●神道の死後観・・・古代日本人(仏教伝来以前)の死後の世
界観はと言いますと、神道のそれであります。神道では、死後は他
界(たかい)へ行くのですが、そこは不老不死の世界であり、神々
の世界であります。いわゆる黄泉(よみ)の国・常世(とこよ)の国で
あり、今尚大きな影響のある山中他界という考えを以下に記してお
きます。神道では、我々は死後に死霊になり、穢れ(けがれ)を持
ち、その穢れを浄化する為に祭祀を行い、次第に浄化され、祖霊を
経て祖先神になると考えます。この間、約33年から50年と言われ
ます。弔いあげの年数は山中他界観が根拠です。
◎この世を輪廻する「人は死んだら、中有(四十九日)と呼ばれる
期間内に必ず何かに生まれ変わる」輪廻転生の考え方から言え
ば、必ずこの世の何らかの生き物として、生まれていることになっ
ています。六道(ろくどう)と呼ばれる六つの世界(天界・人間界・修
羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)を生まれ変わっている訳です。ここ
で、注意しておくべきことは、あくまでも「この世」での出来事である
ということなのです。つまり、「死後の世界」というようなものが、こ
の世とは別に存在しているとは考えていないということです。
◎何が輪廻するのか?輪廻転生は、この世での出来事ですから、
幽霊に関する話ではありません。念のため、霊魂と幽霊を辞書で
調べてみます。新仏教辞典によれば、霊魂とは「肉体から区別され
た、精神的統一体」とあります。そして、幽霊は「死んだ人の霊魂
が、この世に姿を現したもの」とあります。この説明では、輪廻転生
した霊魂と幽霊の差がなくなってしまいます。そこのところをはっき
りするために、幽霊とは「死んだ人の霊魂が、死んだ人と同じ肉体
を持った状態のまま、この世に姿を現したもの」ということと理解し
て構わないのではないでしょうか。さて、本題に戻って輪廻転生で
すが、再度何物かに生まれ変わると言うからには、生まれ変わって
いるものは何かという疑問が湧いてきます。通常の認識で考えれ
ば、人間は、身体と、身体を司る精神とから成り立っているように思
われます。身体とは、肉体のことですから、いわゆる死を以って火
葬してしまいますから、「身体が生まれ変わる主体」とは考えにくい
と思われます。次に、精神についてはどうでしょうか。精神とは、心
と言っても差し支えないでしょう。もしも、輪廻する主体があるとす
れば、心の部分に関わっているのではないかと考えることにしてみ
ます。
◎輪廻する主体ミリンダ王は問う。「尊者ナーガセーナよ、次の世
に生まれ変わるものは何なのですか?」ナーガセーナ長老は答え
る。「大王よ、実に名称・形態が次の世に生まれ変わるのです」ミリ
ンダ王「この<現在の>名称・形態が次の世に生まれ変わるので
すか?」ナーガセーナ長老「大王よ、この<現在の>名称・形態が
次の世に生まれ変わるのではありません。大王よ、この<現在の
>名称・形態によって、善あるいは悪の行為(業)をなし、その行為
によって他の<新しい>名称・形態が次の世に生まれ変わるので
す。」「心のような言葉でしか表せない抽象的なもの」を「名称」と
し、「身体のような具象的なもの」を「形態」と考えて良い、と続きま
す。つまり、輪廻転生とは、新しい心と身体を持つ「新しい存在」に
変わることであると言えます。そして、「現在の存在」が行なった行
為(業)は、「新しい存在」に影響を及ぼすと考える部分は、極めて
仏教的ではあります。
■{参考資料:ネット・その他の文献から}
●http://d.hatena.ne.jp/naha36/
●http://plaza.rakuten.co.jp/okinawanaha67/
●http://plaza.rakuten.co.jp/okinawanaha/