~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

<気>を感じた遠い記憶

2006年04月13日 23時57分37秒 | 雑感
私が子供のころ習っていたピアノの先生の幼友達に、密教のお坊さまがおられた。
当時でも、その霊力は知る人ぞ知るところであり、<医者に見離された皮膚病が治った>とか<沖の船を止めた>とか<病気のありかを一発で当てた>などなど、
もしテレビ番組などでやっていたならば「んなわけ、あるかいな」と一笑に付してしまうようなさまざまな出来事が、実名の知り合いに起こっていたのだから、これはもう事実として認めざるを得なかった。
このお坊さま、その後全国区の著名人となり、密教のすさまじい行を修められたとか、某有名球団の選手や監督がその下を訪れてはスランプから脱したとか、週刊誌などで拝見することがたびたびあった。

当時私は、まだ小学生であったから、いろいろなイベントの折にこのお坊さまを見かけても、特に不思議には感じなかったが、
コンクールのまえなどに、先生が「○○さんが、聴いてくれるって」とつれてこられたりしていたのは、もしかして「念を送って」いただいていたのかもしれない(笑)。
その後数年たって、高校で、その方のご子息と同学年となった。
体育会系の背の高い男の子だったが、なんでも悪友らからは「おい、念力やってみろよ」と言われていたらしい(爆)。

今はすっかりそちら方面の情報は絶えているのだが、親子ともお元気でいらっしゃるだろうか?
それにしても霊力や念力というものは、命を落とすほどの修行に耐えているうちに備わってくるものなのだろうか?
ちなみに、僧といってもいろいろな宗派の方がいらっしゃると思うのだが、
このお坊さま(お父様のほう。ご子息も同じ道を歩まれたときいています)の体格はどちらかというとダライ・ラマ氏のようで、圧倒されるような雰囲気をお持ちだった。

宗教とはまた別の話として、この方に漂っていた<気>についても懐かしく思い出すことがある。
<気>とは間違いなく存在します、少なくとも私の記憶においては。