~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

いっつ あ すもーるわーるど

2006年04月21日 21時56分16秒 | その他音楽
私、子供のころ(今も?)クラシック音楽以外の音楽に接する機会が異様に少なく、中学くらいの年齢になった時にそれ以外の音楽が多少なりとも入っていたときは正直びっくりした。

まず、小林幸子を聴いて「おお、こんな民謡とも雅楽ともつかない不思議な節回しが・・!」と思い、
ビートルズの『HELP』を聴いて「こんなすごいリズムが!!!これがロックというものなのか!」と驚愕し、
能の鼓を聴いて「西洋の拍と違う。すごい、鼓動のようだ!」と感激した。

・・・・・・・・・・何時代の人間なのか・・・・・・・・・・

学校へ行くと友人たちが「べい してぃ ろおらず」なるものが、どうしたこうしたと言っていたが、
それが日本人なのか何人なのかも判然とせず、あまりカッコいい名前とも思えず、そのまま放置された。

ついでにそのころ
「♪ジン・ジン・ジンギスカ~ン・・・・・」
という歌も流行っていた(鹿児島だけか?)ようだが、これも何人が歌っているのかも不明で、つまり私は深追いするほどの音楽体験に乏しい人間なのだった。

唯一、ほぼすべての歌を知っているというのは中島みゆきだけで、
これは曲というより深夜のラジオ番組の影響なのであって、
しかも彼女が好きだというのは、太宰 治が好きだ・・・・というくらい、
ちょっとアレなことなのであって、これもここだけの話。

というわけで、うちの旦那がプログレなるものを聴かせたときは、
たまげすぎた。
・・わ・わけわからん・・・・

私にとっては「Ⅰ・Ⅳ・Ⅴ」以外の和音が出てくるといまだに斬新なのだ。
・・・・・・・・・・何時代の人間なのか・・・・・・・・・・

これ読んで「ご冗談を」と思わないでほしい。
CDショップに行くと「いったい自分の知ってる音楽は世の中の音楽の1%未満ではなかろうか」とボー然としてしまう私です。
いえ<洋楽>の棚があまりにでかいもんで

友人の家移り

2006年04月20日 23時13分37秒 | 家族・友人等
ニュースで某島のことが出ていたもので、
こういう話題になると俄然元気になる東京の友人(ちなみに政治的意図はまったくないようだ)のことを思い出し、「○島はどう?」とメールしてみた。

すると、いきなり電話がかかってきた。
「もう、○島どころじゃないのよ。ほら、きこえるでしょ?爆撃よ!テロよ!」
「はあ~??」
「もう大変なんだから。どかーん、どかーん、て地響きしてる」
「で、なにが起こってるの?」
「解体よ。隣の銀行がなくなって解体が始まってるのよ。それで、ここもどかなきゃならなくなったのよ」
「へえ~~。もう何十年も住んでるそこから移るんだ」
「そうなのよ。それで、いろいろ探してるんだけど、こじゃれたOL一人暮らし用の小さなマンションと、築40数年のきったないけど広くてしかも焼き鳥屋の上の部屋と迷ってる」
「そりゃー、焼き鳥屋でしょ。だって、庭から郵便屋が入ってくるようなあんな家でふすま絵も自分で描いちゃうような生活してたのに、壁に画鋲も打てないような家に住めっこないじゃん」
「そうでしょ、あなたならそういってくれると思ってた。みんなが<もうサバイバルはやめなさい>って、こじゃれたほうばかりすすめるもんだから」
「それでほかにどんな物件があったの?」
「O病院が窓いっぱいに見えるマンションなんだけど、おばあさんが隅から隅まで磨きつくして、部屋もペンキで真っ白に塗ってあって、真っ白でぴかぴかの食器棚もあって<これ使ってもいいですよ>っていうのよね。でも<洗濯物は屋上でみなさんと一緒に干してくださいね>って」
「なんじゃそりゃ・・・・病院か?」
「たぶん、元は病院なんじゃないの?<うちは静かなのがお好きな方に好評です>って言ってたし」
「話としてはおもしろそうだけど。みんなで屋上で洗濯干すのはちょっとなあ・・。やめたほうがよろしいのでは」
「ところで、あなた茶碗いる?」
「どんなやつ?」
「そうきく人にはあげられないわよ」
「だって、どんぶり10個とか送りつけられたら困るもん」

・・・・・・・・これは冗談ではないのだ。
彼女は某有名ブランド食器会社に勤めているのだが、価値観が非常に柔軟(!?)で、ダイアナ&チャールズの結婚記念プレートでカレーを食べたりする一方で、コカ・コーラのコップを大変大切にしていたりもする。
もちろん素敵な食器もくれるのだが、要注意だ。いつかはどこかからの土産にイスラムの挨拶の本を送ってきた。

さて、彼女の家探しはどうなる?そしてうちには何が送りつけられてくる?

中年よ、小志を抱け

2006年04月20日 13時02分00秒 | ピアノ
いよいよ迫ってまいりました。
あさっての室内楽のイベントです。・・といっても個人宅であるので公開ではないのですが。
プログラムは、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ドボルザーク、ブラームスの名曲がずらずらっと並んでおります。
なんせ私は初めてなもんで、個人のお宅で20名あまりが入れてかつグランドが弾けて・・っていったんどんなお屋敷なんだろう???とドキドキしております(笑)。
曲に取り組む姿勢としては、コンクールだろうが、発表会だろうが、お楽しみ会だろうがまったく変わりありませんので、自分にできる限りのことはやりました。
室内楽なので暗譜の必要はありませんけれど、暗譜でCDにあわせられるレベル(しかもどの部分からでも)にしました。
そうはいっても、どんなにやったつもりでも本番はまた別物ですので、無事に終わるという保証はまったくありません。

例の4回転半ジャンプ並みの難所ですが・・・・
はい、ほぼクリアいたしました。一般的なテンポならば落ちずにすむんじゃないかと思います。
ここが飛躍的に弾けるようになったのはごく最近のことで、「やっと締め切りに間に合った」というのが実感です。
3度4度5度6度8度が両手に複雑に出てくる部分は、頭の中ですべての指の動きがイメージできるようにし、何オクターブも跳ぶところは、瞬間に手の下を通りすぎていくたくさんの鍵盤をスローモーションでイメージできるよう(高速の球が止まって見えるというやつ?)に、なんども頭の中で再生しました。
結局「弾ける」ようになったきっかけは、鍵盤上の練習ではありませんでした。

あくまでもこれは技術上の問題のみの話であり、音楽的にはここから始まる部分も多いと思うのですが、なんせもう合わせる時間ないし、自分ひとりで作りこみ過ぎても、たぶんご迷惑(?)だと思うので、あとは当日次第です。

それにしても日々練習していて思うことですが、
もし、伸縮自在の柔軟性(とそれを支える筋力)があれば、鍵盤への着地もソフトにいくし、オクターブや9度もさっと手を広げてすばやくつかめ、鍵盤に指をつけたままでスケールも弾ける・・・・・はず。
指も180度の開脚(!?)ができれば、なにも手自体が大きくある必要はないわけで、こういった柔軟性を体得し保持するのは、なんだかんだいっても幼児のころから弾くのが早道だし、練習を積むことも(一部の天才を除いては)欠かせないことだとあらためて思いました。

私、数年前に再開したときは指のコントロールが非常に悪く、気持ちだけが走っていて自分でも気分のいいものではありませんでした。
自分で言うのもなんなんですが、最近指自体の動きは相当回復してきたと思います。この年になっても「運動能力」の一部が向上する可能性があるのはかなりうれしいことです。
・・・・・・・というのは中年に共通した心理のようで、この前テレビを見ていたら「40くらいから走り始める人が多い。自分でもまだやれるんだというのと、どこまでやれるかやってみたい、という気持ちがそうさせるようだ」と誰かが語ってました。

私、立派な中年のようでございます

ほんとにキックしてくれればいいのに

2006年04月19日 12時37分15秒 | 家族・友人等
もうびっくりして死ぬかと思いました。
目が覚めたら8時20分!

今日は何曜日?何曜日かわからんがまだ週末ではなさそうだ。
ということは学校は?ぎゃあああああ~

息子・・・・・まだ寝てました 
遅出の主人を起こして車を出してもらって
息子の口にバナナを突っ込んで
行ってこーい

たぶん自習の始まる30分には間に合った・・・と思う

ここまでの寝坊は、家族を持ってからは初めてです。
もともと朝は得意ではないんですけど、私よりさらに得意でない家族のために(?)
目覚まし君(写真)とともに頑張ってまいりました。
目覚まし君は今朝もちゃんと鳴ったのです。

<♪(仮面ライダーのテーマ曲:レッツゴー・ライダーキックの歌詞なしバージョン)♪>
おきろ!ライダージャンプ!ライダーキック!
目が覚めたか!
(当然、藤岡弘、の声)


ここまできいたのは覚えてます。
で、寝覚めの悪かった私は「もう~、わかったよ~!」とライダーの頭をボカッ。
今日もアツい君でいろ!
との目覚まし君のメッセージもきいたような気がするのですが・・・・・・


これだけうるさい目覚まし君すらも、ささやきレベルの刺激に落ちぶれたとあっては。。。
次はどうする?

ちなみにこの目覚まし君、長年の「ボカッ」のおかげか
「びんた うっぽげて((鹿児島弁:頭蓋骨陥没)」ます。

ニューミュージックな頃

2006年04月18日 23時22分47秒 | 家族・友人等
大掃除を兼ねた模様替え(ほとんど趣味)をしていたら、
オフコースのカセットが出てまいりました。
『言葉にできない』等のリバイバルが近年あったりもしたので、そろそろ息子も聴くだろうか・・とかけてみました。

『さよなら』

<♪ さよなら さよなら さよならぁぁ もうすぐ外は白い冬
愛したのは たしかに 君だけ そのままの君だけ~♪>

この歌詞については、私、相当長い間、勘違いをしておりました。
恥をしのんで申し上げます。
<♪ さよなら さよなら さよならぁぁ もうすぐ外は白い冬
あしたは あしたで 君だけ そのままの君だけ~♪

だいたい私の耳には<タタ>というリズムに<愛し>という語が対応し切れなかったのでありまして、よって
「さよなら・・・・あしたはあしたの風が吹くよ!
凛とした白い冬に立つ君は美しい!君はそのままでいい!」という
スカーレット・オハラも真っ青の、力強いメッセージソングになっていたのでありました。

そういえば、同時期のチューリップの懐かしい歌にも、勘違いが・・・・。

『虹とスニーカーの頃』
作詞/作曲 財津和夫

わがままは 男の罪
それを許さないのは 女の罪
若かった 何もかもが
あのスニーカーは もう捨てたかい
白いスニーカー 汚さないように
裸足で雨の中 僕等は歩いた
びしょびしょぬれの トレーナーが
乾くまで抱き合った 夏の昼下がり
~~~~~~~~~

「この歌詞のどこを?」と思われるかもしれません。
ズバリ、ここです。

<♪ 若かった 何もかもが あのスニーカーは もう捨てたかい>
          ↓
<♪ たたかった 何もかもと あのスニーカーは捨てた 赤い

もうね、これは、わがままな男とわがままを許さない女の、果てしない闘争の歌です。中ピ連・・ウーマン・リブ・・そういう時代ですね。
なにが凄まじいって、血染めのスニーカーを捨てちゃってるわけです。
すごい青春かも
ちなみにこれを書くために<虹とスニーカーのころ>とタイプしたら、
<二児とスニーカーのころ>と出ました。
「人は世につれ 歌は人につれ」ってなところでしょうか。

歌詞があっても、これだけ「オレ流」にしちゃってる私です。
まして、曲だけのものなんか・・・・
おそろしくて、考えるのも怖い

アイディア商品?

2006年04月17日 21時56分55秒 | 見る・読む
カード会社の情報誌にこんな記事が出ていた。

わずかな光で半永久的に周り続ける地球儀がついに登場!

なんでも室内の明るさと地球の磁場を利用した画期的なメカニズムで自動回転するらしい。
アクリル製の球体ケースの中に自動回転する地球儀が組み込まれた二重構造で、その2~3ミリの球体の隙間に注入された液体により、光があたるとまるで地球が自転するように回る、地球儀の究極版(!?)。
1分間に約2回転らしいが、見たい位置を注視するには、結局自分が回らなくてはならなくなるかもしれない(笑)。


↑の地球儀を検索していたら、こんなものに引っかった。
超高速モーツァルト

「・・・・・・・・モーツァルトの楽曲には、高周波が多く含まれています。
その楽曲を高速化して聞くことにより、脳幹が活性化し右脳が活性化します。
右脳が活性化することにより、記憶力や集中力が増進し結果的に頭の回転が速くなり人間本来の脳力を発揮できるのです。
この『超高速モーツァルト』は、短時間で脳力を高めるための超高速学習の決定版です。
『等速快脳CD』と『超速快脳CD』の2枚組で、脳をダブル活性!
頭の回転を速くしたいときに、豊かな発想やアイディア、ひらめきが欲しい時に
気分の脳のストレスをリフレッシュしたい時に。
音楽は芸術であり、科学でもある。
試してみると分かります。
効率アップで残業を減らすし、勉強もはかどりますよ。

■通常演奏、2倍、4倍、8倍、16倍、32倍速で聞く」

ということらしい。
モーツァルトの楽曲のスロー再生なら、常日頃やっていることではあるけれど、速いのはなかなか難しい。
32倍速なんていったいどんな具合に・・・?
生誕250年にして、モーツァルト、キワマッております。

いずれも<王様のアイディア>に商品出てます。
そういえば、昔たくさんショップありましたよねえ。今でもあるのかな?


登場の美学

2006年04月17日 00時00分28秒 | 見る・読む
昼間テレビを見ていたら、某大物女性演歌歌手が出ていた。
年末の歌合戦のド派手な衣装で有名な方だ。
なんでも、一年の稼ぎのほとんどを一回きりの衣装につぎこむばかりか
それを搬送するためのトラック(はんぱな大きさではないです)やクレーンまでもが自前らしい。
それはともかくとして、若手芸人が彼女にたずねた内容が興味深かった。

「エンターテイメントとはなんでしょうか?」
色紙に彼女が書いた・・・・<登場の美学>
ステージにその歌手なり芸人なりが出てきた瞬間、「あの人はなにを見せてくれるのか?なにかをやってくれそうだ」というドキドキを観客に感じてもらうことが大事なのだそうだ。
くわえて歌の場合「最初の8小節のイントロでの曲への入り方」「歌詞が5行なら5行あるとして、その行と行の間のつなぎ」が大切だという。

さすがだと思う。
<つかん>で、<世界につれこん>で、<言葉だけでなく情を伝える>ということだと思う。
なにげなく笑いながらさらっと言うあたりも大物感が漂っていた。

私は、以前デパート勤めをしていたことがあり、けっこう女優さんを身近に拝見することもあったのだが、なにがすごいって「スイッチオフ」になった時の素の姿だ。
まるで<気>を消してしまったみたいに全然目立たない。なかには「女優」をしょったまま来店される方もあるので、パッと目立たれる方もいないわけではないけれど、別にサングラスやマスクしてなくても、呼ばれてそばに行って初めて気付く場合が結構多い。
ただ、こちらに気付かれたと思ったとき見せられる笑顔は、テレビで拝見するある意味<営業用>のものだから、これはもういきなり「女優さん」だ。
忍者のようだ・・・と思ったことがある。
自分の<気>の強弱・濃淡・大小を自在にコントロールできる能力が、役の幅にもつながっているのかもしれない。

先日もちょっと書いたのだけれど、<気>とはまことに奥深い。実態については全然私わからないのだけれど。

昼下がりの鑑賞会

2006年04月15日 16時44分56秒 | 交響曲・管弦楽曲等
見ました!「深夜の音楽会」の録画。
まさか水曜の深夜に撮ったものが今日送られてくるなんて思ってなかったので、
思いがけずうれしい土曜の午後のひとときとなりました。

いやもう天才少女、パワーアップしてました。
たしか『戴冠式』は、おととしの9月に彼女と話したとき「ただ今練習中」とのことでしたが、
それから幾多の舞台を経て完全に看板レパートリーになってました。
目を閉じて弾くかと思えば、右手だけの部分は左手で指揮でもするかのように曲をなぞり、しかも『戴冠式』にふさわしい堂々した低音・リズムの刻み。
指揮もオケも骨格のしっかりした、でも流麗なすばらしい演奏でした。

そのあと、『ドン・ジョバンニ』からツェルリーナとドン・ジョバンニのアリア、
『魔笛』の序曲、<夜の女王>のアリアの最高音の聴かせどころ・・・・ときたところで、ブチッ。 
実は、この日の放映は急に15分押しになってしまっていたのでした。残念ですが、まずタイマー録画だと致し方ありません。
ほんとにここまででも録画を見られて幸せです。
吉田先生のエネルギッシュな指揮を1年数ヶ月ぶりに拝見し、ぜひプッチーニなどのオペラをライブで見聴きしたいとの思いを強くいたしました。

興味のおありになる方、よろしければ近々鑑賞会でもいたしましょう。

2億年ぶりの相棒発見?・・・

2006年04月15日 00時00分39秒 | 見る・読む
こんなことがあっていいものかと思うのだが、自然界は謎だらけだから
あってもおかしくないというべきなのだろう。

約2億年前からメスしかいないと考えられていたカイミジンコ(体長約1ミリ)のオスが鹿児島県の屋久島で見つかった

なんでもこのカイミジンコの仲間は化石研究などで約2億年前からメスしか見つかっていなかったのだそうだ。
よって、メスからメスが生まれる無性生殖を続ける世界最古の多細胞生物とされていた。
それが、2003年春、屋久島の海岸近くの湧き水で新種が見つかり、その中から生殖器があるオスを確認したということだ。
ある古生物学教授のコメント:
「オスはメスの幼体と形も大きさも似ている。オスはいなかったのではなく、姿を小さくしていき続けていたのではないか」
         

何が不思議って、2億年も見たことのない生殖器をどうして「それ」と確認できるのかということ。写真が出ていたが、私にはただの毛にしか見えない。

次に、なんでオスの化石は2億年さかのぼっても出てこなかったのか。よくある話で、メスに食べられたり、体の一部に組み込まれたりしていたのか?

なぜ今、なりをひそめていたオスが新種として目撃されるようになったのか?

以前、メスの体内に生殖器を残して去ってしまうアンモナイトのような貝の話(タコの仲間)を書いたが、こういう話はツボにはまってしまって朝読むと一日頭を離れない。
ともあれ、「メスからメス」じゃなかったということは、ものすごいこと・・のはず。こういう研究を地道に続けておられる科学者の方を本当に尊敬する。



<気>を感じた遠い記憶

2006年04月13日 23時57分37秒 | 雑感
私が子供のころ習っていたピアノの先生の幼友達に、密教のお坊さまがおられた。
当時でも、その霊力は知る人ぞ知るところであり、<医者に見離された皮膚病が治った>とか<沖の船を止めた>とか<病気のありかを一発で当てた>などなど、
もしテレビ番組などでやっていたならば「んなわけ、あるかいな」と一笑に付してしまうようなさまざまな出来事が、実名の知り合いに起こっていたのだから、これはもう事実として認めざるを得なかった。
このお坊さま、その後全国区の著名人となり、密教のすさまじい行を修められたとか、某有名球団の選手や監督がその下を訪れてはスランプから脱したとか、週刊誌などで拝見することがたびたびあった。

当時私は、まだ小学生であったから、いろいろなイベントの折にこのお坊さまを見かけても、特に不思議には感じなかったが、
コンクールのまえなどに、先生が「○○さんが、聴いてくれるって」とつれてこられたりしていたのは、もしかして「念を送って」いただいていたのかもしれない(笑)。
その後数年たって、高校で、その方のご子息と同学年となった。
体育会系の背の高い男の子だったが、なんでも悪友らからは「おい、念力やってみろよ」と言われていたらしい(爆)。

今はすっかりそちら方面の情報は絶えているのだが、親子ともお元気でいらっしゃるだろうか?
それにしても霊力や念力というものは、命を落とすほどの修行に耐えているうちに備わってくるものなのだろうか?
ちなみに、僧といってもいろいろな宗派の方がいらっしゃると思うのだが、
このお坊さま(お父様のほう。ご子息も同じ道を歩まれたときいています)の体格はどちらかというとダライ・ラマ氏のようで、圧倒されるような雰囲気をお持ちだった。

宗教とはまた別の話として、この方に漂っていた<気>についても懐かしく思い出すことがある。
<気>とは間違いなく存在します、少なくとも私の記憶においては。