~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

桜 異聞

2006年04月07日 12時08分50秒 | 見る・読む
お花見で楽しそうな世間さまに水をさすようで、ちょっと遠慮していたのですが・・
この時期になると、どうしてもどうしても思いだす短編(ほんとに短い。エッセイみたい)があるのです。
    梶井基次郎『桜の樹の下には』
冒頭は強烈です。
「桜の樹の下には○○が埋まってゐる!」(正解はコメントをクリック)
鬱屈した主人公のごビョーキな心象風景を映し出したかのような作品ですが、
ある意味大変美しい、好きな作品のひとつです。

今朝、新聞を見ていたら、もうひとつの桜を題材にした短編、
坂口安吾の『桜の森の満開の下』の話が載っていました。(以下抜粋)

<終戦の年、東京は桜の季節に空襲に遭った。そのさまを作家坂口安吾が見ていた。
3月10日の大空襲の後、上野の山では焼け残った桜が花を咲かせた。だが花見客は一人もいない。風ばかりが吹き抜ける満開の桜の下は、冷気と静寂に支配されていた。安吾は、虚無の空間に魂が消え入っていくような不安感に襲われる。
終戦から2年後、安吾は、このときの恐ろしげな実感を、グロテスクで美しい傑作『桜の森の満開の下』に結実させた。桜の美の奥に潜むまがまがしさを描き出し、いまも多くの読者を魅了する。>

この作品を映画化しようとしたのが、篠田正浩監督。作品中の「まがまがしい」女主人公は、当然というべきか(笑)岩下志麻。(以下抜粋)

<篠田には桜に格別の思い入れがあった。14歳で終戦を迎えるまで熱烈な皇国少年だった。「バラじゃ死ねないが、桜ならと思っていた」。思いは8月15日を境に雲散霧消する。長く忘れていた桜への記憶を呼び覚ましたのが、安吾の小説だった。かつての軍国の花とは異なる、官能的で不吉な桜は刺激的だった>

この映画見たことないのですが、ロケ地はヤマザクラが満開の吉野山(平安時代にソメイヨシノはありませんから、ヤマザクラなのですね、)
女と山賊が桜に埋まるラストシーンでは、段ボール80箱分の紙の花びらを使ったとかで、非常に興味をそそられます。

ついでといってはなんですが、この「まがまがしい」という語、「禍禍しい」と書きますけど、
大学時代『古事記』の講義の時、女性教官がちっともまがまがしくない凛としたさわやかなお声(笑)で、何度も「まがまがしいものが」とおっしゃったのを懐かしく思い出します。

そして「まがまがしい」お話が大好きな方へ。同じく新聞の記事より抜粋。

<「桜は怖いもんです」
京都の桜守で知られる16代佐野藤右衛門はいう。
藤右衛門は5年前の3月、京都北部の村へ行った。村の墓にあった桜の巨樹が枯れたので、原因を調べようとしたのだ。
根元を掘り返していると、急に雲がわいて暗くなり、風が巻き、雪が舞いだした。藤右衛門は生まれて初めて桜に恐怖を感じる。あたふたと作業をやめて帰った。
翌朝起きると、顔の左半分が腫れ上がり、左耳が聞こえなくなっていた。
腫れは1週間ほどで引いた。だが聴力は今もほとんど失われたままだ>