路の途中

35歳からジョギングを始め、今もゴールを目指してさまよい続ける市民ランナーの記録。

野辺山完走記6(50㎞~59㎞)と4日目の過ごし方。

2009年05月21日 22時57分40秒 | Weblog
(野辺山完走記6 50㎞~59㎞)
 50㎞で手打ちそばを賞味して胃袋は満足するも、制限時間との闘いに焦りを覚えつつの出発。満たされた胃袋が落ち着くまで本当にゆっくりジョグしたり、歩いたりの繰り返し。高低図を見ると65㎞まではだらだら登りとだらだら下りである。
 この区間にはコース唯一のすれ違いの部分がある。別の言い方をすれば、5㎞程59㎞の着替え場所(折り返し)に向かって走り5㎞程戻ってくる部分だ。この区間に入ってすぐにすれ違うランナーは私の約10㎞先を行っていることになる。だから、とても調子が良く軽快に走っている人が多く疲労を感じ始めた自分のよき先生としてフォームなどを見習わせて頂く。少し走ってから、「もしかしたら、ここでうめさんとすれ違うかも知れない」と気がつく。
2年前は、私が35㎞リタイアですれ違い部分にはたどり着かなかった。
昨年は、うめさんのDNSで、ともに走れていない。
もしかしたら、「野辺山で初めてうめさんの走っている姿をすれ違いざまにみることが出来るかも知れない」とわくわくする。
でも、まてよ。10㎞以上差が付いていたら、既にここを通過しているかも知れない。「会えないかなぁ?」と思いながらも折り返してくるランナーを見ながら走る。
 昨年はここの区間の緩やかな下りさえ膝の痛みのために走れずに歩き続けた。緩やかな登りならばなんとか走れた。
 今年は、痛くないから走れる。登りでは軽快に抜いていく。苦手の下りでも、抜かれっぱなしではなく周りと比べると遜色ない速さで走ることが出来るようになった。(皆様が疲れてきてしまったのでしょう)
 そんなことを繰り返していると、向こう側から見慣れたランナーが!
「うめさぁーん!がんばりましょう!追い掛けますよ。」
と声をかけると、手を挙げて応えてくれた。
 どれだけの差があるのかは分らなかったが、そこから折り返しまで私は23分かかった。単純に2倍すると46分差だが私の方が登基調だったので補正して40分差と考え距離にして6㎞ぐらいでしょうか?後半もしうめさんが走れなくなって歩いていたら99㎞地点で追い付くぞ!とまだこの時点では思っていました。
 59㎞の着替えポイントに私は何も預けていなかったので補給だけして出発する。
 ここでもかおちんと会った気がするが、だんだん記憶が鮮明ではなくなってくるのが残念だ。もう少しで60㎞のチェックポイントだねというような会話をしたような記憶がある。
 60㎞のチェックポイントに向けて走り出した。

(野辺山後4日目)
 職場での朝ジョグ1㎞。
 夕方は仕事が山積みで走れず。結果的休ラン日。
 本日の走行距離 1㎞ 月間走行距離 214㎞

 夕飯ではチャーハンを作るかみさんの横で、息子が作りかけていたみそ汁に味噌を溶いた。(だけ)
 夕食後の洗い物。の後、仕事関係と家庭関係の買い出し。
 帰宅後、眠いのでソファーで仮眠。息子が塾から帰宅する音で目覚め、持ち帰り仕事を片づける。入浴後、洗濯物干し。そして、野辺山完走記6を書き上げた。

 まだまだ、ゴールは遠い。

野辺山完走記5(42㎞~50㎞)

2009年05月21日 05時53分50秒 | Weblog
(野辺山完走記(42㎞~50㎞)
 42㎞から50㎞は8㎞で250m下る。心配になる程急な下り坂ではないが、心配なのは通過時間であり、制限時間との闘いだ。
 50㎞の関門は12:00。つまりスタートから7時間後。
 昨年はここを1時間前に通過した記憶があるのだが、今年は昨年に比べて余裕がない気がする。「あれ?ちょっと余裕がなさ過ぎるんじゃぁない?」と焦りそうになる。確かに時間的には余裕がないが、体的には余裕である。後半勝負の作戦を変えずに大きくはペースを上げずに、じっと我慢の走りだった。
 それでも、まだか?まだか?と思いながら走る。そうそうここ去年も走ったよなぁ。などと思いながら。
 やっとエイドが見える。50㎞だ!中間点までやってきた。
50㎞の到着昨年(6時間 6分 3秒)・・・関門前54分だったんですね。
     今年(6時間21分37秒)・・・関門前38分。絶対食べようと思っていた手打ちそばの列に並び、バナナやスポーツドリンクなどを摂取すると50㎞を出たのは関門約30分前。
「30分のアドバンテージで完走することは出来るのか?」
という不安はつきまとう。しかし、
「大丈夫・大丈夫、後半勝負という作戦通りじゃないか。」
と自分に言い聞かせ後半のレースに足を踏み出した。