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-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

雪が急速に解けだしています。

2022-03-29 17:40:15 | 近況報告

 令和4年3月27日(日)、雪の状態を確認するために、畑沢へ行きました。この時期は雪が急速に解けますので、水路に落葉などが大量に流れてきます。その落ち葉が池の取水口を塞いでしまったことが、これまで何回もありました。落ち葉を取り除く必要があります。

 取水口は分厚い雪で覆われていて、スコップで1m以上も掘り込んでやっとたどり着くことができました。案の定、落ち葉がしっかりと取水口を塞いでいました。畑沢へ行った甲斐がありました。無事に取り除くことができました。

 平場にはまだしっかりと雪が居座っていますが、斜面では雪が滑り始めています。山の木々の周囲は、真冬でも丸く穴が開いています。2月下旬ごろまでは、雪の粒々は互いに粘着しているように結びついていますので穴が拡大することはありませんが、気温が上昇し出すと結晶の形が大きく変化して、粒々間の結びつきが極端に弱くなります。木の周囲の穴は重力で下に引っ張られて穴が裂け、隣の穴と連続して拡大します。山の一面が白かったのが黒白模様になってきました。

 

 この山は急斜面になっていますが、幸い木々が十分に成長して雪崩が生じるのを抑えています。今から63年前に斜面全体が伐採されて、翌年の3月に大雪崩がありました。それから何十年もの間、木々が成長するまで毎年、大雪崩が生じるようになり、畑沢では「なでつぎ山」と呼ばれるようになりました。「雪崩付き山」の意味です。

 

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山は白銀(しろがね)

2022-03-13 14:37:47 | 近況報告

 早春と言うか冬の終わりに、毎年のように畑沢の山へ山スキーで遊びに行っています。令和4年は、3月11日になりました。この日は東日本大震災の犠牲者に毎年、黙祷を捧げてきたのですが、今回はどうしても11日以外の日を選ぶことができませんでした。登るのに良い天気は、朝が冷え込んで雪が固くなり、その後は晴天となることです。予報が的中し、朝はマイナス6度、日中は10度まで気温が上昇しました。

 登る山は畑沢で三番目に高い山(442m)です。名前は知りませんが、子ども時代から「いつかは登りたい」と狙っていました。畑沢の最高峰、大平山(813.6m)から1,840m北に位置しています。何万年か何十万年かは知りませんが、ずっと昔には大平山と一体だったと見られる地形です。恐らく、大平山の山腹が地滑りなどを起こして、さらに大きく侵食されて二つの山に切り離された雰囲気があります。

 登り始めの時間は11時近くになっていました。下の写真の正面がとりあえず目指す山です。最終目標の山頂は、この山の奥です。私の進路方向には動物の足跡があります。イノシシ、カモシカ、ウサギでないことだけしか分かりません。

 

 登り始めが最も急傾斜です。さらに一年に一度しか使わない山スキーですので、中々、リズムを掴むことができずにハアハアしながら登り続けました。

 急傾斜はまだ続いていますが、杉林の上に出ると妙に解放感が湧き、まだ30分しか経っていないのに、休憩することにしました。スキーを履いたまま下の方を斜面に突き刺して、どかっと腰を落としました。

 

 高くなって視界が開けてきました。屏沢を挟む向かいの山が浮かび上がっています。手前の杉木立は不動尊があった場所です。5年ほど前に雪に押しつぶされて、今は屋根だけが残っています。その屋根をイノシシが根城にしています。イノシシは、冬はそこから向かいの斜面に登り、地面を掘り返して餌となるミミズや植物の根などを食べているようです。何度も同じルートを通りますので、雪面が泥で汚れています。

 

 ようやく尾根の上に着きました。中畑沢では、「タイラ」と呼んでいる場所です。「平」の意味です。なだらかな斜面は貴重です。昔はここも畑として利用されていたようです。そして私たちの小学生時代には、極上のスキー場でもありました。100mぐらいの直線コースを作れました。蔵王スキー場ならば、上ノ台ゲレンデの緩斜面程度です。長い滑降コースでは、当時、常盤小学校の朝会で教わった「山はしろがね、朝日を浴びて滑るスキーの風切る早さ……」を口ずさんだものです。小さなジャンプ台も作りました。そして頭から転んで雪の中に突っ込みました。

 ここまで小学生だけで登って来ました。その経験が私に力を与えてくれます。

 

 どういうわけか、ここにはカラマツがあります。昔、植林したものでしょうが、建築材料になりませんし、製紙用のパルプとしても使われない様です。私は、これを使ってここに山小屋を建てたら面白いだろうなあと空想してみましたが、いつもの下らない妄想の類です。

 

 ここまで登ると、遠くの山々も見えます。右の方には二ツ森と翁山、左には神室連峰です。

 

 さらに登って思いがけないものが見えました。葉っぱが落ちて、尾根の形がくっきり見えます。黄色の楕円で囲まれた中心は、戦国時代に村人の城であった「上畑沢の楯跡」です。こんな小さな尾根の一角に造られています。発見は2年前でした。

 

 とうとう山頂に到着です。南へ大平山が見えます。

 

 畑沢と細野の境をなしている大平山の尾根を見ると、畑沢側には木が茂っていますが、細野側は疎(まば)らになっています。細野地区は働き者だから、木を切ったのかなと思いましたが、望遠にして拡大すると別の理由でした。この尾根は山の東西を分けています。尾根の東側には雪庇が出来ていて、東側が雪の吹き溜まりになっていることが分かりました。東側が積雪量が多いので、雪が木を覆っているのです。朝日連峰、飯豊連峰、神室連峰でも東側には大量の雪が積もって、樹木が上へ伸びることができません。この大平山でも似た現象があるようです。

 

 展望の素晴らしさは、さらに面白いものを見せてくれました。下の写真は背中炙り峠の楯跡がある所です。黄色の丸の中には堀切が見えます。木々に葉が生い茂っている夏は見通しできないのですが、この日ははっきりと段差を確認することができました。この堀切は5mぐらいの深さです。現場では、この形を確認することはできません。

 

 頂上に着いて一番の楽しみは昼食です。握り飯、みそ汁、ジュースとささやかですが。最高の御馳走です。

 登りに1時間半、下り30分の行程でした。未熟な山スキーの技術ですが、それでも下りはスキーらしく瞬く間でした。

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陽光の下でビビリました。

2022-03-04 18:24:22 | 近況報告

 2月下旬から次第に春に向かったような天気になってきました。前から考えていたことを実行に移すことにしました。令和4年3月3日(木)も快晴。畑沢で裏山を見ると、陽光が燦燦と雪原に降り注いでいます。できることなら、作業などしないで、そのまま山スキーで山中を彷徨(さまよ)いたいくらいです。

 遊びたい気分をぐっと我慢して、目的を果たさなければなりません。長い間、チャンスを待っていて、ようやくこの日がやってきたのです。待っていた条件は、十分な積雪があって、ある程度に気温が上昇して雪が締まり、天気が良いことです。すべて条件が満たされています。

 この日の作業は木の剪定です。「木」と言ってもただの木ではありません。その木はほぼ私の人生とともに始まっていますので大木です。私の家では「もみの木」と言っていましたが、正しい種名は分かりません。四方を山に囲まれている畑沢でただ一つ無限の広がりを持つ青空へ向かって、真っすぐに伸び続けました。地上近くでの幹周りは優に2メートルは超えるほどになっています。高さは20mぐらいかもしれません。単に上へ伸びるばかりでなく、横方向へも枝を伸ばして、畑の日差しを広く遮ってしまいました。30年ほど前にも一度だけ下側の枝を剪定したのですが、その上の枝がそれ以上に伸びてしまいました。

 十分な積雪が必要なのは、木が高いので梯子の高さだけでは届かないからです。雪が締まっていないと、梯子がぐらつきます。少し気温が上昇しないと、高い木の上では風が冷たすぎます。

 梯子を上って、前に切った枝に手をかけ、そこからは枝に足を載せながら上を目指しました。地上から10m以上にはなったでしょう。高所恐怖症の私にはとんでもない高さです。命綱を枝に絡ませて恐る恐る鋸で10本以上の枝を切り落としました。あー怖かった。下に降りて、記録写真です。これから何十年後に剪定することになるのでしょう。生きているかなあ。

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滑りもせず、落ちもせず、何事もなかった雪降ろし

2022-02-05 14:42:18 | 近況報告

 令和4年2月3日(木)に畑沢の実家の小屋の雪降ろしをしました。今冬は年末年始ごろから暫く大雪が続いていたのですが、一旦、小康状態になりながらも1月下旬ごろから再び雪が激しくなりました。NHKのデータ連動の積雪量と天気予報を気にしながら、この日に雪降ろしを決行しました。今回も妻の監視付です。ただし、カメラマンの役もやってくれましたので、助かりました。二階の屋根なのに、軒下まで雪が届きそうです。

 今回は姪の長男が先に屋根頂上部の作業を終えていましたので、私はその下を落とすだけでした。順調に作業を進めることができました。さらに雪質が素直なのも順調に作業が進んだ理由です。これで今冬での4回目の雪降ろしが終わりました。今年は雪が多いようです。

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滑って、転んで でも大丈夫でした屋根の上

2022-01-11 13:46:18 | 近況報告

 令和3年1月10日(月)に畑沢へ雪降ろしに行ってきました。何日も降り続いた雪が9日には小降りになり、10日は快晴になるとの予報でしたので、喜び勇んで山形を出発です。今回は監視役として妻が同行しました。高齢者の雪降ろしでの事故が相次いでいましたので、雪に埋まった時の救援のためとのことですが、そもそも雪に埋まる可能性はありません。でも説明してもついてきましたので、拒否はしません。説明するよりも、「はい、はい」と言って適当に従うのが家庭円満になります。永年の経験から大法則を悟っています。

 この時期の雪原は、平らに広がっているのですが、この日は表面が凸凹でした。秋吉台のカルスト地形に見られるような無数の窪みがあります。昔はこのような風景は見られなかったのですが、近年はしばしば生じています。十分に積もった雪面に湿った雪や雨が降ると生じます。昔は厳冬期に雨が降るなどなかったのですが、今冬も何回か降りました。夏季はイノシシが田んぼを荒らし、冬は温暖化による雨が雪面の平穏を乱します。

 

 雪降ろしの屋根は実家の小屋です。年末にも雪降ろしに行ったのですが、既に姉夫婦が前日に作業を終えていましたので、今回が私の初雪降ろしです。屋根にとっては2回目なのに、それでも垂直方向での積雪1m以上はあります。1回目の分も加えるとかなりの量になるはずです。NHKテレビの連動データの情報では、尾花沢は1m以下になっていますが、山沿いにある畑沢はそれ以上です。

 妻は監視役に留まらず、私が落とした雪が道路に広がったので、懸命にそれを片付けています。問題は懸命になり過ぎて、肝心の役目を忘れてしまう事です。雪は何層にもなっていて、相の境界が滑り易くなっています。その滑りを利用して、より少ない力で雪を落とします。これも永年の経験で、家庭円満と共通性があります。

 比較的、順調に作業が進んだのですが、最終段階に近づくと雪が少なくなって、雪が重さを支える保持力が減少し、足元の雪が崩れ2回ほど滑って転び、トタンの面を滑りました。しかし冷静かつ的確にハゼと呼ばれるレール状のものをハッシと掴みました。去年までの私ならそれができませんでした。腕が上達していますし、着けていた手袋のゴムが効いているようです。ところで妻は滑った2回とも気付いていません。このことは、「しー」です。

 今回は屋根の東側は完全に雪が滑り落ちていて、太陽がトタンを温めて室内の温度も上がっていたはずです。室内の温められた空気は雪を降ろしている西側のトタンを温めて、トタンと雪の間に薄い水の層を生じさせ滑りやすい状態が作られていました。さらに快晴ながらも気温は上昇せずに零下のままで、雪は結束力がなく崩れやすいままでした。その二点が私が「滑った」原因です。

 しかし、もっと大きな原因は、私が命綱をセットしなかったことです。私も老化しているので、昨冬からハゼに取り付ける金具とロープを準備していたのですが、今回、雪降ろしに畑沢へ行く前に物置を探したのに見つかりませんでした。「まあ、いいか」と準備しませんでした。恥ずかしい限りです。最近は道路の除雪がより丁寧になって、軒下の雪が少なくなり、落ちた場合のクッション効果が不安な状態です。これまでは落ちても大丈夫だったのが、これからも大丈夫だとは言い切れなくなっています。安全対策は必ず必要です。

 滑った以外は問題なく作業が終わりました。青空が眩しいぜ。

 

 作業を終えて周りを見ると、雪面の凹凸が面白い陰影を見せていましたので、パチリです。遠くに見える山は古道「背中炙り越え街道」がある所です。楯跡もあります。

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