-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

「背中炙り峠の楯」跡の主要部Ⅲ(切岸・その他)

2018-01-04 15:51:54 | 歴史

 年末・年始の背中炙り峠の楯跡特集が最終日になりましたので、今回も大サービスをいたします。何のことはありません。楯跡主要部の縄張り図を掲載するだけです。

 この特集ではこれまで曲輪と堀切と堀切を取り上げてきました。最終回は切岸などです。

                  「背中炙り峠の楯」跡の主要部縄張り図

 切岸Aは上段の街道(古道)の山側に沿って造られていて、全長100mにも及び、南から北へ向かって標高が高くなっています。私は曲輪、堀切、切岸の正確な定義を理解しておらず、それぞれの区別もままならないところがありますので、切岸と呼べるものが外にもあるのかもしれませんが、はっきりと切岸と呼べるのはこの切岸だけです。下の写真の右側が切岸で、中央部分に切岸を造る時に削り残した土塁状のものがあります。しかし、小さ過ぎて土塁としては全く役に立ちません。切岸と土塁状のものの間にある残雪の下には、楯の西側を走る二本の街道のうちの上段のルートです。街道は切岸に沿って真下を通っています。

 この形を御覧になって、堀切Dが似ていると思いませんか。私も堀切Dが切岸とすべきなのではと悩んだものです。ただ、堀切Dは土塁がはっきりしていましたので、切岸ではなく堀切としました。でも、それは分類上のことであって、私のような素人にはどちらでもよいようです。


 楯の中を通る街道(古道)も楯の機能を有していると考えられます。西へ向いた急斜面を削って造られた街道は、道の両側が絶壁になっているところが多く、容易に人を寄せ付けません。路面は腰曲輪の役を果たしています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする