになってしかるべきなのだろう。
私はこれまでフランスものはほとんど弾いたことがなく、よって表現力も無いに等しい。
来年あたりからしっかり勉強してみたいと思っているのだが、
これはほんとにいい加減な勉強ではだめなのだなあ・・・とあらためて思った。
まずは今日の録画をもう一回見ることから・・・。

ビターに至る道は険し

2006年04月03日 20時44分38秒 | 雑感
ビター系のチョコレートが好きな私に、主人が空港で買ってくれた。
99%CACAO

LINDTのものだから、モノはいいはず。しかしカカオ99%なんて幻覚見て暴れたりしないか?

先に食べた主人が「すごい味するよ」というもんだから、相当用心して食べたが
・・・この世のものとは思えない苦さ
上の子に「すごいからね、すごいからね」と言ってやったのに、
彼は一口含んだとたん吐き出した。

こんなのチョコレートじゃなーい 

箱にはこのような能書きが。
<この製品は、カカオ豆の力強さと豊かさのすべてを表現したチョコレートです。
その魅力を存分に楽しんでいただくために、まずエクセレンス70%カカオから食べ始め、
次に85%カカオというようにカカオ含有率が高いチョコレートの味覚に慣れてから
召し上がることをお勧めします。
また、お召し上がりの際は少しずつお口に入れ舌の上でゆっくりと溶かしてください>

味わうためのトレーニングのいるチョコレートなのか?
99%に至るためには、前段階として2枚のチョコレートを試さねばならないのだ。
そうまでして食べる?
でも、そうまでしたらこれを味わえる?
ダブルバインドで身動きとれない私